第150話 スケコマシ野郎は事情聴取されるようです

 ひと仕事を終え図書室へ戻って来た女池先生。

 腕章を返却する時に聞かされたが、教頭先生は学校案内に確かな手応えを感じたようで、珍しく上機嫌にお礼を言ってくれたそうだ。


 普段から眉間にしわを寄せている教頭先生にしては、確かに珍しいと思ったが、どちらかと言えば心底興味のない情報だ。


 女池先生としても嬉しくないだろうに。


 言葉にはしなかった僕の内心を証明するかのように、『お礼より手当が欲しいなぁ~』とぼやいていた。


 たとえば、美空さんのような素敵な上司にお礼を言われるなら、それだけで十分なうえ、さらに気力が漲るだろう。


 だが普段から頭ごなしに否定から入る教頭先生にお礼を言われたところで、全く嬉しくない。


 それよりも形として手当てが欲しいと言いたくなる気持ちは理解できる。


「八千代く~ん、頑張ったねぇって、撫でてぇ~」


「撫でません。帰ったら旦那さんに撫でてもらってください」


「いけずぅ~。あ、じゃぁね? 先生がぁ、八千代くんのこと撫でてあげよっかぁ~?」


「それも要りません。セクハラですよ?」


 美空さんや古町先生だったらほんの僅か考えたかもしれないが、女池先生と僕はそこまでの関係性じゃない。


 そもそも生徒と教師の間柄だ。

 余計な誤解を生まないように、適切な距離を保ちたい。


「んはぁ~~、きっびしぃ~~!!」


 埒もあかないしお腹も空いたので、女池先生に別れを告げ図書室をあとにする。


「さて、パン屋に行くか」


 今日は揚げたてのカレーパンを手にすることが出来るだろうか。

 タイミングよく三穂田さんが居てくれるといいけど――。


「いらっしゃいませ……って、郡くんじゃないか。これからお昼? それに今日は学校お休みじゃなかったっけ? なんで制服?」


「休みですが少し図書室に用事があったので制服なんです。今はその帰りで、お腹も空いたから寄ってみました」


 僕がよくお世話になるこのパン屋さんは学校に近いため、僕以外の名花高校生もよく利用している。


 昨日のカラオケで美愛さんも、このお店のパンを買ってきたくらいだからな。

 だから、お得意様である学校のスケジュールを把握していてもおかしくはないのかもしれない。


 学校ホームページを見れば分かるくらいだからな。


「そういうことか。カレーパン揚げたてだけど……この後って時間ある? 俺、今日は変形労働で上がりだから一緒に昼食でもどうかな? いいお店があるから先日のお礼にご馳走させてほしい。咲菜には内緒だけどさ」


