第242話 計画は頓挫した。かに見えたが……?
【まえがき】
少し長くなっておりますので、ご注意ください。
▽▲▽ ▽▲▽
――ジリリリン、リッ。
耳に届く聞き慣れない音。聞き慣れないだけで、聞いたことのある音でもある。
忙しく働いていた父さんや、今では母さんと呼べるくらいの親子になれた当時で言う光さん。
何かと忙しくしていた幸介。
3人が持つ携帯電話から鳴るアラーム音を聞いたことがある。
他にもクラスメイトが鳴らしていたことだってあるから、全く知らない音というわけではない。
だから瞬時に、アラーム音だと分かり一気に覚醒した。
勢いよく上体を起こし、携帯電話を手に取り、アラームを止め、周囲を見渡す。
照明を消してから就寝しているため当然に明かりも落ちている。
まだ陽が昇らない時間帯でもあり、外は薄暗く、カーテンの隙間を通して室内にまで光は届かない。
そのため室内には暗闇が広がっており、目が慣れるまで時間を必要としてしまう。
「クロコ?」
呼びかけに応じて尻尾でも振ったのか、微かに布のこすれる音が聞こえた。
けれど返事がない。
もう一度携帯電話を手に取り、画面から照射される光で室内を照らしクロコを探す。
足元やベッド横にあるクロコ専用ハンモック、クロコが好んで眠る場所を重点的に探すも見つからない。
「クロコ?」
目覚ましをセットした10分前には必ず起こしに来てくれるクロコ。
それなのにアラーム音が鳴ったことで気が動転してしまっていたのだろう。
携帯電話の明かりになど頼らず、最初から部屋の照明を点ければよかったと今さら気付く。
リモコンで部屋の電気を点け明るくさせる。
暗闇に目が慣れていたせいか、目がくらみはしたがそのまま部屋を見渡す。
やはり姿は見つからなかったが、閉めた筈のクローゼットが開いていることに気付く。
クロコが開けられるとは考えられないけど、近付きゆっくり扉を全開させる。
「クロコ」
「ナァ」
まさかとは思ったがいた。
今日着るつもりで用意しておいた服の上で、箱座りしているクロコを見つけることができた。
姿を見つけ、返事をもらえたことでひと安心出来たが、やはりどこか様子がおかしい。
いや、そもそも僕を起こしてくれなかった時点でおかしいのだ。
「どうしたのクロコ? どこか具合悪い?」
「ナァ」
指先をゆっくりクロコの鼻先へ近付けると、チョンと触れてから首を上げ、ノド元を撫でろと要求してくる。
要求されるがまま、優しく撫で、徐々に力を込めて行くと『ゴロゴロ』とノドを鳴らし始めた。
(よかった、全く元気がないわけじゃないみたいだ)
そのことを確認して、クロコの側を離れ、ベッドの上に置いてある携帯を手に取り、再度クロコのもとへ戻り、今度は背中やお尻を撫でる。
撫でながらもう片方の手で携帯を操作して、昔からお世話になっている動物病院の営業時間と担当
9時営業開始の担当医は……予定がいっぱいだ。
他の獣医師さん……も、予約が詰まっている。
唯一空いているのは夕方の時間――。
それじゃ、間に合わない。
今はまだ元気が残っているように見えるけど、もしも夕方までにクロコの身に何か変化が生じたら……こんなことならセカンドオピニオンを用意しておくべきだった。
どうしよう――。
いやとにかく、空いている動物病院を探すしかない。
それと美海にも連絡しないとだ。
動転していた気も多少は落ち着きを取り戻し、頭の中で次に取るべき行動の整理を終えると、母さんから電話が掛かって来た。
『母さん――』
『ええ、おはよう郡。なあに? 美波の真似? それより早いのね……って言うのは大人げないかしらね。それで、昨日も伝えたけれど今日のアルバイトは休みでいいからね。加えて12月はもうお手伝い不要よ。郡のおかげで順調に――』
『母さん』
『……どうしたの? 何かあった?』
