第218話 反抗期がやってきました

 到着した飲食店は一軒家風の外観をしたイタリアンレストラン。

 季節で厳選された旬の東北野菜を使用した料理が楽しめるらしい。


 店内に入ると薄暗く感じる。

 ダウンライトのみで照らされ、落ち着きのある雰囲気が演出されているからだろう。


 店内中央には大きなテーブル。

 他にも壁伝いにテーブル席が何席かあるようだ。

 何百人も入れるほどの広さはないが、

 吹き抜けの天井が開放感を演出しているため圧迫感はない。


「いらっしゃいませ――」


 柔和な笑顔で出迎えてくれた男性店員。

 光さんが予約している旨を伝えると、そのまま予約席へ案内される。


 けれど、美波が中央にある大テーブルを希望したため、そちらに変更してもらう。

 時間も早く、まだ他にお客様もいないからと嫌な顔せずに我儘に応えてくれた店員さんに感謝を伝えてから着席する。


 大テーブルは正方形をしていて、一辺に3人分の席がある。

 ただし、テーブル中央から奥側の席には大きなかまどがあるため、全部合わせて9席となっている。


 おう型のカウンター席のような形だ。


 僕らはその正面を融通してもらった。

 着席順は僕を真ん中に、右側は美波、左側に光さん。


「前菜はどうしましょうね。ここはどれも美味しいからどれを選んでもいいけれど、郡くんは何がいいかしら?」


 光さんがお勧めと言うくらいなのだ、どれも美味しそうに見える。

 そのため悩みそうになるが、悩むことなく即断即決する。


「この『ブラッティーナチーズとトマトのサラダ』がいいです」


 うんうんと言ったようにして、満足に頷く美波。


「まったく――。どうせ美波がチーズを好きだから選んだのでしょう? 郡くんがそれでいいなら文句はないけれど、今日は郡くんのためにお店を選んだのだから、たまには自分の好きな物でも選んでもいいのよ?」


「ありがとうございます。でも、僕も気になりましたし、それに美波が美味しそうに食べる姿を見たら、僕もさらに食事を楽しめますので」


『破顔』それと『呆顔あきれがお』。美波と光さん、2人は極端に反対の表情を見せてきた。


 呆顔から苦笑に表情を変えた光さんが男性店員に前菜と飲み物を注文してくれる。

 その間、次のパスタはどれにしようかと美波と相談し、そのままメイン、デザートまで決めてしまう。


 そしてそれを光さんに伝えておく。


 メニューを見てすぐ決められることは、僕ら義兄妹のいい所の一つかもしれない。

 メニューが決まり、次にキョロキョロと店内の観察を始めた美波。

 何か目的の物が見つかったのか視線が定まった。


「手洗い――」


「僕も行こうか?」


「不要――」


 そのまま美波を見送ると光さんから声を掛けられた。


「あの子がいないうちに話してしまいましょうか。郡くん、バイト代についてだけれど」


「あ、はい」


 僕が光さんのもとでアルバイトしていることは内緒にしてもらっているからな。


 気を使ってくれたのだろう。

 それと、バイト代について。


 勤務日数や時間、時給まで分かっているのだ、どれくらい頂けるかは計算済み。

 それでも、ハッキリ言って貰えると、プレゼント予算が決められるため助かる。


「はい、これ。今月分は計算して含めてあるから一部は前払いになるけれど、約1か月間ご苦労様」


「ありがとうございます」


 受け取った封筒には、11万5千500円と書かれている。

 計算した金額と相違ない。

 美波に気付かれないうちに懐に仕舞っておく。


 何か怪しい取引みたいだ。


「それにしても郡くん――貴方やってくれたわね」


「……もしかして何か不味いことをしてしまいましたか?」


 不穏な物言いなのに、光さんはどこか嬉しそうな表情をしている。

 僕としては嫌にドキドキしてしまうから早く教えて欲しい。


「いいえ、逆よ。まだ結果が出ていないからハッキリしたことは言えないけれど。貴方がまとめてくれたオーナー情報のおかげで、大きな利益が生まれそうなの」


「そうですか。お役に立てたなら何よりです」


「あっさりした返事ね?」


 僕が適当な仕事をしたら会社が潰れる可能性もあると散々脅されたからな、光さんの意地悪な言い方のせいで、そのことが頭によぎったのだ。


 だから嬉しいより安堵した気持ちの方が大きかった。


「分かっていないようだから、教えてあげるけど……数千万、もしかしたら億が動くかもしれないのよ?」


「はい? 億ですか? そんな夢のような大金が動くようなことをした覚えはないんですが……」


 紙にまとめられていた大量のオーナー情報。

 氏名や住所などの個人情報や、扱っている不動産情報、修繕履歴。

 それらの情報をパソコンに移しただけだから。


「気を利かせてくれて、オーナーごとに新築や修繕履歴を年表にまとめてくれたでしょ? それを参考に、そろそろ提案してもよさそうなオーナーへ従業員が営業をかけたのよ。そうしたら次々と、修繕、リフォーム、リノベーション。はたまた建て替え案件まで――」


