第161話 エピローグ

 シフク――。


 今の感情をひと言で表すにはピッタリな言葉かもしれない。


 普段着を意味する『私服』ではない。

 では、不当に利益を肥やす『私腹』。

 違うとも言い切れないが、ピッタリな言葉ではない。

 それならば――。


「最高で至高な幸福の至福な状況だ」


「もう……頭悪そうなこと言わないのっ!」


 痛い。頬を軽く抓まれたからだ。

 でも、この痛みすら心地がいいかもしれない。

 この上ない幸福な状況。

 幸せすぎて、さらに頭が悪くなりそうだ。


 今の時間は夜も深い、深夜の遅い時間。うん、やっぱり頭悪い。


 場所は僕の家のリビング。人数は2人。

 クロコは先に部屋で寝ている。美波が泊まりに来るのは明日。

 だから、本当に2人だけの誰に邪魔されることもない時間。


 さすがの美空さんも高校生の男女2人が、2人きりで夜を共にすることに難色を示したが、美海には内緒で、ある物を手渡し健全なお泊りも約束して承諾を貰った。


 きっかけは、月曜日にさかのぼる。

 鈴さんと手を結び、方針を話し合ったあとのこと。

 どうしても声が聞きたくなり、美海にショートメールを送ったのだ。


『手が空いたら、美海の声が聞きたい』


 と。

 美海は生徒会室に呼ばれているから、まだ話合いの最中かもしれない。

 だから帰宅せず、司書室にこもっている女池先生以外誰もいない図書室で、1人返事を待っていた。


 待っている間で手にしていたのは、気になっていた本。

 とりあえず開きはしたが、次のページが捲られることはなかった。


 10秒、1分、3分。


 と、携帯が気になって、本を読む集中力などなかったからだ。


 そしてそのまま返事を待つこと30分。

 図書室の扉が開き、1人の美少女が顔を覗かせる。

 上履きを脱ぎ、スリッパに履き替え入室を果たす。


 スカートの裾を抑え、屈みこむ所作ひとつとっても目をクギ付けにさせられるくらいの美少女。


 背中に伸びる柔らかそうな髪。

 以前は鎖骨の高さに揃えられていたが、今も伸ばし続けてくれているようだ。

 女池先生と目が合ったのか、柔和な笑顔で交わす愛嬌ある子。


 歩く姿勢や仕草一つ一つが綺麗で大人びた一面もある子。

 その子の周りだけキラキラ輝いているように見えてしまう。


「こう君、お待たせ。どうしたの?」


「つ――っと」


 思わず『好き』と言いたい衝動に駆られる。

 でも、まだ我慢だ。

 そのせいで言葉が変に詰まってしまった。

 珍しい物でも見たような表情を浮かべ、キョトンと首を傾げている。


「――可愛い」


「もぅ、またそれ? でも本当にどうしたの? 変な物でも食べたりしていない?」


「ただ、美海の声が聞きたくなっただけ。でもよく図書室だって分かったね?」


「今日はいち段とおかしなこう君だね。でも……私もちょっと声が聞きたいなって考えていたからお相子かな。場所はね、何となくかな? なんとなく、図書室でこう君が待っていてくれる気がしたの」


 大袈裟化かもしれないが、以心伝心したのかもしれない。


「週末の金曜日、夜遅くから朝方に掛けてオリオン座流星群が眺められるんだってさ」


「今朝のニュース?」


 美海も今朝のニュースを見て知っていたようだ。


「そう。美海は夜まで起きて観たりする?」


「ん~、どうだろう? こう君は?」


「美海と一緒に観られるなら、一晩中空を見上げてもいいかもしれない」


「……お泊りのお誘い? でも、美波が泊まるのは土曜日だよね?」


 そんなつもりはなかったけど、そう捉えられても仕方ない発言だった。


「一晩中眺めているなら、お泊りのお誘いになるかも」


「さすがに、その……お姉ちゃんが反対すると思う……私は、別に、その……こう君と一晩中一緒でもいいし……むしろ一緒に居たいなっても思う。一緒に星空が観られたら嬉しいなって。けど……」