『クロコの様子がおかしいんだ。いつもの病院も予約がいっぱいで――』
『30分で行くから待ってなさい――』
言い切ると同時に切られた電話。
それからクロコの側で立ち続けていると、30分経たないうちに母さん、それと寝癖をつけたままの美波が来てくれた。
母さんはここに来る途中で、いつもの動物病院へ連絡を入れてくれていた。
診察営業時間開始後に受付さえすれば、空き時間で診てくれると夜間対応のスタッフが教えてくれたと、母さんから説明を受け少しだけホッとすることができた。
「母さんは美波の寝癖を直して来るから、郡あなたはひと先ず着替えておきなさい。それから朝食をとって、病院へ行きましょう」
食欲はないけれど、母さんが用意してくれた朝食だからなんとか完食させ、少し早い時間に家を出て、車で20分ほど進んだところで病院に到着する。
営業開始前だと言うのに、駐車場はすでに満車に近い状態だった。
それが余計に焦りと不安に拍車をかける。
焦っても仕方ないのかもしれないけど、少しでも早くクロコを診てもらいたいから、どうしても気持ちが逸ってしまう。
9時になり受付を済ませ、待つこと40分。
いつもクロコを診てくれていた先生の手が空き診察室へ。
普段の様子として、食欲や便の具合、変わったことがなかったかどうか、今朝はご飯を食べたかなどなど。
ひと通り問診をしてから、
血液検査やレントゲンを撮るためクロコを預け退室する。
それからさらに1時間してから再度診察室へ――。
「郡くん、先に伝えるけどいいかい?」
「はい、お願いします」
診察台の上でなく、今は猫用のキャリーバッグの中で丸まっているクロコ。
そのキャリーの中に手を入れ、撫でながら診察の結果を待つ。
「結果から言うと――特別心配しなくても大丈夫かな」
「――よかった」
心の底から出た言葉だったと思う。
安堵した僕に対して先生は柔和な笑顔を向け、それから質問を投げて来た。
「もしかしてだけど、最近忙しかったりしたんじゃない?」
「はい、ちょっとバタバタしていたと思いますけど……?」
質問の意図を考えるなら、クロコを放置したことを
変化があるかないか、
しっかり見ていたつもりだったけど何か見落としがあったのかもしれない。
「クロコはさ、寂しかったんだよ」
「えっと?」
「病名を告げるなら”
予想にしていなかった結果だけに、そのまま仮病ですかと質問してしまったが、先生は丁寧に説明してくれた。
犬や猫も、人間みたいに仮病を使う子が稀にいて、寂しかったりすると気を引くのに極端に甘えたり、すねたり、怒ったりする子がいると先生は笑いながら言った。
だから、ここ最近のクロコは甘えん坊に感じたのか。
そのことに合点もいったし、大きな病気でもなく安堵もしたけれど――。
忙しいことを理由にクロコと過ごす時間を減らしていた自覚があったため、罪悪感から自責の念に駆られてしまう。
先生にお礼を告げ病院を後にした車内。
これまで、ただ静かに側に居てくれた美波が口を開いた。
「よかった――」
「本当に――遅くなったけど、美波も朝早くから来てくれてありがと」
「ん――当然――エリー――?」
「ナァ~」
仮病がバレ、開き直ったのか、クロコはいつもの調子で返事を戻すようになった。
それに対して苦笑いしたくなるものの、本当に大事なかったんだなと実感して、ようやく安心することができた。
美波が撫でたいと言うのでそのままキャリーバッグごとクロコを預ける。
預けたところで、重要なことを思い出す――。
「あ――」
美海に連絡することをすっかり忘れていたのだ。
ギリギリにはなるけど、迎えに行くには間に合う時間。
けれど寂しいから仮病を使ったと聞いたばかりで、後悔もしたばかりなのだ。
それなのにクロコを放ってデートに出掛けても、気になってデートどころでないし、ドタキャンする以上に美海にも失礼になってしまう。