「お待たせいたしました――」


 ここで注文した飲み物と前菜のサラダが届き、美波も手洗いから戻って来たため、話は一時中断となってしまう。


「まぁ、そういうことよ。それより取り分けてしまうわね――」


「ママ――?」


「ん? 経営が順調よって郡くんに話を聞いてもらっていたのよ」


 光さんは美波がご機嫌な時に浮かべる顔そっくりな表情をしてサラダを取り分けてくれた。

 話を聞いて分かったが、やはり僕は大したことなどしていない。


 きっかけには、なったのかもしれない。

 でもそれは、光さんの会社で働く営業さんが頑張った結果に違いないからな。


 まあ、兎にも角にも役に立てた。

 その事実を知れたことは良かった。

 高時給なことに引け目を感じていたからな。

 それよりも今は食事を楽しもう。


 それから――。前菜で頼んだ『ブラッティーナチーズとトマトのサラダ』を食べた次に、パスタは『シンプルトマトソース”ピィチ”24カ月熟成パルミジャーノチーズがけ』と、またもやチーズを味わう。


 ピィチパスタの麺がうどんのような太さとは知らず衝撃を受けたが、トマトソースやチーズがよく絡み、食べごたえも抜群でとても美味しかった。


 メインは当店イチオシと書かれている『和牛ほほ肉赤ワイン煮込み』にしようかと悩んだが、『黒毛和牛ランプ炭火焼』を選んだ。


 光さんが運転のため赤ワインだと駄目かなと思ったのだ。

 調理の過程でアルコールは飛ぶかもしれないが、光さんはお酒が弱くて一滴も飲めない。


 平気かもしれないが念のための選択だ。


 ただ、次点で選んだお肉は脂身も少ない赤身肉でとても美味しかったから、結果良かったかもしれない。


 それで最後はデザートだ。僕が『チョコラータ』。美波と光さんが『ティラミス』を選んだ。

 美波と2人で一口ずつ分け合ったが、どちらも美味しかった。

 僕には少し甘く感じたが、甘党な美波の好みにはピッタリで嬉しそうに食べていたから、それで十分だ。


 食事中は美波が会話の中心……と言っても、文化祭での出来事を光さんに報告する時間だったかもしれない。


 途中、僕も会話に混ざり補足や言い訳をしつつも何だかんだ楽しい食事の時間となった。


 最後はお店の方に撮影をお願いして、

 お店を背景に3人で記念写真を撮ってから帰宅した。

 あれだけ嫌厭けんえんしていた写真も、

 今では抵抗なく写ることができるようになった。


 楽しくもあたたかいひと時。


 光さんが先にお風呂へ入り、待ち切れなくなった美波が後に続いて、母娘仲良くお風呂に入っている間、1人ベランダで幸せを思い出していると、光さんがリビングに戻って来たのが見えた。


 リビングに戻ろうとするよりも先に、光さんがベランダに出て来てしまう。


「涼しくて気持ちがいいわ」


「湯冷めしますし、美波が真似しても困りますからリビングへ戻りましょう」


「心も体も成長したのに、一貫して兄バカね。シスコンって言うのかしら?」


「ええ、僕は学校でもシスコンで有名ですから」


「ふふ、自慢して言うこと?」


「ちなみに美波はブラコンで有名ですよ」


「とんでもない義兄妹だわ。親の顔が見てみたい」


「鏡お持ちしましょうか?」


 口元を隠し上品に笑い、小さく声を上げる光さん。

 普段は優しくも厳しい光さんが、こうして冗談を口にして笑って見せている姿は新鮮に感じる。


 というよりも、初めて見る姿なため僕の目には不思議な光景に映った。

 不思議そうに首を傾げる僕を見た光さんも不思議そうに首を傾げ始めた。

 それがまた不思議で可笑しくて、思わず口角が上がってしまう。


「ようやく……私は郡くんの母親になれたかのかな」


「…………聞きたいことがあります」


 光さんは返事を戻したりせず、静かに頷くだけにとどめる。


「僕はさっき……美波と光さんと食事したことを思い出し、幸せだなって感じていました。2人のおかげで、家族っていいな。幸せだな。そんな気持ちを抱けるようになれました」


