第143話 久しぶりにダテ眼鏡を取り出しました

 僕はどちらかと言うと騒がしいことは苦手だ。

 クロコと過ごす静けさが、僕にとっては落ち着く空間だった。


 美波と莉子さんのお迎えが来て2人が帰宅したあと、美海を自宅へ送り届けてマンションへ戻ると、部屋が広く、そしてとても静かな空間に思えた。


 普段と何も変わらない筈なのに。


 きっと、そう感じたのは賑やかだった反動のせいだろう。

 つまり僕は寂しいと感じていたということだ。


 寂しい思いを感じ取ってくれたのか、夜はクロコが一晩中寄り添い寝てくれていた。


 本当に頼りになる姉に感謝したい。

 クロコは僕がどれだけ駄目駄目な奴でも、いつも一緒に居てくれて、誰よりも付き合いの長い大切な家族。


 今でもなんとなく会話が出来ているような気はするけど、もっとしっかり意思疎通が出来るなら、クロコに話したいことは山ほどある。


 喋ることはそこまで得意でないから、きっとクロコがお姉ちゃん風を吹かせて僕をリードして聞き出してくれるだろう。


 本当に頼れるお姉ちゃんだ。


 意識は半覚醒。目は瞑ったまま。


 だけど右手でクロコを撫でると『ゴロゴロ』と喉を鳴らす音が聞こえてくる。

 僕を起こさないということは、まだ起きる時間ではないということ。


 今日のランニングは中止。

 昨夜から雨が降っているからな。天気予報でも夕方まで雨だと言っていた。


 天気予報を見ていたから、莉子さんともすでに中止と話が付いていると言う訳だ。

 だから今日の目覚ましは7時にセットしてある。


 いつだって5時50分には起きているから、いつぶりなるのか分からないくらいのお寝坊さんだ。


 あ、なんとなく美海っぽくなったな。


 美海はもう起きているかな。

 働き者な美海のことだ。

 きっと、今日もしっかり起きているだろう。


 僕も起きた方がいいのかもしれないけど、美海に『もっと睡眠を取らないとダメだよ!』と、言われてしまったからな。


 溜まっている未読の本や遅れている資格の勉強を夜遅くまで消化しているから寝不足気味だったのだ。


 一昨日の夜も、美海たちが和室に入った後に資格の勉強をしていたら、手洗いに起きて来た美海に見つかり、目の下に出来た隈をジッと見られ、笑顔でこう言われた。


 ――こう君は私の笑顔じゃ寝られなくなったのかな?

