第132話 秋休み始まりの合図は汚い虹?

 名花高校に入学してからの朝は、毎朝5時50分に起床していた。

 けれど、ダイエットもとい体育祭へ向けての体力作りを目的とした早朝ランニングを始めてからは1時間早い4時50分に起床する日が増えた。


 ダイエットは順調に進んだものの、睡眠時間は減ることとなる。

 疲労の蓄積、または寝不足を起因とするくま

 このことで知ったが、僕はどうやら人よりも目の下に隈が出没しやすいようだ。


 知ったからには対策を講じる必要がある。

 少しでも睡眠時間を確保するために、学校が休みとなる土日や祝日は、以前と同じ5時50分に起床することにした。


 少し話が逸れてしまったが、9月からはランニング仲間として莉子さんが加わった。

 てっきり、体育祭が終わるまでの臨時的な仲間だと思っていたが、どうやら莉子さんもランニングを継続するらしい。


 僕としてはどちらでも……あ、いや、莉子さんがいると嬉しい。うん。


 でも一応、継続する理由を尋ねてみたら、力強い返答が戻ってきた。


 ――来年こそは莉子が特別賞を貰うためです。

 と。


 見せかけ張りぼての体力でなく、今度こそしっかり体力を作りたいと息込んでいた。

 莉子さんのお母さんは、早朝に莉子さん1人で走る事を心配して反対したらしい。

 だけど『郡くんが一緒なら構わないわ』と、条件付きでお許しをくれたと。


 僕としては莉子さんと走る事は嬉しい。うん。


 それで――元々、1人だったとしてもランニングを継続するつもりだったが、莉子さんのお母さんの言葉で、尚の事継続する理由が出来た。


 僕の家から莉子さんの家まではそれなりの距離がある。

 走ると15分くらいだ。

 そのため、ランニングの始まりは莉子さんを家まで迎えに行くことだ。


 玄関前で合流して、2人で走ったり流し歩いたりを30分程繰り返す。

 その後、世間話をしつつ莉子さんを自宅まで送り届け、自宅マンションに帰ってくるまでが、ランニングコースとなっている。


 初めのころの莉子さんは、すぐに息が上がってしまい、ランニングと言うよりもウォーキングに近かった。

 そのため、莉子さんのペースに合わせてゆっくり走る必要があったが、ひと月も経てば体力も増え、前よりも長い時間を継続して走ることが出来るようになった。


 そして今日、9月24日の日曜日。

 莉子さんを自宅に送り届けると、珍しく莉子さんのお母さんが玄関の外で待っていた。


「2人とも、今日もお疲れさま。レモン水ならあるけどいかが?」


「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」


 多少息が乱れているが会話が出来るくらいには平気なので、グラスに注いであるレモン水を受け取り、一気に飲み干す。


 よく冷えたレモン水が火照った体に沁み渡り、とても美味しく感じた。

 ほんのりハチミツの甘味も感じ、より体力が回復したような気分となる。


 ハチミツには疲労回復効果もあるから、気分じゃなくて本当に回復したかもしれない。


「いい飲みっぷりね。男の子って感じがしたわ」


「ご馳走様でした。ハチミツも美味しくて、一気に飲んじゃいました」


「郡くんは好き嫌いもアレルギーもないって、莉子ちゃんから聞いていたから愛情のついでに隠し味として入れてみたの。口に合ったようで良かったわ」


「反応に困りますが、本当に美味しかったです。ありがとうございました」


 ――ふふふっ。

 と、柔和な笑顔を浮かべながら僕の手に握られている空いたグラスを受け取ってくれる。


 莉子さんのお母さんの手には空いたグラスともう1つ。

 注がれたままのレモン水が握られている。

 視線をグラスから隣にいる莉子さんに向けると、未だ莉子さんは下を向き、両手で膝を掴み、肩で大きく呼吸を繰り返している。


 初めよりも体力が増えた莉子さんなら、ここまで息が乱れることもなかった。

 けれど最後の直線で『郡さん、ラストスパートの勝負と行きますよ』と言って、残る体力を振り絞り全力疾走したのだ。


 その結果が今の惨状。

 つまり調子に乗ったということだ。


 勝負の結果については、大人げないかもしれないが莉子さんのためにも勝ちを譲りはしなかった。

 そしてやっとレモン水を飲み、息を整え始めた莉子さんは恨めしそうな視線を向けて来た。


 でもさ、莉子さん。わざと勝ちを譲ったらもっと怒るでしょ?

