第149話 後輩女子に会いたくなかったと言われました
名花高校では委員会の人数に不足がなければ加入する必要がないと、入学して間もない頃に古町先生から説明を受けていた。
委員会活動など面倒以外の何物でもないため、自ら進んで加入しようとは考えなかった。
けれど中学3年生の時、学校見学へ来たさい図書室の蔵書量に感動を覚えていたと記憶しており、そのため図書委員会だけには興味があった。
もしも、早くにアルバイトとして採用してもらえなければ、図書委員会に立候補していたかもしれない――。
そして今日はお留守番の日。
美海がいないことは残念だけど、ほんの少しだけ楽しみな気分を抱きながら図書室へ赴いた。
普段はゆったりした服装を着ており、柔らかな印象を纏う
「女池先生、おはようございます」
「あっ、八千代く~んおはよぉ~! 今日はありがとねぇ~。あとあとぉ、はい! コレつけてねぇ~」
柔らかな笑顔と砕けた口調が戻って来たことで、硬い印象など朝の挨拶を交わすことで霧散した。
だが、普段の女池先生らしい雰囲気にどこか安心感を覚えてしまうから不思議だ。
四姫花に選ばれるだけの人は、人とは違う魅力を持っている人が多い。
人に落ち着きを与える柔らかな空気が女池先生の魅力なのかもしれない。
「腕章ですか?」
図書委員と書かれた腕章なことは見て分かるが、意味もなく、つい聞き返してしまった。
「臨時だけどぉ~、つけておいてねぇ~……」
受け取った腕章をその場で装着する。
それから女池先生へ視線を戻すと、僕の後ろの方へ視線を送り誰かを探すようなそぶりを見せていた。
おそらく美海の姿を探しているのだろう。
「美海は急用が入ってしまったため来ませんよ。頼まれていたのは僕だけですから問題ないですよね?」
問題があると言われたとしても、どうしようもないから困ってしまうけど、言った通り頼まれたのは僕だけだから大丈夫だろう。
「問題大アリよぉ~!!」
さて困ったぞ、どうしたものか。
いや、決まっている。
勝手に判断を下したのは僕なのだから素直に謝るしかない。
そう考えて、謝罪の言葉を口にしようとするも謝罪など必要がなかった。
「だってぇ~、2人のイチャイチャする姿を~、もっと見たかったのにぃ~!!」
「残念でしたね」
本当に残念だ。
僕だって美海と2人で静かに読書する時間を楽しみたかった。
最後まで悔しがる女池先生を見送り、カウンターに腰を下ろす。
そして、昨夜アルバイト終了後、美海と美空さんを自宅まで送り届けたさい、美海から借りたお勧めの本をカバンから取り出す。
本を読み進めつつ、図書室に来た生徒へ会釈をする。
静かな時間が過ぎて行き、三分の二ほど読み進めたところで一度本を閉じる。
同じ体勢でいたから、肩や首が凝ったのだ。
伸びをするため立ち上がり、身体を伸ばしていると、ふと右腕につけた腕章が気になった。
僕は右利きだから、着けるならば左腕の方が着けやすい。
それなのに、逆の右腕に着けてしまっている。
どうしてだろうかと考えるが、すぐに答えに見当が付いてしまう。
僕の左側には美海が座ると当然に考えてしまったのだろう。
左腕に着けてしまうと左側には美海がいるため、他所から腕章が見えにくくなってしまう。
美海がいないというのに、無意識に取った行動で思わず苦笑してしまいそうになる。
きっと、荷物を持つ時や椅子に座る時など、普段の行動や仕草が癖になってしまっているのだ。
自覚してしまったせいか、今度は無性に寂しさを覚えてしまう。
美海と仲良くなってから、寂しいと感じることが増えたかもしれないな。
本来なら、寂しいという感情はマイナスなことかもしれない。
けれど、どうしてか悪くないとも思っている。
簡単だ、美海が教えてくれた感情だからだろう。
「(会いたくなったな)」
自問自答した結果、無性に会いたくなった。
それがボソッと声にも出てしまった。
考えれば考えるほど会いたい気持ちが強くなってしまう。
声だって聞きたくなってしまう。
でも美海はアルバイトに勤しんでいるから、電話することなど出来ない。
そもそも僕だって今は図書室から離れることが出来ない。
与えられた仕事はこなさないとだよな――。
気持ちを切り替えてから着席して時間を確認する。
時刻は11時を過ぎたところ。
女池先生と約束した時間は9時から昼過ぎまで。
つまり残り1時間ほどでお留守番が終了となる。
1時間もあれば、最後まで読むことも出来るだろう。
続きも気になるし、栞で閉じたページを開こうとするが、廊下から話し声が聞こえてきた。
扉の小窓から見えた姿は、教頭先生や古町先生を含む1年生を担当する教員4名。
その後ろに続くように、学校を見学している中学生の子たち。
どれくらい人数がいるかは、壁が視界を遮るせいで確認できない。
女池先生の姿も見えないが、おそらく最後尾かどこかに紛れているのだろう。
