第235話 僕は愚か者

 ――月ちゃんが目を覚ましたから30分後に部屋に来てもらえない?


 と、16時を過ぎた時間に五色沼先生から連絡が届いた。


 どうして30分後なのだろうかと思ったが、ボサボサになった髪の毛を直したりするのに身支度を整えるからだと教えてもらった。


 そしてその30分後。

 迎え入れられた部屋へ足を踏み入れ改めて室内に目を向けるが、僕が宿泊する部屋の4倍から5倍くらいの広さとなっている。


 ベッドは2台ともクイーンサイズくらいの大きさに見える。贅沢だし、寝相が悪い人でも安心広々と眠れそうだ。


 設備的な面では似たような感じだけど、マッサージチェアがあるなど違う所もある。


 それに――窓が大きい。


 今は残念ながら日が沈み暗くなってしまったため眺めることができない。

 けれど、その大きな窓から望める由比ガ浜ゆいがはまの海は、非日常を演出してくれるはずだろう。


 海ではなく窓に反射して映りこむ自分の姿に残念な思いを抱いてから、カーテンを閉め、マッサージチェアに座る月美さんへ振り返り、知ったばかりの知識を披露する。


「12月の鎌倉の日没は16時29分くらいらしいですよ」


「な゛ん゛で ず?」


 マッサージのせいで体だけでなく言葉まで震えている。


「いえ、せっかくだから海に沈む夕日が見たいなと思って」


「…………」


 すぐに返事は戻さず、マッサージチェアのリモコンを操作してスイッチを切った。

 それからベッドに移動して座り直した。


 きっと喋りにくかったのだろう。

 僕としても目のやり場に困っていたから助かった。


「ロマンチストです。それよりです?」


「旅の風景や風情を感じて楽しみたいだけですから、ロマンチストとはちょっと違うと思いますが……それで、なんです?」


 真剣な表情を作って僕に向いてきたが、どうせろくでもないことを言うに決まっている。


「揺れるおっぱいです。どうしてです? 見ないです? そのためのチェアです」


 ほら、やっぱり。

 そんな真剣な目をして言う内容ではなかった。


 というか、さすがに下着つけているよな?


 揺れ具合を考えるにちょっと怪しいけど、聞くことなどできない。


 まあ、それはともかく。

 ふざけた会話ができるくらいにはいつもの調子を取り戻したようで安心したかな。


「はいはい、しっかり体力が回復されたようで安心しました」


「やれやれです。ともえちゃん、お腹空いたです」


「それがねぇ、月ちゃん。お夕飯は18時に部屋へ運んでもらうことになっているのよねぇ……あ、八千代くんの分も頼んであるから一緒に食べましょうね」


「はい、ありがとうございます」


 すでに空腹は過ぎ去ったが、旅館の夕飯しかも海鮮料理や和牛が楽しめるのは楽しみだな。部屋食なこともありがたい。


「ゼリーです」


 五色沼先生は、月美さんの言葉を予想していたのか、手軽にエネルギー補給ができる機能性ゼリー飲料をカバンから取り出し手渡した。


 小腹が空いた時には便利だな。

 次に小腹が空いた時は、食事までお腹を持たせる候補として考えておこう。


「時間もありますし、温泉にでも入ってきたらどうです? 熱海あたみから温泉を運んでいるみたいですから、効能とかもありそうですし」


「千代くん、一緒入るです?」


「入りません。モラル的にも決まり的にも入れませんしね」


 そもそもこの旅館で混浴はできない決まりだ。

 できたとしても、するつもりなどないけど。

 それに僕が温泉に入れる時間帯は20時から22時の間。

 名花高校が貸し切っている時間と同じである。


 月美さんと五色沼先生は、2人ということもあり修学旅行ではあるものの一般客扱いに近く、24時間好きな時に温泉に入る許可を得られている。


 さっきも思ったが、もはや本当に旅行だな――。


「部屋に備え付けられている浴槽でしたら一緒に入っても大丈夫よ? 水着も用意していますからね」


「スクール水着です。好きです? 下に着てるです。見るです?」


 先生でもあり親戚でもある五色沼先生。

 それも今までは冗談など口にすることのなかった人の口から出た言葉のため、不意打ちのあまり返事を戻すのが遅れてしまった。


 しかも手には、僕に用意したと思われる海パンまで持たれているのだから。

 そしてその隙に月美さんが言ったことに頭を抱えたくなってしまった。


 やっぱり下着をつけていなかったのか……もう少し慎みを持ってもらいたい。

 溜息を吐き出したい気持ちを堪えて、冗談を口にする2人へ返事を戻す。


「見ないですしお風呂とは裸で入るものだと僕は思いますよ。それとお姫様と呼ばれるレディが言うには、少しはしたないと思いますが? 五色沼先生もご冗談はほどほどにしてください」


