第179話 長谷と小野が何やら怪しいです

「長谷君、小野君。Aクラスの文化祭実行委員、お願いしますね。立候補して頂き助かりました。頑張ってください。ですが、皆さん。他人事と捉えず、協力できることには協力して、Aクラスならではの良い文化祭……『萌え季祭』にしてください」


 朝のホームルームで説明された話は今年の文化祭について。


 タイトルは『萌え季祭もえきさい』。


『萌える』と聞くと、イメージされるのは可愛い女の子かもしれない。

 黒猫姿の美海に萌えてしまったのだから正しい筈。


 現に『可愛い女の子の祭りですか?』と声を上げるクラスメイトもいた。

 古町先生が黒板に文化祭の名を書き、それを説明している途中にも関わらずだ。


 もちろん浮かれた代償にピシャリと注意されることとなった。

 古町先生は『萌え季祭』と命名された理由を説明する前に、辞書から言葉を引用して分かりやすく説明してくれた。


 萌えとは――。

 草木の芽が出る。起こり始め。兆し。

 などの意味が書かれているらしい。

 なんとなく、始まりを意味する字のようだ。

 他にも――。


 ――冬の終わりから春を感じさせる『下萌えの季節』。


 ――だんだんと春めいてくる中、いよいよ植物たちが目を出す『萌え出づる春』。


 ――あらゆる樹々が芽吹いた春の様子を表す『萌ゆる春』。


 など、季語として俳句や時候の挨拶で使われる言葉でもあるらしい。

 低迷している私立名花高等学校を季節で表すなら、訪れていたのは冬。


 だけど今年は、いよいよ冬が終わり、新芽が育ち芽吹く兆しがある。

 それを予感して、または期待してか、『萌え季祭』と命名されたそうだ。


 きっと兆しが差すのは、

 6年ぶりとなる第四代目四姫花の誕生を期待してのことだろう。


 古町先生は文化祭の名を発表したあと、体育祭と同じように文化祭実行委員の立候補者を募った。


 僕の方へ視線を向けたので一瞬ドキッとしたが、今回は僕を見た訳ではない。

 僕の前の席にいる、長谷と小野が手を挙げ立候補したからだ。


 普段なら、2人が立候補したことについて特別感想を抱くこともなかったかもしれない。


 だが今、この2人は、僕の監視役でもある。

 何にでも絡めてしまうことは自意識過剰なのかもしれないが、本宮先輩絡みなのかと変に疑ってしまう。


 朝の短いホームルームでは時間が足りないため、説明はさらっとしたものだった。

 先ずは配賦される予算について。


 各クラス。それと、各部活動に配賦される予算は1万5千円。

 1年Aクラスに関してはその倍となる。


 倍額が配賦される理由は、僕が前期末試験で学年首位となったことで得た特典。

 それを体育祭で総合優勝にオールベッドしたことで得た特典が残っているからだ。


 特典を金額に換算するといくらになるのか。

 正式な金額は教えてくれなかったが、簡単に計算することが出来る。


 打ち上げに行った焼肉は、1人頭3千円くらい。

 クラス40人に古町先生を加えた合計41人。


 文化祭でAクラスだけに特別配賦される金額が約1万5千円。

 つまり、特典で得たお金は約15万円ということ。


 凄い大金に感じる。


 僕1人、半年間学食を無料にしていただけでは一番高い物を毎日食べ続けたとしても精々5万円がいいところだろう。


 それが体育祭でオールベットしたことで3倍になって戻ってきたということだ。

 こんなところで、ギャンブルに嵌まる人の気持ちが少しだけ分かってしまった。


 催し物の提出期限は来週の月曜日、放課後まで。

 どんな催しをするかは、これから話し合って決めないといけないが、僕たちのクラスは他のクラスよりも予算が多いため、クオリティの高い催しを開くことも出来そうだ。


 すでにお化け屋敷、メイド喫茶、コスプレ喫茶、迷路、演劇、謎かけなどなど。

 さまざまな声が聞こえてきている。


 欲を言えば、文化祭当日は自由な時間も欲しい。

 だから掲示物か何かがいいなと考えたりすることもない。


 でも、まあ、楽しそうで何よりだし、クラスの雰囲気も良好。

 このクラスで行う文化祭は、僕としても楽しみでもあるから何に決まったとしても前向きに取り組みたい。


 あとはそうだな、クラスとは別に部活動で出す催しも考えないといけない――。


 初めは美海だけが所属していた書道愛好会。そこに僕も加わった。

 だけどある日。

 書道部室でお昼休みを5人で過ごしていたら、顧問である古町先生から部室を使用するなら入部するように言われたのだ。


 確かに、ごもっともだ。


 古町先生は厳しい鞭を言っただけでなく、飴も用意してくれていた。