 耳をほんのり染め、弱々しく言い切る。


「美海だったら、流れ星にどんなお願いをする?」


「えっ? え~と……なんだろ? こう君は?」


 少し前に、美海の善意を断ったことがある。

 僕の浅はかな行動で、美愛さんを悲しませた自己嫌悪から、甘える資格もないと考えたからだ。


 でも、今は――。

 少しくらいなら願っても許されるかな。


「最高の枕を覚えてしまったせいか、最近、家の枕が合わない気がするんだよね」


「…………それくらいなら星に願う必要ないよ? これから、こう君のお家行こうか?」


「贅沢が許されるなら、星を見た後がいいな」


「……それなら、これからお姉ちゃんを頑張って説得しないとだよ?」


「今から行こうか」


「そ、そんなに……私と一緒に星が観たいの?」


「もちろん。駄目?」


「ううん、ダメじゃない――」


 女池先生へ会釈を送り図書室を後にする。

 それから美海と並んで美空さんが待つ家に向かう。


 途中、同級生の何人かに2人でいる姿を見られたが、風紀委員の腕章を着けていた。

 だから心配しなくてもいいだろう。


 美空さんを説得するのは容易でなかったが、お泊り前日の木曜日に了承を貰え、金曜日を迎えた――。


 夜空を見上げていた時間は、日付を越えた時間から約1時間と少し。

 昼間はまだ暑い日が続いているが、夜はさすがにひんやりとしていた。


 風邪を引かないように美海の肩に白色のストールをかける。

 美海に差し出された手を繋ぎながら夜空を見上げた。


 運が良く、流れる星を3つほど観測出来た。

 記憶に思い出せる限り、人生初めて見る流れ星だったかもしれない。


 思っていた以上に一瞬で流れ切るから、お願いを3回唱えることは叶わなかった。


 それでも、好きな人と一緒に眺める空は特別に感じたし、願い事は別にあるが、すでに願いが叶っているようにさえ思えた――。


 そして今に至る。


 美海は僕の我儘な願いを叶え、膝枕してくれている。

 僕の左手を繋ぎ、残りの手でゆっくりと髪を撫で、天女のような優しい微笑みで僕の目を見ている。


 さっき、肩に掛けた白色のストールが羽衣のようにも見え、美海をさらに天女らしく演出しているかもしれない。


 美愛さんとのことは、美海に話す承諾は貰えていたのでウトウトしながら説明をした。


 聞かれない限り話すつもりなどなかったけど、つい、鈴さんと手を組んだことまで話してしまった。


 まあ、莉子さんがいるからどちらにせよ伝わっただろう。


「――美海は僕がやることに反対?」


 独裁を目指す事を告げたから、美海の意見が聞きたくなったのだ。


 自分の考えに自信を持てないから、肯定してもらいたい。

 無意識にそう考えてしまったのかもしれない。


「ん~、私はどんなこう君になったとしてもお側にいるよ」


「――それなら――良かった」


「ううん、違うかな。側に居たいの。ずっと。こう君の側に」


「――そっか――僕も美海の側に――――」


▽△▽


「こう君?」


「――――――――」


「寝ちゃったのかな? 疲れていたんだね……可愛いなぁ、もう――」


 前よりもずっと柔らかくなったこう君の頬。

 そのこう君の頬を私がツンってしても起きる気配はない。

 相変わらず寝息が小さくて、これだけ近い距離に居ても不安になってしまう。


 こう君にストールをかけてあげようと考え、握る手をほどこうとしたけど、ギュッと握られてしまう。


 それだけでなく、大切な物を扱うかのように、両手で包み込むように握られてしまった。


 普段とのギャップで悶絶してしまいそうになるくらい可愛い。


 ねぇ、こう君?


 私がこう君に可愛いって言うと複雑そうにするけどね。

 女の子が好きな男の子に言う可愛いって言葉はね、愛おしいって意味でもあるんだよ?


