第212話 こぼれ話「将来の誓い??」

【時系列】

 本編に入らなかった、こぼれ話です。

 第183話アルバイトも頑張っています の後。


 ▽▲▽


「では郡さん。また夜に」


「もう一度聞くけど、23時半くらいになるけど平気? 10分そこらで済むとは思うけど」


 帰宅後は即行でシャワーを済ませ、任せて貰った不動産アルバイトを進める。

 光さんが言っていたように打ち込み作業や登録自体は簡単で、1週間も経てばスムーズに出来るようになった。


 もちろん、間違えがないように確認はしっかりしている。

 倒産の引き金を引いて、光さんや美波を路頭に迷わせるわけにはいかないからな。


「最近の莉子はいろいろ忙しくしていて夜更かし悪い子なので平気です。それに、明日は土曜日で学校もお休みですしね」


「頑張っているんだね。でも、眠かったら我慢せずに寝ていてもいいからね」


「ええ、もちろんです。では今度こそ――郡さん、またあとで」


 返事を戻すと、迎えに来ている莉子さんのお母さんが待つ車に乗り込んでいった。


 そして最後に、車内の窓越しから手を振る莉子さんと、軽く頭を下げる莉子さんのお母さんを見送る――。


「じゃあ、美空さん。僕らも帰りましょうか」


「いつもありがとうね、郡くん。紳士な義弟が出来て、お姉さんはとっても嬉しいっ!」


 右腕に柔らかな感触が伝わってくる。

 避けようとすれば避けられたが、毎度のことでもあるし美海も怒ったりしないので諦めている。

 でも、抵抗の爪痕を残すため、言わせてもらう。


「はいはい。僕もとびきり美人なお姉さんができて嬉しいです。でも、義姉弟として適切な距離感を希望したいですね」


「い~や~だ! それに、郡くんだって人のこと言えないんじゃないの? 美波ちゃんと恋人のように手を繋いでいたって、光さんから聞いたわよ?」


 いつの間に光さんと連絡先を交換したのだろうか。

 女性陣の連絡網作成速度に、つい、唸るような声が出そうになってしまう。


「美波が僕の義妹だからですよ? 義姉は駄目です。そもそも美空さんはまだ義姉ですらないじゃないですか?」


「ふふっ、まだ?」


「……兎に角、駄目なものが駄目です」


「えぇ~、ケチ~!!」


 唇を尖らせながらも、珍しいことに離れてくれた。

 普段なら僕がどれだけ注意しても、美海が出迎えてくれるまで離さない美空さん。


 だから思わず美空さんへ顔を向けてしまうが、目が合ったことで罠に嵌まったことを悟った。


 美空さんは『男の子ね』と告げ、揶揄うお姉さんのような表情を見せてきたのだ。


「光さんから聞いたことは、まだあるんだぞ?」


 嫌な予感しかしないため『へえ』とだけ返事を戻すが。


「ふふ、郡くんは美波ちゃんに背中を流させたとか?」


 出会った当初は同じ高さの目線だった美空さん。

 だが今は、ほんの少し低くなった位置から『ジッ』と視線を向けてくる。


 そんな顔でも美人だ。


 むしろこの表情を好む人もいそうだ。

 とりあえず、この話題はこちらが不利なので話題を変えた方がいい。


「不可抗力ですし僕と美波は兄妹ですよ? それに、僕自らそんなことを言うと思いますか? あと、美空さん。やっぱり僕の時給もう少し下げません? 能力以上に頂きすぎている気がするんです」


「いくら義兄妹でも背中を流してもらう関係は変よ? だけど……郡くん的には義姉弟ならいいってこと? あとね、郡くん。それこそね――い~や~だ!! むしろ上げたりないと思っているのよ?」


