第126話 女装なんて絶対にしないからね?

 教室に戻ると、いつものように幸介が声を掛けて来たわけではない。

 その前にクラスメイトから声を掛けられたからだ。


 そのクラスメイトは山鹿やまがさん。

 入学式の翌日に一度会話を交わしているが、それっきりのため避けられているとばかりに思っていたから驚かされてしまった。


 バス旅行の一件があってから、ほとんどのクラスメイトとはすれ違えば挨拶を交わす仲になっている。


 けれど山鹿さんとはすれ違いすらおきなかったから余計に驚いだのだ。

 ああ、でも会話は交わしていないが、

 確か……美愛さんとその他多勢でカラオケへ行った時に山鹿さんもいた気がする。

 それを考えるならば、山鹿さんは美愛さんファンクラブの一員なのかもしれない。


 声を掛けて来た理由を考えてみたいが、その必要はないかもしれない。

 山鹿さんの他にも、僕の前には見覚えのない女子が3人いる。

 この状況について、山鹿さんへ質問を投げ掛けてみたが返事は戻って来なかった。

 そのせいで気まずい空気が漂っているし、誰でもいいから返事をしてほしい。


 考えられるとすれば、美愛さんファンクラブの何かなのか?


 ただ、僕と美愛さんが交際しているという噂なら誤解はすでにとけている。

 それにそれは少し前のことだ。

 今さら何を言われるのか見当が付かないよな。


「えっと、山鹿さん? 何か僕に用事でも?」


「別に。私は席に戻るからあとは勝手にして」


 冷たい……僕は相当に嫌われているのかもしれない。

 ただな、山鹿さんは同じクラスだから当たり前なのだけれど、どこかで聞いたことのある声に感じる。


 最近も聞いた気がするけど、どこだったかな。思い出せない。


「やぁ、突然すまないね。彼女はちょっと気難しくてさ、だから気にしないでくれて問題ないよ。遅れたけど、ボクはCクラスの亀田かめだ水色みずいろ。今日は時間がないから、名前だけになるけど、乙女としては覚えてくれたら嬉しいな」


「山鹿さんのことは、まあ、分かりました。亀田さんですね。しっかり覚えましたので、よろしくお願いします」


 どことなく既視感を覚える話し方なうえ、最後の言葉までそっくりだ。

 もしかすれば本宮先輩に関わり合いのある人なのかもしれない。

 そのまま亀田さんについて考えることもできず、残りの2人からも自己紹介をされる。


「Cクラス。広野入ひろのいりむく。趣味は人間観察。特に女の子が好き。でも今は……八千代くんが気になる。八千代くん女装似合うと思う。する?」


「Dクラスの白岩しらいわ羽雲わくで~すっ!! でも~、固いから敬語はやめてね? そこのとこよろしくネ、郡くん!」


 広野入ひろのいりさんに対してもどことなく既視感を覚えた。

 それと余計なお世話かもしれないし、趣味は人それぞれだから否定もしたくないけど、さすがに最後の発言は否定してもらいたい。

 おかげでクラスの中が騒がしくなってしまった。


 あと、莉子さん。

 聞こえているけど女装なんてしないから。


 絶対にしないから。


 最後に白岩さん。

 彼女はなんだろうか……苦労しているのかもしれない。

 明るい口調とは反対に、目の下のくまが特徴的に思う。

 それと少しずつにじり寄って距離を縮めないでほしい。

 美海も戻っているし、またあらぬ誤解をかけられても面倒だ。


広野入ひろのいりさ――」


むく。椋のことは椋でいい。椋のことを椋と呼んでくれたら、椋は八千代くんを郡ちゃんと呼んであげてもいい」


「それなら~、私のことも愛情込めて羽雲わくって呼んでくれていいヨ」


「流れに乗るならば、ボクのことは水色みずいろもしくはみず。どちらでも好きなように呼んでくれて構わないよ。ただボクは、ボクが認めた人から命令されることがたまらなく好きだから……みずと呼ばれる方が嬉しいかもしれない。どうだろうか?」


