第154話 奇跡は生半可な覚悟では起こせない
ホームルーム終了後は全校集会。
前期終業式の時とは違い、山鹿さんがよろけることもなく、ましてや隣り合うこともなく何事もないまま終了となった。
次に授業についてだが、秋休み呆けのせいかクラス全体が授業に集中出来ていないように感じた。
居眠りやよそ見をする生徒も多数いたが、各教科の先生方は何か注意したりすることはなかった。
初日と言うことで見逃してくれたのかもしれない。
どこか緩い空気のまま午前が過ぎて行き昼休みとなる。
今日は月曜日だからAクラスで僕と幸介、美波、国井さんの4人で集まり、お昼を食べる日となっている。
明日の火曜日は同じメンバーでBクラスに集まり昼食を取る。
バス旅行前から始まり今なお継続される昼休みを過ごすルーティンでもあり、水曜と木曜は書道部5人で秘密基地に集まり、部室でお昼を取る。
金曜日は基本僕と幸介の2人だが、稀に順平や、伸二に晴翔、幸介の友達が混ざる日もある。
「むぅっ――!!」
「は、は……わわっ、はわわわっ、みみさま……てぇてぇ………………」
「ごめんね美波。今度埋め合わせするから許して」
お弁当を食べ終え、残された昼休みの時間は30分ほど。
普段ならこのまま4人で会話を楽しむのだけれど。
用事があると言って、僕が退席することを告げたから美波がいじけてしまった。
国井さんが取り乱す姿は、最初のころは心配したが、今では慣れたもので『いつものこと』と思えてしまう。
むしろ今日は鼻血が出ていないから、ましな方だ。
慣れや判断材料に対して複雑に思いつつも割り切って放置することを決めて、美波の頭を撫でてから、幸介に『あとよろしく』とだけ伝え教室を出る。
向かう目的地は保健室。
理由は月美さんに返事をしなければならないからだ。
秋休みで考えるように言われていたが考えなどまとまっていない。
美愛さんの事も含めれば、大きくなってしまっている。
前回のことを考えれば、僕の状況など把握しているのだろう。
本当に怖い人だ。
普段は机やベッドの上をあんなに散らかす、だらしのない人なのに。
たまに見せてくる真面目な表情に魅せられてしまうこともある。
真面目な表情を作る時は決まって『味方です』と言っていたな。
こんなに悩まされているのに、何が味方ですと言いたくなってしまう。
今からする返事次第では、味方どころか敵にだってなりかねない。
「……嫌だな」
気を使わず適当に過ごせるあの人が作る緩いあの空間に。
いつの間にか、悪くない時間――いや、好きな時間にもなっていたのかもしれない。
だから、月美さんと敵対したくないと考えてしまった――。
2年生の教室が並ぶ廊下を通り過ぎ辿り着いた保健室の前。
通常ならレアキャラの月美さんがいるかは分からない。
だが扉をノックすれば返事が戻ってくると確信している。
保健室に踏み入ってしまえば、決別することになるのだろう。
だから躊躇してしまう。
気付かず俯いてしまった顔を上へ戻すと『五色沼巴』と書かれたプレートが目に留まる。
始まりは体育の授業で転んだことだ。
鼻血の赤さに驚かれ、でたらめな体温を言われ驚かされた。
今思い返すと、その時にも味方ですと言われたな。
バス予行前にあった2週間、よくベッドを借りて休ませてもらった。
休んでいたため会話自体は少なかったが、今にして思えば、あの時間に助けられていたのだろう。
お礼にバス旅行のお土産を渡した時は、初めてツインテールを見たな。
幼くも見えてしまうが、綺麗な黒髪をした月美さんにはよく似合っている。
今ではトレードマークのようにもなっている。
けど、椅子の上に乗ってグルグル回る姿は台風のようにも思えた。
何を考えているのか分からない人だよな、本当に。
分からないついでに思い出したが、そう言えば腐れ花だとか勝ちたいかどうかも言っていた。
あれは……騎士についての話が出た時だな……。
あの頭のいい人は、あの場面で意味のないことを言うだろうか。
訳の分からない冗談だと思っていたことでも、それは僕が理解出来ないだけだったのではないだろうか。
「よく思い返すです――」
前回の月美さんが最後に言った言葉だ。
プレートを見たことで、偶然にも思い返すことが出来た。
あの人はいつから『味方です』と言っていただろうか。