 え、それでも納得が出来ないって?


 さすがに理不尽だと思う。


「郡くん、いつもありがとう。それと明日。莉子ちゃんがお世話になります」


 このことを伝えたかったから、珍しく外で待っていてくれたのか。


「いえ、1人で走るより莉子さんが居てくれた方が続けられるのでお互い様です。明日ですが、僕は構わないのですが……本当にいいんですか?」


「もちろんよ。美海さんや郡くんの義妹さんもいるのでしょう? それなら、お母さんは特に心配していないよ。それとも……郡くんは、莉子ちゃんに何か手を出したりするのかな? きちんと責任を取ってくれるならお母さんは歓迎だけど? 早く孫も見たいしね」


 一気に飲み干した僕と違って、レモン水をチビチビと飲んでいた莉子さん。

 だけど、グラスの半分まで減ったタイミングで残りのレモン水を一気に口へ含む。

 そのタイミングは、莉子さんのお母さんから出た爆弾発言と重なったのだ。


 そのため、発言に驚いた莉子さんが口から盛大にレモン水を吐き出した。

 そのレモン水によって虹が掛かったが……。


 僕はこんなに汚い虹は初めて見た。


 幸いにも――僕や莉子さんのお母さんに汚い虹が降り掛かることはなかった。

 でもさ、莉子さん。

 莉子さんは女の子なんだから、もう少し気を使った方がいいと思うよ。


 鼻から、汁というか、多分、レモン水が垂れているし。


 その顔はどこかアホ可愛いらしくもあるけど。

 もしかしたら一部の人の琴線にふれる顔をしているかもしれないけど、みっともない。

 少し呆れつつ、ランニングポーチからティッシュを取り出し莉子さんに渡しておく。


 あと、莉子さんのお母さん?


 せめて高校卒業するまで孫は待ってあげてもいいと思います。

 お母さんもまだ若いんですから、いくらなんでも莉子さんには早いかと思います。


「莉子さん。はい、これ。ちゃんと顔拭いて。あと、莉子さんのお母さん。責任をもって、何事も起こさず、莉子さんは月曜日にはお返ししますので安心して下さい」


「そう、残念ね」


 大切な1人娘を無事に帰すのだ。何を残念がる必要があるのか。

 心から残念そうに見えるが、演技ですよね?


 え、想像にお任せするって――。


 莉子さんのお母さんは演技派なのかもしれない。

 そういうことにしておこう。


「では、そろそろ帰ります。莉子さんまた明日……ああ、そうだった。莉子さん?」


「はい? なんですか? 莉子の汁がついたティッシュでも欲しいのですか? 欲しいのでしたら、いくらでも差し上げますよ?」


「いや、それは早く捨てて下さい。そうじゃなくて、昨日心配してくれたって聞いたよ。ありがとう」


「その様子なら、しっかり甘やかしてもらえたみたいですね。一安心です」


 今日、会った時から普段通りに接して心配した様子など見せなかった莉子さん。

 でも今は、心からホッとしたような表情を見せてくれる。

 そのことが嬉しくもあるし、頼れる友達がいて幸せだとも感じる。


 言葉だけを贈るには僕の気が済まないので、明日は莉子さんの好きなクルミ入りクッキーでも焼いて、お礼としようかな。


 あと、今莉子さんに言われた通り――。


 もうバッチリと甘やかしてもらった。

 贅沢な悩みとなるが、美海にしてもらう膝枕が癖になりそうで困ってしまう。

 お返しとして僕も美海に膝枕をしようとしたが、頑なに拒まれてしまった。

 多分、月美先輩の話をしたせいかもしれない。


 膝枕しながら美海の柔らかな髪を撫でたかったけど仕方ない。

 自分の迂闊さが悪いのだ。


 今度こそ莉子さんと莉子さんのお母さんに別れを告げ帰路へ就く。

 莉子さんのお母さんとは連絡先を交換しているので、何か他にもお泊りのことで質問があれば連絡があるだろう。


 そう考えながら、いつもより早いペースで帰宅を果たす。

 最後までペースを崩さす早く走れたのは、レモン水を飲み休んだことで、体力を回復出来たおかげだろう。

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