そう考えて美海へ謝罪の連絡をしようとするも、美波からストップが掛かる。
今日は私がクロコと居るから、義兄さんは美海を優先してと。
「いや、でも――」
「ダメ――絶対に――ダメ――」
さらには僕が返事を戻す前に外堀を埋められてしまう。
「ね――エリー――いい――?」
「ナァ~」
「エリー――元気――?」
「ナァ~」
「決まり――」
思い出さないよう話し続けることで頭から追い出しデートを楽しむ。無理はあったかもしれないが、おかげで楽しい時間を過ごせていた。
けれど上映直前に鳴ったアラーム音が耳に残り、映画を観ている間、思い出されることになった今朝の出来事。
事前に原作を読んでいたおかげで映画の内容は理解できたが、集中して観ることはできなかった。
そして上映終了後、どことなく気まずい空気の中移動してきた駅前にあるエスパル中央部、その出入り口の手前。
ここの扉を越えれば、感想を語り合うために選んだ生キャラメルパンケーキで有名なカフェに入れる。
だが建物内には入らず、人流から外れたところで立ち止まった美海からされる何かがあったと確信した質問の仕方で、今朝の出来事を話すことになり、気まずい空気に濃い雲がかかることになる――。
「こう君、何があったの?」
「どうしてそう思うの?」
「私ね、こう君とのデートがすっごい楽しみで浮かれていたの。こう君の方から手だって繋いでくれたし、いつもよりいっぱい喋ってもくれた。だから同じ気持ちなのかなぁって考えたら余計に嬉しくなっちゃった。でも、だから勘違いして気付けたのが今になった」
「同じ気持ちだから、勘違いとかじゃなくて今美海が言ったことはあっているよ?」
僕がした返事は全て本音であるけれど、こんなことを言った所で美海は納得しないだろう。顔を見なくとも分かる。
「そうだね、それも本当なのかもしれない。でもずっと違和感があった。それに今日のこう君はね、私と一度しか目を合わせてくれていないんだよ? それも初めはね――」
意識していた訳ではないが、目が合ったのはジッと見られた時の一度だけかもしれない。
目を合わせることで気付かれる。
それを無意識に避けていたのかもしれない。
「私も……その、今日はなんとなく目を合わせるのが気恥ずかしいなぁって思っていたから、こう君も照れているのかなって思っていた。でも――」
仮病とばれて開き直ったクロコと同じ行動をとってしまう。
本日二度目の重なる視線。
それだけなのに、
美海は呆れたように『もう……』と言いながらも嬉しそうに頬を柔らかくしてくれる。
「こう君、映画が始まる前に手汗掻いたらって言っていたのにずっと冷たかったよ? 一生懸命あっためなきゃーって思ったもん。でも今考えると始まる前の様子もおかしかった――ううん。アラーム音がなってからかな? ……違っていたらごめんね。でも……もしかして、クロコに何かあったんじゃない?」
「だから美海は普段よりギュッと握ってくれていたのか。あと――」
もしかしたらプラネタリウムを観た時のように、手をにぎっぱしたりするかなと考えていた。
けれど美海はいつもより力強く手を握り続けていたのだ。
それだけ映画に集中しているのかなと思っていたが、それは勘違いで僕を温めようとしてくれていたようだ。
「美海はすごいね」
まるで探偵のように一つひとつ、本のように僕の心を読み解いて行き、珍しく饒舌に喋る僕に違和感を持ち、それから目を合わせないことにも気付き、映画館での様子を決め手に正解にまで辿り着いた。
僕以外で今朝の出来事を知っているのは美波と母さんだけ。
普通に考えれば2人のうちどちらかが美海に連絡したことも考えられるが、その可能性はないだろう。
美海が凄く楽しみにしているから、兄さんはデートに行かなければならない。