前回、それに初対面の時――いや、会う度に言っていた。
しつこいくらいにだ。
お土産を渡した時に言った『勝ちたいです?』。
もしかしたら、あの人はあの時点で僕と本宮先輩が争うことを予見していたのではないだろうか。
体育祭2日目、本宮先輩に呼び出された。そして退出する前、僕が言ったことに対して本宮先輩は『怖い女だ』と言った。
「つまり――」
これは僕が月美さんと敵対したくない。
そう考えているからこその、自分都合な希望的憶測にもなるかもしれない。
ずっと頭にかかっていた
そこに光明が差し込んだようにも思えた――。
扉をノックして返事を待つ。
『どうぞです』の返事が戻ってから扉を開き保健室へ足を踏み入れる。
いつも閉まっている月美さん専用ベッドのカーテンは開いていたが、ベッドの上に姿は見えない。
不在ということではない。
初めて会った時と同じように、デスクに備え付けられた丸椅子に座りこちらを見ていた。
僕が来るのを予期して、起きて待っていたのかもしれない。
「千代くんです。こんにちはです。鼻血平気です?」
「月美さん、こんにちは。鼻血はあの時1回だけですから変なイメージを植え付けないでください」
「私のです。裸見たらです。出る、です?」
「そうですね、もしかしたら出るかもしれませんね」
アイスブレイク――。
本題に入る前にする軽い挨拶のような冗談のようなやり取りだ。
「――って、本気にしないでください。女性の裸を見たくらいで鼻血は出ませんから。それは都市伝説とか迷信みたいなものです」
反省しなければ、この人に冗談を言ってはならないと。
「ベッド行くです。鍵閉めるです? 裸見せるです。千代くんならいいです。優しく……してほしいです」
ノータイムで『シュルッ』とネクタイが解かれる。
理由は分からないが官能的な音に聞こえてしまう。
いやいや、そうじゃない。
そんな感想など抱いていられない。
どうしてこんな可笑しな流れになる。急展開が過ぎる。
まだ昼だぞ……だからそうじゃない。
一刻も早く、1秒でも早く――止めなければならない。
どうしたら止まる?
この人には普通に言っても駄目かもしれない。
一層のこと褒めた方が止まるか?
駄目だ、悩んでいる時間はない。
次々と――シャツのボタンが外されていっている。
「月美さん、今日は白衣じゃないんですね? 制服、似合っているじゃないですか。綺麗ですよ。だから脱がずにそのままでいてほしいです」
「そうです? 着たままがいいです? マニアックです。でもです。ありがとうです」
ただ脱がないでほしいだけなのに上手く伝わらない。
変な風に捉えられてしまった。どうしてそんな風に捉えてしまうのか……。
けれど、望まない脱衣行動を止めることは出来たから結果オーライかもしれない。
「ほら、月美さん。風邪ひきますよ? 身体弱いって言っていたんですから、ボタンを閉めて、ちゃんとブレザーも着てください」
「千代くん、やるです」
着させてもらえるのが当然のように、両手を広げ、胸を突き出してくる。
「早くするです」
いろいろと目の毒だが、この状況を誰かに見られたら誤解されてしまうから仕方ない。
誰かが保健室に来る前に、乱れた服を整えさせてもらおう。
「……ジッとして動かず大人しくしていて下さい」
「はいです」
意識しないように、触れないように気を付けながらボタンを掛けていく。
役に立つ場面など考えた事すらなかったけど、美波で慣らされているから問題なく着衣が進んで行く。
「遠慮しなくていいです? 見ていいです? 触るです?」
「月美さん、あなたは慎みを持ってください」
これは油断だったのだろう。
「失礼しま、す………………ベッド、借りますね――」
「どうぞです。千代くん、続きするです」
「…………」
本当は鍵を閉めようと考えた。
けれど逆に怪しまれてしまうと考え直したため閉めなかった。
入室する前はノックがあるはず。
ノック音を聞いてから、月美さんと距離を取れば平気だと考えた。
当然にノックがあると考えた僕の頭が固かったのだろう。
ノックなしで入ってきた女生徒に見られてしまったのだから。
しかもその女生徒は、よりにもよって山鹿さん。
だから僕はただ固まることしか出来なかった――。
――ドンッッッ!!!!