 朝からこの3人を相手するには、個性が強すぎて胃もたれしそうだ。

 僕にはちょっと荷が重い。いや、胃が重い。


「呼び方については、まだ知り合ったばかりですし追々ということでお願いします。それより時間大丈夫ですか? そろそろ戻った方がよろしいかと」


 時間については3人も気になっていたようで、それぞれ言葉を残して戻って行った。


「近いうちまた話せたら嬉しい」

「郡ちゃんは絶対に女の子」

「郡くん、また会おうネ」


 明日から秋休みで良かった。心からそう思う。

 先延ばしのような気もするけど、最近ずっと頑張っているから僕も少しは落ち着ける日々が欲しい。


 いくらなんでも次から次へと――。


 なるほど……社会で働く人たちはこんな気持ちで、ゴールデンウィークなどの連休をありがたがるのか。妙に納得がいった。


「郡さん、また別に新しい女の子ですか? 節操なしもいい加減にして下さい。女装させますよ?」


「いや、莉子さん? 勘違いしているし誤解だし女装はしない。絶対」


「絶対なんて絶対ないと矛盾を言いますけれど、ひと先ず言えることは、言い訳をする相手は莉子ではありませんよ?」


 顔を見なくともさっき見せてくれた、可愛くむくれる表情が想像出来る。

 いや、そうであってほしいと願っている。

 でもここは教室。図書室ではない。


 万に一つもないと思うが、莉子さんの後ろ、さらに奥、窓際の方に視線を向ける――。


 あれ、てっきり怒っている時の笑顔を浮かべていると思ったけど違った。

 願いが通じたのか、少しだけむくれた表情を僕に向けているではないか。

 うん、可愛い。


「郡さん? どうかされましたか?」


 美海に集中したせいか、莉子さんに不審がられてしまった。

 周りに聞かれる訳にもいかないため、少しだけ莉子さんの耳を拝借して返事を戻そうとしたが、さすがに告白を断ったばかりの女の子に、別の女の子を可愛いと伝えるのはデリカシーの欠片もないだろうと考えを改めて思い留まる。


 けれどそれがいけなかった。


 言葉を止めることは出来た。

 だが、莉子さんの耳に息がかかってしまった。

 そしてその息がくすぐったかったのか、いつか聞いた美海と同じように『っヒャイッッ!?!?』と莉子さんから嬌声が漏れ出てしまった。


 耳を抑え、顔を真っ赤に染め上げている莉子さん。

 シンとなる教室。

 女子から浴びる非難の視線。

 男子から向けられる羨望の眼差し。


 そして窓際一番前の席から届くお怒りの笑顔。

 深く考えずとも分かるが、僕はやらかしてしまったのだ。


 居た堪れない空気が僕を襲うが、タイミングが悪く、いやタイミング良く古町先生が扉を開き教室へ入ってくる。

 そしてチャイムが鳴り――。


「皆さん、おはようございます。ホームルームを始めますので着席して下さい」


 莉子さんは恨めしそうに僕を睨みつけながら席へ戻って行き、それから前期最後のホームルームが始まることになるが、僕も含めクラスメイト全員が予想していなかった言葉を掛けられる。


 要は、古町先生が1年Aクラス全員を初めて褒めてくれたのだ――。


「先に――皆さん、体育祭総合優勝おめでとうございます。クラス全員で練習に励む姿を見ていただけに、その頑張りが、努力が、報われたことを私も自分のことのように嬉しく感じております。ですから、改めてお礼を伝えさせて頂きたく思います。私の心を熱くさせてくれて、ありがとうございました。特にクラスメイトを牽引した体育祭実行委員。八千代君。そして平田さん。よく頑張りました。2人の成長した姿を見ることが出来たことも嬉しく思っております。重ねて謝意を表します――ありがとう」