 愛好会から部活に昇格した場合のメリットだ。


 部活動に昇格すると、活動予算が配賦されると。

 さらに、少しくらいならお菓子やお茶、紅茶も予算から買ってもいい。


 僕を見ながら笑顔で言ったのだ。なるほど、紅茶もいいのか――


 愛好会から部活動に昇格するには5人の部員、顧問となってくれる先生が必要。

 人数に関しては僕と美海、幸介、莉子さん、佐藤さん。お昼を食べているメンバーが加入したら問題ない。


 顧問に関しても、すでに古町先生がなってくれている。

 そんなことを勝手に考えていると、ふと、視線を感じた。


 幸介や莉子さん、佐藤さんたちは、優しげな笑顔を浮かべ僕を見ていたのだ。

 そしてすぐに、入部を決めてくれた。


 僕の我欲にまみれた考えが漏れていたことは恥ずかしいが、ありがたいことだ。


 だけど部活動に昇格してしまったため、文化祭でも何か催しを考えないといけなくなった。


 部室目的でろくに活動をしていないのだから、文化祭くらいは真面目に取り組まないといけない。


 分かってはいるが、11月は忙しくて頭を悩ませてしまう。

 時間が足りるのか?

 そう、考えてしまう。


 みんなと相談するしかないな。

 部活動で文化祭について話すことは、不要な私語にならないだろうし放課後集まってもいいかもしれない。


 そう頭の中で考えがまとまった所で、ホームルーム終了のチャイムが鳴った。


 混み出す前に手洗いへ行きたい。

 席を立とうとしたが前の席にいる2人から声が掛かる。


「八千代、その、さ……メプリ交換しないか?」


「体育祭、凄かったし……実行委員として、何か相談したいから……やっぱ駄目か?」


「そういった理由なら全然駄目じゃないよ。今は携帯の操作が出来ないから……ちょっと待って」


 体育祭実行委員は莉子さんが頑張ったようなものだから、僕がアドバイス出来ることは少ないかもしれない。


 だからと言って断ることでもない。


 ノートを取り出し、メプリのIDを書き込む。

 そして、書き込んだ部分を綺麗に千切り、長谷と小野にそれぞれ手渡す。


「はい、これID。登録したら昼休みか放課後にでも送っておいてもらってもいい?」


「ああ、ありがとう」

「りょーかい。あとで送る」


「ん。じゃあ、トイレ行くけど……2人も行く、よね?」


 監視役として、ついてくると考えたから声をかけたのだが――。


「いや、もうさ、ぶっちゃけ、トイレくらいはいいかなって」


「八千代の連れションとか面倒だしな。それに……混んでるし」


 確かにぶっちゃけているが気持ちは分かる。

 よく今まで着いてきたなとさえ思える。


 ただそうすると山鹿さんがついてくるんだよなあ……。


 女子が男子トイレ前にいると、中が見えないといっても用を足している男子も変に緊張するし、山鹿さんだって居心地が悪いはず。


 チラっと横目で見ると、目は合わせず黙って立ち上がった。


「山鹿さんも待っていてくれていいよ?」


「………………」


 早く済ませろと、無言の圧力を掛けられる。

 長谷と小野の2人と違って、真面目に与えられた役目を全うするよう


「じゃあ、山鹿さん行こうか――」


 男子が女子をトイレに誘うことに違和感しかないぞ。


 気にした様子を見せず、無言を貫く山鹿さんを引き連れ手洗いへと向かう。

 中に入ると予想通り混雑している。


 便器の数に対して、100パーセントを超える人口密度だ。

 本来の目的である、排泄行為をしている生徒や次に待っている人もいる。


 でも、それよりも多くの生徒がただ会話をしている。

 賑やかを通り越して煩いくらいだ。


 風紀委員会から出された、

『昼休み以外の休み時間、手洗い及び移動教室以外での離席』の禁止の影響だろう。


 教室で話すと、各クラスにいる風紀委員会から注意されてしまうから、こうやってトイレに避難して、友人同士の会話を楽しんでいるということだ。


 風紀委員会には男子がいないから有効な策……抜け穴だと思う。


 なんとか時間ぎりぎりで用を足し、教室へと戻り席に着く。

 静かな教室。携帯も触れない、友達と話せない、そんな状況だから仕方ないのかもしれない。

 机に突っ伏す人、教科書を開き予習する人、本を読む人も増えたかもしれない。


 活字が苦手な幸介でさえ本を読んでいる。

 Aクラスでは珍しい光景を目に収めるとチャイムが鳴る。


 その後は、誰からも話し掛けられることもなく、また、席を立ちあがることもなかった。ただ静かに午前の時間が過ぎて行ったのだ。


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