 言われなくとも、義兄が義妹に背中を流してもらう関係が変だということは理解している。だから兄妹だからいいと認めている訳でもない。


 あと、ホワイトすぎる会社のため、ある意味恐ろしくなってしまう。

 お金は必要だしあって困る物でもないけど、今より時給が上がるとプレッシャーに押し潰されてしまいそうで怖い。


「そうですか――まあ、お互い一歩も引けないならこの話は止めましょう」


「そう? お姉さんは構わないよ? でも、そうね……郡くんがひとつお願いを聞いてくれるなら、止めてあげてもいいかな」


 こういう前振りがある時は、ろくでもないお願い事をされることが多い。


「……聞くだけ聞いてみましょう」


「ふふっ。そんなに警戒しなくてもいいわよ? でも、そうねぇ……2年、そのちょっと後になるかな。私にも郡くんのお背中……流させてね?」


「…………どうして背中を流したがるのか分かりませんが、そうですね……もし、その時、背中を流し合えるような関係になれていたらお願いします」


「ふふふっ、じゃあ将来の誓いの印に指切りしようか?」


 楽しそうな微笑みを浮かべながら小指を差し出してくる。

 こうして見ると、僕よりも細くて、小さくて、そして綺麗な指をしている。


 背丈はほんの少しだけしか違わないのに、こんなところで男女の違いを感じてしまう。


「ん、早く!」


 綺麗な手を見ていたせいで、怒られてしまった。

 そして差し出された細い小指に絡め、指切りを結ぶため2人で約束の歌を紡ぐ。


「ゆ~び、きったぁ! はい! これで約束完了。弟と妹が増える日が楽しみだなぁ」


「……気が早いのでは?」


「そんなことないわよ? あ、でもね。お姉さんもね、驚いたわよ?」


 力強く、確信的な目をしている。でも次には、その目を丸くさせてきた。


「驚くくらいなら、この約束を反故にしても僕は構いませんよ?」


 何に対して驚いたのか憶測となるが、恐らくは僕が許可したことだろう。

 美空さんも僕が許可するとは思っていなかったのかもしれない。


「ふふっ、やっぱり気付いていないのね? 郡くん、大胆なこと言っていたのよ? だから約束は反故にしなくていいし、むしろしっかり守ってもらわないとね? 将来が楽しみだわ」


 なんだ?

 何か大胆なこと言ったか?

 そんな変なことは言っていないと思うが……。


「えっと、一応確認ですが、美空さんが僕の背中を流してくれるって約束ですよね?」


「そうよ?」


 やっぱり、変な約束ではない。

 いや、変な約束ではあるが想像より変な約束でない、はず――。


「それと、郡くんがお姉さんの背中を流してくれる約束でもあるかな? 郡くんたら、『背中を流し合えるような関係』って、大胆なこと言うからお姉さんも驚いちゃった。もし、郡くんが希望するなら……前も洗ってくれていいわよ? ふふふっ」


 なるほど、言葉選びを間違えてしまったということか。

 さすがにちょっと……美空さんの背中を洗うのは、想像するだけでも刺激が強すぎる。


 前側なんて絶対に無理だ。


 だが悩んでいる時間はない。

 アパートはすでに目の前。

 玄関にたどり着く前に、

 美空さんが逃げ切る前に、


 訂正させてもらわねば――。


「あの、美空さん――」


「だ~め。反故にするなら針千本飲んでもらうわよ? あと、これ以上言うなら、前も洗いっこしてもらうわよ? 私も恥ずかしいから、タオル1枚くらいは許してあげるけど、水着とかも禁止よ」


 約束の訂正を訴える前に却下されてしまった上に、さらに厳しい条件が付されてしまった。

 というか、恥ずかしいなら止めましょうよ。

 女性の方から水着禁止を希望するのもどうかと思いますし。

 それより一段。

 また一段と――。階段を上り進められている。

 時間もない。どうしたら――。


「ならせめて……美空さんの背中を流す時は目隠しをさせてください」


「郡くん?」


「はい?」


「そっちの方がいやらしく感じない? 郡くんがそうしたいならいいと思うけど」


 ――ガチャッ。

 と、玄関扉を開錠する音が響く。


 そしていつものように、『おかえりなさい』と、美海が玄関で出迎えてくれる。

 つまり、タイムアウトということだ。


「郡くん? 今日も送ってくれて、ありがとう。また日曜日お店で会いましょう」


「お姉ちゃん、こう君。お仕事お疲れ様。今日もお姉ちゃんを送ってくれてありがとうね、こう君っ! 帰りも気を付けてね。連絡も忘れちゃダメだよ?」


 様子を見るに、さっきの約束についてはこれ以上譲歩してくれなさそうだ。

 美海に……内緒には出来ないからタイミングを見て話しておこう。


 怒られるだろうが、隠し事をするよりはいい。

 僕より先に美空さんが話してしまう可能性も高いが、その時はその時だ。


「ええ、美空さん。また日曜日に。あと、美海もありがとう。帰ったらすぐに連絡するから大丈夫だよ」


 美海と美空さん、2人に別れの挨拶を交わし玄関を後にする。


 階段にさしかかる手前で振り返ると、美海が笑顔を浮かべ手を振ってくれる。

 僕も手を振り返してから、階段を下りる。

 美海がギリギリまで見送ってくれるのは、初めて自宅に上がったあの日から一切変わることない行動だ。


 いや、変わったこともある。


 あの日よりもずっと魅力的な笑顔を見せてくれるようになった。

 本当に、会うたびに、見るたびに可愛くなっていく。


 単に美海の魅力が増していることでもあるが、美海を好きだからこそ、可愛くて仕方ないと思うのかもしれない。


 そう実感しながらアパートを後にして、帰路に就き、マンション到着の連絡を美海へ送る。


 そして戻って来た返事は――。


(美海)『おかえりなさい! 夜、眠る前でいいから電話していい? 用件はお姉ちゃんとの約束についてです』


 美海の言った用件。

 その答え合わせは、美空さんが言った将来の弟と妹発言について一つ。


 もう一つは――そうだな、

 もの凄く怒られたとだけ――。

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