第197話 萌え姫祭の開幕です

 調理場とは、ある意味戦場そのものなのだ。

 その場で絶対的な権限を持つ隊長という名のシェフの指示、命令で効率的に作戦遂行、即ち料理を完成させる。


 遅れなど許されず、万が一にも遅れてしまえば怒声が飛んでくるやもしれない。

 まさに軍隊そのものと言っても過言ではないかもしれない。


 なんでも里店長に料理のイロハを教えた師匠が、まんまそういった軍隊長シェフに当て嵌まり、里店長は厳しい修業を受けたとか――。


 では、僕らの大隊長である里店長がその教えに則り、軍隊長シェフかと聞かれれば、否。


 里店長は大らかな笑みを浮かべ……というより、欠伸をかみ殺しながら見守ってくれている。


 もしも僕が里店長のお店の従業員ならば、欠伸をかみ殺している姿を見れば小言の一つでも言いたくなったかもしれない。


 軍隊長シェフに生意気な事を――と考えなくもないが、里店長なら許してくれることだろう。


 だが、里店長が寝不足になった理由に心当たりがあるため小言など言えない。

 きっと、僕らAクラスのために昨晩遅くまでカレーの下ごしらえをしてくれていたのだ。


 それなのに小言を言ったりしたら恩を仇で返すようなもの。

 そんな不義理な真似を働く訳にいかない――。


「いやぁ~……昨日、久しぶりの合コンでさぁ……最近はだ~れも呼んでくれないから、はめ外して飲み過ぎちゃったよね!! 眠くて、眠くて……ま、郡がいるから私があれこれ言わなくても大丈夫っしょ? なんたってあたしが手取り足取り教えたからな!! あと、合コンの結果については聞くな。いいな? 分かったな!? 絶対だぞ!!? ふりじゃないからな!!??」


 さすが里店長、僕の期待を余裕で裏切ってくる。

 だけど不思議だ。合コンに行ける時間がどこにあったのかって。


 昨日の放課後のことだ。

 クラスの代表として、文化祭で提供するカレーの作りかたを教わるため、里店長のお店『ヴァ・ボーレ』を訪ねた。


 そして約3時間。

 毛先からつま先までスパイスの匂いを身に纏いながら、懇切丁寧に教えてもらった。


 下ごしらえはこれからだと聞いていたため、手伝わせてほしいと申し出たが、邪魔だから帰れと言われた。


 その時は里店長なりの気遣い、そう思ったが……つまるところ合コンの約束があったから、僕が残ると迷惑であり、本当の本当に邪魔だったのだろう――。


 そして結局、下ごしらえは副店長も巻き込み今朝終わらせたことを、今も無言を貫く僕に向けて話している。


 とにかく距離が近い。


 里店長から漂ってくる匂いは、大人の女性らしいフローラルの香り。

 という訳でもなく、油やスパイスの匂い。

 という訳でもない。


 ただただ、『酒臭い』。


 一刻も早く離れてほしい……って、腕に抱き着かないで下さい。

 臭いですから。え?

 二日酔いが辛い?

 知りませんから。酷いとか以前の問題です。

 女性に臭いは厳禁だし優しくしろって……確かに一理ありますね――。


「須賀川さん、始めまして。上近江美海と言います。本日はお忙しい中、ご協力頂きありがとうございます。クラスを代表してお礼を言わせてもらいます。ですが、八千代くんから離れてもらってもいいでしょうか? このままでは間に合わなくなってしまいます」


「上近江? ってことは、この子が美空の妹!? なんだよ~、美空と違って素直そうだしめちゃくちゃ可愛いじゃん!! 特別に、あたしのことは里お姉ちゃんって呼んでもい、い……よ? あれ……いい、ですよ?」


「はい、美空は私の姉です。ですから、須賀川さんとは今後もお会いする機会があるかもしれませんね。その際はよろしくお願いいたします」


「あ、ああ……よろりん?」


 そう返事した里店長は無理矢理僕の肩を掴み、耳元に顔を寄せて来た。


「(おい、郡! 妹ちゃんってもしかして、美空より怖い? あの笑顔、怖いやつだよな?)」


「(は? 天使のように優しい子ですよ? いい加減酔いを覚まして下さい)」


「聞こえていますよ? あと八千代くん。そう言ってくれるのは嬉しいけど、今はお仕事しようね? 八千代くんが、私たちの隊長であってシェフなんだから……格好良い姿、早く見たいな? (普段から格好良いけどっ)」


 ――イタイッ!!

