第241話 舌打ちの後に「バカップルが……」と聞こえてきました

 味がぼやけてしまったのに美味しいと感じたオムライス。

 不意にやって来た美海による攻勢とも呼べる好勢。


 隣の席でお子様ランチオムライスをニッコニコで食べる男の子。

 それに負けないくらいニコニコした笑顔でオムライスを食べる美海。


 最後にデザートまで食べたそうにしていたけれど、また今度ポミュの木に来る約束をして今は我慢することに。


 我慢する理由は、映画を観終わってから生キャラメルパンケーキを食べる予定となっているからだ。


『映画を観て感想を語らい合う』


 それは秋休みに果たすことが出来ていなかった約束でもある。

 正確に言えば、互いに紹介し合った小説の感想であるが、映画を観ると約束したことで結び直したのだ。


 その約束は美海も楽しみにしているだけに、今は我慢して楽しみは後にとっておこうと決めたのだ。

 なんなら次の約束も結べて一石二鳥でもある。


 そんな、お腹も心も満たされたランチデートも終わり、映画館へ移動するため建物から外に出たはいいが、ビル風が吹いたせいで温まった体が一気に冷えてしまう。


 だが、冷えたのは一瞬。


 来た時と同じように美海の手を取りポケットの中で手を繋いだことですぐに温かくなったからだ。

 さらには、美海が左腕にピタッと寄り添ってきたため暑いくらいだったかもしれない。


 多少の歩きにくさを感じながらも、それを圧倒的に上回る幸せな気持ちにさせられながらやって来た映画館。


 互いに手洗いを済ませてから、当たり前のように手を繋ぎ、事前予約で取った正面の最後尾席へ移動する。


 端の席に人が座っていたため、繋いでいた手を一時的に開放させたが、着席してからはこれまた当たり前のように繋ぎ直した。


「暖房のおかげか結構あったかいね。手汗が気持ち悪かったら離してくれていいからね?」


「そんなの気にしないよ? だから離してあげませんっ」


「そっか、なら僕も離さないでいる。それにしても公開してからひと月も経つのに、まだまだ観に来る人が多いんだね」


 最後尾席に座るからよく見えるが、満席とまではいかないけど約6割の席が埋まっている。

 冬休みの影響もあるのか、学生と思われる人の姿が多い。


「望ちゃんから聞いたけど、週ごとに? 特典とか変わるみたいで、それが欲しくて何度も観に来る人がいるみたいだよ。単純に好きで何度も観ている人もいると思うけど」


「そうなんだね。そう言えば、優くんも似たようなことを言っていたかもしれない。特典が欲しいのもあるけど、好きだからこそ応援するつもりで何度も通ったりするって」


 集めた特典の写真を見せつつ、熱く語っていたからな。

 普段の優くんは比較的静かな口調だけれど、その時ばかりは語気を強くしたりもしていた。

 僕としては写真より、珍しい優くんの姿の方が気になって仕方なかった。


「ふふ、望ちゃんたち2人は本当に仲良しさんだね」


「息の揃った2人を見た時は阿吽あうんの呼吸だなって思ったよ。あと、カラ笑いの仕方とかもそっくりだし」


「2人の気が合うってこともあると思うけど、長く一緒にいるうちに似てきたりしたのかもしれないね。私とこう君も似たりするのかな?」


「すでに口癖とか移ったりしているし、もっともっと似てくるかもしれないよ。そのこと自体は嬉しいけど、僕の面倒な部分まで美海に似て欲しくはないかな」


「ふふっ、ちょっと手遅れかも?」


「なんだって?」


「あとね、こう君はいつの間に2人と会ったのかな? 私知らないんだけど?」


 どうも口数が多くなると、口を滑らせてしまうことも増えてしまう。

 優くんと出掛けるとは伝えたけれど、佐藤さんと会ったとは言っていなかったからな。


「なんだって?」


「あれ、いつの間にときを戻したの? って、ごまかさないのっ」


「ばれたか――」


 着席した時刻は上映開始まで残り5分といったところだった。

 そのため、僕や美海のように小声で軽口を楽しむ人や、ポップコーンを食べる音、パンフレットをめくる紙がこすれる音、予告映像や音が流れる空間が館内に広がっていた。


 けれどそのどれでもない、映画館で鳴らすには顰蹙ひんしゅくを買う音が館内に広がった――。


 ――ジリリリン、リーン。ジリリリン、リーン。


 ――ジリリリン、リーン。ジリリリン、リーン。


 携帯から鳴るアラーム音だ。


 映画が始まる少し前の時間にセットしていたが、解除を忘れていたのだろう。

 鳴らしてしまった当人は、多数の視線を浴びた気まずさからか、申し訳なさそうな挙動でアラームを解除していた。


 その姿を見ていた人の中には、慌てて携帯を取り出す姿もちらほらと見えた。

 きっと電源を落としていなかったのだろう。


 美海はどうだろうかと目を向けるが慌てた様子はない。


「私は大丈夫だよ。こう君は大丈夫?」


「僕は……」


 美海が聞いた『大丈夫?』とは、ちゃんと携帯の電源を落としたかどうかの確認の意味だろう。


 前後の会話や今起きた館内の状況を考えれば簡単に分かることだ。

 現にこうして理解だって出来ている。


 けれど、この時――アラーム音が引き金となり、美波みなみに見送られ家を出てから考えないようにしていたことが思い出され、言葉に詰まってしまったのだ。


「こう君?」


「ああ、ごめん。僕も落としてあるから大丈夫」


「どうしたの? 具合悪くなったりしていない?」


「聞き慣れないアラーム音でちょっと驚いただけ」


「そっか。でも具合悪くなったらすぐに教えるんだよ?」


「その時はすぐに言うよ。美海もね?」


「うん――あ、始まるねっ」


 映画館内特有の照明で明るくもどこか暗く感じる空間が、徐々に照明が落ちて行き、最後は誘導灯の光のみが残されるだけの暗闇が広がった。


 けれどすぐにスクリーンに映像が流れ始めたことで、観客の姿はもちろん、隣にいる美海の姿もはっきり見えるようになった。


 暗闇に対して苦手意識はないけれど、美海の姿が見えたことでどこかホッとした気持が湧いてきた。


 さらにその時見せてくれたお口チャックのジェスチャーが、より安心感を与えてくれた。


 肩に小さな頭を乗せて来た美海に、心の中で『ありがとう』と感謝を伝え、正面へ向き直し、パトランプ男とカメラ男が繰り広げるコミカルな注意喚起を観てから、楽しみにしていた『君の名は。』が始まったのだ。

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