そして今は体育館で行われていた全体説明が終わり、校内見学を希望した子たちに案内して回っているのだろう。
ただ、1年前の記憶が正しければ僕らの時は教員が1人だけだったはずだけど――。
単なる予想となるが、前期末試験で報酬を出したりするくらいだし、優秀な子を集めたり定員割れを防ぐために学校がしている努力の形なのかもしれない。
そのことに対して特別に羨ましいとは思わないが、今年は随分豪勢と感じる。
それにしても、もう1年前なのか。
もしもあの時に戻れたとして、僕が美海へ声を掛けていたらどうなるだろうか。
決まっている、何も知らない美海に声など掛けたら軟派野郎と思われてしまい、今のような関係を築けなかっただろう。
そう考えると、6月の終わりに学生証を落としたことが一番いい出会いだったのかもしれない――。
図書室へは入らず扉の前で固まっていた見学会ご一行へ、カウンターから視線を送りつつ、あり得ないもしものことや懐かしい記憶を思い返していたが、図書室の扉が開き、教頭先生を先頭に見学会ご一行が、ようやく入室して来た。
緊張した様子が余計にそう見させるのかもしれないが、まだ中学生だから男の子も女の子もあどけない顔をしているし初々しくも見える。
ただ、あまり見ていても感じの悪い先輩として映ってしまうだろうから、本の続きを読むとする。
中学生たちから本へ視線を移そうとするが、またしても本を開く手が止まってしまう。
最後に入室してきた女子7人組。
異様な雰囲気を持った人物たちの中に見知った顔があったのだ。
一緒にいる他の4人も同じ制服を着ているということは、開成女学園の同級生なのかもしれないが、どうしてわざわざ名花高校に来たのかと疑問を感じる。
中学3年生なのだから、学校見学に来ていてもおかしくはないのだろう。
ただ、開成女学園は確かエスカレーター式の学校と記憶している。
だから疑問に思ったのだ。
幸介は何も言っていなかったけど――。
告げ口のようで気が引けるけど、前に千恵さんは早百美ちゃんには高校でも開女に進んでもらいたいと言っていたし、一応知らせておこうか。
僕の意表を突く形で現れた早百美ちゃんたちから外せなくなった視線を、今度こそ本へ移そうとするも、またもや外せなくなってしまった。
まるで告げ口することがバレてしまったかのように、7人全員が僕へ視線を向けて来たのだ。
一瞬だけ、どこかバツが悪そうな表情をした赤木さんと魅恋ちゃん。
珍しく僕へ笑顔を向けてくれる早百美ちゃん。
相変わらず人目惹く顔立ちに、説明の難しい人を惹きつける雰囲気を放っている。
柔和な表情を他者へ向けるだけで、男女問わず瞬時に
そんな早百美ちゃんだったが、僕と目が合うと徐々に嫌悪感丸出しの表情へと変わっていった。
つまり僕とは気付いていなかったから、笑顔を向けてくれていたということか。
僕が何か嫌われることをしてしまったことは間違いないのだろう。
だが、見て分かるほど嫌悪感丸出しの表情を向けられる理由は今でも分からない。
一度だけストレートに謝ったことがあるが、余計に怒らせてしまう結果となった。
それなら関わらない方がいいか。
そう考え挨拶を止めたら、さらに怒らせることになった。
一体どうしたらいのかと幸介に相談もしたが、早百美ちゃんは実の兄である幸介にでさえ理由を語ってくれない。
つまりお手上げ状態でもある。
仲良くとは言わないが、幸介の妹だから『いつか』関係の修復に努めたい。
その『いつか』と先延ばしにしていたが、いい加減向き合った方がいいかもしれない。
すでに僕から視線を外している7人は、上機嫌な様子をした教頭先生に案内されるまま図書室の奥の方へと行き、カウンターから姿が見えなくなった。
今は古町先生1人だけがこの場に残っており、そのまま僕へ声を掛けてきた。
「こんにちは、八千代君」
「古町先生、こんにちは。去年よりも大所帯ですね」
「理由があるのです。開成女学園で勤める知人からもたらされた――というよりも、クレームを受けたことで知れた情報なのですが――」
珍しく苦笑いを浮かべている古町先生。クレームを受けた時のことを思い出しているのかもしれない。
「【名門】開成女学園中等部在学の生徒。その上、学力上位7人が見学に来ると決まったため、教頭先生を主軸とした見学会が決まったのです。万全を期すため、本来、案内する予定のなかった初代四姫花でもある
「いえ、特に予定はありませんでしたし、女池先生にもお世話になっておりますので。それに、ただゆっくり本を読んでいるだけですから大したことありません」
つまり上位7人が他校へ移ってしまう可能性が出たため、知人である古町先生へクレームが入ったというわけか。
古町先生が悪い訳でもないだろうし、八つ当たりもいいところだろう。
それに昨年よりも豪勢な理由も分かったな。
偏差値の高い名門中学校の上位7人が来るかもしれない。
