第239話 これからデートが始まる。そんな雰囲気でした
午前の時間も終わりに近い11時50分。
慌ただしい朝となり、間に合うか心配だったけれども。
迎えに行くと約束した時間の10分前に美海が住むアパートへ到着することができた。
インターホンを鳴らす前に、ガラス扉に反射して映る姿を利用して服装や髪の乱れを確認する。
走ってきたわけではないが、今日は少し風が吹いているため、多少前髪が乱れてしまっていた。
乱れたと言っても片手でさっと直せる程度だから大きな問題はない。
服装の乱れもなく、汚れもなし。
母さんや幸介みたいにセンスが良いわけじゃないが、並んで歩いても美海に恥ずかしい思いをさせない着こなしだと思う。
母さんが選び買ってくれた服を着ていたら間違いがなかっただろうけど、今日くらいは自分自身で選んだ服を着て、美海とのデートに臨みたかった。
あ、それと忘れ物チェックもしておこう。
ハンカチ、ティッシュ、ウェットシート、ワックス、財布、携帯、ホッカイロ、
今までは気にしていなかったけど、手鏡もあった方がいいかもしれないな。
次からは気をつけよう。
さてと――。
これまで何度も鳴らしたことのあるインターホン。
普段と同じように何の気なしに、人差し指で番号を押して鳴らすだけでいい筈。
それなのにどうしてか緊張。
からの
まあ、緊張している理由など深く考えずとも分かる。
初めてできた好きな人。
その好きな人とする初めてのデート。
初めて練ったデートプラン。
そんな立派なプランではないが、美海が喜んでくれたらいいな。
そう想像しながら一生懸命に考えた。
初めて尽くしの1日になること間違いない。
昔交わした約束を果たすことで、新しい関係が始まるかもしれない。
つまりは――そういうことだ。
滅多につけない腕時計。
不慣れなせいで左手首に違和感を覚える。
チラッと目を向けたら、長針が11の数字に重なっているのが見えた。
つまり5分前ということになる。
そしてもっと言えば、5分もの間ウダウダとしていたことになる。
オートロック扉の前でそんなことをしている姿は、他人から見れば不審者そのものかもしれない。
幸いなことにその姿を見られることはなかったけれど。
ただ、このままだと迷惑をかけることにもなるし時間も迫っている。
いい加減に覚悟を決めよう――。
「……よし」
部屋番号を入力した。
あとは呼び出しボタンを押すだけ。
――ピン、ポォーン。
鳴ったインターホンの音が何故かゆっくりに聞こえた。
けれどその反対に心臓の鼓動は強く、速くなっている。
ドキドキしているのだろう。
デートが始まってすらいないのに、こんな状態に陥っていては、今日1日心臓が持つのかどうか不安にもなってくる。
ひと先ず、美海もしくは美空さんが出る前に深呼吸でもしておこうか。
「ス――」
『おはよ……ふふっ、深呼吸でもしようとしていた?』
こちらから姿を見ることは出来ないが、向こう側からはバッチリと見えていたのだろう。
『おはようございます美空さん。今日という空気を味わっておこうかと思いまして』
『ふふ、相変わらず変な言い回しね。遅くなったけど、おはよう郡くん。今日と明日は美海ちゃんのことお願いね? お姉ちゃんは美緒ちゃんとデートしてくるから』
美空さんは、明日のクリスマスイベントの準備で今日は夕方からの出勤となっている。
だからそれまでの時間は美緒さんと過ごすのだろう。
と言うか何それ、凄く気になる。
美空さんと美緒さんが2人で出掛けるとか、とんでもないサービスイベントじゃないのか。
同行するにはハードルが高いけど、後ろからでもいいから眺めていたい。
……これじゃ国井さんのこと言えないな。
いや、勉強を教え始めたことで国井さんと過ごす時間が増えたから、気付かぬ間に影響を受けているのかもしれない。
ちょっと考えものだな――。
『もちろんです。それで一つ頼みがあるんですが、2人が並んで撮った写真、是非あとで送って下さい』
『ふふ、バニーガールじゃなくてもいいかしら?』
いつぞやのハロウィンとかなんやらのネタだな。
『それは後期末試験で1位を取れた時のご褒美に取って置きます』
『まったく。郡くん相手だと美海ちゃんも先が思いやられそうね』
『美海の方が僕よりも何倍も
いつもならインターホンに出ると同時にオートロックを解除してくれる。
それが今日は解除されず、時間稼ぎのように会話を繰り広げているからな。
美空さんとの会話は楽しいし、さらに美空さんが言ったバニーガールという冗談のおかげで緊張まで解けている。
そのことには感謝したいが、ただ、あまり長い間話していると自動で切れてしまうから大した時間稼ぎなどできないと思うのだけれど――。
『もう少し郡くんとの会話を楽しみたいけど、そうね、準備出来たようだし郡くんはそこで待っていてもらってもいい?』
『僕も美空さんとの会話を終わらせるのは寂しいですけど、分かりました』
タイミングよく切れたのか、美空さんが操作して切ったのか定かではないが、最後に『いってらっしゃい』を言い合うとインターホンが切れた。
