第157話 空気を読まず勝負を持ち掛ける

 世の中は広い。

 だから僕の知らないことは星の数以上にたくさんある。

 自分を騙し、相手を騙し、嘘をつき――。


 もしかしたら、それらから始まる本物もあるかもしれない。


 だとしてもだ。


 だとしてもこれが間違いで、今の美愛さんが幸せになる方法は別にあることは分かる。


「僕はこうして美愛さんと一緒に居ると楽しいです。言われたように男だから、ちょっと嬉しいことだってあります。でも幸せだと感じることはありません。僕が言っている意味、分かりますか?」


「……ちょっと、よく分からないんだけど?」


 空気を可視化できるならば、さっきまでは一応、ピンク色に近い空気が室内を覆っていたかもしれない。

 だが今は、この一瞬で、重い灰色に近くなったかもしれない。


「僕は美愛さんといても幸せになれません。だから大好きと言われても意味が分かりません」


「は? もう一度言ってくんない?」


 美愛さんが僕から距離を取ったことで、僕の右手が、右膝が、右半身が、空気に触れたことによって籠っていた熱気が霧散する。


 ただ霧散しただけじゃない。


 興味のない男性に声を掛けられた時に見せる苛烈な顔を僕に向けている。

 あまりに強い圧に、気圧されそうになるが堪えて言い続ける。

 それでこの人の目が覚めるならば。


「今日まで美愛さんの望むことは出来うる限り叶えてきました。手を繋ぎたいと言うなら繋ぎ、寂しいと言うなら電話して、食べ物を食べさせてほしいと言うなら食べさせて、駅前を一緒に歩きたいと言うなら歩いて、プリクラを撮りたいと言われれば撮って、美愛さんの幸せがどこにあるか知りたかったから。おかげで多少は知ることが出来ました。だから――」


 深く息を吸い込む。そして口にする。


「――僕は絶対に、美愛さんの騎士にはなりません。彼氏にもなりません。絶対にです」


「はぁぁ……。やっくんも私を裏切るんだ? 付き合う気もないのに思わせぶりな態度取って、私を……私をッッ!!!!」


「ええ。ですが――」


「うるさい、うるさいっ、うるさいっっ!! もういいよ、分かったッッ!! 私を捨てる人なんて要らない。ぜっったいに、許さない」


 今度は頬を紅潮させ目に水を溜めている。

 恋する乙女だからでなく、怒り狂っているからだ。


 裏切られて、悔しくて、苦しいから――今にも泣きそうな表情を浮かべ、いや。


 もうすでに、心の中で泣いているのかもしれない。

 助けてと叫んでいる可能性だってある。


 怒れる美愛さんは人の話を聞かない。

 苛烈な言葉が飛び出すほどに、さらにヒートアップしていく。


 それを鎮めるためには、喋れなくする必要がある。


 ある物を取り出すため買ってきた袋を漁るが、その隙に美愛さんは荷物をまとめ、部屋から出て行こうとする。


 でも、話はまだ終わりじゃない。終わらせない。絶対に逃がさない。


「痛っ、放せよッ!! ――んっ!? ん~!!」


 強引に手首を掴み、壁に押し付ける。乱暴になってしまった。

 あとでしっかり謝らなければ。


「はい、飴ちゃん舐めて、落ち着いて」


 興奮した美愛さんを落ち着かせる必須アイテムを強引に咥えさせて、ジッと瞳を覗く。


 飴に付いている棒がなければ、何かの拍子でキスが出来てしまうくらい近い距離。


 美愛さんが落ち着くまで、ただ黙って無言で瞳を見続ける。

 体感、数十分のように感じるが、実際は数秒間かもしれない。


 僕の瞳を差すように、強気に睨む美愛さん。

 けれどすぐに、その強気な目から一筋の涙が頬を伝わる。


 手首を放し、その手で飴を預かり、美愛さんを解放する。

 強く握り過ぎたからか、美愛さんの手首が赤くなってしまっている。


「ねぇ、やっくん? 私………………どうしたら良かったと思う?」


「僕は、美愛さんの幸せを願っています。この気持ちは本当です。でも、僕が幸せになるには美愛さんでなくて、同じクラスの上近江美海じゃないと駄目なんです。そして僕が幸せにしたい人も上近江美海です。僕は上近江美海と堂々と青春を謳歌したいんですが、色々と面倒なこともあって困っているんですよ。だから賭けをしましょう」