 と、痛がる里店長の声が調理実習室に響く。


 僕の中指が里店長のおでこに『ペシッ』と触れただけで、痛いはずもないのに大袈裟だ。


 とりあえず、僕から離れてくれたので作業に移るとしよう。

 格好良い姿を早く美海に見せたいからな。

 あと、最後の声もバッチリ聞こえていたよ。


 え? 聞こえるように言ったからって……なるほど……そっか――。


「はいは~い! 八千代シェフ!! 美海スーシェフ? あれ、二番目の人ってスーシェフであってるっけ? ま、ノリだしいっか!! で、シェフとスーシェフのおふたりさん。仲睦まじく見つめ合うのはいいけど~、早く取り掛かろう?」


「のぞみん、ナイスだ。よく言った!!」


「……望さんに突っ込み役を取られてしまいましたね」


「私からは特に何もない」


 2人の世界に入ろうとしていたらしい僕と美海。

 だがその前に佐藤さんから指摘を受けた。


 それを幸介が褒めたたえ、役を取られるほど本調子でない莉子さん、実質ノーコメントに近い山鹿さん。まさに各人各様といった様子だ。


 さらにそこへ、空気をよまない里店長が爆弾を投下する。


「へ? もしかして、郡と妹ちゃんって恋人同士なの?」


「「「「「「………………」」」」」」


 これに対しては不可侵というか、曖昧というか、宙ぶらりん状態といか、何と言うか。


 触れにくい領域であるため、里店長の問いに誰も反応することが出来ない。


「あれ、またあたし何か不味いこと言っちゃった? よく言われるんだよねぇ~、『里、貴女はもう少し場の空気を読む努力をなさい』って!! あ、ちなみに今のは美緒ちゃんの真似だけど、分かった?? 結構似てたと思うけど!!」


 そんな僕たちの反応に、さすがの里店長も不味いことを言ったと気付いたのだろう。


 言葉に出す前に察してほしいとは思ったが、事情を何も知らない里店長にそれを要求するのは酷というもの。


 あと、悔しいけど結構似ていた。

 褒めたら調子に乗りそうだから言わないが――。


 今はとりあえず、場に漂う何とも言えない空気を変えることに尽力するか。


「ところで里店長。合コンは楽しかったですか?」


『ビキッ』と幻聴が聞こえた。

 引きつったような表情とは、今の里店長が見せている顔を言うのだろう。


「郡、お前……どうして聞くかなぁ……はぁぁ……聞きたい? いいよ聞かせてあげる。ほら、あたしって美人でしょ? だから最初はいつもみたいに『うっわ、当たりじゃん』『タイプ』『運命だ』『女神さま』とか聞き慣れたことを言われたわけよ。この時点で、『あ、今日もあたしは彼氏が作れないのか』って、落ち込んだわけよ!! 何も始まらないダメダメ王道パターンだからさ。めちゃくちゃタイプの男がいただけに、さらにへこんでね。でもそしたらそのめちゃくちゃタイプの男に『結婚を前提に交際してほしい』って、言われてさぁ~、もうすっかり舞い上がっちゃって……結果、またいつもみたいに調子に乗っちゃってさぁ~……ははははははは。んで、ニコニコ嬉しそうにあたしの話を聞いてくれていたその男がさ、気付いたらあたしから距離を取ろうとしてしててさぁ~、あれ? って思ったけど、どんどんお酒を注ぐから、あたしをお持ち帰りしたいのかな? ってね……んだよもぉ、結婚するんだからまどろっこしいことしなくていいのにって言ってやったわけよ。そしたらその男なんて言ったと思う?」