そう言って送り出してくれたのだから。
母さんだって同じ気持ちだろうし、美波の意思を無下にはしない。
それなのにクロコのことを伝えてしまえば、優しい美海のことだからデートを止めにしたはず。
美海はきっと、目覚ましが鳴る10分前にクロコが僕を起こしてくれる。
それがクロコの仕事であると覚えてくれていたからこそ、”アラーム音”から連想して正解にへと辿り着いたのだろう。
「……そう言うってことは正解なんだね。私と会っているってことは大丈夫なのかもしれないけど、クロコは平気なの?」
「結果的に大きな病気とかじゃなかったからクロコは大丈夫だよ。今は美波がついてくれてもいるし。心配してくれてありがとね」
「そっか、それならよかった――」
「うん――」
「「――――」」
映画を観ている時間を除けば、デートが始まってから初めて会話が途切れる。
これまでも美海と過ごす時間の中で、会話が途切れたことは何度もある。
けれどその無言の時間ですら居心地よく感じていた。
だが今は、居心地の良さなどまるで感じない。
ただただ、気まずい空気だけが僕ら2人を覆っている。
そして――美海は顔を俯かせたまま、デートの終わりを告げて来た。
「今日はもう……帰ろっか」
「……分かった。家まで送らせて」
「ううん、まだ明るいし大丈夫。クロコの側にいてあげて」
「いや、でも――」
「いいからっ。今日はちょっと無理。1人で帰らせて」
僕が持つ美海の荷物。
それを取り返そうと顔を上げた美海は、目に水を溜めていた。
零れないように我慢しているのか、いつもは柔らかそうに見える頬も今は固そうに見える。
さらには口を結び、一生懸命に力を込め耐えているように見えた。
「今日は楽しかったよ。荷物もありがとう。また明日アルバイトでね」
礼儀正しい美海らしく、僕から荷物を取り返してから目を合わせ、お礼を言って、別れを告げて去って行った。
少しずつ距離が開き、ただでさえ人よりも小さな背中が増々小さくなっていく。
それはまるで、僕らの近かった距離までもが離れていくように感じてしまう。
美海に楽しんでもらいたくて、僕も一緒に楽しめるよう一生懸命に考えたデートプラン。
最後まで披露することなく、僕たちの初めてのデートが終わろうとしている。
あんな表情が見たかったわけじゃない。
哀しい思いをさせたかったわけじゃない。
2人で『楽しいね』。そう笑い合える時間にしたかった。
最後はいつもの公園で気持ちを告白して、新しい関係が始まることを想像していた。
このまま小さくなっていく美海の後ろ姿をただ見送り、噴水広場の横にある緑の扉、その先にある横断歩道を渡ってしまえば、今日のデートは完全に終わってしまう。
それはデートだけでなく全てが――。
それが分かった瞬間、僕は走り出した。
髪や服が乱れるのも人目も気にせず全力で。
美海が離れて行ってしまう前に、追い付きたくて、行かせたくなくて。
まだデートを終わらせたくない。
このまま美海との関係を終わらせたくない。
僕は今日気付いたばかりだ。
クロコがいなくなることを考えたら怖くて仕方なかった。
だから一つの時間を大切に過ごしたいと思ったばかりだ。
こらからも僕は、美海の隣で一緒に未来へ生きていきたい。
「み――――みうッッ!!!!」
あと少しで追い付く、けれど信号が青に変わり、横断歩道を渡り始めようとする美海を呼び止めるために全力で叫んだ。
「――っ!? え、こう君!?」
叫んだことに後悔はないけれど、叫ぶ必要はなかったかもしれない。
理由は分からないけど、叫ぶ直前に美海が足を止め振り向いたからだ。
「――――」
そこまで長い距離でなかったとはいえ、12月という冬の冷たい空気の中、全力で走ったせいで呼吸が乱れてしまっている。
「えっと……?」
呼吸を整えつつ真っすぐに美海を見るが、『驚愕』そんな表情を浮かべていた。
