第177話 白岩さんは不憫な子です

 風紀委員会の締め付けが始まってから約1週間が経過する11月6日月曜日。


 生徒の不満は溜まる一方だが、

 不必要な居残りが禁止されたおかげで毎朝乱れていた教室の中は、整理する必要もないくらい整頓されている。


 僕がする朝のルーティン作業である教室の整理整頓は、ひと目確認するだけの作業となった。

 そして確認作業を済ませたあと、席には座らず保健室へ向かうことにした。


 どうして朝早くから保健室へ向かっているかと言うと、月美さんに呼ばれたからだ。


 依然として異性間私語も禁止されたままであるし、未だ僕は特級指定されている。

 ホームルームが始まるギリギリに登校して来る長谷と小野は居ない。

 だが、背後にはピッタリと山鹿祝が着いている。


 普通に考えれば四姫花候補である月美さんと僕が会話することは禁止されている。


 表向き味方である山鹿さんは目を瞑るかもしれないが、月美さんに付いている白岩しらいわ羽雲わくは分からない。


 電話で済めば電話で話してくれた方が無難に思うが、メッセージが一言だけ届いていたのだ。


『朝来るです』と。


 理由を訊ねても返事は戻って来ず、電話しても繋がらない。

 仕方ないから直接会いに行くことにしたのだ。


 月美さんと美愛さんの2人からは、何もせず普段通り過ごすように言われている。

 何か行動に移す時や進展があった時に報告すると言われている。


 だがこの1週間これといった連絡もなかったため、進捗は気になっていた。


(その辺の話もあるかな)


 頭の中をゴチャゴチャさせながら、到着した保健室の扉をノックする。

 だが返事がない。もう一度ノックするがやはり戻ってこない。


 ドアノブに手を掛け回してみると鍵は開いているようだ。

 少しだけ扉を開いてみるが、何やら言い争いのような声が聞こえてきた。


 どうしようと悩んだすえ、

 呼ばれているのだからと扉を開き足を踏み入れる。


「おはようござ――」


「もぉ~~~~ッッ、いい加減休ませてほしいナ。壊れちゃいますヨ、私?」

「まだいけるです」

「ウゥゥゥ~~…………アハハハ★」


「――し、失礼しました」


 見なかったことにして退出するつもりで一歩足を下げようとしたが、何者かが背中を押していて退くことが出来ない。


「山鹿さん、僕に触れたくないでしょ? 背中から手をどけてくれない?」


「手袋してる。それにこの手袋も一度しか使わない。だから気にせず進むといい」


 どれだけだよ――。

 と、心の中で突っ込みを入れる。

 呪われてしまうから口にしたりはしない。


 先週、山鹿さんが段差で足を躓き転びそうになった日があった。

 山鹿さんは反射的に手を伸ばしてしまったのだろう。


 だから僕もその手を掴み、山鹿さんが転ばないように支えたのだが体勢を整えた直後、カバンからお手拭きを取り出し、僕に掴まれた手を丁寧に拭き取ったのだ。


 山鹿さんは僕にお礼は伝えてくれたが、

 そんなことはどうでもいいと思える行動だった。


 どうしてと理由を聞いたら教えてくれたかもしれない。

 でもその結果、僕の傷が深くなる未来は簡単に予想できた。


 知らないことを無理して知る必要もない。


 その方が幸せなこともある。

 自分にそういい訳しながら、残りの帰り道はひと言も声を発さず、2人無言で帰宅したのだ――。


 傷心を思い出していると、背中を『グイ』と押される。

 小声で『の』って、聞こえてきたので諦めて保健室の中へ足を進める。


「月美さん、白岩さん、おはようございます。というか……白岩さん、大丈夫? よければこれ使って」


 出来れば白岩さんのことは、そっとしておきたい。

 触れたくないほど、負のオーラが漂っているからな。


 けれどもそんなことは出来ない。

 大きな隈。さらに虚ろな目をしているからな。


 こんな姿を見たら放っておく訳にもいくまい。

 だから思わずカバンに入れてある、

 使い捨てのホットアイマスクを差し入れてしまった。


 最近はパソコンや携帯画面をよく見るから眼精疲労が凄い。

 だからほんの少しの空き時間でも休めるようにホットアイマスクを常備していたのだが、まさかこんなところで役に立つ場面が来るとは。


「郡きゅん……優しいネ? こんなに優しくされたの初めてカモ……私」


「えっと……月美さん? 一体、白岩さんに何したんですか?」


「羽雲はマゾです。放っておくです。千代くん、こっち来るです」


「ちょっとだけ待って下さい――」


 白岩さんをベッドに誘導して……あの、勝手に僕の右手を取って頭を押し付けないで?


 ちょっと、離して……力、つよっ。


『アッ……』と切なそうな目は心を痛ませたが、

 無理矢理引き剥がしてカーテンを閉める。


 そして、僕を待つ間ずっと椅子を回転させグルグルしている月美さんの元へ移動する。


「好きですね、それ」

「はいです。好きです」


 僕の目を見て言われても困ってしまう。

 反応を見せない僕に対して肩を竦めると、

 今度はカーテンの閉まったベッドへ視線を向けた。


「これでです。まだ働けるです。ご褒美はです。十分です」


 あの状態の子を? まだ働かせる?

 ブラック企業すらも悲鳴をあげそうなほどブラックだ。


「白岩さんは生徒会ですよね?」


「そうです。でもです。私の傍にいるです。働いてもらうです」


 可哀想に。

 月美さんの監視についたことが、白岩さんの不幸の始まりだったのかもしれない。


「それで? 今日はどうしたんですか?」

「??」


「その顔はいいですって。可愛いですけど、今は見ても惹かれません」

「残念です。噂があるです」


 クエスチョン顔を止め、真面目な凛々しい表情を作る。

 普段からこうしていれば、残念に映ることもないのにな。


 残念だ。


 そう思っていると、

『祝、説明するです』と丸投げ発言が聞こえてきた。


「本宮真弓と石川元樹が只ならぬ関係だと噂がある。本宮真弓の弱点にもなるかもしれないから、真偽について調査している。八千代郡。貴方は石川元樹と関係がある。接触して、探ってほしい」


 只ならぬ関係は個人的にも気になる。

 恋愛的な意味なら嬉しい情報だな。


 それに、旧生徒会役員である3年生を味方に出来るチャンスでもあるかもしれない。


 元樹先輩を利用することは気が引けるが、恋が叶うならそこまで悪い話でもないだろう。


「いいですけど、よくそんな情報が手に入りましたね?」


「羽雲からです。聞き出したです」


 木乃伊取りみいらとりが木乃伊になるってこういうことか。

 スパイとして送られているだろうに、

 逆に情報を引き出されていたら立場がない。


 月美さんの手腕が凄いのかもしれないが、

 白岩さんには重要なことなど話せないな。


「調査期間は今日から文化祭まで。途中で打ち切る可能性もあるけど、月曜と金曜の週2回。昼休みは学食に行ってほしい。特別ランチ食券を渡しておく。ペペロンチーノとホットサンドのどちらかしか頼めないけど、絶品だしこの食券を使えばお金も不要。石川元樹から何か聞かれたら、手伝いをしたら貰ったとか、何か適当にいい訳しおいて。石川元樹は単純だからそれで十分通じるはず。石川元樹にはこれから手配しておく。羽雲が」


「席もです。用意したです」


「出入り口に一番近い手前のソファ席。8席しかないソファ席を確保するのは苦労した。羽雲が」


「有能です。引き抜いてもいいです」


 1年生が座ることを許されないくらい、ソファ席が人気だと噂で聞いたことがある。


 だから白岩さんは本当に苦労したのだろう。

 今の会話だけでも白岩さんが馬車馬のごとく働かされているのが伝わってきた。


 少なくない同情心が込み上がってきた。


「だから今日は弁当を持ってこないように言っていたのか」


「そう。足りなければ、私が用意した弁当をあげてもいい」


「いや、学食だけで十分かな」


 大食いという訳でもないし、部活で体を動かす訳でもない。

 僕はすぐに太ってしまうから、過剰なエネルギー摂取は控えておきたい。


「…………じゃあ、私がふたつ食べる」

「えっと……それならもらってもいい?」


 そんな恨めしそうにされたら、食べない方が怖い。

 昼に食べ過ぎた分は夜で調整すればいいだろう。


「…………なら、はい」

「ありがとう。弁当箱は洗って明日の朝返すよ」


 山鹿さんは無言で頷き弁当箱を手渡して来た。

 それを受け取ると、僕の後ろという定位置へ戻って来る。


 考え方によっては、女子の手作り弁当は喜ぶべき事案かもしれない。


 普段から『呪う』を言われ続けているから、冒険するような気持ちも湧くが――。


 まあ、ラッキー。そういうことにしておこう。


「でも月美さん。わざわざ呼び出さず、山鹿さんを通して僕に伝えてくれても良かったんじゃないですか? もしくは電話でも話せた内容に思えましたが」


「本気です?」


「え? 何か意味があるんですか?」


「はぁぁ……」


 本気で呆れている時に人が出す溜め息が後ろから聞こえてきた。


「やれやれです。千代くん、前も言ったです。好きです。乙女です。千代くんの顔が見たかったです。だから呼んだです。これが理由です。迷惑、です?」


 僕の知っている乙女の顔とは違うかもしれない。

 でも、普段見せない真剣な目をさせて、最後に問いかけてきた。


 この目の意味は不安からきていることは理解できる。


「何度言われても思いに応えることは出来ません。ですが、友人としてでよければ……呼ばれたら顔を見せるくらいはしますって。絶対ではありませんが」


「ツンデレです。ご馳走様です」


「はいはい。じゃあ、行きますけど、月美さんも寝てくださいね」


「千代くん、またです。祝は少し残るです。マッサージしろです」


「私は八千代郡から――」


「終わるまで扉の外で待っているから気にしなくていいよ」


 肩や首を揉み、凝っているといった仕草を見せている月美さん。

 マッサージと言っても10分、長くても20分もあれば終わるだろう。


 それくらいなら外で待っていても問題がない。

 考えたいこともあるし、むしろ都合がいいくらいだ。


『……分かった』と渋々頷いた山鹿さん。


 ベッドへ移動する月美さんを見届けてから退室する。


 

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