第178話 あなたの名前が聞きたい

 先週の昼休みは幸介と順平と過ごした。


 男同士でしか話せないくだらない話が多かったが、それはそれでとても楽しい1週間となった。

 2人には、月曜と金曜は先輩と食べる事になったと話しておかないといけない。


 あとは、そうだな。

 どうやって山鹿さんの本音を引き出すかだが――。


 考えようとするが、女子トイレから出て来た日和田先輩と目が合い、声を掛けられたことで中断となる。


「悪巧み? 順調? お菓子持ってない? お腹空いたの」


「ノーコメントで。それより、風紀委員会なのに僕へ話し掛けていいんですか?」


 返事をすると共に、

 カバンから取り出したチョコレート菓子を手渡す。


「抜き打ちの持ち物検査ってことにする」


「つまり今はお菓子を没収されたって訳ですね」


「それだと返さなければならなくなる」


 チョコレートを受け取ると同時に袋を開封したからな。

 返すものが無くなったら返却など出来ないか。


「差し上げた物なので返却は不要です」


「千代くんはいいやつだね」


「僕がいい奴かどうかはさて置き、上近江美海さんにお金は返しましたか?」


 約ひと月前に起きた『シェフを呼べ事件』のことだ。


 僕が休みの日、

 日和田先輩はお店に来て『バナナの天ぷらバニラアイス添え』を食べてくれた。


 口に合ったのか大変満足した様子で、

 高級レストランとかで聞きそうなことを言ったそうだ。


『シェフ。シェフを出せ!』と。


 それはもう、大きな声で叫んだらしい。

 幸いにもピークを過ぎた時間、

 他にお客様もいなかったため騒ぎにはならなかった。


 美空さんが対応すると今度は『千代くん。千代くんを出せ!』と、僕の名を叫んだと。

 本当に迷惑なお客様だ。


 埒が明かないため、

 同じ学校で顔を知っている美海が店内に出て話を付けたみたいだ。


 美海をホールに出したくないと考えている美空さんからしたら、苦渋の決断だったかもしれない。


 それでどうやら、日和田先輩は財布を忘れたらしく僕にお金を借りたかったと。

 賛辞を贈りたいからシェフを呼んだんじゃないのか。

 と、突っ込みたくなった。


 まあ、それよりもだ。

 その時に美海が日和田先輩へお金を貸したらしい。


 夜に電話で聞いた僕は『明日お金返すね』と伝えたが、『そのままでいいよ』と言われてしまった。


 美海がそう言うならと考え渋々了承したが、もし返済が遅れるようなら取り立てようと心に誓ったことまでが事件の概要となっている。


 そして日和田先輩がする返答はと言うと。


「ノーコメント」


 それは返していないのだろう。

 返金していたら『返した』と言うはずだからな。


 まあ、その理論で言えば、

 僕も悪巧みが順調と肯定していることになってしまうが――。


「お金の貸し借りは、あまりよくありませんよ?」


「チョコのお代わりない?」


「…………」


 厚かましいと言うか図々しい。

 でも、日和田先輩のお腹から『早く寄こせ』と音が響いているので、お代わりを差し上げる。


 小さく『ありがとう』と呟き、切れ線を割き開封する。

 そのままチョコレートを口に放り入れる。


 空となった……つまり、ゴミは僕の手元に戻してきた。

(まあ、いいけど)