美空さんのあの言い方なら、オートロックの扉が開くのと同時に美海が現れるだろう。
普通ならそう考える。
だから僕も普通に則り、体の向きや目線を扉に固定していたのだけれど、美海は普通を裏切った登場の仕方をしてきた――。
「わっ! おはようっ、こう君」
「……おはよう、美海。いつの間に僕の後ろに隠れていたの?」
実を言うと、美海が声を出す直前にガラス扉に反射して映る美海の姿が見えていたから、大して驚いたりはしなかった。
そのことを言ってもいいのだけれど。
せっかく、普段中々見ることのできない可愛くお茶目な姿を見せてくれたのだ、お礼じゃないけど、わざわざ告げる必要もない。
「こう君を驚かせようと思ってお外で隠れていたの」
「なるほど。今日の美海はイタズラな美海ってことなんだね。その企みは見事成功だよ」
ある意味で可愛さに驚かされたからな。
「ふふっ、初めはね5分くらい? こう君がそわそわしている姿をね、可愛いなぁって思いながら見ていたんだよ」
もうバッチリ初めから恥しい姿を見られている。
全くセーフではなかった。
アウトだアウト。もう完全なるアウトだ。
おかしいな、こんな筈ではなかったのだけれど。
「そっか、まんまと美海にしてやられたってことか。でも寒かったんじゃない?」
頬や耳が少し赤くなっているからな。
少なく見積もっても10分は外で待っていたことになる。
「本当はすぐに早く声を掛けようと思っていたんだよ? でもね、お姉ちゃんとイチャイチャし始めたから声を掛けるタイミング逃しちゃって」
つまり僕が原因で美海を寒空の下で待たせてしまったということか。
「それなら、待たせてしまったお詫びをしないとだ」
「…………」
「美海?」
なんだろうか、妙に落ち着きがないと言うかモジモジ? した様子を始めたな。
「あのね、今日1日……」
「うん?」
「その……やっぱりなんでもないっ」
何でもないことないだろう。
はい、そうですかとは頷きにくいし逆に気になってしまう。
「何か頼み事? 僕に出来ることなら何でもするから、気にせず言ってくれていいよ?」
「いいのっ。それより、今日はよろしくねっ。映画も楽しみだね?」
もちろん映画は楽しみだけど、あからさまに話題を変えてきたな。
美海が言おうとしていたことの正体は気になるが、無理に聞き出す事でもないか。
デートはまだ始まってすらいないのだ、ゆっくり時間をかけてタイミングを見計らって聞いてみることによう。
「こちらこそよろしく。改めて、デートのお誘いを受けてくれて嬉しいよ、ありがとう。早く映画も観たいね」
「ふふっ、こちらこそデートに誘ってくれてありがとう。慌てなくても映画は逃げたりしないよ? だからゆっくり事故のないように歩こうね?」
「そうだね。とりあえずさ、美海絶対に体冷えているでしょ? ほら、手貸して。荷物も持つから」
「え――」
「コートのポケットにホッカイロ入れてあるから、足りないもしれないけど手だけでも温めて」
寒そうに手をこすり合わせている姿は見るに堪えられない。
だから美海の右手を繋ぎ、そのまま強引にポケットへ突っ込んだ。
突っ込んだという言い方は少々乱暴かもしれないな。言い直そう。
ポケットへ導き入れた。
よく分からない訂正をしているということは、まだ緊張しているのかもしれない。
悪くない緊張感だけど、何かへましないか心配にもなる。
今日くらいはみっともない姿を見せず、格好いい姿を美海に見せたいからな。
「じゃあ、行こうか――って、どうしたの美海?」
ポケットに手を入れたまま歩くことは危険かもしれないけど、致し方ないだろう。
その分注意を払うことを心掛けよう。
手を繋いでいたい言い訳をしつつ、でも細心の注意を決め、気持ちを固めてから前へ足を踏み出すのと同時に美海を見たら相好を崩していたのだ。
僕の勘違いでなければ、凄く嬉しそうなニマニマした表情に見える。
「ん、ふふふっ、嬉しいなぁっって!!」
「何か嬉しいことでもあったの?」
「なぁーいしょっ!!」
「おかしな美海」
「えぇ~? おかしいのはこう君だよ?」
「よく分からないけど、映画観終わったら手袋買お――」
「イヤです。それに持っているから要らないかなぁ」
「え、それなら……」
ジッと見て来る美海の目。
その目を見たら、その目に込められた意味を考えたら、続きを言えなくなってしまった。
これも勘。だからあっているか分からない。
僕が手を繋いでいたいと考えているから、そう感じるのかもしれないが――。
なんてことない。さっき美海が言い止めた言葉。
それはきっと。
『今日1日手を繋ぎたい』。そう言いたかったのだろう。
「まあ、こういうのもデートっぽくて悪くないか」
「うん、うんっ!」
僕の勘は正しかったようだ。
ポケットの中で繋ぐ手。
僕が言った返答に対して、指を絡ませるように繋ぎ直してギュッと、きつく結んできたことが、何よりの証明になるだろう。
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