だから教頭先生は気合を入れているのだろう。
「八千代君でしたら、そう言って頂けると考えておりました。許しを得た直後に図々しくもありますが、ひとつ伺ってもよろしいですか?」
「お気になさらず聞いてください」
古町先生からの問いに僕が拒否する権利などないに等しいだろう。
「7人全員が学力だけでなく人目を惹く容姿です。本日見学に来ていた他校の子たちの間でも、すでに噂になるくらいでした。注目を浴びる7人全員が、今度は八千代君へ注視していたように見えましたが、お知り合いなのでしょうか?」
見られていた理由を問われれば、僕も分からないと答えるしかなかった。
だが、知り合いかと問われたら肯定することになる。
「特別目立っていた1人は幸介の妹です。その関係で他にも2人ほど顔見知りとなっています。けれど残りの4人に関しては覚えがありません」
「同じ姓でしたし、どことなく
――来年、荒れるかもしれませんね。
と、最後は独り言のように呟いた。
理由を聞きたかったが、古町先生が教頭先生に呼ばれてしまったため、言い残す形で去って行き、そのまま図書室の見学も終わり、見学会ご一行は図書室を退出して行く。
だが退出してすぐ、僕のいるカウンターまで2人が後戻りして声を掛けてきた。
「こんにちは!! 八千代郡さん!! 本当によく会えますね!! でも……今日はちょっと会いたくなかったです!!」
「八千代郡さん。こうして、またお会いすることが叶ったことに嬉しく思いますが……これも運命の悪戯なのかもしれませんね」
「赤木さんに魅恋ちゃん、こんにちは。2人も見学に来ていたんだね? 歓迎するよ。でもその前にお願いがひとつ。他の生徒も図書室を利用しているから、声はもう少し抑えてほしいな」
赤木さんが言った『会いたくなかった』という言葉は気になるが、今の声量で話されたら迷惑となってしまうため、注意を先決する。
「失礼しましたッ。せっかくなので八千代郡さんにお願いがありますッ」
「申し訳ありません。八千代郡さんにお会いできた嬉しさから、つい……はしたなかったですね。お恥ずかしいです」
賑やかなのは赤木さんだけで、魅恋ちゃんは最初から声を抑えてくれている。
お淑やかな、淑女といった言葉が似合うかもしれない。
問題の赤木さんは、忠告を守るため頑張ってはいるがまだ少し声が大きい。
だから返事と一緒に、もう少し静かにねの意味を込めて人差し指で『シーッ』と、ジェスチャーを見せておく。
「来年から八千代郡さんを八千代郡先輩と呼ばせてもらっていいですか?」
「わたくしも親しみを込めて呼ばせて頂きたく思います」
「2人は開女から敢えて名花高校を選ぶってこと?」
開成女学園はよほど問題がない限りそのまま高等部へ進学となる。
よほど問題がある生徒は、よその学校に移ったりするが上位7人と聞いたばかりだからその可能性は排除する。
「はい。私と魅恋ちゃんは八千代郡先輩のいる名花高校へ進みます。それで、いいですか?」
魅恋ちゃんは賛同するように頷くだけに抑え言葉を発しない。
でも2人ということは、早百美ちゃんを含め残りの5人は付き添いということになるのかもしれないな。
「1年生として入学してくるなら僕が許可しなくとも先輩後輩になる訳だし、いいんじゃない? それより、みんな先へ進んでいるけど平気?」
僕がそう返事を戻すと、軽くお辞儀してから背を向けて追いかけ始めて行く。
スリッパから上履きへ履き替え、図書室を出た扉の前で振り返り赤木さんが言った。
「八千代郡先輩! へへっ……ようやくです。ようやく同じ学校に通えるのですね。待ち遠しいです。また会いましょうね、先輩!!」
今までにないくらい無邪気な笑顔で言い放った。
そして赤木さんらしくない、別人のように丁寧で綺麗なお辞儀を見せ去って行った。
僕を慕っているように見えたが、僕は靴を7回も隠されている。
どういう意図を持っているのか分からないせいか、最後に見せた無邪気な笑顔もどこか恐ろしくも感じた。
最近は、なんだろうか。
良いことなのか悪いことなのか判断が難しいけど、人間関係のことで頭を悩ませる時間が増えた気がするな。
考えたところで今はどうすることも出来ない。
ひと先ず気持ちを切り替えて幸介にメッセージだけ送り、今度こそ読書の続きをすることに。
美海から借りた本は、男女の入れ替わりや時空の飛び越えが絡み合った『あなたの名は』というタイトルの本だ。
残りのページからは起承転結の『結』となる。
そのため本の世界へ没頭してしまい、あっと言う間にお昼を過ぎる時間となる。
読み終えた本を閉じ、余韻に浸ろうとするが案内を終えた女池先生が戻って来たことで、余韻に浸るのはまたの機会となり、臨時となった図書委員会の仕事が終了となった。
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