第139話 忘れたくない夢の記憶

 赤い大鳥居を潜り抜けた先には、広大な敷地を有する神社がある。


 敷地の中にはブランコや2種類のすべり台、子供向けのちょっとしたアスレチック。

 他にも子供が楽しめる遊具が揃った公園がある。


 これは冬の季節なのだろう。


 雪国であるその町の歩道や道路の端には、子供の身長を優に超える雪が積み上げられている。


 だけど、神社の敷地にあるその公園はしっかり管理されていて、一応、遊具を使って遊ぶことも不可能ではなかった。


 むしろ雪遊びも出来て一石二鳥だったかもしれない。

 そしてその公園に遊びに行くことが楽しみだった――。


『ねぇ、まってよぉ……』


『まってやるから、なくなって』


 ちょっとしたことですぐに泣いてしまう、とても泣き虫な女の子。

 でも、笑った顔が似合う可愛い女の子だということを知っている。


 母さんに見守られながら、1人公園で遊んでいる時に『いっしょにあそぼう?』と声を掛けられたことで知り合った。


 その時に見せてくれた向日葵のような笑顔に釘付けだった。

 白い雪の世界でも、綺麗な花が咲いて見えたのだ。

 明るくて輝いて見えたのだ。


 一目惚れだったかもしれない。


『んっ! ほら、て……つないでやるから、ん!』


『ん……えへへへっ』


 向日葵の刺繍がされたハンカチを目元に当て、嬉しそうに笑う。

 出会ってからは数日と経っていない。

 けれどお決まりの流れにもなっている。


 今にして思えば、手を繋ぐきっかけとして泣いて見せていたのかもしれない。

 当時、泣いたふりだと気付けたとしても、僕は騙され続けたことだろう。


 僕はこの子の笑った顔が好きだったから。

 差し出した左手がしっかり握られたところで、僕は後ろへ振り向いた。


『なにうしろでわらってんだよ!』


『きにしないでいいにょ。ふたりみているだけでたのちいきゃら。おいわいなの』


『はぁー? いいからこいって。ん! あーちゃんも、て!』


 この子は『あーちゃん』。

 女の子と知り合った翌日、その女の子が紹介してくれた子。

 初めはずっと睨まれていて感じが悪かった。

 でも、遊んでいるうちに笑顔を見せてくれるようになった。

 笑う時は決まっていつも後ろにいる。ちょっと変わった子。


『あーちゃんも、さんにんでつなごう?』


『……みゅーちゃんがいうなりゃ。やちゅよこうり。て、かりりゅ』


 これも同じ。何度目かになる決まった流れだ。

 3人で手を繋ぎながら、先ずはベンチで話をする。

 といっても、みゅーちゃんがずっと話していた。

 それを僕とあーちゃんが聞く。


 満足いくまで話した後は、その時の気分ですべり台をしたり、順番にブランコをしたり、雪だるまを作ったり、さまざまなことをした。


 神前式を予定する夫婦に揶揄われたりする日もあった――。


『坊主はモテモテだな? 将来はどっちと結婚するんだ?』


『けっこんって?』


『おっと、そこからか。んじゃあ、そうだな……どっちの子の笑った顔が好きだ?』


『すきとかそんなんじゃない!』


『おいおいおい、そんなこと言っていいのか? 1人泣きそうな顔している子がいるぞ?』


『……こっちこい、みゅーちゃん……ほら! いいこ、いいこ。なかないの』


『みゅーはこーくんのことだいすきだよ? でも、こーくんはちがうの?』


『わ……わかるだろ!』


『おい、坊主。男なら好きな女の子に対して、気持ちをしっかり口にしてやらねぇと駄目だぞ? じゃないと、すぐに愛想付かされて逃げられちまうからな』


『す…………お、おれも、みゅーちゃんのことだいすきだって!! これでいいだろ!?』


『ん……えへへへっ! こーくんっ!! だ~~~~いすきっ!!!!』


『やちゅよこうり。それでいい。さすがあたしがみとめたおとこ。おいわいしたげりゅ』


『やれば出来るじゃないか、坊主!! あとな、女の子には乱暴は駄目だし、優しく話し掛けてやらねぇと駄目だぞ? 丁寧に、紳士的に話してやるんだ。それと、浴衣や水着姿なんかを見せてくれた時もしっかり褒めないとな……いてっ』


 ――子供に何言っているのよ!