 問いかけに対して素っ頓狂な返事が戻ってきたからか、さすがの美愛さんも困惑した表情を浮かべている。


「負けた方は勝った方の願いを何でもひとつ聞く。美愛さんの恋が叶ったら僕の勝ち。叶わなかったら僕の負けといった明快かつ簡単な勝負です」


「……私が勝ったら騎士になって」


「美愛さんだけの騎士になりましょう」


「やっぱり騎士なんてどうでもいい」


「では?」


「恋人になって。上近江ちゃんは忘れて、私のためだけに生きて。私を幸せにして。そして……彼を忘れさせて――!!」


 今の何も見えていない目の曇っている美愛さんなら、勝敗の決まり切っている賭けでも乗ってくると予想できた。


 ひとつに収まりきらない願いを美愛さんは叫んだが、勝負に負けた場合は美愛さんのために生きると決めているから数は関係ない。


「分かりました。その時は僕の全てで美愛さんを生涯幸せにします。でも僕が勝ったら、僕に協力してください」


「まるでプロポーズみたいだね? でも………………いいの? やっくんに勝ち目なんてないよ?」


「いいですよ」


「言質取ったからね。もう撤回なんてさせてあげない」


 携帯を見せられる。

 いつの間に起動していたのか、しっかり僕の発言を動画で撮られていた。

 でも何も問題ない。


「美愛さんこそ、いいんですか?」


「……なにが?」


「ハンデをあげてもいいくらいに、美愛さんに勝ち目ないですよ?」


「ははっ! やっくん、面白いこと言うね? ってか、ちょっと生意気だぞ?」


 なんとなく今の笑顔は、本来の美愛さんが持つ笑顔のような気がした。


「生意気ついでに言いたいこと言ってもいいですか?」


 ――はぁ。


 と、小さく息を吐き出し、僕の手から飴を取り返し咥え直す。

 そしてソファに座り、『さぁ、どうぞ』と言わんばかりに手のひらを向けてくる。


「美愛さん。よく聞いてくださいね? 一度拒絶されたくらいで諦めるんですか? 似合わないですよ、そんなの。それに僕は美愛さんの自由な笑顔が好きです。二カッと明るく笑う美愛さんが好きです。仕方ないなあって呆れ笑う美愛さんの笑顔が好きです。だからいつまでもその笑顔を浮かべていて欲しいと思っています。ですが、僕が笑顔にしたい人は別にいます。だから美愛さんは12年の恋を叶えて下さい。本当の意味で美愛さんを笑顔に出来る人はあの人だけですよ? 美愛さん言ってくれたじゃないですか。僕が祈ったら叶うって。だから僕も全力で応援しますから、全力で祈りますから。美愛さんも諦めず、全力で、僕との勝負に臨んで下さい。誰かに強請らず、幸せになるための切符は、自分の手で勝ち取って下さい」


「ちょ、ちょっと待ってやっくん。一気に言い過ぎだよ」


 前ふりが合ったとしても、一気に喋られると咀嚼が間に合わないですよね。

 僕も少し前に経験したからよく分かります。


「もう一度聞きます。美愛さん、一度拒絶されただけで簡単に諦められるくらいの12年間だったんですか?」


「…………」


「それなら言い方を変えます。美愛さんを幸せに出来るのは三穂田さんですけど、三穂田さんを幸せに出来るのは美愛さんだけですからね? 諦めて、僕で妥協するということは、三穂田さんと咲菜ちゃんを見捨てるということです。そんな薄情なのは美愛さんに似合わない。絶対に――」


 スピーカーから流れる流行りの曲や、金曜日に美海が歌ってくれた曲がどこかの部屋から漏れ聞こえて来る中、目の前から飴の転がす音が聞こえてくる。


 きっと美愛さんは、僕の言葉をゆっくり咀嚼して脳をフル稼働させているのだろう。


 伝えたいことは伝えた。

 あとは美愛さん次第。

 ここまで言われて諦めてしまうなら、そこまでだろう。


 美海や他にもたくさんの人から恨まれることになるが、僕も腹をくくり、これからは全身全霊に傾けて、三穂田さんを思い出させないくらい、美愛さんを””幸せにしよう。


 けど僕の中にあるイメージ通りの美愛さんなら、面倒見のいい美愛さんなら、咲菜ちゃんを見捨てたりしない。

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