 気軽に聞いていいことではなかった。

 決して開けてはならない禁断の箱、いや、パンドラの箱を開けてしまったようだ……。


 好奇心に負けた僕が悪いが、お持ち帰りとか美海の耳に入れたくなかった。

 これ以上汚されてしまう前に、強引にでもこの会話を終わらせねば――。


「気になりますけど時間もないですし、その話はまたこん――」


「あの野郎、『クッ、お願いだから記憶飛んでくれっ』てさ……え? 何? つまりそれって、あたしの記憶飛ばして、告白したことをなしにしたいってことだよね!? たった数十分で、そんな酷いこと言われるくらい嫌われたってこと!? 確かに過去の失敗談とか口を滑らせちゃったけど、結婚するなら受け止めてほしいって思うじゃんかよぉぉ~……もう悲しくて、哀しくて、トイレにこもってわんわん泣いちゃってさ……んで、スッキリして戻ったら誰もいないの。だ~~れもよ? テーブルなんて綺麗に片付いちゃってさ……分かる? あの時の絶望。天国から一気に奈落に堕ちたようなものよ!! だからいつものように美緒ちゃんに慰めてもらおって押しかけて、元気になったのに……郡のせいでまた思い出しちゃったじゃんかよぉっ!! 責任取って、卒業したらあたしをもらってくれ!!」


「「「「「「………………」」」」」」


 お祭り前の賑やかさなど微塵もない。

 重たい空気が調理実習室に流れている。

 あまりにも酷い話で同情してしまう。里店長にでなくて、古町先生に、だ。

 合コンの後ってことは、結構遅い時間だよな……迷惑過ぎる。

 百歩譲ったとして。


 ――たまになら、まあ、いいかな。慰めてあげよう。


 って、思えるが、この人は『いつものように』と言った。

 前に、合コンで成功したことがないって聞いたこともある。

 つまり、合コンが開かれる度に古町先生に甘えているってことだ。


 古町先生が里店長に対して、頭を抱えるのも分かる。

 それなのにいつも面倒見て……古町先生人が良すぎるよ。


 あと、里店長……初対面でそれは重過ぎると思う。

 あ、もう一つあった。誰も呼んでくれなくなったのは、里店長自分のせいだと思う。


 言ったら面倒になるから、そんなこと口に出さないが――。


「僕たちは何も聞いていない。そういうことにして、調理を始めようか。幸介と佐藤さんはお米を研いでもらっていい? 美海と莉子さんはたまねぎと豚肉を炒めてカレーを作って、山鹿さんはかぼちゃをレンジにかけておいて。僕はポリヤルを作るから」


「「「「「………………」」」」」


 里店長を無視したからか、呆気にとられる5人。

 僕以外の人が5人を見たら、非難する目をしている。

 気軽に触れて、里店長の傷を広げたことは後で反省する。

 でも真面目に里店長の相手をしていては日が暮れてしまう。


「シェフの言うことが聞けないの? 黙ってないで行動開始して」


 今度は僕にもはっきり見えた。

 不満たらたらで、非難する表情を一斉に向けられている。

 何かを言いたそうな表情にも見える。


 何が言いたいのか想像つくが、時間もないし切りがないから強引にでも進めた方がいいだろう。そう思ったのに、また邪魔が入ってしまう。


「あたしも大概だけど……なんだ、郡の周りは面白いことになって――」

「里店長は少し黙っていてください」


「は~い、オッケーオッケー、お口チャックしってま~す!! ジジジジ。ぷ、ぷぷぷっ」


 チャックが壊れているし浮かべている笑みが憎たらしく感じるが、今は相手をしている暇もない。


「ねぇ、八千代くん。シェフなら、ちょっと強引に言ってみて?」


 僕へ向けられていた物言いたげな視線が、今度は一斉に美海へ向けられる。

 もちろん、僕も向けている。

 里店長なんか、とうとう腹抱えて笑い始めていて状況は混沌としている。

 あと、美海もそんなにワクワクさせた表情を向けないで。


 やらないよ?

 え? お願いって…………分かった――。


「いいからとっとと指示通り働け」


 ――パンッ!

 と、僕が手を叩くと美海1人がノリよく『イエッサー!』と返事する。


 それに続いて他のメンバーも同じように掛け声をしてからようやく。


 カレー作りがスタートした。


 ちなみに美海の耳がほんのり染まっていた。

 恥ずかしいならやらなければいいのに。


 そう思ったが、可愛かったので僕としては目の保養になったから良しとしよう。

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