「裸ならいいです? 一緒入るです?」


「もっと駄目です」


「触ってもいいです? 揉むです?」


「僕が断ることを分かっていて言っていますよね?」


「言ってみただけです」


「ふふ、ごめんなさいね。つい、開放的な気分になってしまって。先生も悪ノリが過ぎたかもしれないわね」


理解わかってもらえれば大丈夫です」


 肌を見せ合うような関係でもない。

 期待に応えることもできないと告げた。


 責任など取ることもできないのだから、一緒にお風呂に入るべきではない。


「やれやれです――」


「はいはい……って、どうして脱ぎ始めているんですか――って、五色沼先生も笑っていないで止めてください」


「先生は温泉に入る支度をしますから、月ちゃんの支度は八千代くんにお願いするわ」


「え――」


ともえちゃん、先行くです。千代くんと話しするです」


「ちょっとまっ――」


「あらあら。それなら10分後に脱衣所前で待ち合わせしましょ? 私も他の先生方とお話しておきたいから」


「はいです」


 これ以上月美さんが制服を脱ぎ出さないよう手を掴んでいる間に、次々と話が決まっていく。


「それじゃあ、部屋の鍵は八千代くんに預けるからお願いしますね」


「え、あ、はい……」


 唖然とする僕のポケットに鍵を入れ、そのまま部屋から出て行ってしまった。


「2人きりです。するです?」


 中途半端に脱衣することを止めてしまったばかりに、月美さんの今の姿は直視するには危険な姿をしている。


 つい30分前まで寝ていたため、ブレザーやネクタイは着用してはいなかった。

 そのため、僅かな時間でシャツのボタンは外され前がはだけており、スクール水着が視認できる状態に。


 さらにはスカートのホックが外され、ファスナーも下げられている。

 立ち上がるだけで、スカートが脱衣されること待ったなし。


「直視です。恥ずかしい、です」


「あ、すみません」


 混乱のせいか惹きつけられてしまったばかりに、思わず凝視してしまった。

 複数の意味で反省しなければ。


「それでです。する、です?」


「えっと……何をですか?」


「決まっているです――」


 ここは旅館。

 座る場所は横になったらフカフカで気持ちよさそうなでベッド。

 さらに室内には男女が1人ずつ。


 これまでの月美さんがしてきた言動を考えてみる。


 その月美さんが平気な顔して言いそうな冗談。

 ここまで考えてしまうと、月美さんが何を『する』と揶揄っているのかが容易に想像できてしまう。


 この人にはお世話になった。

 けれでも、この旅行への同伴がお礼となっている。

 故に、月美さんが言う冗談への返答は決まっている。


「はっきり言いますが、僕は月美さんとは――」

「話合いです」

「――しませんよ」


「??」


 あ、そのクエスチョン顔。なんだか久しぶりに見たな。

 可愛いしもう少し見たい気持ちもあるが……。


 今はそれどころじゃない。


 勘違いも甚だしい、心の中に羞恥の嵐が拭き込んでいるからな。


「…………」


「千代くん」


「ノーコメントでお願いします」


「何です? 想像したです? むっつりです。さっきも言ったです。話合いです。千代くんエッチです。スケベです。鬼むっつりです」


 僕の頼みは却下されてしまったようだ。

 そして、何を話し合うのか予想はつかないが、今指摘された通りに、話し合う事をさっきも言っていた。


 それに10分後に待ち合わせだってしているから、そんな時間もあるわけがない。

 もう、恥ずかしいやら、自己嫌悪やらで反論はもちろん、グウの音もでなかった。


「……したい、です?」


 うっすらと頬を染め、瞳を潤ませながら委ねてくる姿。

 それは今度こそ、

 さきほど僕が勘違いして想像したことをするかどうか聞いているのだろう。


「……はい。とりあえず、衣服を整えてから――話し合いをしましょう」


「詫びろです」


「はい、お詫びしますから、頼みますから服を着てください」


 頭の中に住むもう1人の僕。

 その僕の頬を全力でぶん殴り猛省した。


 思春期……と、片付けてはいけない、自分の愚かさを分からされた時間。


 そんな居た堪れなくなった状況だったが、身だしなみを整えた月美さんにされた質問で一転する。


 その質問から始まった話合いのせいで、これまで感じたことのないほど、言いようのない不安に襲われることになってしまったのだ。


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