第207話 あーちゃんの顔面が崩壊していました

「美海さんや」

「何ですかな、郡さん」


 機嫌がいいのかノリがいい。

 それに美海から名前で呼ばれるのも新鮮に感じる。たまにはアリかもしれない。


「あっという間に広がるよ? 噂」


「たった数時間の差だから、遅いか早いかだよ。ね、祝ちゃんもそう思わない?」


 後夜祭で起こす出来事を考えれば確かにその通りだが、まさかこのタイミングで、名も知らない女子にフライングしてほのめかすとは考えてもいなかった。


 本宮先輩に勝利するのが当たり前と言ったようにも感じるから、嫌な意味でドキドキしてしまう。


 油断とも感じてしまうから、僕はまだそこまで大胆になれない。


「……気持ち的には八千代郡に同意だけど、私は美海ちゃんを肯定する」


 試合に勝って勝負に負けたような気分だ。

 山鹿さんの返事に複雑な気持ちとされたし油断も出来ないが、美海がクスクスと楽しそうに笑っているから、何とかなるような気がしてくる。


 不思議だ。


 3年Aクラスの前で、友人と共に看板を持っていた元樹先輩と軽く世間話をして、最後に『両手に花とかさすが郡だな!』と背中を叩かれてから、開きっぱなしの扉から入室する。


 背中を擦っていると、僕に気付いた美愛さんから声が掛かった。


「あっ! やっく~ん、ちょうどいいところにっ!! やっくんに会いたいって子が……って。はははっ! もぉ~、愛されてるね? やっくん!」


 まだ美愛さんが話している途中、脚に小さな衝撃が走った。

 原因は抱き着かれたからで、美愛さんが声に出して笑った理由でもある。

 ギューっと力一杯に抱き着く様子は、何というか、庇護欲が掻き立てられるそうになる。


 いや、無意識に頭を撫でてしまっているから、すでに掻き立てられてしまっている。


「こんにちは、咲菜ちゃん。来ていたんだね? どう? 楽しんでる?」


 顔を上げ、まるで花が咲いたかのように『ぱぁぁ』と表情を明るくさせ、元気よく返事を戻してくれる。


「うんっ!! たのしい!! うりおにいちゃんにあえたからっ!!!!」


「「「「「んッ――!!??」」」」」


 近くで僕らを見ていた人たちが一斉に心臓の辺りを抑える。

 あまりの可愛さに心臓を撃ち抜かれたのだろう。


 かくいう僕もピストルで心臓撃ち抜かれたかのような衝撃が届いている。

 実際にピストルで撃ち抜かれたことなどないから、これが表現として合っているかどうかは分からない。だけど、それくらいの衝撃に感じた。


 それにしても咲菜ちゃんは、会うたびに可愛いをプレゼントしてくれる。

 全身から可愛いが溢れていて心が癒される。


 これが可愛いの権化であって、可視化なのかもしれない。


「人は、キャパを超える可愛いに出会うと、頭が悪くなるのかもしれない」


「うりおにいちゃん?」


 訳の分からない妄言を吐いたせいで困惑させてしまった。

 きょとんとした顔で僕を見上げている咲菜ちゃんも可愛い。反則である。


「咲菜ちゃんは今日も可愛いなって言ったんだよ」


 咲菜ちゃんに可愛いってことを伝えたかったが、変わらずきょとんとした表情をさせている。残念ながら僕の思いは伝わっていないみたいだ。


 では方法を変えるとしよう。

 頭を撫でるのを再開させると、『これすき~』と嬉しそうにしてくれたから、今度は正解できたようだ。


「三穂田さん、美愛先輩。こう君は咲菜ちゃんと会うといつもあんな感じなんですか?」


「ははは、そうだな……会う回数を重ねるごとに増しているような感じかな? 咲菜は極度の人見知りなんだけど、郡くんの人柄がいいからか凄く慕っているみたいでね。家でも『うりおにいちゃんにあいたい』って、きかないんだよ」


「咲菜ちゃん相手に妬いたりしないんだよ~? 上近江ちゃん」


 ――しませんっ!!

