第195話 上近江さんと呼ぶ日も残り僅かだね

 文化祭準備期間の最終日。


 教室の中は前夜祭のように賑わっている。

 準備も滞りなく終わり、明日が楽しみで待ち遠しい。

 そんな気持ちが溢れているのだと思う。


 そしてそれは私も一緒。


 こうして、みんなが賑わえているのは長谷くんと小野くんが一生懸命に頑張ったおかげ。


 たくさん調べて、準備して、みんなの不安や疑問を解消して、嫌っているこう君にも協力をお願いして、本当に頑張ったと思う。


 これまで2人がこう君にしてきた仕打ちを考えたら、思う所はある。

 でも、公私混同してその頑張りを否定してはいけない。

 それに長谷くんと小野くんのことは、もう心配しなくても大丈夫だ。


 昨日の放課後、こう君それと祝ちゃんを除いたクラスメイト全員。

 私と莉子ちゃん、望ちゃんの呼びかけで教室に集まってもらった。

 その時に話をしたおかげで、団結力も増した気がする。


 それは長谷くんと小野くんの2人も一緒。

 実行委員としてこれだけ頑張ったのに、それを壊すような真似はしない。

 だから昨日の話合いは、凄く有意義の時間となった。


 でも――。


 涼子がとても意地悪に、変に突っかかるから。

 言う気なんて全くなかったことまで皆に言ってしまった。


 おかげで凄く、すごーく。


 恥ずかしい思いもしたけどさっ。

 ……まぁ? それも一役買って?

 Aクラスがまとまり、私とこう君に協力してくれる運びになった。

 それは良かったのだけれど。


 恥ずかしいことは恥ずかしい。

 最後はみんなに揶揄われたりもしたけれど――。


 本当に素敵なクラスメイトに恵まれたと思う。

 心の底から、そう思う。

 学校生活をこんなに楽しいと思えるようになったのは、こう君がいたから。


 私の行いは、こう君にとって裏切りになるかもしれない。


 でも、それでもいいの。

 流星群を一緒に観た夜。

 こう君は私に『反対?』って聞いた。


 きっとそれは、正しいかどうか自信がなくて、迷いがあったからだよね――。

 どんなこう君になっても一緒にいるって言った気持ちは本当だよ。


 でもね、それだけだといつか駄目になると思うの。

 だから私はこう君が考える独裁とは別の方法を探すことにしたの。

 こう君が言うように、みんなで幸せになりたいもんね――。


 ――ガラガラガラ。

 と、扉を開く音が私の物思いの時間に終わりを告げた。


 音のした方に視線を向けると、莉子ちゃんが祝ちゃんに連れられて教室を出て行った。

 こう君から、あれだけ離れず一緒にいた祝ちゃん。

 その祝ちゃんがこう君から離れて、莉子ちゃんを連れて動いたということは、こう君が一つ目の嘘に気付いたのだろう。


 美波が言った通りに計画が進んでいるな。

 ここまで先のことを読み切る美波が怖い。

 というよりも狡い。


 それだけ美波がこう君を理解しているってことでもあるから、ちょっと妬いちゃう――。


 それから――。


 祝ちゃんが傍を離れ、1人となったこう君を暫らくこっそり見ていると、不意に口角が上がった。


 あれは多分、何か思い出し笑いをしている時の顔だ。

 意地悪なことを考えている時にする顔でもある。


 んー……みんながいるのに名前で呼んだら驚くかな?


 ちょっとくらい意地悪してもいいよね、たまにはね……よしっ。


 きっと、声を掛けてもすぐに教室から居なくなっちゃうと思うけど、そうしたら私は美波と合流して、莉子ちゃんを迎えにいこう。


「私たちが動くのはここまで。だから最後はお願いね、こう君」


 ▽▲▽


 週が明けてさらに日が過ぎた文化祭前日となった水曜日。

 文化祭準備最終日でもある。


 Aクラス、書道部のどちらも大きな問題が起きることもなく準備が整った。


 書道部に関しては、家に持ち帰っておみくじを作ったりしたから軽くデスマーチ気味でもあったが……うん。


 なんとか、特に莉子さんの頑張りでコピーに頼らず直筆で千枚書き上げることができた。


 かなり多すぎる気もするが、途中でなくなるよりはいいだろう。

 だけど、女性陣がミサンガ作りもしていたと考えると、莉子さんは本当に頑張ったと思う。


 そのミサンガについてだ。

 何やら『緊急』ということで、昨日の放課後にクラスで集まりがあったようだ。

 僕には連絡が来なかったため参加できなかったが、後からその理由ごと美海から教えてもらった。


 先に、緊急と称して収集された理由だが――。


 僕らのクラスは予算の全てを食材や資材に当ててしまっているため、お揃いのクラスTシャツ等は作れない。


 そのことを一部クラスメイトが不満に感じていたと。

 その対応というか、不満の声が上がらずとも、最初から準備していたようだが、どうやらクラス全員分のミサンガを美海と佐藤さん、莉子さん、山鹿さんが用意していて、それを配ったらしい。