ああ、なるほど。後ろから聞こえてくる乱暴な足音に気付いたから振り返ったのか。
そしたら今度は近い距離で、僕が叫んでしまったから驚かせてしまったのだろう。
僕へ背を向けてから流れ出したと考えられる水も、驚きのあまり今は止まっているように見える。
「ん――」
僕が向ける視線に気づいたのか、顔を反らし、さらに横断歩道の前から場所を移動させ、黒いミニショルダーからハンカチを取り出し、目の辺りを拭い始めた。
美海のすぐ近くまで移動し、呼吸が整ったところで息を吸い込み思いを吐き出す――。
「美海、そのままでいいから聞いて。僕はまだ帰りたくないし美海にも帰ってほしくない。デートを続けたいし夜も一緒に過ごしたい。それで明日一緒にアルバイトに行きたい。あとクロコのこと黙っていてごめん。ただ、デートを楽しみたかったし美海にも気にせず楽しんでほしかったんだ。それと――僕は楽しかった! デートプランを考えていた時間も、美海が楽しんでくれる姿を想像する時間も、美海と一緒に歩けたことも、妙に気恥しくなったことも、ポケットの中で恋人のように手を繋いだことも、2人で一緒にお昼を食べたことも、軽口を叩いたことも、映画館で他の人にバカップルと言われたことも全部全部楽しくて嬉しくて幸せな時間だと思った!! 最後はあんな感じになっちゃったけど、これは本当だから信じてほしい」
ああ――つまり僕は美海のことが本当に好きなのだ。
『恋』は自覚していたけれど、
こうして余計なことを何も考えず気持ちを声に出したことで、さらに気付けた。
僕は美海が好きなんだって。
僕が改めて自分の気持ちを自覚した一方で、美海はというと、呼吸を整えるためずっと黙っていた僕がいきなり、しかも一気に喋るものだから呆気にとられた表情をしている。
「クロコのことを黙っていたうえに、僕が楽しいと演じていたと思ったから美海はあんなに哀しそうな顔をさせたんだよね? でも、それは誤解で今言ったことは全部本当だから信じてほしい。最初から正直に話していたらよかったよね、誤解させてごめん」
『謝罪』はたまた『告白』。
言葉にした内容を考えるならば、どちらにも当てはまるだろう。
けれど我慢していた思い。
さらにはそれを約10年ぶりに叫んだことで、僕の中で何かが外れてしまったのか、止まらなくなってしまった。
だからこれは『暴走』が正しいかもしれない。
「えっと、こう君? いろいろと嬉しいけどあのね、今はちょっとね――」
ここでようやく、反らしていた顔を僕へ向き直してくれた。
けれど今度は美海が僕と目を合わせてくれない。
普段の美海なら、こういった時は必ず目を合わせてくれる。
それなのに今は目も合わさず、忙しなく視線をキョロキョロさせており、さらには
手の動きにも落ち着きのなさを感じる。
美海は僕に集中してくれていない。
そのことを考えるならば、まだ誤解がとけていないのかもしれない。
どうしたら信じてもらえるのだろうか。
どうしたら伝わるだろうか。
タカが外れ、冷静でいられない僕は、美海が挙動不審にしている理由を盛大に誤解して、さらに暴走を加速させてしまう――。
「僕は美海のことが好き。好きだ!!」
「んえっ!? ちょっ、こう君!?」
「友達としてじゃない、恋人になってほしいの好きだ」
「んん……」
僕が思いを爆発させ暴走を加速させているように、美海は挙動不審具合を加速させている。
「僕を――見てほしい」
「ん――」
周囲へキョロキョロさせていた視線の行方は先ず地面へ向いた。
それから僕の足元に移り、
ゆっくり上へ上へ移って行き、
一度僕の首の辺りで止まってしまう。
でもまたゆっくり上がって行き、
ようやく視線と視線が重なり合う。
「「――――」」