 と。


 何やら僕と咲菜ちゃんについて会話する声が聞こえてきたので顔を上げると、可笑しそうに笑う美愛さんがいて、その美愛さんの少し横で三穂田さんと美海、山鹿さんが会話しているのが目に映った。


「ねぇ、祝ちゃん。こう君は将来、いいお父さんになると思わない?」


「……良くも悪くも親バカになりそう」


 山鹿さんの言葉は、酷い言い草に思うがグウの音も出ない。


「ははは、言えてる。でもきっと郡くんなら子供だけじゃなくて奥さんのことも大切にするんじゃないかな? だから親バカなうえに妻バカ? いや、この場合だと夫バカになるかな?」


 三穂田さんも中々に酷い。


「もう、一括りにまとめて家族バカでいいと思う。何ならただの馬鹿と言っても八千代郡ならきっと許してくれるはず」


 山鹿さんの言葉で4人一斉に笑い出す。

 初めて会ったと思えないくらい、楽しそうにしている。


 どうやら僕が咲菜ちゃんにうつつを抜かしている間に、自己紹介を交わし、親睦を深めていたらしい。


 意気投合できたことは何よりに思う。


 だけどこれ以上僕を話題にして盛り上がられると、背中がむず痒くなってくる。

 名残惜しいが、一旦、咲菜ちゃんの頭を撫でるのをやめ、空いた手を繋ぎ直してから盛り上がる4人へ声を掛ける。


「すみません。遅くなりましたが、美愛さん、三穂田さん、こんにちは。チュロス食べに来ましたけど、美愛さんのお勧めとかあります? あと、三穂田さん。今日はお休み取れたんですね。会えて嬉しいです」


「もう、やっくん。挨拶がおっそ~い!! 咲菜ちゃんが相手だから許してあげるけどさっ。チュロスはね~、シナモンが一番人気かな?」


 咲菜ちゃんの可愛さのおかげで許してもらえたけど、もう一度頭を下げる。

 チュロスについては、美味しいといった感想じゃなくて、一番人気と言ったことに一抹の不安を覚える。


「郡くん、こんにちは。美愛と咲菜に散々『休め』って言われたからね、頑張って休みを取ったよ。あと、咲菜が嬉しそうだから、俺のことは気にしなくて平気だよ。その分、咲菜と仲良くしてやってくれ」