 きっと、男子たちは大いに喜んだことだろう。


 クラスで人気の高い女子4人の手作りだからな、喜んでいる姿が目に浮かぶ。


 では、どうして僕だけその場に呼ばれなかったかというと、今朝山鹿さんと一緒に玄関前で待っていた美海から説明された――。


「こう君には、私が作った物を直接手渡したいと思ったの。ごめんね、仲間外れにして」


 と。

 何も謝る必要はない。むしろその気持ちが嬉しいとさえ思う。


 その上、一緒に登校できることも嬉しい。

 だけど、どこに付けようかな。

 アルバイトは飲食店だからな……とりあえず文化祭中は手首に付け、文化祭が終わったらカバンか何かに付け替えて、ストラップのようにするか。


 ちなみに、登校の道すがら聞いたが、山鹿さんは自身で作ったミサンガを付けるからと言って、クラスの集まりには行かなかったようだ。


 多分、お礼等言われるのが恥ずかしくて、参加しなかったのかもしれない――。


 とまあ、美海たちのおかげでさらに団結力も高まり、クラスは準備万端となった。

 前方入り口からAクラスに入ると先ず、机や椅子が置かれた飲食スペース。


 その奥に、教室の端から反対側の端まで並んだキッチンカーが目に映る。

 キッチンカ―と言っても、段ボールで作られているし、色塗りをしたのは表側だけだから、まさに張りぼての、キッチンカー風だ。


 雰囲気作りとして作られたダンボールキッチンカーだが、飲食スぺ―スと作業スペースを分ける仕切りとしての役割でもある。


 予算の全てを食材や資材に当ててしまったため、教室作りにお金を掛けることはできなかったが、中々いいできだと思う。


 エプロンについても、ありがたいことに里店長がお店の制服を貸してくれるため、心配しなくても大丈夫だ。今回は本当に世話になってばかりだ。


 肝心のカレーについては、秋が旬のかぼちゃを使ったココナッツカレーに決まった。


 僕は仲介役に徹し、長谷と小野が里店長と話し合って決めたカレーである。

 試食してみたが、すさまじく美味だった。


 ココナッツが苦手と言っていた長谷でさえお代わりしていたから、バッチリだろう。


 それにしても、長谷と小野の2人が里店長との初対面時に顔を染めていたことは面白かったな。見た目はいいからな、里店長。


 里店長は『初心うぶね』と言って満更でもなさそうだったし。


 僕にも見習えとか言ってきたが、肩を竦めるに留めておいた。

 そんな面白でき事を思い出していると、クラス一番の美少女が声を掛けてきた。


はいったい、どんな思い出し笑いしているのかな?」


 今いる場所は教室だ。すぐ近くにはクラスメイトもいる。

 そのため『八千代くん』でなく、普段聞き慣れている『こう君』と呼んだことに驚いた。


 何事もなかったかのように周囲へ顔を向けるが、幸いにも特に気付いた人はいないようだ。


「上近江さん、聞こえちゃうよ?」


「ふふっ、危ない危ない。小さな声で話すと聞き取りにくいよね? もう少しだけ近くに寄ってもいい?」


 危ないという感情が微塵も伝わってこないが、まあ、気付かれなかったからいいか。

 とりあえず、何か話したいことがあるようなので、今よりさらに一歩分距離を詰める。


「ねぇ、もしもね、私が八千代くんに騎士になってほしいって言ったら受けてくれる?」


「……上近江さん、前も言ったけど――」


「『はい』か『いいえ』でお願い?」


 僕の狙っていることは、最後のお泊りの日以来話をしていない。

 聞かれたら答えたが、美海からは何も聞かれなかったのだ。

 それなのに、このタイミングで聞いてきた意図がつかめない。


 下から見上げるように、僕の目に視線を重ねて来る美海。

 その姿は、イタズラに笑う表情でさえ、今日も変わらずに可愛い。

 けれど、瞳に関してはいつになく真剣そのもので――。


「もうっ、時間切れです。でも――答えを聞かなくても分かっちゃったかな。……文化祭、頑張ろうね?」


「……うん、頑張ろう。み……上近江さんのおかげで、準備も全て楽しめたし明日明後日も楽しみだ」


 気が緩んでしまったのだろう。つい『美海』と呼びそうになった。


「ふふっ、珍しい。今間違えて呼びそうになったでしょ? 文化祭も楽しみだけど……私はね、その後の方が楽しみだよ?」


「これでもう上近江さんのことも笑えないね。文化祭の後か……今から考えると緊張で夜しか眠れないかも」


「ふふっ、そうかもね。でも……八千代くんに上近江さんって呼ばれる日がもう僅かだと考えたら、それはそれでちょっと寂しいかも? あと、八千代くん? 夜しかってことは、緊張せずバッチリ眠れているよ、それ?」


「じゃあ、このまま上近江さんって……いや、やっぱりいいや。それよりも僕の冗談にしっかり突っ込みを入れてくれてありがとう」


「私も一緒。八千代くん呼びは思い出にして、その先に進みたい。だから頼まれても呼んであげない。もう遠回りするのは懲り懲りだからね。あと……何しているか分からないけど、ちゃんと夜しか寝ちゃダメだよ?」


 先日、僕が勇者となった出来事。

 美海はそれを彷彿させる大胆なことを言うものだから、周囲に聞かれていないか冷や冷やする。


 だけどそっか――。


 僕が言い淀んだ理由も、夜しかと言ったくせに夜も寝ていないことは美海にお見通しのようだ。


 だから美海は『夜はしっかり寝なさい』と注意したのだろう。


「僕も毎日しっかり寝たいし、遠回りは懲り懲りかな」


「ふふ、素直でよろしい」


「僕はいつだって素直だよ。あと、ごめん。このまま上近江さんとの会話に花を咲かせていたいけど、明日を前にやり残したことが一つだけあるから、ちょっと行ってくるね」


「あ~あ、私はまだ八千代くんとお話したいのに、振られちゃったぁ……なんて。いってらっしゃい」


 後ろ髪を引かれる思いだが、手を振り見送る美海に背を向け――。

 確認しなければならないことがあるため、教室の外に出る。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る