 恥ずかしくて、そんなことは言えないけどさ。


 私はただ――。

 こう君とお付き合いしたいだけなのに、どうしてこんな難しいことして遠回りしているんだろうね。


 面倒な制約のせいだよね。四姫花を断れたらいいのにな。


 ううん、無理言って断ったってよかった。

 そうしたら今頃は……堂々とやきもちだって妬けたのに。


「もう、人の気持ちも知らず幸せそうな顔してっ。可愛いぞっ」


 でもね、こう君。

 さっき言ったことは本当。

 例えどんなこう君だろうと、私は側に居たい。


 こう君がどんな嫌な人になろうと私は側にいる。

 もうね、こう君がいない未来何て考えられないの。考えたくもない。


 だけどそんなのは、けしていい関係じゃない。

 だから私はこう君の背中を押してあげられる人でありたい。


 こう君は人よりも色々なことが出来て凄いと思う。

 努力だって惜しまない。私はそんなこう君を尊敬している。


 そんなこう君も好き。


 無防備に可愛い寝顔を見せてくれるこう君が好き。

 1分1秒。1日2日。日を追う毎に溢れ続けてくる。


 ずっと見ていたい。隣でずっと――。


 でも今は、現実的にこう君の目を覚まさせてあげないといけないかな。


「こう君、起きて? 風邪引いちゃうよ?」


「――――――ん」


 んって、何? 可愛すぎて頬が緩んじゃう。


「はい、じゃあ、お布団行こうね」


 寝ぼけながらも立ち上がってくれたから、お布団に誘導するまでは上手くいった。

 でも、最後に欲を掻いてしまった。


 あまりにも可愛くて、つい、こう君のおでこに唇を当ててしまった。

 そうしたら、腕を引かれてしまって……え?


 んんっ、んえっ――!?!?


 明日、お仕事大丈夫かなぁ――。

 このままだと寝不足確定だよ。


 ちょっと、ううん。


 かなり恥ずかしいけど、そうだな、幸せかもしれない。

 好きな人の腕に抱かれて、頭を抱えられて眠れるんだから。


 これが至福ってことかな。


 おやすみなさい、こう君。


「(大好きだよ)」


 小さな声で、そう呟く。

 幸せだなぁ……私は今、凄く幸せを感じている。

 この幸せがずっと続いてほしい。

 こう君の幸せ。私がお星さまにお願いしたこと。


 だからね――。


 だから止める。

 1人で出来る事は限られているから。


 生徒会の独裁を阻止するのに、私たち2人の我儘な願いを達成するのに、こう君が独裁体制を作るのはおかしいよ。


 そんな大それたことを考えているなんて、分からなかったけど。

 こう君が騎士を断り、生徒会長にとって代わろうとしていることは、何となく気付いていたよ?


 独裁者の末路は、”破綻”や”破滅”。


 こう君なら知っているでしょ?


 自分はそうならないと思っているのかな?

 自惚れだよ。歴史は繰り返すんだから――。


 それに私は怒っているの。

 男の子だから仕方がないのかもしれない。


 我儘を覚えたばかりで、知らない感情に振り回されているのかもしれない。


 それでも――何も相談せず勝手に勝負を決めたこう君にも……こう君を無理矢理巻き込んだ本宮先輩にも私は怒っている。


 私とこう君、2人の問題に茶々を入れさせたりさせない。

 他の人なんて見ないで欲しい。


 私だけを見て欲しいの。


 こう君が考えている以上に、私は独占欲が強いみたい。

 だから――。


 私は私のやり方で抗ってみせる。


 決意を秘め。

 少したくましくなった胸に、そっと抱き着き、安心できる胸の鼓動を子守歌代わりに、


 眠りにつく。






 独裁のための下剋上なんてさせてあげない。

 そんなのは、そんな結末は、こう君に相応しくない。

 こう君は言ったでしょ。みんなで幸せになるって。


 だから私は、

 こう君と私のためにこう君の邪魔をして背中を押すことを決めた。

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