「上近江美海さんは天使みたいに可愛いですけど、怒らせる前に早く返した方がいいですよ?」


 口をもごもごとさせて、チョコレートを飲み込む仕草を見せる。

 舌で『ペロッ』と上唇を舐める仕草は、人によっては色っぽさを演出するかもしれない。


 けれど日和田先輩に関しては色っぽさなど皆無だ。

 上唇を舐めたせいで、チョコレートが唇の横についてしまったからな。


「…………天使? 千代くんはおかしなことを言う」


 なんだろうか、思っていた反応と違う。

 僕が首を傾げたからか、返事を戻す前にさらに続けてくる。


「…………悪魔の方が正しい」


「それこそ可笑しなことを言いますね?」


「何もおかしくない」


「百歩譲るとして、悪魔と言っても小悪魔みたいな可愛さはあると思います。でもやっぱり、天使や天女と言われた方がしっくりきますね」


 なんにせよ可愛い。黒猫姿なんか本当に――いや、今は思い出したら不味いか。

 日和田先輩は、それでも納得のいかない表情を見せている。

 とりあえず、気になるから唇の横を指さしながらティッシュを手渡しておく。


「まったく。千代くんは甘えん坊」


「あ、いや、僕の口じゃないです。自身の口周りについたチョコを拭き取るのに使って下さい。これは預かるので新しいティッシュ使ってくださいね」


 僕の口に触れてしまったので、日和田先輩が手に持つティッシュを回収する。


「私は行く。校門で挨拶運動しないと。今日もビシバシ取り締まる」


 そう言って、僕の手に使用済みティッシュを強制的に握らせて来た。

 ゴミを手渡し身軽になったからか、やる気に満ち溢れた表情をしている。


 いや、やる気にゴミは関係ないか。


「副委員長ですもんね、いってらっしゃい」


 今の校門は、挨拶運動はもちろん。

 身だしなみ等の風紀を乱す者を取り締まる関所の役割でもあり、すでに何人か反省文を書かされている。


 そのためブラック校則撤廃への意見書も毎日のように届いている。

 ある意味では順調そのものだ。


 日和田先輩は普段から『ボーッ』としているし、風紀委員会に不向きかと思っていた。


 どんな目的で風紀委員会に所属しているのかも不明だけど、委員会活動は真面目に取り組んでいるようだ。


 立ち去って行く日和田先輩を見送ると、タイミング良く山鹿さんが保険室から出て来た。


「誰かと話していた?」


「日和田先輩に持ち物検査をされていただけだよ」


「……見せて」


「ただのゴミだよ?」


 返事を戻しつつ、手の平を広げて見せる。

 興味が失せたのか『スン』とした表情に戻った山鹿さん。

 それから、階段を利用して1年生と職員室のある7階へと移動する。


「手だけ洗わせてもらってもいい?」


 頷きで返事が戻ってきたので、ティッシュという名のゴミをゴミ箱に捨て水道で手を洗う。

 しっかりギュッと握らされたからな。


 備え付けられている液体石鹸を使って念入りに洗っておく。

 その後教室へ戻るが、まだ他のクラスメイトは誰1人と登校して来ていない。

 この場で本音を引き出せるとは思えないが、聞くだけ聞いて見るか。


「そう言えば、山鹿さんの出身はどこなの?」


「……答えてもいいけど、急にどうして?」


「いや、珍しい苗字だなと思って」


「……新潟県。でも山鹿の姓は新潟でも珍しいと思う」


 新潟、か――。


「そうだったんだね。新潟だと美海や古町先生と同じ出身地だね? もしかして気付いていないだけで知り合いだったりして?」


 古町先生は山鹿さんのことを『祝』と下の名前をで呼んでいた。

 古町先生と美海が親しい仲であることと同じように、山鹿さんも知り合いの可能性が高いかもしれない。


「そうかもしれないけど、小さい頃の記憶だから。八千代郡こそ昔のことを覚えているの?」


 手に持つ本のページを捲り、冷静に、表情を変えず『はい』『いいえ』のどちらとも答えない。

 さらに珍しく質問を投げかけてきた。

 話題を逸らしたいのかもしれない。


「あまり覚えていないけど、僕も5歳の頃だったか新潟に1週間だけいたんだよ? まあ、旅行でだけどさ。それで、その時に初恋に落ちたことなら、うっすらと覚えているよ」


「そう――」


 話に興味がないだけかもしれない。

 でも、都合いいように勘ぐるならば――。


 余計なことを話さないように、言葉短にしているような気もする。


「あと覚えているのは『みゅーちゃん』って子と『あーちゃん』って子と何か約束をしたってことかな――」


 覚えているという言葉は正しくない。

 正確には話に聞いて思い出したが正しい。


 3日の金曜日、祝日の日。


 光さんと会った時に写真立てをもらった。

 何故、写真立てをプレゼントしてくれたかと言うと、物件情報の打ち込み作業を教えてもらった日、父さんの机の引き出しへ無造作に入れておいた写真を見ていたらしい。


 僕の過去を知っているだけに、その日は写真について触れていいのかどうか悩んだそうだ。

 だが最終的には飾った方がいい。

 そう結論付け、こう言ってくれた。


「とてもいい写真なんだから、飾っておくといいわ」


 さらにその写真……僕の過去について気になることを話してくれた。

 幼い頃の僕は、新潟での話を父さんに聞かせていたらしい。


 当時はまだ夫婦仲が残っていた母さんも、土産話として父さんに聞かせていたらしい。


 ――郡ったら、もう婚約者が出来たのよ。

 って。


 そして今度は父さんが、いつだったか光さんに当時の話を懐かしむ様子で話し聞かせたらしい。


 10年近い年月、さらに言えば伝言ゲームのように話が伝わったため、光さんから聞かせてもらった話は曖昧なものも多かった。


 でも、『みゅーちゃん』と『あーちゃん』2人の本名。


 それに3つ交わした約束の内容を知ることが出来た。

 正しいかどうかハッキリとは分からない。

 でもとても参考になった。

 約束を交わした『あーちゃん』、

 その人は山鹿祝である可能性が高い。


「そう…………手洗い」


 栞も挟まず本を閉じ、席を立つ。

『待って』と声を掛けるも立ち止まってはくれない。


 僕の監視も忘れ、まるで逃げるように、背中を見せ早歩きで教室を出て行ってしまう。


(山鹿さん、あなたの名は?)


 最後まで言えなかった質問。

 ぶつける前に立ち去ってしまった彼女の後ろ姿には、

 どこか懐かしさを覚えてしまうことになった――。

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