第172話 壊れたブレーキは怖いです

 どうして同じ布団で寝ていたのか分からないまま身支度を整えてから、日課としているランニングに出るが、今日は1人で走ることになっている。


 慣れない風紀委員会の活動で忙しくしている莉子さん。

 寝不足のため、今日はお休みになったのだ。


 美海が泊まりに来ていることは、まだ誰にも話していないから丁度良かった。

 勘の鋭い莉子さんから何か突っ込みをされても困ってしまうからな。


 聞かれたら正直に答えるが、さすがに照れくさくもある――。


 格好良く言えば思考の整理。

 ありのまま言えば煩悩を払う。


 真摯にランニングへ向き合うことで、普段の落ち着きを取り戻してから到着した玄関で『おかえりなさい』と出迎えられた後は、美海が用意してくれた朝食を頂いた。


 メニューは、厚焼き玉子に切干し大根、塩ジャケ、さつま芋としめじが入ったお味噌汁。


 感想は言うまでもなく、とても美味しかった。

 言うまでもなくと言ったが、しっかり感想を伝えた。


 ――毎日でも食べたい。

 と、言いたくなったがプロポーズみたいになってしまうから思い留まった。


 プロポーズするにはまだ早すぎるし、場を整えてからしたいからな――。


 帰宅時に開ける鍵の音に反応して、駆け足で玄関まで出迎えてくれたことも含めて幸せな朝食だった。


 美海専用のエプロンは別に用意してある。

 それなのに僕のエプロンを着けているところなども本当に可愛いと思う。


 視線に気付いた美海から『なんか、寂しかったから』と言われた時には、衝動に駆られて抱き締めそうになってしまった――。


 朝食後は、紅茶を淹れて読書の時間を楽しむことにした。

 優くんから大量に送ってもらったライトノベルに手を出そうかと考えたが、美海から『是非、読んでもらいたい本がある』と言われたので、そちらを読むことにした。


 勧められた小説のジャンルはファンタジーに分類されるもの。

 出版もされておらず作者不明の珍しい小説だ。


 美海は僕の本棚からミステリー小説を選び手に取った。

 僕が約4カ月前に読んでいた本だ。


「美海から何度も視線が届いた日に読んでいた本だよ」


「知っているよ? でも……視線に気付いていたなら、声、掛けてほしかったな?」


「気のせいかと思っていたんだよ。まさか、あの上近江美海が僕を見ているなんてって」


「まさか、その上近江美海が泊まりに来るなんてね? 嬉しい?」


 答えなど分かっているだろうに、可笑しそうに笑い僕を見ている。


「最高にハッピーだね。夢ならこのまま覚めないでほしいな」


「確かめる方法があるから試してみる?」


 ――痛い。つまり夢じゃないようだ。

 古典的な方法だが、現実と自覚することが出来た。


「えっと、こう君? どうして自分で自分の頬を抓んでいるの? 私が確かめてあげようと思ったのにっ!」


「美海は夢かどうか確かめなくていいの?」


「……どう?」


 僕が自分で抓んだのは右頬。

 そして美海に抓まれたのは左頬だ。

 つまり美海は自分の頬でなくて、

 僕の空いている頬を抓んできたのだ。


「あ、ごめんっ。こう君ごめんなさい。やだっ、抓まないで!!」


 美海の頬を抓むことはしなかったが、

 頬を膨らませていじけてしまった。


 少し涙目かもしれない。反省しないと。


 いじける美海に要求されるまま頭を撫で、ご機嫌を取ったあとは2人並んでソファに腰かけ、静かな時間を過ごした。


 途中、疲れたのか小さな頭を『ちょこん』と、肩に寄せてきたのでひと休みを提案してみる――。


「ホットケーキでも食べる?」


「ん~、ホットケーキは食べたいけど、もう少しだけこう君の肩借りていたいかな」


「仰せのままに」


「うむ、くるしゅうない」


 そこから10分ほど時間が進んだところで、美海は栞を挟み、本を閉じ、ソファから立ち上がりリビングから出て行った。


 多分、手洗いだろう。

 前は、都度僕に声掛けしていたが、どことなく気恥しかったので声掛け不要と決めた。


 戻った美海はきっとホットケーキを食べたいと言うだろうな。

 そう考えて、美海がした行動をなぞり、栞で挟み本を閉じ、立ち上がり伸びをする。


 キッチンへ移動して、エプロンを身に着け材料を準備する。

 戻ってきた美海は当然のようにエプロンを身に着け隣に並び立つ。


 行儀はよくなかったかもしれない。


 でも、1枚焼き上がったところで食べさせ合った時間は、言葉で表現するには難しいけど、言い様の無い幸福な気持ちとさせられた。


 幸せのパンケーキってやつだ。


 残りの生地は美海が焼いてくれたので、その間に紅茶のお代わりを用意しておく。

 焼き上がったホットケーキにバターを乗せ、ハチミツを適量かけたら完成だ。


「「いただきます」」


 1人で焼き1人で食べるホットケーキの何倍も美味しく感じる。

 これがきっと、幸せの味なのかもしれない――。


「幸せだなぁ――」


「僕もそう思っていた」


 目尻を下げ、頬を柔らかくさせた美海は『ふふっ』と笑みを零した。

 美海が見せる満面の笑みも好きだけど、

 こんな風な自然に零れる小さな笑みも好きだ。


 僕が食器を洗い、美海が拭きあげる。

 美海が一緒なら食器洗いでさえ、楽しい思い出になる。


 一緒に片づけを済ませたあとは読書の続きだ。

 今度は初めから僕の肩に頭を寄せてきたが拒んだりしない。

 美海の好きなようにさせる。


 先ほどと同じように、静かな時間が過ぎていく。心地のいい時間である。

 こういった時間はこれからも大切にしていきたい。

 勧められた小説を読み終えると同時にそう感じた。


 肩に寄せられている頭に、軽く頭を重ねる。そしてすぐに離す。

 2人の間でのみ伝わる、『ちょっと離れて』といった合図。


 手を繋いでいる時は、軽く『ギュッギュッ』と握るのが合図だ


 ルールとして定めた訳でないが、自然と伝わるようになっていた2人だけの合図。


 合図を理解している美海が離れてくれたため、ソファを立ち手洗いへ向かう。


 用を済ませリビングに戻ると、本を読み終えたのか美海も立ち上がり伸びをしていた。


「そろそろ、準備して行かないと」


「送らせて」


「うんっ、ありがとっ!! 着替えてくるね――」


 美海を見送った流れで、広くなった部屋を見渡す。

 キッチンには美海のエプロン。食器棚には茶碗や箸、マグカップ。


 部屋に行けば部屋着や寝間着。

 洗面所にさえ、化粧水一式や髪留めが置いてある。


 美海だけでなく、美波と莉子さん。

 食器に関しては美空さんも――。


 随分と部屋が賑やかになった。

 感慨深い思いでいるがふと、テーブルに置いた小説に目が留まる。


 美海に勧められた小説。

 内容は、狼に家族を奪われた少年の話――。


 その少年は数年後、家族の命を奪った狼を、見事に討ち仇を取った。

 その話は王族にまで届き、あれよあれよと――。

 気が付くと一代限りの騎士に叙爵され、第一王女の護衛を任せられるまでに出世した。


 激動の少年時代で荒んだ心も、護衛となってからは第一王女の心に触れ、癒され、想いを秘めながらも穏やかな日々を過ごす事となった。


 第一王女も騎士を信頼、頼り、叶うことのない想いと理解しながら――。


 でも、諦めることはできず、騎士と結ばれる方法を画きながら、離れる可能性も考え、日々を大切に過ごしていた。


 第一王女は、騎士が所属する国だけでなく隣国も合わせ一番の美姫と噂され、実際、見目麗しく、近隣諸国の王や王子から『是非とも我が妻に』と求婚されるほど美しいお姫様であったのだ。


 そのために――。

 戦を起こせば連戦連勝。

 近隣諸国で最強の軍隊を持つ隣国の帝王から、

『第七妃として第一王女を娶らせろ。さすれば同盟を結んでやろう』と要求されてしまう。


 騎士の所属する国とて、大国と呼ばれてもいいくらいの領土を治めている。

 それなのに第一妃でなく、第七妃。


 同盟を結ぶとは言うが、つまりは属国になれと言っているに等しいことだ。

 だからそんな要求など突っぱねるべきであって、そしてもちろん断った。


 だがその結果――。


 ――余が直接、王城諸共第一王女を奪いに行こう。

 と。


 王城を奪うとは国をとるに等しい。つまりは宣戦布告されてしまったのだ。

 徹底抗戦の構えで待ち受けるが、戦を重ねるごとに領土を減らすこととなり、そのため初めは強気であった国の中枢である王や宰相、側近たちは揉め始めた。

『最後まで徹底抗戦すべきだ』

『要求をのみ第一王女を渡すべき』との意見に。


 国や民、何よりも騎士の未来を憂いた第一王女は自らを犠牲にしようと考えた。

 だけどここで、第一王女の幸せを願う、騎士が立ち上がった――。


『ワレが必ずや帝国を打ち滅ぼしましょう。勝って――満開の花畑を姫様へご覧にいれましょうぞ。さぁ、ですから姫様――。ワレに姫様の本当の望みをお聞かせ下さい!!!!』


