第158話 おかえりなさい美愛さん
飴の転がる音が止り、スピーカーから何かの曲の宣伝だけ聞こえてくる。
でもすぐに『ガリッ』と飴を噛み砕く音が響く。
「はぁ――。嫌な言い方するなぁ。本当に生意気。それに可愛くない。噂通りの扇動者ぶりに、ちょっと引いちゃったし。あとちょっとムカつく。別に妥協してやっくんを選んだ訳じゃないのにさ? でもそうだね。分かったよ、やっくん――」
暗く濁らせたように見えていた瞳に、光が灯ったように見えた。
まだ完全ではないかもしれない。
でも美愛さんの目からは前を向く活力を感じる。
「奇跡でも起きないと難しいけどさ、もうちょっと頑張ってみるよ」
「今の笑顔は素敵でしたよ、美愛さん。僕好みの笑顔でした」
「ふ~ん? 上近江ちゃんに言っちゃおうかなぁ? でも、やっくんの幸せにしたい人って、上近江ちゃんだったんだね。やっぱり好きな人のことは、世界一幸せにしたいとか思ったりするの? やっくんでも」
また調子に乗って一言余計なことを口にしてしまった。
「それくらいの気持ちではありますが、世界で一番までの幸せを与えることは出来ないですね。まあ、そういうことで賭けも成立しましたし今日は解散しましょうか」
「上近江ちゃんは幸せ者だね……。ここ、痛いなぁ~。まだ赤くなったままだし……やっくんに、私はやっくんの物だって跡?
今日一番いい笑顔で僕が握った手首を見せてくる。
よく見ると、赤くなるどころか僕の指跡がくっきり残っている。
痣にならないといいなと心配しながら美愛さんの隣へ腰を落とす。
「すみません。僕が完全に悪いですけど、美愛さんの言い方にも悪意を感じます。それで、何をしたらいいですか?」
「ははっ! 生意気言った仕返しだからね? だから、やっくんが悪いんだぞ。あとさ、今日もやっくん、1曲も歌っていないよね? せっかくだし、この間と別の曲を歌ってみてよ。下手でもいいからさ」
「……ご所望のままに。でも、曲は美愛さんが選んでください」
「あ~? また何か企んでいる目してる。ま、もう、何でもいいけど――」
投げやり気味にリモコンを操作して、先に採点モードにされる。
そして送信後、画面上部に表示された曲は『キセキ』だ。
切り替わって全体に表示されるGReeeeNのキセキ。
僕が今週ひたすら聴いていた曲で、昨日美海に披露した曲でもある。
美愛さんに対して小細工はしないと考えたが、これは少し小細工かもしれない。
だが練習しただけで細工などしていないから、ただの運頼みでもあった。
「美愛さん、コツとかってあります?」
「え? えーっと……記憶を思い出して歌詞に共感するとか?」
なるほど、聞いてよかったかもしれない。
ただ、音程やリズム、ビブラートばかりを気にしていた。
「もし――」
「え?」
「もしも僕が100点取れたら奇跡ですよね?」
「そうだね、今のやっくんにはちょっと難しいから」
「じゃあ、美愛さん。僕は今から奇跡を起こしますね――」
訝し気に僕を見て『何言っているの?』と口にしていたが、曲も始まったので無視して歌い始める。
時間の許す限り聞き続け、自宅で練習をして、カラオケの採点モードで練習もした。
美愛さんが言う通り、慣れない抑揚もあり難しかった。
当然に100点など取れず、どれだけ頑張っても99点台が最高だった。
それでも諦めたりせず、音を聞き、大切な記憶を、思い出を歌詞に乗せ、歌い切る。
最後の画面に表示された点数は――。
「うそ……ひゃく、てん――。それに、やっくん……声?」
今の美愛さんの笑顔のように、僕の表情や声も完全でない。
でも僕の周りにいる温かな人たちのおかげで、表情も徐々に戻り、声に抑揚も出てきていた。
おかげで今日、美愛さんに披露することが出来た。
「美愛さん――。僕の声に抑揚はありません。暗闇で虹が架かっても見えません。東京でオーロラは見えません。夏に雪も降りません。雪が降る夜に流れ星だって見えません。シャボン玉だって儚い物です。どれも奇跡でも起きないと達成は難しいでしょう」
「ちょっとよく分かんない?」
