第237話 修学できたかは分からないけど楽しかったです

 長かった三泊四日の修学旅行も残すところ帰るだけ。


 今はバス……じゃなくて、マンションの一室と錯覚するくらい立派な内装をした五色沼ごしきぬま家専用バスに乗って帰路に就いている。


 揺れも感じず乗り心地抜群。


 このまま生活できると思えるほど、設備も整っており過ごしやすい車内。

 1日目も専用バスに乗れば良かったのではと思ったが、一般のバスを体験したかったそうだ。

 そして体験も済んだことだし、帰りは乗り心地のいい自家用車で帰ることにしたと。


 結った髪を止めているかんざしに触れながら、隣に座る月美さんが上機嫌に教えてくれた。


「よくお似合いですよ」


「宝物です。大事にするです」


「そう言ってもらえるなら、贈ったが方としては嬉しいですね」


「はいです」


 1日目のお詫びとして贈ったかんざし

 それは、四姫花”五色沼ごしきぬま月美つきみ”の象徴でもある月下美人の花飾りをした簪である。


 白を基調とした簪は、長い髪にも関わらず毛先までつややかしく輝いており、濡れみたいに綺麗な黒髪を持つ月美さんによく似合っている。


 いろいろと大変な思いもする旅行だったけど、どれも楽しく、思い出に残る旅行になったな――。


 1日目の夜、夕飯までには温泉から戻れるだろうけど、万が一を考えて部屋で待っていてほしい。


 そう願った月美さんと五色沼先生の頼みで、1人部屋で悶々と待たされることになった。

 悶々とした理由は、旅館とはいえ女性の部屋で待たされることに落ち着かなかったからだ。

 やましいことなど何も考えず、ただひたすら色ことばに関する電子書籍を読んでいた。


 それで何事もなく夕飯に間に合った2人と、腰越こしごえ漁港で獲れた生シラスや相模湾さがみわんで獲れた新鮮な魚介、黒毛和牛の” 葉山牛はやまぎゅう”を使ったすき焼きと。


