第228話 美海の口を塞ぎたい
今日は月末。月末と言えば棚卸だ。
その棚卸作業は、僕と美海が出勤する前にほとんど済んでいた。
残りの作業も美空さん1人で問題ないということなので、僕はホール、美海はキッチンで仕事に勤しんでいた。
珍しいお客様として白岩さんが来店。
愚痴やら、不満やら、褒めてやら、相談やら、頼み事やら。
止まらないマシンガントーク。
白岩さんは文化祭で頑張ってくれた。
そのお礼として、無条件で頼みごとを聞くよと僕は言った。
だが、その申し出に対して白岩さんは社畜精神溢れる返答をしてきた。
「何でもするから何でも言って欲しいナ? じゃないと私って必要とされてないのカナ……って思うじゃん? ネ? だから私に仕事ちょうだい」
それならばと条件を掲示した時の、僕が白岩さんに向ける憐憫な目。
それにはまったく気付かず嬉々として店を出て行った――。
そんなちょっとしたこともあったが、現在店内にはすでに飲食を終えゆったりとした時間を過ごしているお客様が1名のみ。
時刻もラストオーダーとなる10分前。
そのため、今日は今いるお客様が最後かな。
そう考えていると、扉が開き鈴の音が鳴った――。
「いらっしゃいませ……あれ、古町先生? 木曜日に来るのは珍しいですね? いつものようにカウンターでいいですか?」
毎週水曜と金曜。
たまに日曜日にお店に食事を取りにくる古町先生。
そのため木曜日に来店することを珍しく思い、深く考えず条件反射に質問を投げ掛けてしまった。
「頑張っていますね、八千代君。今日は貴方にお願いしたいことがあり、そのついでに寄ってみました。注文はいつものでお願いします」
そう言いながらカウンターへ着席する古町先生。
その古町先生からの願い事とはなんだろうか、気にはなるがひと先ずキッチンに居る美海に古町先生が来店したことと注文の『サバみそ煮定食』を伝えてから古町先生の元に戻り、白湯を渡し、嫌な予感をさせつつ聞いてみる。
「大したことではありません。文化祭で協力してくれた里に、八千代君貴方が代表者としてお礼の品を渡すと長谷君から聞きました。それと合わせて私からのお礼の品もお渡しいただけないでしょうか?」
それくらいなら手間でもなんでもないから了承の返事を戻し、お礼の品を預かる。
けれど、2人は友人同士なのだから直接渡すことだってできるだろう。
何か
単に、迷惑ばかり掛けて来る里さんと顔を合わせたくないってことも考えられるしな――。
「ありがとうございます。何かお礼をしなければですね――何がよいでしょうか?」
クラスのついでなのだから礼を受け取るほどでもない。
けど、ちょうどいいかな。
確認したかったこともあるし、僕の予想が正しければそれを前払いとして、礼を受け取ったことにしても構わないだろう。
「礼を受け取る前に、僕からも一つ聞いてもいいですか?」
「ええ、構いません」
「少し前の話になりますが……前期終業式の日です。山鹿さんが体調を崩しよろけてしまったとき、古町先生は山鹿さんに対して『祝』と呼びましたよね? あれは僕へのヒントやアドバイスだったんじゃないですか?」
古町先生が生徒を名前で呼ぶ相手は、昔から付き合いの続く美海だけだ。
それなのに山鹿さんを名前で呼んだ。
つまりそれは山鹿さんとも昔から付き合いが続いている可能性を示唆している。
それがきっかけで、山鹿さんの正体が『あーちゃん』である可能性に気付けたのだ。
そう考え質問したが、
古町先生はすぐに返答せず、白湯をひと口飲んでから話し始めた――。
「私がAクラスの担任教師に決まり、受け持つ生徒名簿を見た時のことです。美海の名はもちろん、祝の名にも気が付きました。姓は変わっていようと名が珍しいですからね。それから写真を確認して確信しました――美海と仲の良かった女の子だということに」
伝説に残る四姫花、牡丹の古町先生。
頭がよく優れた記憶力も持っているため、10年以上も前のことを覚えていたとしても不思議でない。
だが――疑問も残る。
「そうだったんですね……でも、美海にそのことを伝えなかったのはどうしてなんですか?」
「簡単ですよ。入学式の日の朝、祝に口止めをされたからです。『
「ええ、まあ……美海の味方になる友達は多い方がいいですからね」
当時の美海は自分の笑顔が本物かどうか迷路の中にいた。
でも、もしも昔馴染みがそばにいたら何か変わっていた可能性もある。
そう考えての質問だったが、古町先生は小さな笑顔を浮かべ、僕の考えを否定した。
「ふふ、違いますよ――私が疑問に感じたことは、どうして秘密や内緒といった言葉ではなく、『口外』を選んだかについてです」
僕にはなんら引っ掛かりを覚えないため、そのまま疑問をぶつけてみると、思いもよらない返事が戻ってきた。
「八千代君、貴方の存在ですよ――」
「え、僕ですか?」