 美愛さんと咲菜ちゃんに頼みごとを言われたら、大抵の男は言うことを聞くしかないだろうな。


 あと、咲菜ちゃんと仲良くする任は喜んで受けさせてもらいます。

 三穂田さん、美愛さんの2人にそれぞれ返事を戻すと、咲菜ちゃんに手を引かれる。


 何か言いたいことがあるのだろうが、初対面である美海と山鹿さんがいて、人見知りが発動したのかもしれない。

 そう結論付け、咲菜ちゃんの背の高さに腰を落とし耳を差し出す。


「うりおにいちゃん、だっこ」


 おねだりすると同時に、咲菜ちゃんが僕の首に手を回す。

 確認のため三穂田さんに目を向けると、朗らかな笑顔で頷きが返ってくる。


 了承も得られたので、右腕を咲菜ちゃんの太ももの裏側に回し、ゆっくりと持ち上げる。

 咲菜ちゃんが僕の右腕に座るような形だ。


 それを見た美海が『いいなぁ~』と呟いたので、『いいでしょ』と返事する。

 でも何故か『ベッ』と舌を出された。


 何か僕に対して不満を訴えたのだろうが、その仕草は可愛いだけだ。


『八千代郡は何も分かっていない』と、ボソッと山鹿さんが声を漏らした。

 それから、美海は三穂田さんへ話し掛けた。


「本当に、こう君にベッタリですね。私も咲菜ちゃんと仲良くなりたいので、挨拶させてもらってもいいですか?」


「もちろん大丈夫だよ。咲菜、聞こえたろ? うりおにいちゃんの大切な人が咲菜と仲良くなりたいって言っているけど、咲菜は挨拶できるかな?」


 三穂田さんの問いかけに、咲菜ちゃんは僕の首に顔をうずめ隠れてしまった。

 これには美穂田さんと美海は苦笑いするしかない。


 それにしても――。三穂田さんから何か気になる発言が飛び出たな。


『大切な人』。そう言った。そしてそれは間違いない。

 僕に大切な人がいる、そのことを前に三穂田さんへ話している。

 けれど、名前は教えていない。


 だから美海が何か言ったのかなと、美海へ目を向けるが、美海も僕に問いかけるような目を向けてきた。


 つまり美海も言っていないということだ。

 ということは美愛さんかな、そう考えて僕と美海は2人揃って美愛さんへ目を向ける。


「ははっ! 2人を見てたらそりゃ気付くってばぁ~」


 今の短い時間、すぐに気付かれるほどのやり取りを僕と美海はしていない。

 だから不思議に思い首を傾げると、同時に美海も首を傾げる。


「そういうところ。言葉遣いや間の取り方、仕草とか雰囲気。美海ちゃんと八千代郡は呼吸が揃っている。何より……2人はすぐに目を合わせる。だから見る人がみたら、すぐに気付く」