 三穂田さんに会えたらと考え立ち寄ったから願ってもないお誘いだ。

 咲菜ちゃんに会いたい気持ちもあるけど今は保育園の時間だろう。


 それに、あの日から時間も経ってしまっているから、僕のことは忘れているかもしれない。


 寂しい気持ちに蓋をして、三穂田さんからのお誘いに了承の返事を戻すと、着替えてくると言ってバックヤードへ姿を消した。


 このまま何も買わずに店を出るのは、どこか引け目を感じてしまうな。


 感じる必要はないのかもしれないが、三穂田さんを待つ間に店内を見て回る。

 スーパーとかで購入するより値が張るから見送っていたが、いい機会と考えて以前から気になっていた食パンを購入してみた。


 どれくらい味が変わるのか楽しみだな。

 美味しかったら、今度美波にも食べさせてあげよう。


 食パンを頬張る美波の顔を想像しながら店の外に出て、三穂田さんから指定された裏口の方へ移動する。


 3分ほどで『お疲れ様でした』と声が聞こえて、三穂田さんが出て来た。


「お待たせ。すぐ近くだから歩いて向かうけど平気? つか、食パン買ったんだ?」


「ええ、徒歩で大丈夫です。実は前から食パンも気になっていたので、微力ながら三穂田さんのために売り上げへ貢献させて頂きました」


「なら、このまま向かうか。それと貢献してくれて、どうもありがとう。歩合が出たらなお嬉しかったんだけどな」


「パン屋で歩合って聞かないですよね。でも、歩合が出たらパンの値段が上がってしまいそうですよね。そうすると学生の身分では手が出せなくなりそうです」


 こうは言ったが、ここのカレーパンは多少高くても購入してしまいそうだ。

 きっと僕以外にも同じ人はいるだろう。


「大切な常連様を失う訳にはいかないから、歩合は諦めるとするか」


「その分、宣伝は任せてください」


 三穂田さんは任せたぞと言って軽く肩を叩いてくるが、五十嵐さんとは比にならないほど優しい衝撃だ。


「郡くんさ、今度また咲菜に会ってくれない? あれから毎日のように『うりおにいちゃんにあいたい』って、せがんできて困っているんだ」


 咲菜ちゃんに忘れられていると考えたばかりだから嬉しくなってしまう。


「僕からお願いして会いたいくらいですから、喜んで会わせてもらいます」


「はははっ、それならよかった。まあ……男として咲菜の責任を取ってくれるなら、歳の差があったとしても、お父さんは君と咲菜の仲を応援するよ。任せたぞ?」


 荷が重いと言えば咲菜ちゃんに問題があると捉えられる可能性があるし、僕には勿体ないと言えば、僕を好いてくれる人を落とす発言となるから返答に悩むな。


「残念ながら咲菜ちゃんの運命の相手は僕じゃないですよ」


「そこが良い所なのかもしれないけど、郡くんは真面目だよな。ところでカレーパンが好きってことはカレーも好きだよな?」


「ええ、よく真面目だって言われます。それとカレーも好きですね」


 加えて言うならば頭が固くて面倒な性格とも言われるけど、わざわざ補足する必要もないし、話を変えて来たなら乗るだけだ。


 カレーが特別大好物という訳ではないけど、好きなことは間違いない。

 けど、どこのカレーが好きかと聞かれたら間違いなく以前勤めていた『ヴァ・ボーレ』のカレーと答える。


 本来はメニューにカレーは載っていない。

 始まりは里店長のカレー好きが高じて従業員に賄いとして振舞ったことらしい。


 従業員からその話を聞いた常連客が興味を示し、味見させたら『美味い!!』と大興奮した結果、知る人が知る裏メニューとして取り扱う事になったと。


 定番化して欲しいという声もあるが、レシピもなく、その日の天気や材料、気分でスパイスの配合が変わるため里店長しか作れないのだ。


 そのため、日によっては提供できないし、時間によっては完売している可能性も高い。


 美味しいことはもちろんだが、そう言った理由でも人気に拍車をかけているのかもしれない。


「今から連れて行くお店は本来イタリアンフレンチがメインだけど、俺としてはそれよりも裏メニューとしてあるカレーが絶品だと思ってる!! だから絶対に郡くんも気に入ると思うんだ」


「それは……楽しみです」


 なるほど、予想が正しければ間違いなく気に入るだろう。


 今の説明だけでも分かったが、店も目の前にみえているし、三穂田さんが目的地としているお店は『ヴァ・ボーレ』で間違いないだろう。


 出勤時間は聞かなかったが、確か今日は美愛さんもシフトに入っているって言っていたよな。


 今、三穂田さんと2人でいる所で、美愛さんと会うのは気まずいし夕方からの出勤だといいけど。

 そもそも、関係性について何て言い訳したらいいかも悩んでしまう。


 昨晩、巡り合わせについて考えた。

 けれど何も急にこんな力強い引力を発生させなくてもいいと思う。

 そして僕が悩んでいる間で、三穂田さんの手によって扉が開かれてしまった。


「いらっしゃいま、せ――――」


「やあ、美愛。彼にカレーをご馳走したいんだけど、まだ大丈夫かな?」


 美愛さんを呼び捨てにしたことで、少し離れた位置から鈴さんが僕を睨んでくる。

 でも呼び捨てにした人は僕じゃありません、濡れ衣です。


 え、知ってる? じゃあ、何ですか?


 最近、目で会話すること多いなと感じつつ鈴さんとやり取りしている横で、三穂田さんは反応が鈍い美愛さんに向かって『美愛、大丈夫?』と、再度声を掛けている。


 その美愛さんはと言うと、三穂田さんと僕の顔を交互に見ている。

 何度か往復させたことで冷静さを取り戻したのか、ようやく返事が戻って来た。


むぎちゃん、いらっしゃい。カレーは大丈夫だから、さとちゃんにお願いしておくね。でもさ~、やっくん? あれ…………やっくんの下の名前ってなんだっけか?」


こうりです。八千代やちよこうり


「八千代? 郡? こうり? んー……なるほど、なるほど。そういうことか!! 咲菜ちゃんを懐かせて『うりお兄ちゃん』と呼ばせる名花高校にいる謎のスケコマシ野郎は、なるほどね~、やっくんだったという訳か!! どこのどいつかと探していたけど、ようやく見つけられたよ。灯台下暗しってこのことか!」


 その言い方では、僕が無理矢理『うりお兄ちゃん』と呼ばせているように聞こえる。


 咲菜ちゃんに会った時、そう呼んで欲しいとは頼んだけど言い訳と言うか訂正をさせてもらいたい。


「……美愛さん、いろいろと誤った情報だと思いますが?」


「もしかして美愛と郡くんは仲いいの? 学校が同じだから、もしかしたら顔見知りではあるかと考えていたけど……美愛のことだから関わり合いがないとも思っていたんだけど?」


「麦ちゃん、あのね――前に麦ちゃんにも話した不器用で可愛い弟みたいな後輩が彼なの! いろいろ話したいことや聞きたいこともあるけど、とりあえず今は席まで案内するよ」


 席まで案内した美愛さんは三穂田さんへ親しみのある柔和な笑顔を向け、僕には細めた目を向けて来た。


 そして『やっくんは後で事情聴取だから』と言ってから去って行く。

 別に悪いことなどしていないのだけれど。


 声にすることの出来ない言い訳を内心で呟きながら、どこかプリプリと怒る美愛さんの後ろ姿を見送ってから着席することになった。

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