「ええ、そうです。祝は、私が祝に気付いていることを気付いていましたが、八千代君について覚えているかの判断がついていなかったようです。その判断は正しく、私は美海と祝の記憶に居る男の子については『こーくん』と呼ばれていて、旅行にきた男の子ということしか知りませんでした――。ですから祝は、私の中で『男の子』と『八千代君』が同一人物と結びつかないようにするため、美海と八千代君に内緒にしてとお願いせず、口外しないようにいったのでしょう――。美海が八千代君を『こう君』と呼ぶようになってから、そのことと合わせてあなた方3人が幼馴染ということを祝に教えてもらったのですが――――」
説明に疲れたのか、古町先生は白湯が入ったマグカップを手に取りひと息つく。それから、おかしそうに笑いながら話の続きをしてくれた――。
「もしも、入学当初に八千代君と男の子が結びついたとしても、私は口外しないと考えましたが、祝に『美緒さんは昔からみゅーちゃんに甘い』。そう言われてしまいました。私は美海を溺愛しておりますからね、祝はそのことをよく理解していたようです。久しぶりの再会だというのに見事な記憶力と洞察力です」
あーちゃんらしいと言えばあーちゃんらしいが……早くから教えてくれても良かったのにな。あーちゃんと古町先生、2人に対してそう思うばかりだ。
「不満そうな表情を浮かべる八千代君に言っておきますが、『運命は自ら切り開くもの』ですよ――と、偉そうなことを言いましたが、私が祝に釘を刺された言葉でもあります」
「……僕と古町先生は似ているのかもしれませんね」
何気なく呟いた言葉だったのに、またもや思いもよらぬ言葉が返ってきた。
「ええ、何せ――下剋上した者同士ですからね。さらに言えば美海を溺愛する者同士と言ってもいいでしょう」
正しい――。正しいけれど――――。
こう、面と向かって言われると反応に困ってしまう。
そのため、最近では多くの人に知られている右手で左首を掻くという癖が出てしまった。
古町先生を相手にするには、
「随分と遠回りになりましたが、質問への返答をいたしましょう――」
どうしてか分からないが、綺麗な姿勢をさらに正し、軽く咳払いをする古町先生。
さらにもっと謎なことに、ほんのり頬を染めている。
何を言われるのか想像することもできないが――今の古町先生はすさまじい破壊力をもっている。
頬を染めた古町先生はそれくらい魅力的だということだ。
魅入られながらも、かろうじて頷きで続きを促がすと――。
「私が甘くなる対象は……美海以外にも
本当の意味で
そのため一瞬、時が止まったかのように錯覚してしまい呼吸を忘れてしまった。
そんな僕の気持ちも露知らず、クスクスと笑い冗談を飛ばしてくる。
「それで、お礼はどうしましょうか? 郡は頭を撫でられることが好きだと美海から聞きましたが、私も撫でて差し上げましょうか?」
またもや正しい――正しいけれど――――。
美海にはあとで余計なことを言わないように言っておかないと駄目だな。
「えっと……お礼は、その……」
ヒントをくれたことで十分です。そう言うだけで済む話なのに。
美海が家族と同じように大切に思う古町先生。
それならば、僕も同じような思いを共有したい。だから――。
「み、美緒さんと……僕も呼んでいいですか?」
「ふふふっ。本来はダメだと断るべきでしょうけど、プライベートの場でなら構いません。私も貴方を郡と呼んでしまっておりますし、何より――郡が顔を赤くしてまで願ったことですからね、許可しましょう」
最後に揶揄うような笑顔を向けて言われたところで、調理完了の合図がキッチンから届き、僕は逃げるように一礼だけしてその場を立ち去った。
けれど――。この顔でキッチンに入ることはできない。
たった今、美海と家族になるという飛躍した想像をしてしまったばかりだからな。
合わせる顔がない。
そのため、何度か深呼吸して気持ちを落ち着かせてからキッチンに入り、何食わぬ顔でで『サバの味噌煮定食』を受け取ることにした。
余談となるが、『サバの味噌煮定食』は美緒さん専用の裏メニューとなっている。
今はどうでもいい話。
そんな余談を思い出し、気を紛らわせてからこの日のアルバイトが終了となった――が。
余談がもう一つ。
3人を送り終えた帰り道、白岩さんからメッセージが届いた。
『(白岩さん)さっき頼まれたことの生徒会の許可は得たヨ! だから郡キュンも守ってネ』
本宮先輩から付された条件は多少厳しいけれど、特例を認めてもらうと考えればおかしな条件ではない。
あとは2人がこの条件を飲んでくれさえすれば目処はつく。
けれど……とんでもなく仕事が早いな。
月美さんが白岩さんを有能だと言ったのも肯けるというものだ。
『(八千代)了解。歓迎するよ、ようこそブラック
既読がつくのと同時に電話が掛かって来て、やっぱり辞めたいと言う白岩さんを宥めたことまでが、今日の出来事かもしれない――。
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