第156話 自分を騙すのはもうお終いです
迎えた土曜日は、元樹先輩と食事に行った日よりも日差しが弱く過ごしやすい気温をしていた。
美愛さんと待ち合わせした場所の緑の扉前にいても、汗をかく心配もないくらいだ。
他の事は何も考えず、ただ噴水を眺めながら緑の扉前で美愛さんを待っていると、右肩を『トントン』と叩かれた。
緑の扉は半開き状態で固定されており、僕はその扉の前に居る。
きっと美愛さんが、僕に気付かれないように回り込んだのだろう。
そう考えて振り向く。
だが振り向く途中で右頬に何か鋭利な物が突き刺さった。
「ハハハッ! やっくん、変な顔!!」
理不尽に笑う綺麗な女性。
名花高校に入学して僕が一番初めにお世話になった先輩だ。
その先輩から一歩分距離を取る。
鋭利なものの正体は、どうやら美愛さんの人差し指だったようだ。
正体に気付くのと一緒に、もう一つ気付いたことがある。
珍しい――いや、初めてかもしれない。
美愛さんの爪が綺麗に染まっている。
「どうしてか右頬が痛いんですけど美愛さんは平気ですか?」
「あ、こらっ。人差し指仕舞って! だめだめ、ごめんって!!」
仕返しとばかりに人差し指だけ美愛さんに向けたのだ。
本当に突き刺すつもりなどなかったので、素直に人差し指を抑え込み挨拶を送る。
「美愛さん、おはようございます。爪、綺麗な色ですね。本来持つ美愛さんの明るい雰囲気によく似合っています」
「おはようっ! えへへぇ~、でしょ~?? 偉いぞっ、やっくん。褒めてくれたから、その紳士なやっくんを私が褒めてあげよう!!」
多分、イメージは桃の花だと思う。
すでに冬も近いが、季節関係なしに美愛さんによく似合っている。
「じゃあ、パンとかお菓子買ったらカラオケ行こっか!」
「そうですね。パンはいつものとこでいいですか?」
「オッケーだよ! ん~、ねぇ、やっくん? 腕組んでもいい?」
「腕は恥ずかしいです。約束通り手で勘弁してください。あと、カバン持ちます」
「ありがと! やっくんは紳士だねぇ~、仕方ないから手で我慢してあげよう」
腕を組んだりしたら恥ずかしいし、美愛さんの女性特有力が当たってしまう。
自分の身を守るためにも、それは避けた方がいいだろうと考えつつ、美愛さんが持つカバンを左手で預かり右手を差し出す。
この時点で周囲からは、羨むような視線が届いてくるのを感じる。
変な輩に絡まれても面倒だし早く買い物を済ませてカラオケに向かうとしよう――。
「あの、美愛さん?」
「ん~? 記念にね……って、電話でも言ったよぉ~?」
パン屋やお菓子を買いに行くよりも先に来た場所はゲームセンター。
目的はプリクラ。
電話している時に、美愛さんのおねだりで撮りに行く約束をしていたのだ。
僕が書き込んだのは『こうり』と『みーあ』。2人の名前と日付のみ。
残りは美愛さんに任せて、プリクラが出来上がるまでずっと美愛さんの横顔を見ていた。
横から見てもニコニコとした笑顔だ。
心なしか、意識的に口角を上げているようにも感じた。
まあ、それでも綺麗な横顔に思う。
美愛さんの手によって完成したプリクラを見る。
写っているのは無表情な僕にアイドルのような笑顔を浮かべた美愛さん。
撮影が始まってすぐ、手でハートマークを作るように強要されたのに、美愛さんはハートを作らず親指を立てたナイスの形を作っていた。
何がしたかったのか、よく分からない。
その出来上がった写真を見て笑っているから、美愛さんにとっては満足のいく1枚だったのだろう。
音楽ゲームのコーナーに、何やらギャラリーが出来ていて歓声があがっている。
遠目だと分からないが上手な人がプレイしているのかもしれない。
「私も中学の頃にちょっとだけ楽器やってたんだよ?」
「そうなんですか? ちなみに何の楽器を?」
言葉で答えないで、手で何かを叩くようにジェスチャーして答えてくれる。
「ドラムですか?」
「せいか~い! 頭のいい子にはいい子いい子したげる~!!」
軽く髪を撫でられる。
優しい手つきのため悪くない気分だ。
「美愛さんがドラムって少し意外でした」
撫でる手を止め、どこか遠くを見ながら返事を戻して来る。
「んー……影響かなぁー……」
なるほど、三穂田さんがドラムをしていたってことか。
気まずい空気にはならなかったが、会話が途切れてしまう。
そのことで気付いたが、ギャラリーの後ろ側にいる人たちから恨みがましい視線が届いていた。
美人に髪を撫でられていた僕へ向けられた嫉妬の
「次、行きましょうか」
「そうだね、そうしよー!」
先へ進もうとする僕の手を取る美愛さん。
そのまま並んで次の目的地へ移動する。
馴染みのパン屋でカレーパンや菓子パン。
ドラッグストアでスナック菓子や棒付きの飴、チョコレートを購入する。
そして、美愛さんやファンクラブの人たちと行った” ラージエコー”へ足を踏み入れ、受付を済ませ、待つことなく案内された部屋に入室する。
ちなみに、ここまではずっと手を繋いだままだ。
買い物で支払いをする時でさえも。
周囲で買い物をする人や店員さんからの視線が刺さって、刺さって、居た堪れなかった。
整った外見にニコニコとした表情を振りまく美愛さんに目が釘付けとなり、その隣で仲睦まじく手を繋ぐ男に怨嗟のこもった視線を刺したくなる気持ちも理解できる。
今の美愛さんでも、それくらい魅力溢れているからな。