 普段の生活では味わえない贅沢な食事を堪能して、借りて来たトランプで”七並べしちならべ”をしつつ、2日目の予定を話しながら就寝までの時間を過ごした。


 抜群に記憶力のいい月美さんと行うトランプ。

 そのため神経衰弱を回避して七並べを選択したはずなのに、僕は一度も勝負に勝つことができなかったな――。


 2日目は9時の入館時間に合わせて英勝寺えいしょうじへおもむき、竹林を眺めながら散歩した。

 午後は茶道や陶芸を体験して、夜は本宮先輩たちと枕投げなんかをしたりした。

 アオハル実行委員について話すことはできなかったが、致し方ないだろう。


 枕投げについてだけど、人生初めての経験ではあったが、案外楽しめた。

 僕は騎士としてひたすら月美さんを守る盾に徹したり、裏切りに合い背後から後頭部に枕を投げられたりとしながらも、楽しいと思えたからな。


 ただし、浴衣着用での枕投げは二度と行わないと誓った――。

 この時、新屋敷あらやしき先輩と大玉村おおたまむら先輩とは初対面であったが、どちらの先輩も気さくで接しやすかった。


 そして昨日、3日目は午前中に大仏様で有名な長谷寺はせでらへおもむき、月美さんに対してここは花の寺としても有名だと説明しながら散策した。


 月の中旬であれば、椿つばきの鑑賞もできたかもしれないが、山茶花さざんかやいろは紅葉もみじなどを鑑賞できたから満足だ。


 それから旅館には戻らず、江ノ電で江の島駅に移動して片瀬かたせすばな通りにある商店街で買い物したり食べ歩きをしたりと楽しんだ。

 贈ったかんざしはこの時に購入したものだ。


 散策を楽しんだ後は旅館へ戻り休憩を取ることに。

 睡眠で月美さんが体力の回復をはかっている間、僕は自分の部屋で寛ぎ、由比ガ浜ゆいがはまに沈む夕日を見たりして過ごした。


 月美さんの目が覚めてからは、旅行最後のイベントとして江の島で開催されている”湘南の宝石”と呼ばれる夜景と光が融合したイルミネーションを観に行った。


 モノクロの世界を瞳に映す月美さんが楽しめるか不安ではあったが。

 この時ほど、色ことばに関する本を読んでおいて良かったと思ったことはない――。


 楽しかった思い出。

 それは僕が楽しいと感じただけなら、役目を果たせなかったことになるから中途半端な思い出になったことだろう。


 だが、隣でこうして口角を上げニコニコとする月美さんや、その月美さんに柔和な笑顔を向けている五色沼ごしきぬま先生を見られたなら頑張った甲斐もあるというものだ。


 このまま余韻に浸りながら帰りたい気持ちだけれど。

 手が空くと、どうしても。

 1日目の夜に言われた月美さんの言葉が思い出されてしまう――。


「千代くん、ところでです。どうしてです? 任命制なくしたです? 次期生徒会長です。任命権です」


 下剋上のどさくさで廃止した現生徒会長による次期生徒会長の任命権。

 他の生徒会役員同様、生徒会長も生徒会選挙で決めるよう改めた。

 改めた理由、それは秋休みが終わってすぐのことだ。


 その制度は民主主義らしくなくて横暴だと幸介が言って、その言葉に僕も同意したからだ。

 世襲制で生徒会の独裁が続くよりはいいと考えて決めた事。

 だから特別疑問を抱くことなく、月美さんにありのまま返答した。

 が、その直後思いもよらぬ返事が戻ってきたのだ。


「……なるほどです。開女かいじょです。厄介です」


 確かに幸介は『早百美さゆみが言っていた』とも言っていた。

 けどそれは今の今まで僕も忘れており、月美さんには伝えていない話だった。

 それなのにどうして早百美ちゃんから開女にまで繋がったのか。

 それを聞きたかったが、先にこう問われてしまった。


「能率的です。いいことです。でもです。悪いこともあるです。何か分かるです?」


「悪いことですか……」


「千代くん、どうやったです? 下剋上する方法です」


 最終的に達成できた一番の要因を思い出すには、まだ時間が必要だけれど――。

 勝敗を決するのに必要だったことは、過半数を超える賛同者を得ることだ。


「えっと、仲間を集めて賛同者を増やしました」


「そうです。つまりです――」


「はい」


「票を買えるってことです。いいです? よく聞くです――」


 それから月美さんは丁寧に教えてくれた。

 名花高校という狭い箱庭では、協力してくれる仲間、すなわち派閥が大きければ大きいほど選挙とはあってないような物に変わってしまう。


 つまり、思惑次第で誰のことでも生徒会長にできてしまう。

 本宮先輩のような人を惹きつける魅力を持った人なら、付け入れられることもないかもしれない。


 だがそうでない人なら?


 生徒会長になりたいけど、なれるほど支持を集めることのできない人。

 もしもそんな人が現れたら、傀儡役かいらいやくとなる生徒会長が誕生してしまう。


 普通の高校なら、だからどうしたってことになるが、

 名花高校は普通とは呼べないシステムができ上がっている。


 今後どんな結果になるのかは、現時点では分からない。

 けれど――。


 対抗する手段として、今回限りの味方で終わらず、来年、再来年に向けて今から中間を増やしておくべきだと。

 当面の間、開成女子中学出身者の情報を集めると共に警戒を払えと――。


 知り合ってから月美さんが見せくれた表情は緩い表情が多かった。

 たまに真面目な顔つきをしたこともあったが、その時も最後は冗談のような言葉で締めくくられたりしてきた。


 だが、この時ばかりは固い表情を崩すことなく話合いに終わりを迎えたのだ。

 そのことが、より一層不安な気持ちへ拍車をかけた。


「千代くん、ダメです。今考えてもダメです。私も調べるです。だからです。最後まで楽しむです。ダメ、です?」


「……そうですね。余計なことなど考えず、今は最後まで楽しまないとですね」


「千代くん、紅茶です」


「承知しました」


 当然のように設備や道具が揃っているからな、

 車内でも紅茶を淹れることだって問題がない。

 今まで知らなかったが、五色沼先生は紅茶を趣味にして長いらしい。


 この旅行中で淹れてくれた紅茶を飲ませてもらったのだが――余計な雑味もなく、僕が淹れるよりもずっと美味しかった。


 もう感動だった。


 あまりにも感動した様子をみせてしまい、揶揄われて恥ずかしい思いもしたが、五色沼先生から淹れ方を教われたから結果オーライだ。


「美味です。愛の味です」


「そうですね、紅茶愛の味ですね」


「改名です。今日からです。私の名は紅茶です」


「僕は月美って響きが結構好きなんですけど……残念です、紅茶さん」


「私は月美です」


「僕はこうりです」


「違うです。千代くんです」


「今さらなんですが、どうして『千代』って呼ぶんですか? 他の2年生に関しても」


 本当に今さらだ。ずっと気になっていたくせに、聞けずにいたからな。


「同じです。響きです。可愛いです。布教したです」


「えっと、千代の響きが可愛いからってことですか?」


「そうです?」


 月美さんのことだから、何か深い理由があるのかと考えていたのに、想像以上に浅い理由だったみたいだ。


「可愛いです。可愛い千代くんピッタリです」


「可愛いと言われてもあまり喜びにくいというか、なんというか」


「バカです? 最上級の褒め言葉です?」


「最上級って、さすがに言い過ぎじゃないですか?」


「――――」


 あれ、1日目の夜にも見た固く真面目な表情をしているぞ。

 何か間違えたか?

 って、今度は苦虫を噛み潰したような表情に変わったな。


「やれやれです」


「えっと?」


上近江かみおうみに同情です。ともえちゃん、言ってやるです」


「そうねぇ……八千代くんは紅茶を勉強する前に女の子の心をもっと、もぉーっと!! 勉強した方がいいと思います」


「精進しますけど、今は答えを教えてほしい……あ、いえ。自分で勉強しま……す――」


 突き刺すような2人の視線。

 それに耐えられず、最後は言葉すぼみになってしまった。


 それからも――。


 学校に到着するまでの間、揶揄い揶揄われたり、何が楽しかった全部楽しかった、あれが美味しかった、3日目の夜に戻って欲しいなどと――。


 最後の最後まで、感想や思い出を語る月美さんの明るい声が車内に響き続け、修学旅行と呼んでいいか怪しい、慌ただしくも楽しい修学旅行の幕が下りたのだ。


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