「ええ、それで?」


 柔らかな笑顔を僕に向けてくれるが、これから質問することを思えば目を合わせることができない。


「…………光さんは……父さんと結婚して幸せでしたか? 後悔とかしていませんか?」


 結婚して3年もしないうちに他界した父さん。

 残されたのは笑わない不気味な中学生。

 すれ違いはあったものの、優しく面倒見のいい光さんはそんな僕のことをも実の息子の様に接してくれている。


 だから僕も、本当の母さんの様に光さんへ心許している。

 けれど――。


 光さんが幸せかどうか僕には分からない。


 もっと違う人生があったのではないかと考えた事もある。

 父さんと結婚したせいで、もっと別な幸せな未来を奪ってしまったのではと。


 僕にはどうすることもできないこと、たらればな未来など考えても仕方ない。それは分かっているけれど、どうしても心に引っ掛かっている。


 以前より心に余裕が生まれたからこそ、周囲にいる大切な人のことを考える時間が増え、新たな悩みも生まれてしまったのだ。


「ねぇ、郡くん?」


「……はい」


「幸せの形は人それぞれにある。それに、年齢やその時々様々なタイミングによっても、幸せの形は移り変わるのかもしれない。私はそう考えているの」


「そう、ですね……」


「今でもまだまだ未熟な私だけれど、もしも私がまだ20代の時に今のような状況に陥っていたら、まなぶさんと結婚したことを後悔したことがあったかもしれない。でもね、私が学さんと結婚したのは30代半ば。社会に揉まれ少しは大人になれた時なのよ。会社も順調で金銭的に余裕もある。今だからこそ私は母親として貴方の力になれる。だからこそ私は自信をもって幸せだって言える」


 光さんが幸せならば――。

 それなら僕がこれ以上とやかく言う必要はない。

 棘は残るが、それはこれから家族の時間を過ごしながら徐々に抜いて行けばいい。


「ごめんなさい。伝え方を間違えたわ」


「十分納得できましたけど、伝え方ですか?」


「ダメよ。ぜんっぜん、駄目。だって貴方『僕がいなくても幸せならそれでいい』とか考えていたでしょ? 今」


「――――」


 僕の心に残された棘。

 それを見事に言い当てられたため黙るしかなかった。

 そんな僕に対して、ほらやっぱりと呆れた表情を見せてくる。


「郡くん、貴方の場合はそうね……中学生の多感な時期、美波は悪意に晒された。けれど貴方が美波に寄り添ってくれたおかげで、私の大切な1人娘は心を壊すことなく今幸せに過ごせている。それは学さんが貴方を残してくれたおかげ。だから今もこうして私は幸せを感じることができているのよ」


「僕が美波の傍にいたくて一緒にいただけなんですが――」


「誰に似たのか分からないけれど、郡くんは面倒な性格をしているわよね。将来、美海ちゃんも苦労するわね」


「えっと、今美海は関係ないかと――」


「とにかく――。学さんと過ごせた日々は短かったけれど、大切な思い出はいくつも貰った。さらに大切に思える息子まで残してくれた。私の息子が郡くんでなければ駄目なように、美波の兄が郡くんでないと駄目なのよ。私と美波の母娘には郡くんが必要なの。だから私は学さんと結婚して幸せになれたし、後悔など何一つとしていない。それはこの未来さきも変わることないと確信している。それでは駄目かしら? それとも郡くんの母親や妹は別の人でも代わりが利くとでも言いたいの?」


 その言い方は狡い。

 美波と光さん、2人の代わりになる人などいるはずもない。

 僕の義妹は美波だけなのだ。

 義母にしたって光さん以外考えられない。


 美波が寄り添ってくれたから、

 光さんが陰で支えてくれたから僕は諦めずに頑張ってこられた。

 だから返答など決まっている。


「美波と光さん、2人の代わりなど他には利きません」


「そういうことよ」


 さっきよりも柔和な笑顔を僕に向ける光さん。

 その光さんに対して、今度は目を合わせることができた。


 駄目な息子の成長を喜ぶかのように、目じりに皺を作り、それから母親の様に優しい手つきで頭を撫でてくれた。


 頭を撫でられることは嫌いではないため嬉しい気持ちはある。

 けれども僕は16歳の高校生だ。

 母親に撫でられるには、とても恥ずかしいし落ち着かない。


 だからつい、

 反抗期の息子の様に可愛くないこと言ってしまった――。


「話を聞いてくれてありがとうございました。ですが、ベランダで話すことじゃありませんでしたね。美波もあがりそうですし、いい加減に中に入りましょうか」


「貴方はまったく――」


「ほら……母さん、が……か、風邪を引いても心配だから」


「……本当に貴方はまったく。前にお店へお邪魔したとき美海ちゃんが教えてくれたように。仕方がない、全部許したくなるって思えるほど可愛い男の子ね」


「えっと、その話をもう少し詳しく――」


「郡くん? 顔、真っ赤よ? え、やだ。風邪かしら……お熱測りましょう――」


 恥ずかしさのあまり拒絶する僕に対して母さんは、

『息子が母に甘えることは特権なのよ』。そう言って無理矢理ソファに座らされた。


 それで体温計で計測した結果は35度6分。

 平熱中の平熱。


 心配と疑問の表情を浮かべる母さんには申し訳ないけれど、顔を染めた理由など言えなかった。


 たったひと言、『母さん』。

 僕がどれだけの思いで、勇気を振り絞って口にしたのかを――。

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