 ほとんどのクラスメイトが信じられない光景を見たかのように固まっている。

 滅多に褒めない古町先生がみんなを褒めたから。

 それも1つの理由かもしれない。

 だけどそれだけではない。

 男子は顔を赤らめ、いや女子ですら頬を赤く染め上げている。


 古町先生の笑顔を何度か見ている僕ですら、あまりにも綺麗な表情で見入ってしまったのだ。


 見慣れていないクラスメイト達が固まってしまうことは仕方ないように思う。

 今後、僕たちが褒められる保証はどこにもない。

 だから今はしっかり見ておかないといけない。

 もしかしたら、そう思っているからか、その笑顔に釘付けである。

 余韻を残したまま、ホームルームを終えたい。


 けれどそんな願いは通じない。

 古町先生はやはり古町先生だった。

 上げて、上げて、上げきった所で今度は。


 最高潮まで登りきった気持ちを、一気にどん底まで落としてきたのだ。


「――さて。褒めてばかりいる訳でもありませんよ。これから皆さんには前期期間中の成績表をお返し致します。正直申し上げると、こちらに関しては『ガッカリ』の一言に限ります。当クラスに学年1位がいるにかかわらず、クラス平均は学年最下位という結果です。もう少し勉学に対しても体育祭のように励んでもらいたいですね。いいですか? 勉強というものは――」


 さっきまでと打って変わり、ほとんどのクラスメイトが一斉に机と睨めっこを開始した。

 古町先生は勉強についての心構えや、将来について話し続けている。

 それはもう、言い方が失礼になるが『クドクド』と。


 だから誰も笑うことなど出来ない。

 つまり、けして勝敗のつかない睨めっこが始まったのだ。


 教室を見渡してみるが、顔を上げている生徒は僕を除いて美海と佐藤さん、莉子さんに山鹿さんくらいだ。


 男子は誰1人と顔を上げていない。


 試験結果については、夏休みに行った勉強会に参加したメンバーは誰1人赤点を取る事はなかった。


 各人から結果と一緒にお礼を伝えられているから、教えた身としてはホッとすることが出来た。


 一番不安だった国井さんも思いのほか悪くなかったが、順平と2人平均以下であることは間違いないから、もう少し頑張った方がいいかもしれない。


 ただ順平は僕と違って部活も頑張っているから、あまり偉そうなことは言えない。

 でも国井さんは帰宅部だから別だ――。


 少し脱線したけれど、本来は1人ずつ前に成績表を取りに行く。

 だが今は古町先生が話し続けているため動くことが出来ない。

 まあ、配り歩いているため取りに行く必要はなさそうだ。

 きっと、勉学について話し足りないのだろう。


 配布された成績表を見ると、評価方式は最低1から最高5で振り分けられる5段階評価。


 僕の結果は――。


【必修科目】

『国語総合”5”』『公共(現代社会)”5”』

『数学Ⅰ”5”』『化学基礎”5”』『体育”4”』

『保健”5”』『外国語コミュニケーションⅠ”5”』

『情報Ⅰ”5”』


【選択科目】

『数学A”5”』『国語基礎”5”』


 体育以外の教科全てが最高評価だ。

 自分で言うのもなんだが、授業態度も真面目で小テストもそこそこ、提出物も期限を守り、前期末試験も全て良かったから妥当かもしれない。


 美波よりいい点数を取るのに心血注いできたおかげで、中学2年からは変化のない成績が続いている。


 どうしても体育だけが最高評価が取れないけど、体力測定の結果が良くないから仕方ないと諦めている。


 まあ、理由はそれだけではない気もするが。


 どうせなら”オール5”を取ってみたいと考えたことはあるが、そのためには勉強する時間を減らして体力トレーニングをしないといけない。


 それでは美波を上回り続けることが叶わない。

 だから僕は勉強を選ぶことにしたのだ。


 成績表を眺めつつ、古町先生の話を聞いているとチャイムが鳴る。

 結局、朝のホームルームの時間は古町先生1人が話し続けて終了となり10分間の休み時間となった。


 さて、逃げられるかな。

 いや、逃げたら後でもっと大変なことになるだろう。

 大人しく裁かれるとするか。


 美海と佐藤さんを引き連れて向かってくる莉子さんを見て、胃の重たさを実感しながら覚悟を決めたのだ。

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