第199話 次第に知られていく僕と美海の関係

 今だけは――。

 いつものように呪うと言ってほしかったかもしれない。


 暗い気持ちとなり背中を丸めそうになるが、今日は文化祭。

 せっかくなら楽しみたい。


 美海や美波、幸介だって楽しみにしている日。

 だから、せめて姿勢を正し気持ちを前に向けなければならない。


 それにまだ、手は残っている。微かだけれど希望はある。だからまだ諦めるには早い。


 莉子さんや美海、みんなが納得する起死回生の一手を何としても、考え出すしかない。


 そう心に秘め、調理実習室を後にする――。


 起死回生の一手と言っても、当たり前だがそう簡単に思いつくものではない。

 何かヒントが隠れている可能性もあるから、生徒会、風紀委員会など関わってきた人たちの、これまでの行動や言動を思い出し、整理する必要がある。


 取り急ぎ思い出す必要があるのは、亀田さんと広野入さんの2人。

 今のまま2人に『協力してくれ』と頼んでも、無理だろう。


 勝敗が決するのは明日。


 その前日である今日、何も考えずそんなことを頼んでしまったら僕は愚鈍にも勝敗が決する前日にもかかわらず、生徒会役員半数の賛同が得られていなくて、余裕もないと白状するに等しい。


 最早降参と言っているようなものだ。


 だが2人と会話した回数は片手で納まるくらい。

 調べれば簡単に分かる出身中学等の情報は、鈴さんから教えられているが、趣味嗜好などは分からない。


 そのため、2人に詳しい白岩さんに話を聞きたいところでもある。


 白岩さんがこちらに寝返ったことは、極秘中の極秘と月美さんが言っていたからな、会いに行く等の接触は避けた方がいいだろう。


 相変わらず山鹿さんは僕に付きっきりだし。

 であるならば、電話で聞くしかないが今は無理だ。

 連絡先を知らないし、もうすぐ始まってしまう――。


 ――ピンポンパンポーン。


 クラスメイトたちの明るく弾んだ声、食欲そそるカレーのいい香りが教室を支配していたが、放送を知らせる音が響いたことで、熱気を帯びたまま静寂が訪れる。


『お待たせ致しました。これより第十二回目、名花高校文化祭”萌え季祭”を開催いたします。生徒の皆さま、ご来賓の皆さま、ケガのないよう、どうぞごゆるりとお楽しみくださいませ――』


 ――プツゥン。


 と、放送が切れる独特の音が鳴る。

 その音を確認してから、今か今かと今にも爆発しそうなクラスメイトたちを見渡しながら、僕は呪文を唱える――。


「掛け声は?」

「「「「「いらっしゃいませ」」」」」


「隠語は覚えた?」

「「「「「0は完売、1はラスイチ、

     78は軟派発生、100は問題発生 」」」」」


「目標は?」

「「「「「完売御礼」」」」」


「立ちはだかる敵は?」

「「「「「己自身」」」」」


「つまり?」

「「「「「盗み食い許すべからず」」」」」


「お客様お帰りです」

「「「「「お代わりはヴァ・ボーレへ」」」」」


「目一杯楽しもう」

「「「「「うおぉぉぉっっッッ!!!!」」」」」


 萌え季祭の始まりだ――。


 部活の方に顔を出している人もいるから、クラスメイト全員が揃っている訳ではない。


 だけどもしかしたら、この場にいないクラスメイトも心の中では叫んでいたかもしれない。

 そう思えるくらい、また、体育祭を彷彿とさせる凄いやる気と熱量をクラスメイトの中心で、ひしひしと感じている。


 せっかくなら、実行委員の長谷と小野が中心で呪文を唱えればよかったのにと思うが、頑なに引き受けてくれなかった。


 ――いや、俺に扇動はちょっと……。

 ――なんつーか、八千代に言われると火が付くっていうかな……。


 解せぬ。


 そんな理由では引き受けてなるものか。

 些細な僕の願いは通じず、民主主義の波に飲み込まれてしまった。

 クラスメイトからほぼ強制で頼まれてしまったため、反論など許されなかったということだ。


 ちなみに呪文の内容は、一部を除き莉子さんが考えてくれた。

 その一部については、急遽追加された。


 調理実習室から教室へカレーを運び入れてすぐ、あまりにも食欲そそる匂いに我慢できなかった男子生徒が、美海たちが手洗いで離れた隙に、試食と称して盗み食いを働いたのだ。


 幸いにも少し多めに作れていていた為、今日販売分の100食を割ることはないと思うが、盗み食いなど許すべきことではない。


 食べたければ自由時間に購入して、売り上げに貢献すべきだ。

 そして山鹿さんと一緒に教室に戻ってきた僕に、笑顔を浮かべた美海が『こう君、これ追加ね』とメモ紙を渡してくれた。


 ――え、こう君?