と、前にも聞いた枕を殴るような音。続けて――。
「八千代郡は判断を誤った。正真正銘の屑野郎。絶対に――ってやる」
聞きたくない言葉は耳を塞がせてもらった。
けど塞いでも聞こえてくるのは不思議だ。
それだけ聞き慣れてしまったということなのかもしれない。
つまりすでに『呪い』を受けているのかもしれない。
僕はただ、シャツのボタンを閉めていただけなのに。
でも、他人から見たらそうは見えないかもしれない。
場所は? そう、ベッドだ。
すぐ近くには脱ぎ捨てられたブレザーとネクタイが乱雑に置かれている。
さらに言えば男が女のシャツのボタンに手を掛けている。
言い逃れの出来ない決定的で絶対的な詰んでいる状況。
いくら誤解だと訴えても100パーセントは信じてもらえないかもしれない。
どうしてこうなった。
僕と月美さんの間では似つかわしくない、シリアスな雰囲気になることを予想して保健室まで足を運んだのに。
保健室へ足を踏み入れる前だって、希望は見えたが覚悟もしていた。
僕らには、真面目な会話など似合わないということか。
難しく考えず、正直な思いを伝えてもいいのかもしれない。
諦めとは違うけど、どこか投げやりな思いに駆られてくる。
「千代くん、痛いです。乱暴です。優しくしてほしいです」
言葉選びがいちいち紛らわしいが、無視を決め込む。
「はい、ボタンも閉めました。ネクタイも締めましょうね。ちょっと顎上げてください。あ、目は閉じなくていいですよ――はい、顎下げていいですよ。次はブレザーも着ましょうね。さ、手を伸ばして――そうそう、やれば出来るじゃないですか。はい、もう大丈夫ですね。やっぱりよく似合っていますから、もう勝手に脱がないで下さいね」
指示通り従順に動いてくれるから、寝起きの美波に服を着させるより容易に感じた。
「やっぱりです。千代くんがいいです」
瞬き一つせず、僕の目をジッと見て言ってくる。
「そのことですけど、僕は月美さんの騎士にはなれません。もう少し言えば、気持ちに応えることも出来ません」
「前も言ったです。よく思い返したです?」
「はい、思い返した結果――月美さんには僕の味方になってもらいたいと思いました」
「振ったのにです?」
「月美さんとは敵対したくないんです。これは正真正銘の僕の気持ちです」
「勝手です」
「そうですね、その通りです。けどタダではありません。味方してくれたら誠心誠意お礼させてもらいます」
「考えておくです」
「駄目です。今、返事してください」
「強引です」
「好きですよね? 強引なの。あと、お礼については後払いの成功報酬でお願いしますね。いいですか?」
幼い頃は分からないが、僕が誰かにここまで自分勝手な言い分を要求したことは今までにない。
しかも振った直後の女性に向かって好き勝手言ったのだから、このまま嫌われて拒絶される可能性だってある。
返事を待つ時間は怖いが、月美さんはすぐに返事を戻してくれた。
「千代くん、強引です。でもです。いいです。待つ女です。待つ女はいい女です。尽くす女です。私は千代くんのです。都合のいい女です」
腰に手を当て、胸を張り、どうしてか得意げな表情を見せてきた。
「はいはい。もう何でもいいですよ。ところで3年生の大槻美愛先輩は知っていますよね?」
「酷いです。私を口説いている最中です。他の女です。でもいいです。私は尽くすです。彼女はです――」
月美さんは、まるで用意していたかのように美愛さんについての情報を語ってくれる。
男性不信から始まり、カレーパンが好きなことやカラオケが好きなことなど知っている情報もあったが、現実主義者でロマンチストなどの知らないこともあった。