 と。


 それに対して、深夜テンションもあったのか僕は反省を見せない返事を戻した。


「怒った顔も可愛い」


 深夜テンションと言ったけれど、本音で言ったのは間違いない。

 けれど当然にもっと怒られることになった。


「ん、揶揄ったら、めっ!!」


 こんなに可愛く怒られるならもっと怒られても構わないかもしれない。


 そう考えもしたが、照れた美海を見られただけでも充分満足出来たので、後は大人しくベッドに入った。


 読書も勉強も何とかなるくらいには追いついたし、何より美海からストップと言われたのだ。今日からは睡眠時間をしっかり確保することにしたということだ。


 僕は夢を覚えていることは出来ないからな、夢うつつ……とは、少し違うかもしれないけど、夢うつつ状態でそんなことを考えていると、不意に右手指先の痛覚が刺激された。


「いたい」


 痛みの原因はクロコに甘噛みされたからだ。

 つまり『もう止めろ』と。


 されるがまま撫でさせてくれるから、背中やお尻、頭やあごの下、さらには脇の下と撫でくりまわしていたが、さすがに調子に乗り過ぎてしまった。


 さらに時間になったのか、右脇から胸の上に乗ってひと鳴き。


「ナァ~」


「おはよう。今日もありがとう、クロコ。あとごめんね」


「ナァ~」


 ――いいよ、許す。

 と、言ってくれたように聞こえた。


 僕の手の平にザラッとした感触が伝わったからだ。

 いつもなら枕の上に乗りもうひと眠り始めるが、クロコにとっては今の時間が普段の起床時間であるから、枕には乗らず僕よりも先にリビングへ向かって行った。


 素晴らしい体内時計をお持ちのようだ。


 パジャマから部屋着に着替えを済ませ、顔を洗い、歯を磨いてからリビングに移動して、クロコの朝ごはんの準備をする。


 カーテンを開けるが差し込む光は弱い。

 ほとんど無いと言ってもいいだろう。

 外は天気予報通りにどんより雨空模様だ。

 日向ぼっこが好きなクロコにとっては、生憎の天気かもしれない。


 晴れの日は洗濯物が早く乾いて好きだけど、雨の日も嫌いではない。

 室内で雨の音を聞きながらゆっくり過ごす時間が好きだから。


 ただ、雨の日に外出すると服が余計に汚れる。

 洗濯物を干せないだけでなく、増えてしまうから嫌いでもある。


 だから、嫌いではないと言った表現になるのだけれど。

 こんなことを言えば、美海や莉子さんに相変わらず面倒な言い回しとか言われそうだな。


 いや、自覚しているのだから間違いなく言われるだろう。


 ほんの少しの笑みを零してから、淹れ終わったコーヒーをひと口飲みこむ。

 次にリモコンを操作してテレビの電源を点けると星座占いが映し出された。


 時刻は6時59分。普段ならテレビを消している時間帯だから新鮮に感じる。


 大して興味もないが、

 せっかくだから牡羊座の運勢が流れるまで見ていると結果は『1位』。


『次に向けてステップアップが期待できる日です。情けは人の為ならず。自身の経験が友人の助けにもなります。過去の学びを糧にして、新しいフェーズへと進む準備を整えましょう。さまざまな失敗や経験、出会いを思い返し、活かす方法を見つけるのも吉でしょう。ラッキーアイテムは伊達メガネ』


 具体的なようで、なんとなく『フワッ』としているな。

 1位だけど今の時点では、これがいい結果なのかどうか判断が難しい内容だ。


 でも、まあ、星座占いとはこんなものなのかもしれない。


 それに――特別占いを信じている訳でもないけど、1位という結果にはちょっと気分が上がったことを感じた。

 だから、そういうものなのだろう。


 それにしても『情けは人の為ならず』か。

 僕にピッタリな言葉の気がする。

 座右の銘にしてもいいかもしれないな。


 さて――。


 今日の予定は幸介とさらに、他校にいる幸介の友人と遊ぶことになっている。

 僕がいてもいいのか気になったが、何やら僕と波長が合いそうだから紹介したいと幸介が熱く語っていた。


 何か企んでいる気もしたが、友人が増えるのは僕としても歓迎したいから誘いに乗った。


 人を避けていた以前を考えたら、信じられない心境の変化だ。

 初対面となるから不安な気持ちはあるが、幸介の紹介なら間違いないだろう。


 占いの次に流れた天気予報は、昨夜と変わらず夕方まで雨予報だった。

 ただ今日は元から室内で遊ぶことで決まっていたから関係ない。


 けれども室内で何して遊ぶのだろうか。

 読書……は、ないか。幸介は活字が苦手だからな。

 それなら幸介が好きなテレビゲームかな。


 こちらは僕が苦手だけど、まあ……幸介なら下手でも怒ったりせず、笑ってくれるだろうし楽しめるだろう。


 場所は幸介の友人のお宅。昨日のうちに手土産も買っているし準備も済ませてある。

 朝食を食べたら時間まで読書でもするか。

 コーヒーを飲みながら、今日1日の計画を考えていたら部屋から着信音が聞こえてきた。


『おはよう幸介。どうしたの?』


『よっす! 今日雨じゃん?』


『そうだね。もしかして中止?』


『違う違う。ゆうも郡に会いたがっているから中止にはしない。行きだけでいいなら、母親が送るって言ってるんだけど、どうする? 郡がいいなら時間になったら家まで行くけど?』


『行きだけでも送ってもらえるなら助かるかな。勉強会の日は会えなかったし、僕も久しぶりに千恵ちえさんに会いたいかも』


『りょーかい! 伝えておく。郡が会いたがっていたことも含めて』


『はいはい。じゃあ、またあとでお願い』


『おう、またな!』


 結構、強い雨だから自転車は使えない。

 これが小雨程度なら乗るかもしれないが、今日は初対面となる人の家にお邪魔するのだ。


 だから雨で汚れた服装でお邪魔は出来ない。

 そう考え結果、バスで向かうつもりだったから幸介と千恵さんの申し出はありがたい。


 帰りはバスで駅まで戻れば済む話だし、行きだけでも送ってもらえるのは大助かりだ。


 千恵さんは光さんと同じように会社を経営しているから毎日忙しくしている。

 会えるのも中学の卒業式以来となるから、少し照れくさくもある。


「髪や眼鏡について言われるんだろうな」


 幸介と友達になってからは何かとお世話にもなっているし、僕にとっては近所のお姉さん的な人かもしれない。


 だから聞かれたら正直に答えるけど、大ぴらに言うには恥ずかしくもある。

 お姉さんというのも比喩でなく、幸介の母親だけあって外見が整っており親子2人が並んだら姉弟に見えるくらい若々しいのだ。


「もしも――」


 もしもの話は好きではないが、幸介と美波が何かの縁でこのまま結婚することになったら、とんでもない子供が生まれそうだな。


 その時の将来が楽しみだけれど恐ろしくもある。


 現在の2人の仲を考えるならあり得ない未来。

 けれどあり得そうな未来でもある。

 幸介と義兄弟になるのも悪くないかもしれない。


 そんなくだらないことを考えてから、本の中の世界に旅立つことにした。


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