第217話 精霊に掴まりました

 帰宅してすぐに化粧を落としてもらい、着替えた僕は考えた。


 嫌なことはお腹が膨れたら忘れられる筈だってことを。

 今はお昼の時間帯。

 だからお腹が空いているせいで弱ってしまったのだと。


 そう考えることにした。


 昼食にベーコンとトマトのホットサンドを作り、国井さんから普段の美波の様子を聞いたり、美波の騎士になりたいと相談を受けたりしながら一緒に食べ進め、そのあとは紅茶を飲み精神を落ち着かせた。


 見事回復を果たしたため、国井さんを誘って幸介の誕生日プレゼントを買いに出掛けようとしたが、国井さんは今日一番の苦い顔をして帰ってしまった。


 相変わらず幸介のことを毛嫌いしているようだ。

 まあ、美波の騎士を望むならライバルにもなるから仕方ないのかもしれない。


 ただ、1人なら買物に時間も掛からない。

 そう考えた結果、買物に出るより先に掃除することに変更した。

 水回り、床を重点的に約1時間、掃除をしてから外出して買物も終わらせる。


 夕方の時間、クロコにご飯をあげたあと、クロコを膝に乗せながら読書して寛いでいると、玄関から物音が聞こえてきた。


 気配に敏感で警戒心の高いクロコなら、急に物音が聞こえてきたら姿を隠してしまう。

 けれども今回は警戒したりせず尻尾をピンと立てながら小走りで玄関に向かって行く。


 そのクロコに続いて僕も玄関に向かうが、その前にリビングの扉が開いてしまう。


「義兄さん――」


「やあ、美波。こんばんは。今日はまた一段と美人さんだね」


「ん――志乃――?」


 可愛らしいワンピース形のドレス姿、さらには珍しく化粧をしている美波。

 見たことないため想像でしかないが、精霊が持つ神秘的な美しさと可愛さを今日の美波は併せ持っているように感じる。


 僕の語彙力では、国井さんのように秀逸な褒め方ができず悔しい気持ちにさせられ、色の表現について勉強しようと心に決めることにもなったが――。


 とにかくだ、こんなに素晴らしく綺麗な美波を見ることができて感動するのと同時に、国井さんがいる時じゃなくてよかったとも思う。


 間違いなく奇声発生発狂後即気絶の定期コースまっしぐらだったろうからな。


 そして人よりも鋭敏な嗅覚を持つ美波には当然の様に国井さんが居たことがばれている。


 いじけてしまう心配もあったが、特に気にした様子はなさそうだ。


「郡くん、こんばんは。お邪魔するわね」


「光さん、こんばんは。それとお帰りなさい」


 僕がした返事に驚いたような表情を見せる光さん。

 意識して言った訳でないため、僕自身も自然と出た言葉に驚きを感じた。


「ふふ、どうして言った本人が驚いているのよ。でも、そうね……ただいま。郡くん」


「どうしてでしょうか。僕にも分かりません」


「家族――」


 とても嬉しそうな表情をした美波は、そのまま僕の右手、光さんの左手を取り横並びで手を繋いだ。

 おまけに鼻歌まで口ずさみ、これでもかと言わんばかりにご機嫌な様子をみせる。


「ナァ~」


 僕の足元に頭を擦り付けるクロコ。

 もちろん、僕がクロコを忘れたりするものか。

 一度美波と手を離し、屈んで左手でクロコを抱きかかえる。


 普段なら抱っこなどさせてもらえないが、寂しい思いをさせてしまったからか、前足で僕の肩を掴んでくる。

 爪が少し刺さって痛いが我慢だ。まあ、でも後で切っておこう。


「ところで、僕も正装した方がいいですか?」


「この子がお洒落した姿を郡くんに見せたいと言ったから、可愛くしているだけよ。でも、そうね……前にアウトレットに行った時に、秋用のジャケット買ったわよね? 今履いているパンツとセットに合わせたら、この子の服装にも合うと思うし格好もいいと思うわよ」


 なるほど。つまりそれに着替えろということか。

 精霊の様に可愛い美波に服装を合わせることに異論はないが、たった今クロコを抱きか抱えたばかりだからな。


 ゴロゴロと喉まで鳴らしているし、おろすにはしのびない。


「ふふ、私と美波が……いえ、私が荷物をやるから、あなたたちはその間好きにしてなさい。30分くらいなら余裕もあるから、それなら着替えもできるでしょ?」


「はい、ありがとうございます」


「ソファ――」


 ソファに座ろうと、僕の手を引いて歩き進む美波。

 そのまま腰を下ろすと、クロコは美波の膝に移ろうとするがその前にソファの背もたれに掛けてあるストールを手に取り、美波の膝に掛ける。


 綺麗な服にクロコの爪が引っ掛かったら大変だからな。

 待てをされたせいでクロコは尻尾を大きく揺らしたが、美波の膝の上に乗るとすぐに喉を鳴らし始めた。


 美波とクロコとの時間を少しだけ楽しんでから、光さんにアドバイスしてもらった服装に着替えるため部屋に移動する。


 着替えを済ませてリビングに戻ると、満足したのかクロコは美波から離れて毛づくろいしていた。


「では行きましょうか」


「ん――」


「はい、楽しみです」


 前に光さんと交わした外食に出掛ける約束。

 今日はその約束を果たす日となっている。

 そして外食が済んだあと、光さん、美波の2人も一緒にマンションに帰って来て、一晩過ごす日でもあるのだ。いわゆる家族の時間とうやつだ。


 これが決まったのは昨晩。

 自宅で寛いでいたら電話が掛かってきた。

 相手を確認して通話ボタンを押すと突然『明日は外食しましょう。そのあとは泊まるから』。と、光さんに確定事項を告げられたのだ。


 相変わらず強引であるが、夜は予定もないため了承したという流れとなる。

 楽しみにも感じるが少し緊張もする。

 けれど嫌な緊張ではない。

 そんな矛盾した気持を抱きながら、

 光さんが運転する車で、光さんお勧めの飲食店へ向かう。


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