 と、思ったが、美海の雰囲気に気圧されて何も言えずメモ紙を受け取った。


 どうやら、美海は僕とのことを隠す気がなくなったのかもしれない。

 勘だけど、そんな気がする。


 当校へは、2基の専用エレベーターを使用しないと入ることが出来ない。

 そのため、お客様がお見えになるまでに多少時間を要したが、廊下から話し声が聞こえ始めてきた。


 7階で降りたということは、誰か1年生の関係者である可能性が高い。

 5階から11階まで様々な催しがあるため、迷ってしまうことも考えられるが、学校ホームページにアクセスすれば、どのクラスや部活動が、どんな催し物を出しているかフロアマップで確認することが出来る。


 最初に訪ねる場所は、誘ってくれた友人や家族がいる所だと考えられる。

 Aクラスにやってきた、記念すべき最初のお客様は――。


「いらっしゃませ……って、里店長か。それに女池先生?」


「郡があたしに対して酷い!? あたしが監修したんだから、やっぱ最初はあたしだろ!! 初ちゃんも連れてきてやったし、今のあたしはお客様だぞ?」


「辛いのぉ、苦手なんだけどなぁ~。でもぉ~里先輩が手掛けてぇ、八千代くんがぁ、作るカレーならぁ、食べてみたくて来ちゃったぁ~」


 せっかくお客様として食べに来てくれたというのに、失礼な態度をみせてしまった。


 里店長が言う通り、今のは僕が悪かった。


「失礼な態度で出迎えてしまい、すみません。里店長。女池先生も、ご来店ありがとうございます」


「あーんして食べさせてくれたら、許してあげる!」


「当クラスにはそのようなサービスはございません。お出口はあちらでございます」


「やっぱり酷いっ!!」


 僕と里店長のやりとりを見て、クラスの中でクスクスと笑い声が広がる。

 後に待つお客様はいないが、女池先生を立たせたままでいさせるのは良くない。席までご案内し、椅子をひき着席してもらう。


「紳士な店員さぁん、ありがとぉ~」


「ねぇ、あたしは?」


 本来、椅子をひくサービスはないが、失礼な態度を取ったお詫びでもあるので、里店長にも同じようなエスコートを提供する。


 そして傍で待機している長谷を含むクラスメイトたちに目配せをして、今度こそ―。


「「「「「――いらっしゃいませ!!!!」」」」」


「おふたりを歓迎いたします。当クラスのいち押しメニューは『秋が旬のかぼちゃを使ったココナッツカレー』でございますが、いかがいたしましょう」


「じゃあ、それ二つで……って、それしかないじゃんッッ!!!!!!!!」


「里先輩うるさぁ~い」


 僕たちAクラスがお出迎えの挨拶で発した声量よりも大きな声であったため、それを女池先生が非難する。


 その非難の目は、心なしか僕に対しても向けられている気がするが、気付かないふりして、代金500円を前払いで受け取り、逃げるように退室。


 水道で手を洗い、後ろ側扉から張りぼてキッチンカーの裏側、つまり教室へ戻る。

 手本として最初の一杯を作って見せるため、クラスメイトを集める。


 マスクを着け、手にアルコールを吹きかけ、ニトリル手袋を装着。さらにその上からアルコールを吹きかける。『また?』と声が聞こえたが、『必ず』と返事を戻す。


 食中毒対策に手を抜く訳にいかない。

 使い捨て容器を手に取り、決められた分量を順々によそっていく。


 一番大きな窪みにご飯。次に大きな窪みにカレー。

 最後の小さな窪みにポリヤル。


 かぼちゃの甘味とスパイスが溶け合った甘辛いカレーに、箸休みとは少し違うが、かぼちゃにスパイスを加え蒸し焼き、最後にココナッツファインを加え炒めて完成させた、甘じょっぱいポリヤル。


 ――ポリヤルってなんだ?

 と、今朝の調理実習室で幸介から受けた質問を思い出す。


 僕も里店長から教わるまで知らなかったが、南インドの炒め物料理らしい。

 説明すると美海以外から『へぇ~』といった感想が届いた。

 その様子を見るに、美海は知っていたようだ。さすがだと思う。


 ちなみに朝のメンバーで、今この場にいるのは僕だけだ。

 山鹿さんは、今の時間、案内係兼警備を担当している。

 風紀委員会の手が足りなく、生徒会も風紀委員会に手を貸しているそうだ。


 美海たち他のメンバーは書道部の方で活躍しているはず。

 午後は僕と美海が入れ代わる予定だ。


 今いるクラスメイトも午後は別のクラスメイトと代わることになる。

 そのため、説明するのに僕と美海が別々となってしまった。


 必要な事とはいえ、本当に残念でならない。

 まあ、その分明日は朝にカレーさえ作ってしまえば、書道部に集中できる。

 1時間ある自由時間は美海と一緒に回れるから、そこまで不満でもない――。


「――と、最後に蓋をして完成。決まった分量をよそうだけだし、髪などの混入や、手洗いアルコールをしっかりしてもらえれば難しいことないから大丈夫だよね? まあ、やってて何か分からないことが出てきたら、聞いてくれたらいいよ。僕も午前はいるしね」


「大丈夫だと思う! 説明も分かりやすかったよ、ありがとう。八千代!」


 長谷にお礼を言われると変な感じがするけど、どういたしましてと返す。

 他のクラスメイトも平気だと頷いているので、あとはみんなに任せて、何かあった時の予備員としてクラス全体を見守ることにする。


 あと一応だが、サボっている訳じゃない。

 全体を把握することが僕に与えられている役割なのだ――。


 でも今はとりあえず、

『こ~う~り~!! お腹減ったぁー!』と叫んでいる里店長の元へ、『秋が旬のかぼちゃを使ったココナッツカレー』を配膳するとしよう。

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