第135話 今日の僕はお客様目線です

「郡くんから見て『空と海と。』はどんなお店?」


 道中、光さんから質問をされた。

 一言で説明するなら『素敵な店』。

 だが、それだけでは足りないため、

 すぐに答えることはせず、言葉を選び返答した。


「大勢の人に知ってもらいたいけど、知られてほしくない気持ちもある素敵なお店です」


 何故そう思ったのか。他にもお店の人気メニューや、どんな外観をしているのかなど、会話を続けられたかもしれない。


 だけど光さんは、『そう。それは楽しみね』とだけ言って会話を終わらせた。


 興味がないから質問が続かなかったとも取れるくらいあっさりとしていたため、つい、光さんの目を見返してしまった。


「郡くんの説明は最高の謳い文句だったのよ。それだけで十分素敵なお店って伝わってきたってこと。よほど好きなのね?」


 優しい目と微笑みで、僕を見る光さん。

 何となく気恥ずかしさが込み上げてきてしまい、目を逸らしてしまう。


「そんな顔も見せてくれるようになったのね? 嬉しいわ」


「……もう着きます」


 何て返事をするのが正解か分からなくて、ぶっきらぼうに返事をすることしか出来なかった。


 子供みたいなことをしてしまった。

 いや、光さんからした僕など子供なのだろう――。


 さて、気を取り直すことにしよう。

 初めて『空と海と。』を訪れる人にとっては少し分かりにくい場所にある。


 敷地に到着して先ず見える光景は、店頭に並ぶ綺麗に切り揃えられた木々。

 それを越えると、緑と花の蔦のトンネルが目に映る。

 そのトンネルを抜けた先に広がる空間は、落ち着いた雰囲気を纏い、駅から近い立地に関わらず、喧騒を忘れ静かなひと時を過ごせることが出来るお店。


 綺麗な花や緑、趣のある外観に目を奪われている2人を先導して歩き進めると、本日貸し切りと表示された立て看板が目につきやすい場所に設置されている。


 明るい色をした木目調の扉を開けると『チリン、チリ~ン』と音が鳴り響く。

 従業員として週の半分以上は通っているけど、正式な客としてはこれで2回目の来店となる。


 だからか見慣れた店内ですら、改めて見ると、やっぱり素敵なお店と再認識することが出来た――。


「素敵なお店ね」


「はい、本当に」


 会話が途切れたタイミングに合わせて、艶のある長い髪を1つにまとめた美麗な女性が、目を奪われるような笑顔で出迎えてくれる。


「ようこそ、お越しくださいました。千島様、八千代様。席までご案内いたしますので、どうぞこちらへ。段差がございますので、お足元にお気を付けください」


 いつもより何倍も丁寧な接客。

 背筋が伸び指先も揃えられた綺麗な姿勢。

 所作1つ取っても、丁寧で美しく落ち着きある雰囲気を併せ持っている。


 凄く格好いいです、美空さん。


 ですがちょっと気合い入り過ぎじゃないですか?

 と、突っ込みたくなるが我慢だ。


 その気合いの入った美空さんは、僕らが着席したことを見計らい光さんへ声を掛ける。


「千島様。僭越せんえつではございますが、先にご挨拶する時間を頂戴してもよろしいでしょうか」


「ええ、お願いします」


 このタイミングで美海が2人分のカフェラテと1人分のアイスコーヒーを用意してくれる。事前に2人の好みを伝えておいたから、注文をせずとも用意してくれたのだろう。


 だけど、営業時間に美海がホールに出ている姿は初めて見るから新鮮に感じる。

 というか貴重だし写真に収めたい。


 でも今は我慢するしかない。


「ありがとうございます。このお店『空と海と。』を経営している上近江美空と申します。ご子息様である、郡くんに助けられてばかりいる若輩者ですが、今後もよろしくお願いいたします。隣に居るのが、ご息女様の美波さんの友人でもあり、郡くんのクラスメイトで一緒にアルバイトをしている、私の妹となります」


「上近江美海です。郡くんのそして、美波さんのお母様とお会いできて光栄です。本日は精一杯おもてなしさせて頂きますので、どうぞ楽しんでいってください」


 美海の挨拶が済むと同時に2人は、片足を半歩ほど後ろに引き、両手でエプロンの一部を抓み軽く持ち上げ会釈した――。


 あまりにも、美空さんや美海がキラキラしていて、思わず目を奪われてしまった。


 どうしよう。動画を撮りたい。

 もう一度やってくれないかな。


 あと、美波。


 2人が挨拶しているんだから、今くらいはピアノ見てないで、こっちに顔を向けようね。立派なピアノだから気持ちは分かるけど『むぅぅ――』と言っても駄目。


「美空さん、それに――が美海さんなのね。丁寧なご挨拶をありがとうございます。2人の母親で千島光と申します。こちらこそ。2人からも普段より大変よくして頂いていると聞いておりますので、大変感謝しております。息子も娘も2人揃って癖のある子ですが、心根の優しい良い子ですので、どうかこれからも仲良くしてあげてください」