全力疾走、さらには暴走していることでコントロールも利かず、もしかしたら美海だけでなく僕の顔も真っ赤に染まっているかもしれない。
染め上げている理由は、空気の冷たさや乾燥、防寒からくる厚着が原因ではない。
「美海はもちろん。美海の家族や友達、みんな大切にします。だから――僕の彼女になってもらえませんか?」
「ん――」
今ならそれが出来るのではないかと思えるほど、信じられないくらい、ゆっくり時間が流れていると錯覚する。
間違いなく『ドクンドクン』と心臓の鼓動が連続しているはずなのに。
耳や頭に響いてくるのは『ドクン――ドクン――』と、ゆっくり打つ音。
「……はい」
今の言葉だけで十分嬉しかった。
思わずこぶしを作りそうにもなってしまった。
「はっきり聞かせてほしい」
でも美海の口からも、美海の気持ちを言って欲しいと思ったのだ。
「…………」
美海が今見せている表情は本日二度目となる。
目に水を溜め、不満を訴えるように僕を見ている。
いや、二度目というのは誤りだ。
一度目となる表情かもしれない。
さっきとは違い、美海から哀しい気持ちが伝わってこないからな――。
「私も……」
「うん」
「私も、好き……です。こう君のことも、こう君が大切に思う家族や友人も大切にします。だから……私をこう君の彼女にしてください」
「ありがとう美海――すごく嬉しい!!」
「うん、私もね、とっても嬉しいよ? でも今はちょっとね? 場所を変えたいなぁ……」
――おめでとう!!
――くぅー、こんな可愛い彼女とか羨ましいぜ、幸せにしてやれよ!!
――この辺一帯だけ桜が咲きそうだな!! 桜の木なんてねーけど!
――今夜はお祝いしてあげる。
――ズッくーん!! あめでとーー!!
――あれ、今日ってクリスマスだっけか? 1日早くない?
他にも聞き取れないほど聞こえて来る祝福の言葉や大量の拍手。
中には僕を知っている人の声も含まれていたように思う。
それらの声や拍手が聞こえて来たことで、
僕はようやく――――。
美海が挙動不審にしていた理由に気付いたのだ。
この場は、冬の寒い日でも陽が昇っている時間帯であれば、待ち合わせ場所でよく使われる噴水広場。そのすぐ近く。
幸いにも広い場所であるため、通行の邪魔にはならなかった。
けれども、不幸にも僕ら2人を見学する人たちで溢れていたのだ。
人が人を呼び、いつの間にか囲まれることになっていた僕と美海。
一時は、関係が終わる、そう思ってしまっただけに、
今は、想いが通じ、晴れて美海と恋人になれたのだから幸せの余韻に浸りたい気持ちがある。
だが、それよりもだ。
一刻も早くこの祝福に溢れる空間から脱したい。
「ど……どれ、美海。デートの続きでもしよっか?」
「う……うん、そうだね。しようしよう!」
「じゃあ……手、借りるね」
「んえっ? う、うんっ、貸してあげるっ!」
きっと動揺していたのだろう。
今この場で手を繋ぐ行為など、火に油を注ぐ行為に等しいと言うのに繋いでしまったのだから。
その結果については語る必要もないだろう。
冬だというのに。
心には春のような温かさを。体には夏のような熱を。顔には秋のような紅葉を。
なんとも奇妙で珍妙な四季を全身で体感しながら、生キャラメルパンケーキで有名なお店へ前進して、コーヒーで気持ちを落ち着かせ、映画の感想を語り合いつつ――視線を重ねては外す。
そんな初々しいやり取りを繰り返し、
生キャラメルすらも逃げてしまいそうな甘い空間を作ってから、最後に夕飯の食材を買って、クロコと美波が待つマンションへ帰宅することで、初めてのデートに終わりを迎えたのだ。
▽▲▽ ▽▲▽
【あとがき】
ちょっと計画とは違ったみたいだけど、
一先ず……
おめでとう!! 郡、美海( ˘ω˘)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます