第216話 見間違えてほしかった

 約1時間30分をかけて、

 国井志乃の手により忌まわしき記憶が呼び起こされた。


 鏡に映る自分とは思えない綺麗な女性らしき人。

 ハチより上で結ばれたポニーテール。

 黒いリボンでまとめられ、銀色の髪がよく映えている。


 化粧を施されたせいで、どこから見ても女性の顔にしか見えない。

 服は開成女学園高等部の制服に似たもの。

 以前制作していたものを僕のために改良したと説明された。


 プラスチックボタンを水牛ボタンに変えたりして、細部にもこだわったとも熱弁された。

 以前着たフリフリの衣装と比べてスカートが短いため、どことなく落ち着かない。


 そのことに不安を覚えたが、タイツのおかげでほんの気持ち程度安心できた。

 不思議とサイズもピッタリだから着心地は悪くない。


 けれど全てのサイズがピッタリなことに疑問と恐怖を抱いた。


 まあ、兎にも角にも。


 自画自賛するようで気持ち悪いけど、どこからどう見ても綺麗な女性だ。

 鏡を見ながらそう思った。


 管理人さんにひと言文句を言ってやりたかったが、それは叶わない。

 清掃の時間で不在にしていたからだ。

 そもそも、こんな姿なのだから話し掛けることすらできない。

 そう考えると会えなかったことは逆に運が良かったのかもしれない。


 さて――。待ち合わせの時間は10時。


 その時間からすでに10分は過ぎている。

 僕をこんな目に合わせた2人について確認する前に国井さんについてだ。

 国井さんは僕をストーキング……見守る為に後ろに付いて歩くそうだ。

 何かあった時のヘルプ要員らしい。

 女装した僕に対して国井さんは、


 ――秋の霜のように真っ白に輝き神秘的で素敵ですお義姉様。


 と、銀髪のウィッグを被せられた僕を褒めたたえてくれた。


 色の表現の仕方が秀逸だと感心させられたのと同時に、ヘルプ要員に徹することを伝えられた。


 だからこの場には居ない。

 少し離れた位置から双眼鏡を手にして待機している。

 立派なカメラなんて見えない。あれは間違いなく双眼鏡だ――。


 それで長谷と小野の2人だ。

 10分過ぎているが、2人は遅刻をしている訳ではない。

 2人は僕のすぐ近くで視線をキョロキョロさせたり、前を歩きチラチラ覗き見たりしている。


 おそらくだが、僕を僕だとハッキリと認識できないでいるのだろう。

 声を掛けて人違いだったら恥しい。

 そう思っているのかもしれない。

 だから僕から声が掛かるのを待っている。

 けれど今日の僕は話すことを禁じられている。


 と言うのは意地が悪いか。


 仕方ないけれど、このままでは埒が明かないし僕からアクションを起こすとしよう。

 先ずはそうだな、

 チラチラ見て来た長谷と目を合わせてみるか。


「…………」


「――!?」


 おい、顔を反らすな。

 どうして顔を真っ赤に染めているんだ。

 声を掛けるチャンスだったろうに。

 どうしようもないな全く。

 それならば次は小野と目を合わせてみるか。


「…………」


「――!?」


 長谷と全く同じ行動を取るなよ……。

 すでに心が折れそうだけど、

 気力を振り絞りもう一度目を合わせてみるが結果は変わらない。


 先が思いやられてしまう。


 2人が携帯を持ってきていればメプリで会話ができるのだが、

 試しに送信してみたけど一向に既読が付かない。

 つまりは有言実行して本当に携帯を置いてきたのだろう。


 どうしたものか……あ、僕が打ち込んだ文章を見せればいいのか。


 八千代郡を望んでいないと言っていたからな。

 それくらいなら合わせてあげた方がいいだろう。

 あとで文句を言われても嫌だし――っと、こんな感じでいいかな。


『国井志乃さんに言われて来ました。ご依頼としてお買物に付き合います』


「え……まじかよ……やっぱりそうだったのか……」

「駄目だ……頭がバグりそう……」


 何を言っているのか理解できず、つい、首を傾げてしまった。

 すると2人は声を揃えて突っ込みを入れてきた。


「「可愛いがすぎんだろっ!!」」


 呆れて物も言えない。


 どちらにせよ何も言えないんだけどさ。


 とりあえず合流もできた訳だし、早速行動に移りたいのだけれど。

 そもそも今日は何を目的に買い物するのだろうか。

 おそらくは里店長へのお礼の品か何かだと思うが。


『何買うの?』


 携帯に文章を打ち込み、前に掲げたというのに2人は何かをコソコソと話していて気付いてくれない。

 そのため、長谷の袖を取りこっちを向けとアピールする。


「え、あ、え……と……」

「……お前ばっか狡い」


 変貌を遂げる前の莉子さんのような返しをしてくる長谷。

 隣にいる小野はと言うと、恨むように長谷を見ている。

 僕は友情に亀裂を入れてしまったのかもしれない。


 とか呑気にそんなことを考えていると、

 小野は懇願するように同じことをしてくれと頼んできた。

 仕方ないから同様に袖を引き携帯を見せたら満足した様子をみせてくるが、


 何この罰ゲーム。誰得状況だよ……。


 とまあ、似たようなやり取りを何度か繰り返してからやっと――。

 今日の目的が、文化祭でクラスに協力してくれた里店長へのお礼の品を購入することだと聞き出せた。


 すでに疲労困憊だ。今すぐにでも帰りたい。

 けれどもう暫しの我慢だ。


「えっと……何がいいと思う?」

「里姉さんは何が嬉しいかな?」


 口調や語尾がいつもよりも何倍も柔らかい。