 互いに互いの幸せを願う2人。

 騎士と第一王女の願いは、ふたつの国だけでなく近隣諸国をも巻き込む大戦となってしまう。


 そのためこれが正義かと問われれば違うかもしれない。


 だが騎士は、見事帝国を打ち滅ぼし、瞬く間に近隣諸国までも平定させたのだ。

 そして最終的には、第一王女が口にした望みを、自分の願いを、見事に達成させ結ばれるに至り、戦が起きることないほどの平和な国を作っていった――。


 騎士の一生は、未開拓地生まれの貧しい出、そこから騎士、騎士から護衛騎士、護衛騎士から軍を率いる将、さらに王へと――。


 つまりは下剋上や成り上がり、英雄譚についての物語だ。


 少なくない話かもしれないし、荒い部分はあるが引き込まれる話で面白かった。

 読んでいるうちに内側から熱くなる物を感じた。


 熱くなった理由について、思春期の男子という可能性も考えられるが、僕が起こそうとしている下剋上、そして独裁。それらとは真逆なことが理由かもしれない。憧れたのだろう、きっと――。



 着替えが終わったのか、扉襖が開く音が聞こえてくる。

 視線を机に置かれた小説から美海へ移す。


「お待たせっ! いこっか!」


「今日の美海もとても可愛いね。秋らしい装いもよく似合っているよ」


「本当? よかったっ! 一目惚れもあったけどね、こう君が好きそうな色だなぁって思って新しく買ってみたの。だから褒めて貰えて嬉しいっ! ありがとうこう君っ!!」


 購入した理由が僕の好みに合わせたことが理由であるなら、その気持ちも嬉しいし、可愛い姿を見せてくれたことに対しても、僕の方こそありがとうと言いたい。


 僕の独占欲に合わせ素肌が出ないようにしてくれているのか、下はスカートじゃなくパンツ姿。

 上は大きめのニットカーディガンを羽織っている。


 本当によく似合っているし、とても可愛い。


 ずっと見ていられるかもしれないが、ワンピースやスカートも絶対似合うだろうから、その装いも見てみたい。


 さすがに我儘が過ぎるから、お願いすることが出来ないが――。


 2人で『行ってきます』とクロコに告げ、部屋を後にする。

 バイト先までの道中は、美海の希望で僕が持つ日傘を2人で差す。


 あれだけ敬遠していたのに、今では躊躇なく差すことが出来る。

 そのこと自体は慣れたが、心臓の鼓動が高鳴ってしまうことはいつまでも慣れない。


 本当に――。


 自分の感情を、『好き』を自覚してからは、日を追う毎に加速していくばかりだ。

 ブレーキが効かなくて怖くもあるけど、悪くないとも思っている。


「美海、僕の我儘を聞いてくれてありがとう。楽しくて幸せな時間だった」


 そう、まるで夢のような幸せ溢れる時間だった。


「ふふっ、それなら良かった! 私も楽しくて幸せな時間だったよ? 誰かさんのせいで、明後日からは話せなくなるけどねっ」


「全く駄目ってことはないんじゃない? 朝の図書室とか」


 十中八九駄目だと分かりつつも言ってしまった。


「そうだといいけど、多分ダメじゃないかな? だから私は1人寂しく図書室で勉強しようと思います」


「じゃあ、僕は1人寂しく教室で勉強しようと思います」


「真似っ子は、めっ!!」


 何それ可愛い。もう1回聞きたい。


「何それ可愛い、もう1回言って?」


 心の声がそのまま出てしまった。


「こう君? 悪いことばかり考えたら……めっ! だからね?」


「動画に収めたいから、もう1回お願いしていい?」


「もう時間切れです。そろそろ……行かないと」


 時間が憎い。動画に収められなかった自分が憎い。

 動画があれば、疲れた時の癒しになったのに――。


「ありがとう美海。おかげで……月曜からまた頑張れるよ。バイト頑張ってね」


「私こそだよ……お仕事、行ってきます。また明日ね、こう君」


 ――また明日。


 と、すでに到着していた更衣室前で別れを告げる。

 事務所に立ち寄り、美空さんへお泊り承諾のお礼を伝えてからお店を後にする。


「さて、美波を迎えに行くか」


 今日待ち合わせした場所は駅前。

 最近何かと縁のある噴水広場。緑の扉の前。


 バス停が近く、目立つ場所だから待ち合わせ場所として選ばれやすいのだ。

 美波との待ち合わせが何故駅前かと言うと、約束していたプリクラを撮るためだ。


 プリクラを撮った後は、美波と一緒にスーパーに寄って何か果物でも買って帰ろうかな。

 そして、ゆっくり家族の時間を過ごそう――。


 プリクラ、果物に満足してご機嫌な美波が、玄関の前に到着してすぐ、もの凄く頬を膨らませる事も知らず、呑気に最後となる束の間の休息を脳裏に浮かべるのだった。


▽▲▽


【あとがき】

補足というか宣伝?です。

郡が読んだ物語は「狼は向日葵の花を咲かせたい。」です。


戦記のようなファンタジーのような恋物語のような話です。

興味がありましたら、ちらっと覗いてみてください。

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