そして最後に、僕が一番知りたかったことへの答え合わせが出来ることになった。
「――最後です。GReeeeNです。キセキが好きです。スリーサイズです。上から――」
「あ、もういいです。十分です」
「
「どちらも不要です」
山鹿さんのスリーサイズなど聞けるわけない。
常識的に考えてもそうだし、聞けば本気で呪われてしまいそうで怖い。
「じゃあ、そういうことで今後もお願いしますね。身体……大事にしてください。手、冷たくなっていましたよ。無理は禁物ですからね。最後まで協力してもらうんですから。僕はこれで。また連絡します」
手が冷たいだけでなく、顔も青白く見える。
今も無理してくれているのだろう。
「またです。ツンデレです。千代くん、ツンデレです」
最後の言葉は聞かなかったことにして、もう一度だけ『また』と言って退室する。
自分でも自分が嫌になる強引で勝手な希望の押しつけ。
それなのに嫌な顔見せず、最後は笑って呑んでくれた。
まったく――何が『都合のいい女です』なのか。
ずっとヒントをくれていた。
つまり月美さんは最初から僕に手を貸すつもりだったのだ。
どうして面倒なことをしてまで、ここまで味方してくれるか理由は分からない。
『好きだから』だけでは納得出来ない。
僕は月美さんから好意を向けられるようなことをした覚えなどないのだから。
馬鹿正直に信じたりせず疑うことをした方がいいかもしれない。
それなら信用信頼が出来ないかと聞かれたら、答えはノーだ。
あの人のことは信頼できる。
いや、信頼したい。僕がそう思っている。
この間は勝手に裏切られたように感じてしまったが。
信じたいと考え、その結果裏切られたなら仕方がない。
それなら信じてしまおう。
心配なのは、あの場にいた山鹿さん。
今の会話は間違いなく鈴さんと共有されるはず。
真面目で約束は守る律儀な性格をした鈴さんが、期日を前に行動するとは考えられないが、2つの派閥がどう動くのかは心配でもある。
生徒会、風紀委員、ファンクラブ、四姫花、僕。
絡み合ったそれぞれの思惑。
頭の中で紐解きながら、どの結末が一番納得出来るかを考える。
「先ずは――」
風紀委員をなんとかするしかないよな。
今、僕が考えていることはとても傲慢なことだ。
山鹿さんに言われるまでもなく、自分自身で屑野郎だと自覚している。
だが決めたことだ。
だからポケットから携帯を取り出し美愛さんへ返事を戻す――。
(美愛さん)『やっくん、やっくん!!』
(八千代) 『こんにちは、美愛さん。どうかされましたか?』
(美愛さん)『14日の土曜日って時間ある? 会いたいな』
(八千代) 『すみません、遅くなりました。14日大丈夫です』
(美愛さん)『じゃあ、またカラオケ行って密室デートしよう!! バイトの時間まで!』
(八千代) 『今度は持ち込み出来る店にしましょう』
(美愛さん)『ははっ! そうだね! また近くなったら連絡するね?』
(八千代) 『はい、楽しみに待っています』
(美愛さん)『ねぇ……駅で待ち合わせて一緒に行きたいって言ったら嫌?』
(八千代) 『いいですよ。学校の校門前でいいですか?』
(美愛さん)『え、いいの? 手も繋ぎたいな?』
(八千代) 『美愛さんがお望みなら叶えましょう。それとも止めておきます?』
(美愛さん)『止めない! 嫌! 噴水のとこの緑の扉で待ち合わせよ?』
(八千代) 『了解です。楽しみにしています』
(美愛さん)『私も楽しみにしてるね! またね、やっくん!!』
(八千代) 『はい、また』
賽は投げられた。これでもう後戻りはできない。
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