 当時はよく理解出来なかったけど、言われた言葉だけが頭に残り、成長するにつれ理解が追い付く結果となった。


 その後も、男性からさまざまなアドバイスをされたが、子供向けじゃないことへ対して女性が突っ込みするといったように、何度か夫婦漫才のようなやり取りを見せられた。


 別れ際、男性から『これを書くと好きな子が喜ぶぞ』そう言って、こっそりとある物を手渡してくれた――。


 そして、3人が3人揃って公園で遊べる最後の日がやって来た。

 その日は、ずっとみゅーちゃんが泣いていて、手を繋いでも頭を撫でても泣き止むことはなかった。


『やだっ! こーくんいかないで。ずっといっしょにいようよ……あしたもあそぼう?』


 僕たち3人を見守っている保護者たち、主に僕の母さんが申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


 帰りたくない、また明日もみゅーちゃんとあーちゃんと遊びたい。

 その気持ちから、母さんを責める気持ちも湧いたが、母さんが悪い訳じゃないことを子供ながらに理解していた。


 分かってはいる。でも、心は駄々を捏ねる。


 だから泣きたいのは僕も一緒だった。

 でも新潟には母さんの仕事の都合のついでに旅行で来ているだけ。

 だから、福島に帰らないといけない。


『やちゅよこうり。なんとかして』


『おれだって――!』


 出来るものなら、僕だって何とかしたい。

 泣かせたい訳じゃない。泣かないでほしい。笑っていてほしい。笑顔を見たい。


『ねぇ、こーくん……もう……ずっとあえないの?』


 ずっと会えないかもしれない。もう二度と会うことは叶わないかもしれない。

 そう思うと本当に泣きたくなってしまった。


 だけどその時。


 何日か前に会った夫婦を思い出した。

 そして、母さんに持たされている小さなカバンを漁る。


『あーちゃん! ちょっとだけ、みゅーちゃんのことおねがい!!』


 返事を聞く前に、繋いでいる手をあーちゃんに託し、母さんの元に走って向かう。


『かあさん! これって、どうっやってかいたらいいの? みゅーちゃんをよろこばせたいからおしえて!!』


『郡あなた……こんなものいつの間に? でも、そうね……大切に扱うから少し借りてもいい?』


 それを母さんに手渡すと、みゅーちゃんのお母さんの陸美むつみさんと何かを相談していた。


『婚約ってことになるけれど、むっちゃんはいいかしら?』


『ふふっ、あややと親戚になるのも悪くないかもね』


 クスクス笑い合う母さんと陸美さんは続けてみゅーちゃん、あーちゃんの2人を呼んできてと言ってきたから、2人の元へ走って戻り、2人の手を引いて、母さんたちの元へ移動した。


 先ず僕が、みゅーちゃんのお母さんから書き方とそれに必要な文字と数字を教わる。


 僕に続けてみゅーちゃんとあーちゃんも教わり、言われた通りの場所に3人が書き込みして出来上がったものをみゅーちゃんへ手渡した。


『これ、やるよ』


『これなぁに?』


『……またあえるって、やくそくするかみ』


『またっていつ? すぐにあえるの?』


『わかんない。でもこれをもっていたら、そのうちあえるってかあさんたちが……』


『……いらない』


『は? なん――』


『だってこれもらったら、こうくんいなくなっちゃうってことだもんっ!』


『…………ほんとはいっしょう? ずっといっしょいるって、やくそくするかみだって。だからその、おれは! おれは、わらったみゅーちゃんがすきだ!! ずっとわらっていてほしい。おれはおれのためにぜったいにみゅーちゃんをしあわせにする。そしたら、おっきくなったら……ずっといっしょいよう!!』


『……やくそく? おっきくなったらずっといっしょ?』


『やくそくだ! だからわらってよ、みゅーちゃん』


『……みゅーもね、みゅーにむいてわらうこうくんがだいすきなの。おめめがくしゃってなってね、かわいいの。あたまをね、いいこ、いいこってなでなでしてくれるおててがやさしいのもだいすきなんだよ? こうくんはみゅーのことすき?』


『てをぎゅってするとわらうのも、なでなでするとわらってくれるのも……たくさん! だくさんだいすき!!』


『えへへへっ、うれしい!!!! えっとね、みゅーもね、まだたぁ~~くさんあるんだよ? ほかにもね――』


 ああ……。


 ――これは夢だ。


 昔あった出来事を思い出す夢。


 どこか懐かしく感じながらも俯瞰した気分であった。

 夢の世界でなら、この後のこともよく覚えている。


 お互い好きな所をこれでもかってくらい言い合う。

 途中からあーちゃんも混ざり、それから約束をした。


 着替えたあーちゃんとみゅーちゃんの3人で写真も撮った。

 最後にブランコをすることになって、でも、みゅーちゃんが雪で足を滑らせて、僕がそれを庇って下敷きになったんだ。


 それを上から顔を覗き込まれたりもしたんだったな。


 懐かしいな――。


 でも、目が覚めたら忘れてしまうのだろう。

 忘れてしまうのは思い出の写真を全て燃やしたせい。

 きっと母さんにかけられた呪いでもあるのかもしれない。


 忘れたくない。このまま覚えていたい。


 だって昔も今も変わらず、みゅーちゃんのことが、美海のことが――。

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