だから周囲の視線を極力無視して、道中は美愛さんとの会話を楽しんだ。
と言っても、美愛さんの進路について話を聞いただけ。
美愛さんは進学せず、就職を考えているようだ。
「やっく~ん、どこか紹介して?」
そう言われても僕は高校1年生だ。
紹介出来たとしても、光さんに口を聞くだけだしその会社は不動産。
美愛さんの希望は飲食店なのだから、やはり紹介出来る就職先はない。
そして、カラオケボックスの中で約1時間半が経過した。
この時間は、ファンクラブの人が羨む状況だろう。
前回に引き続き、美愛さんの綺麗な歌声を独占して聴いていることもそうだが、1曲歌い終わる毎に隣へ腰を落とし、手を繋ぎ、指を絡ませ、肩に頭を寄せ、繋いでいないもう片方の手で、次に歌う曲を選びリモコン操作する。
確かに腕を組んでいないが、これだけ密着していたら当たる。
だから無心に、今回も美愛さんの可愛いおねだりで注文したポテトフライや買ってきたパンを、両手が塞がる美愛さんに望まれるまま食べさせてあげた。
そして今度も歌い終え頭を寄せてきた所までは同じ流れだったが、美愛さんの手にリモコンは持たれていない。
その代わり、僕の膝の上に右手を置いてくる。
手の平から膝に伝わって来る美愛さんの体温。
美愛さんにこんなことされたら、思春期の男の子はイチコロだろう。
「ねぇ、やっくん? 鈴ちゃんから聞いたけど、どうして私の騎士を断ったの?」
「僕が答えなくても、美愛さんなら分かるんじゃないですか?」
「え~? 分かんないよ……まぁ、別に騎士とかどうでもいいけどさっ!」
多分……ここからだ。ここが分岐点となる。
「私はやっくんと、こうやって……くっついているだけで嬉しいからねっ」
「美愛さんが嬉しいと思えているなら僕も嬉しいです。もしかしたら、幸せなことかもしれませんね」
「ははっ! 私たち相思相愛だね? 私は……やっくんと、一緒にいれて幸せだよ」
自分で言うのもなんだが。
僕たちはとても良好な関係を築けている先輩後輩の仲だと思う。
お世話になった人。
大切な人の1人。そう思っていることは間違いない。
でも、この関係がこれ以上になることはない。
美愛さんは自身の武器を理解し、ふんだんに利用してさらに体を寄せ上目使いで僕の目を見てくる。
これ以上縮まらない距離にいるのにだ――。
「僕は、好きな人とこんな風に身を寄せ合ったり、どこかに出かけたり、家でゆっくりしたり、次に会う約束をしたり、普段のなんでもない話をしたり、笑い合っている瞬間に幸せを感じます。他にもたくさんありますけど、美愛さんの幸せだと感じる瞬間ってどんな時ですか?」
「え~、なんだろ? やっくんが言ったようなこともそうだけど~……思い出を共有出来る時とか? あっ! ご飯食べて『美味しいね』って言い合う時もそうかも!」
合わせていた視線を外し、前を見ている。
ディスプレイでなくさらにその先。
ゲームセンターでも見せた少し遠くを見る目。
きっと、僕じゃない誰かを思い出しているのだろう。
「――ってことは! やっくんは今私とこうやって身を寄せ合っていて幸せに思っているってことが言いたいんだ?」
年下の男を揶揄うような、どこかお姉さん的な表情を見せている。
「そう思います?」
「照れ隠しとか、いいよ別に! ね、正直に? あとさぁー、いい加減に頷いたら? 私たち……相思相愛なんだからさ! もう、付き合っちゃおうよ? 私、なんでもしてあげるよ? 私の肌はちょっと人より敏感でね、やっくんは気を付けてくれているけど……年相応に私の胸に興味を示しているスケベなことだって気付いているからね? だから、エッチなことでもね。いいよ、やっくんなら。その、私はやっくんのことが大好きだから」
恥ずかしい。
思わぬ被弾を食らってしまった。
だが今は恥ずかしがっている場合じゃない。
確かめなければならない。
「ちょっと、すみません」
美愛さんと繋いでいる手を解く。
自由になったその右手で、許可も取らずに美愛さんの頭を撫でてみる。
距離が近すぎたせいで、撫でにくく、少しぎこちなくなってしまった。
「えっと、どうしたの? あと勝手に手離さないでよっ!」
不満を言うのと同時に僕の右手を取り再度密着してくる。
どうして頭を撫でたのかと美愛さんが疑問に思うのも仕方ないと思う。
でも、僕は確かめたかったのだ。
電話口で何度も美愛さんに『大好き』と言われた。
けれど実際に顔を合わせて『大好き』と言われたのは今日が初めてとなる。
美愛さんは年上だから余裕があるからなのかもしれない。
急に撫でた僕に対しても、そのことに怒ったりせず優しげな笑顔を向けてくれていた。
だけどその優しげな表情は――。
やっぱり――――。
頬を紅潮させたりせず、目に水を溜めたりもしていない。
頭を撫でたことで見せてくれた、キョトンとしている表情は可愛い。
でもそれだけだ。
幸せそうになど、どう頑張っても見えないし、まばゆい笑顔を浮かべる訳でもない。
美海が僕にするような、
僕を知りたいと全面に押し出すような質問だってしてこない。
それはつまり、僕に興味を示していないという証拠でもある。
このことから分かることは、美愛さんは僕に対して一切。
好きな人に向ける乙女の表情を見せていないということだ。
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