「道具があれば暗闇でも虹が見えるようになるかもしれませんし、条件が整えば東京でオーロラを見ることも出来るかもしれません。異常気象で夏に雪が降る日だってくるかもしれません。偶然が重なれば雪と流れ星を同時に観測出来るかもしれません。シャボン玉だって考え方次第で希望にだってなります。ほんの少しの希望しか持てていなかった、僕の表情や声が戻ってきているように、そのおかげで、カラオケで100点取れたように、案外、簡単に、ちょっとしたことがきっかけで奇跡は起きるんですよ、美愛さん」
「…………やっくん」
美愛さんはさっき『奇跡でも起きないと難しいけどさ』と言った。
その言葉が耳に残っていた。
奇跡を願い、結果、失望する美愛さんは見たくなかった。
けれど、この結果は僕にとってはたまたまだ。
あのまま美愛さんが僕を止めなかったら、歌うことなく解散していただろう。
でも美愛さんは止めた。
さらに100点を取るためのアドバイスを最後にくれた。
偶然に偶然が重なった出来事かもしれない。
でも美愛さんは自らつかみ取ったのだ。
これだって十分奇跡と言ってもいいだろう。
都合のいい解釈かもしれない。
だけど、ちょっとしたきっかけで美愛さんが手繰り寄せた奇跡だ。
「ちょっと本腰淹れて奇跡起こして、なりましょう」
「…………なるって?」
抑えきれなくなったのか、美愛さんは鼻声になっている。
「決まっています。僕も美愛さんも、僕たち2人や大切な人の為に幸せになりましょうよ。みんなで。今まで歩んで出来上がった軌跡が奇跡を起こすんです」
ちょっと、いや……かなりくさいセリフを言った自覚はある。
もし、これが録画されて拡散でもされたなら、さすがの僕でも顔を真っ赤にしてしまうかもしれない。
それでも美愛さんが、美愛さんの心に大切な気持ちを思い出させることが出来たのなら、安い物だ――。
美愛さんからの返事はない。
けれどまるで赤ん坊のように。
秋休みの時とは違う理由で、前以上に、僕の右腕を湿らせていく美愛さんを見れば届いたのだろう。
ハンカチやティッシュを差し出した方がいいのかもしれないが、落ち着くまでは、そのままにしておこう。
でもこれで――美愛さんは大丈夫だろう。
僕が何かしなくても三穂田さんを陥落させること間違いない。
けれど僕は僕で三穂田さんに言いたいことがある。
今週、何度かパン屋に足を運んだが会うことは出来なかった。
避けられているのだろう。
それなのに今日は僕が美愛さんと一緒にいるのを見たからか、わざわざレジを打ちに出て来た。
僕と美愛さんが手を繋いでいる姿を見て『おめでとう』そう言った。
それはもう、切なそうに。
あんなに嬉しくない『おめでとう』は人生初めてかもしれない。
だから、言ってやりたい。
美愛さんのことを除いても言ってやると決めた。
美愛さんが右腕に抱き着き、暫らく――。
「あ~あ。惚れた。惚れちゃったよ、やっくんに。どうしてくれるの? このふた心」
用意しておいたハンカチとティッシュを手渡す。
「その分も三穂田さんと咲菜ちゃんに愛情を注げばいいじゃないですか」
「そーするっ。ハンカチ、洗って返すね」
別に大した手間でもないので、何も言わず強引にハンカチを手から奪い取る。
「じゃあ、もう時間もないですし今度こそ帰りましょうか。今日はデートですからね、美愛さんのバイト先まで送らせていただきます」
「やっくん? 私ね、やっくんが大好き。今の気持ち。これは本当の気持ち。でもね、もっと好きな人がいるの。だから……私の負け」
僕がただ単に振られたように聞こえたけど、これは、美愛さんの『絶対に落とす』と言った固い意志で宣言でもある。
「勝手にその気にさせて、勝手に振るんだから酷い人ですね。試合に勝って勝負に負けた気分です」
「思ってもいないのにそんなこと言うんだ? でもそうだね。お詫びじゃないけど、最後に送ってもらおうかな」
「ええ、もち――」
「腕組んであげるね」
「――ろんです」
やられた、思いっきりかぶせてきた。
「いや、それは結構ですって」
「だーめ。最後だからお願い?」
「手を繋ぐだけにしませんか?」
「だーーーーっめ。やっくんのための、ちょっとだけエッチなサービスだよ?」
――いたいっ。
と。
僕にデコピンされたおでこを抑える。
「ほどほどにお願いしますね」
「うんっ!! おでこの恨みも合わせてたっぷりサービスしてあげる!!」
極刑宣告を受けることになったけど、この日初めて曇りない満面の笑顔を見ることが叶った。
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