 僕から光さんに、最近のプライベートな出来事について何かを話したりはしていないから、きっと美波が僕の分も、知っていること全てを話しているのだろう。


 でも、なんだろう。


 知っている3人が改めて丁寧に挨拶しあっている姿を見ていると、背中がかゆくなってくるな。

 この場から離れたくなる衝動に襲われる。


 挨拶もそこそこに美海は調理の準備のためキッチンに戻り、美空さんと光さんは世間話を繰り広げ始めたがここで――。


「美空さん? 美海さんにも伝えてほしいのだけれど、無茶なお願いと存じますが、出来れば普段通りの話し方でお願い出来ない? 今日は、私の知らない普段の郡くんを見たいと思っているのよ」


「えっと、光さん?」


 聞いていないが?

 と思い、つい会話に割り込んでしまったが、

『黙ってなさい』とピシャリと言われてしまった。黙るほかない。


 あと、さっきから美波のお腹が『グゥグゥ』なっている。

 帰りのパーキングエリアでソフトクリームしか食べていないから、お腹空いているのであろう。


 もしくは小さな怪獣を飼っているかだ。


「そういうことでしたら、是非ともご協力させていただきます。では、早速……そろそろ最初の料理が出来るので、取りに戻るのと一緒に美海にも伝えてきますね。あ、郡くんもちょっと来てくれると嬉しいな?」


 切り替えが早い。それも美空さんの魅力かもしれない。

 でもとりあえず、承諾を得るため光さんに目線を向ける。


 すると『いってらっしゃい』と快諾されたので、席を立つ。


 キッチンへ歩みを進める美空さんの後に続きついて行く。

 事前の打ち合わせではなかった流れだが、何かこっそり聞きたいことがあるのかもしれない。


「ちょっと、郡くん! 光さん、お母さんなんだよね!? 美波ちゃんと姉妹にしか見えないけれど!?」


 確かに美波の母親なだけあって綺麗な人だ。

 お揃いの服装にしたら姉妹に見えてもおかしくないかもしれない。

 ちょっと見てみたいかもしれない。

 今度お願いしてみようかな。


「驚きますよね。でも、今年36歳だから、美空さんより10歳上ですね。えっと、もしかしてその確認がしたいから僕を連れて来たんですか?」


 もしもそうなら、すでに用意されているサラダとスープを先に持って行きたい。

 美波のお腹に小さな怪獣が潜んでいるかもしれないから、早く食べさせてあげたい。


「違うわよ。あ、いえ、それも聞きたかったのだけど……聞いていたより、凄く優しい顔で郡くんを見ていたから、驚いちゃって。それが言いたかったの」


「こう君が美波へ向けるような、優しい顔をしていたよ。光さん」


 僕と美空さんの会話が気になっていたのか、美海も調理の手を止め会話に混ざってくる。


 もしかしたら、家族3人でお出かけした成果があったのかもしれない。

 だから2人はそう感じ取ったのかもしれない。

 だが2人はたった一度。

 今日、顔を合わせただけで気付いたということ。


 僕は一体どれだけ酷く長い期間、勘違いをしていたのだろう。

 つまりは美波に怒られても仕方ないことだったということになる。


「前に美波が言っていたことが正しく、僕の勘違いだったようです。今日3人で出かけたんですが、その時に改めて、その……光さんは僕の母親で家族なんだと実感することが出来ました」


 僕の返答に対して2人は柔和な笑顔で、『よかったね』と自分自身が喜んでいるかのように嬉しそうな表情を浮かべ言ってくれた。そのことがとても嬉しく思う。


「美海も美空さんも今日はありがとう。でも――」


「「――でも??」」


「美波のお腹が限界だから、サラダとスープだけでも先にお願いしていいかな?」


 声を揃えたように、今度は溜息まで揃う。そして――。


「承知いたしました――」

「――お客様」


 と。

 誰もが目を引く美麗な姉妹は、僕に呆れつつも可笑しそうに笑ってみせた。

 それから、表情を整え息も合わせ、先ほども見せた綺麗なカーテシーで承ってくれた。


 2人とも、姿勢や所作が洗練されており、またもや見惚れてしまった。


 そしてその後。

 家族3人で美味しい食事をとりつつ、少ししてから上近江姉妹も会話に混ざり、我慢が出来なくなった美波がピアノを弾かせてもらい、その間に僕は光さんから頼みごとをされ、さらに今度は光さんの鋭い言葉で美海が耳を染めたりする一幕があったり等――。


 とても楽しい、素敵な宵の口を過ごすことが出来たのだ。

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