 何とも、自分では気付いていない癖を指摘されたような気分だ。

 どう反応していいか困り、思わず顔を美海へ向けると目が合った。


「また」


 すかさず山鹿さんに指摘され、三穂田さんと美愛さんが笑い声をこぼす。

 すると、笑い声に釣られたからか、人見知りの扉で固く閉ざされていた天岩戸あまのいわとから、『あいさつ』と呟き、咲菜ちゃんが顔を覗かせてきた。


 その変化に驚きつつ、美海と咲菜ちゃん2人が会話しやすいように体を斜めに向け半身にする。


 目が合うと顔を背けそうになるのを懸命に耐え、さらに頑張って言葉を出そうとする咲菜ちゃん。


 そんな咲菜ちゃんへ、美海は温かく見守るような表情を向け待ち続けている。

 すると――。


「……みほたさなです。おなまえ……おしえて、ください」


「私は、上近江美海です。お名前、教えてくれて嬉しいな、私も咲菜ちゃんって呼んでいいかな?」


 美海と咲菜ちゃん、何て微笑ましいやり取りだろうか。

 名のある絵画を切り取った場面に見える。

 見ているだけで癒される光景だ。


 三穂田さんと美愛さんも、凄く驚いた様子だ。

 人見知りの咲菜ちゃんが自ら挨拶したからだろう。

 三穂田さんに限っては、涙目にも見える。

 保護者として、子供の成長が嬉しいのかもしれない。


「うんっ! うりおにいちゃんみたいに、さなってよんで! おねえちゃんは……かみゅみ、みゅ……んー……?」


「……うん! 咲菜ちゃんの呼びやすいように、私のことはみゅーちゃんって呼んでね!!」


 4歳児には、かみおうみみうと発音することは難しかったのだろう。


「みゅーおねえちゃん!!」


「ふふっ、さ~なちゃんっ!! お姉ちゃん、咲菜ちゃんと仲良くなれて嬉しいなっ」


「さなもっ!!」


「もうっ、ほんっっっとに可愛い!!」


 そう言って美海は、僕に抱っこされる咲菜ちゃんの頬をつつき始める。

 咲菜ちゃんも楽しそうにきゃっきゃと笑っている。

 眼前で繰り広げられる光景。


 まさに天使と天使がじゃれ合っているかのような光景にすら見えてくる。


 うん……何度でも言うが、何て微笑ましいやり取りだろうか。

 見ているだけで癒される。

 国井さんの言葉を借りるが”てぇてぇ”。

 とても、てぇてぇ光景だ。

 カメラを回しておくべきだった。


「大丈夫。撮ってある」


 当然のように僕の心を読んでいる。いや、以心伝心したのかもしれない。


「山鹿さん、ナイス。あとで送って」


 動画がもらえるならば、心を読まれたことなど些事でしかない。

 ただな、ただちょっと……右腕がプルプルしてきた。


 そろそろ限界かもしれないが、申し出にくい。

 女の子に、重いから下りてなどとても言えない。

 そもそも天使は羽根より軽い存在だと、優くんから頂いたライトノベルで読んだ。

 だからこの重さはまやかしでしかない。


 とはいっても、どうしたものか。

 まやかしを何とかしないと会話に集中できなくなりそうだ。


 そう頭を悩ませていたが、咲菜ちゃんは可愛いだけでなく空気の読める子でもあった。


「うりおにいちゃん、さなおりる」


 地に足をつけた咲菜ちゃんは、僕から離れ今度は美海と手を繋ぎ始めた。

 天使と天使が手を繋ぎ合っている光景。夢の共演だ。


 この写真も欲しい、そう思い山鹿さんを見るとすでに携帯を構えていた。

 というより、ずっと構えているのだろう。


 まやかしから解放され悩みが解消されたことは喜ばしいが、ぬくもりが消え寂しさを感じる。


 だが今のうちにこっそり、咲菜ちゃんの視界に入らないように肩を回しほぐしておく。

 何度か肩を鳴らせ姿勢を正したところで、美海の手を引きながら咲菜ちゃんが僕の右手を繋いできた。


 僕と美海の間に挟まれるように手を繋ぐ形だ。

 これはまるで――。


「何だか、親子みたいだね郡くん」


 心の中で考えていたこと、だけど恥ずかしくて、心の中ですら言い切ることのできなかったことを三穂田さんが言語化してきた。


『確かに』そう言って、その言葉へ同意する美愛さんと山鹿さん。

 俯き、耳を赤く染める美海。

 咲菜ちゃんだけが三穂田さんを否定した。


「あにぃちがうよ。おにいちゃんとおねえちゃん!!」


「そうだな、確かにお兄ちゃんとお姉ちゃんだな」


「あにぃとみーおねーちゃんといっしょ!!」


 無垢なる言葉に巻き込まれる三穂田さんと美愛さん。

 なんともフワフワした空気、くすぐったい空気だろうか――。


 ――とまあ、こんな一幕もあったりと。

 賑やかだけど穏やかな時間を自由時間一杯まで三穂田さんや美愛さん、咲菜ちゃんたちと過ごした。


 そのため、他のクラスを見て回ることは叶わなかったが、それでも、満足いく楽しい時間を過ごすことができた。


 元気よく手を振る咲菜ちゃんに見送られ、3年Aクラスを後にする。

 ちなみに、チュロスは僕と美海、山鹿さんで別々の味を購入して三等分して分け合った。


 味の感想は、お祭りの屋台のような雰囲気トッピングを加味してようやく、美味しいと思えるようなチュロスだったとだけ言っておこう。


 書道室へ戻る道中、そんなチュロスの感想を美海と言い合っていると、後ろから山鹿さんが声を掛けてきた。


「美海ちゃんと八千代郡にプレゼントを送った。あとで携帯開いてみて」


 そんなことを言われたら気になる。

 それは美海も同じだったのか、階段踊り場で足を止め携帯を開くことに。

 送られてきた写真は、僕と美海に挟まれる形で手を繋ぐ咲菜ちゃんとのスリーショット写真。


 恥ずかしいけどいい写真だと思う。

 プリントアウトしたいくらいだ。


「恥ずかしいけど、いい写真だね。送ってくれてありがとう、祝ちゃん」


 心の中で言った感想を、代弁するかのように美海がお礼を伝える。

『同じ感想』それだけで嬉しくなるから、僕は単純だ。

 美海に続いて山鹿さんにお礼の言葉を伝えようとするが、もう一件、山鹿さんからメッセージが届いた。


 書かれていたメッセージが不意打ち過ぎて、あまりの衝撃ですっかりお礼を伝えることなど忘れてしまった。


 ――未来の光景かもしれないね。


 と、書かれていたからだ。

 横を見れば耳を染めながらも、

 何か言って欲しそうにチラチラと僕の顔を盗み見てくる美海。


「……いつか、ね」

「……うん」


「未来が楽しみ」


 山鹿さんが口にした言葉が僕たちの自由時間、最後の言葉となった。


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