 そのことは良いことなのだが、どうしても普段とのギャップで不気味さが拭えない。


 いや堪えろ、今は返事を考えなければ。

 里店長なら間違いなくお酒だろうけど、僕らは未成年のため購入することはできない。

 であるならば、次の候補は何かお酒のアテになるものになるけど、何がいいだろうか。


 予算は1人頭500円。

 古町先生は個別に渡すと言っていたから40人計算。

 だから2万円が上限となる。

 2万円もあれば高級食品も買えるし、複数のアテを購入してもいいかもしれない。


『お酒が好きだから、何かアテになるものとか? いろいろ見て回る?』


「そ、それでいこう!」

「よし、どこから行こうかな」


 何だか調子狂うし、打ち込むのも面倒になってきたな。


『周りに誰もいないところでも喋ったりしたら駄目?』


「「ダメに決まってんだろっ!!」」


 身を乗り出す勢いで反対されてしまったため、コクコクと頷くことしかできない。


「頼むから俺らの夢を壊さないでくれ」

「今日だけは夢を見させてくれ、お願いだから」


 逆に虚しくならないのかな、と言いたい気持ちもあるが、今にも泣き出しそうな顔をしていたため、そんなことは言えなかった――。


 転倒しそうになった僕を支えてくれたり、

 1人離れた時に声を掛けて来た男性から庇ってくれたり、

 エスカレーターや階段で僕の後ろに立ってくれたりと、

 2人に見直す場面もあった。


 けれど、手を繋ぎたいとかプリクラを撮りたいとか他にもそれらを上回る駄目な部分も見せつけられたりもした。

 その駄目な部分は思い出したくもないため、省略させてください。


 どうかお願いします――。


 そんなこんなで約2時間、数軒のお店を見て回り里店長へのお礼の品を購入することが叶った。


 それで購入した品は、缶詰に入ったお酒のアテで有名な”缶アテ”。

 その人気のアテ13缶セットだ。

 缶アテに加えて高級海鮮茶漬け10袋セットも購入した。

 その2セットで約1万8千円。1人頭450円で収めることができた。


 お礼の品は八千代郡から里店長に渡す手筈になっているが、今日は2人が品を持ち帰るそうだ。理由は今日この場に八千代郡がいないためだ。


『依頼はこれで完遂ですね。今日はありがとうございました』


 まるでレンタルサービスみたいだなと思いつつ、携帯に打ち込まれた文章を見せる。

 見せられた2人は、楽しそうな表情を一転させて、顔を地面へと俯かせてしまった。

 そのまま5分が経過。ひたすら沈鬱な空気が流れている。

 いや、流れていない。溜まっている。


 屋外に居るのに不思議と僕ら3人の周りに沈鬱な空気が留まっている。

 空気が留まるとは変な言葉だなとか、お腹空いたなとか、昼食は何作ろうかとか、国井さんも食べるかなとか、帰ったら掃除しないとだなとか、関係のないことを考えることさらに5分。


 悲壮感溢れさせる長谷と小野の2人がやっと返事を戻してきた。


「また……会える?」

「金も払うから……」


『2人のためにも、お会いするのは今日を最後にしたほうがよろしいかと』


 一番は僕の為にだけれどな。

 まあ、2人が先に進むためには、古い恋など忘れてしまうに限るだろう。


 自分で自分に鳥肌が立つな。


「……さよなら、俺たちの初恋」

「……長谷、何か食いにいこうぜ」


「ああ、でも俺もう金ねーよ」

「それな……」


「「はぁぁぁ…………」」


 初恋と一緒にさまざまな何かを失った2人は、背中を丸め去って行った。


「さすがお義姉様でございますね」


 横を見ると、満足いったような表情をした国井さんが立っていた。

 お義姉様と言われることに対して物申したいが、周囲には結構な人が居る。

 というか、めちゃくちゃ視線を感じるな。

 厄介事に巻き込まれる前に帰るとしよう。


「おおおおおおおお義姉様!?? お義姉様がわたしめの手をお取りに!?」


 無視だ、無視。本当は1人で帰りたいけど、化粧を落としてもらいたいからな。

 国井さんがいないと困る。

 管理人さんに対してまた何か変なことを言われても困るから、連れて帰るしかない。


「あの――」

「その――――」

「君らかわい――――」

「このあと時間あ――――」

「俺らとメシでもどう――――」

「その制服って開女のだよ――――」


「はわわわわわわぁぁぁ~~~~」


 僕の精神衛生状態は限界に近いのだ。

 声を掛けてきたり、前に立たれたり、変な声も聞こえたが全て無視だ。オール無視。


 おかげでどうにか問題なくマンションまで帰って来ることができた。


「おや、郡くん。お帰り。今日はかわいい姿で出掛けていたんだね」


「……ひ、人違いではないでしょうか」


「はっはっは、ワシが君を見間違える訳なかろう」


『キリッ』とした表情だ。

 本気と書いて、本気まじかよって叫びたい。


「あの……これは僕の趣味とかではないので、勘違いしてほしくはないのですが……」


「大丈夫、大丈夫。誰かに言ったりしないから安心してくれい。では、ワシはこれで帰るからまたな、郡くん」


 それ、何も安心できないやつ。それに勘違いされたやつ。


「はい、また……」


 管理人さんに対して言い訳も何もできず、

 朝の不満を言うこともできず、

 蚊の鳴くような、か細い声で返事を戻すので精一杯。


 つまりはギリギリに残されていた精神力が尽きた瞬間だったということだ。

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