第118話 31回目。
名花高校に入学してから。
美海と関係を築く前は、友情や愛情がどんなものなのか興味はある物の人間関係の構築に重きを置いていなかった。
いろいろと言い訳をして避けていたけど、拒絶されることが怖かったのだ。
ただ、心理学の本を読み、いざという時のために備えたりもしていたが、今に思えばそれは努力していると思い込むための行動だったのかもしれない。
記述されていたことは思ったよりも単純で、これなら僕でも実践できそうだ。
読んだ当初は自惚れにもそう思っていた。
だがやはり、それは本当に自惚れだったのだ。
美海と出会って分からされた。
僕には使いこなすことの出来ない、付け焼刃にすらならない知識ということが分かってしまったのだ。
いくら本を読み知識を得ても、それを知恵に昇華出来なければ全く意味がなかったのだ。
不器用な僕が心理学を取り扱うには、とても難易度の高い代物だということが分かった。
だがその中でも、名花高校の図書室で借りた社会心理学報告に関する内容は印象に残っている。
とある社会心理学者が調査をした結果、友情と恋愛感情には区別された感情であることが分かったというのだ。
区別された感情とはつまり、友情と恋愛感情の『違い』について。
先ず、友情についてだが。
――相手のことを高く評価する。
――相手を信頼し、尊敬している。
――自分と似たところがある。
と。
他にも書かれていたことはあったと思うが、こんなところだ。
僕が幸介や莉子さんに対して感じている感情でもある。
次に、恋愛感情について。
――相手と精神的にも身体的にも繋がっていたい。離れていると辛い。
――相手のために何かしてあげたい。犠牲を払っても構わない。
――相手を独占したい。2人きりになりたい。
と。
一部、莉子さんに感じるところもあるけど、当て嵌まらないことの方が多いかもしれない。
記憶している内容は本に書かれているほんの一部ではあるが、友情や愛情について知りたかった僕にとっては、十分参考になったことでもあった。
これに書かれていることは正しいことなのかもしれない。
けれど全てが正解とは思わない。
人の数ほど、それぞれの正解があるのだから。
だとしても分かることがある。
僕にとって。
平田莉子は『友達』。
それが間違いないと断言できるということだ――――。
「お待たせ、莉子さん。モニターで見ていたけど、閉会式大盛り上がりだったね。ここの鍵は美海に借りたの?」
「はい、大盛り上がり出来たのはどこかの誰かさんのおかげですね。そのどこかの誰かさんはその場に居ませんでしたけど。鍵はそうです。部室で着替えた際に忘れ物をしたと言って美海ちゃんからお借りしました」
言葉に棘はあるけど、可笑しそうにクスクスと笑っている。
「そっか。というか奥の部室に入らないの?」
「長居はしませんから。だから場所はここで結構です」
「……それで、聞かせてくれるの? 好きな人」
「約束ですからね、少し長くなりますけどいいですか?」
「もちろん」
僕が返事をすると、『では――』と言って話し始めた。
その人はとても嫌われ者。
それにどの人よりも怖がりで臆病な人。
だけど誰かが困っていたら、結果自分が傷付くことになっても手を差し伸べられる優しくて勇気ある人。
気になってはいたけど、話し掛けたりはせず、目で追いかけるだけの人だった。
でもある時を境に話をする仲になってみたら、優しいどころかとても意地悪な性格な持ち主。
さらには話し方がいちいち面倒。格好つけ。小狡い人。好みの女性は年上。綺麗な人と話をしていると、だらしのない顔をする、鬼むっつりスケベ。女たらし。女泣かせ。頭がいいのに、たまにおバカさんにもなる人。
さらには、美味しいところを最後に掻っ攫う人。
本当に仕方のない人。
良い所だけでなく悪い所もたくさん持っている人だと分かって、最初とは印象が変わった。
でも――。
誰かのために一生懸命になる姿がとても格好良い人。
目的の為に自分に厳しくして努力する格好良い人。
約束を守れる素敵で格好良い人。
見せかけの優しさだけでなく、友達のために厳しいことも言える本当に優しくて格好良い人。
友達の頑張りを認め全力で応援し手助け出来る情に厚くて格好良い人。
こっそり知らぬ間に、友達の願いが叶うように、星に願いをするロマンチストで格好良い人。
全てにおいては――言い過ぎだけど、
たくさんの所に尊敬が出来る格好良い人。
いつも無表情なのに初めて笑って見せてくれた顔が可愛くて、ずるくて、格好良い人――――。
「――莉子の好きな人は郡さんです。莉子が変わった姿を見せたかった人は郡さんです。莉子が頑張れたのは郡さんが好きだからです。莉子は、平田莉子は、八千代郡さん。貴方のことが好きです。好きで、好きが溢れて、想いが止められないくらい、堪らなく……大好き、です――」
「………………」
今まで僕に対してこれほど熱く、想いを向けてくれた人はいなかった。
それが意味するのは、莉子さんが僕にとって初めての人になったということだ。
莉子さんの本気の想い。
僕は受け止めて返事をしないといけない。
だけど僕は、この想いに対してどう返事をしたらいいのか分からなくて、思わず目を逸らしてしまった。
けれど莉子さんはそれを許してはくれない。
「ダメです。郡さんは返事をするまで目を背けてはダメです。許しません。莉子を見て。今は莉子の顔を、莉子の目をしっかりと見ていてください。逃げちゃダメです。今の莉子を目に焼き付ける事が郡さんの責任です」
母さんに捨てられたあの日から。
人に好かれたい。恋とは、愛とは何か。いつか知れるだろうか。
心のどこかでそう考えていた。
クロコのおかげで、辛い時に側にいてくれる存在が大切だということに気付けた。
幸介のおかげで、友達の大切さを知ることが出来た。
美波のおかげで、家族について思い出すことが出来た。
美海のおかげで、僕は感情のない化け物じゃないって分かることが出来た。
そして今――。
莉子さんが魅せる表情は、頬を紅潮させ、今にも溢れてきそうなほど目に水を溜め、でも、力強い目をしていて、それなのに優しげな笑顔を僕に向けている。
「見ましたか? 今の莉子の表情、覚えましたか? もう忘れませんか?」
「見た。覚えた。忘れたりしない。今、莉子さんが僕に向けてくれている顔は一生忘れる事が出来ない」
莉子さんが教えてくれると言っていた、『人に忘れられないためには?』の研究結果はこのことだったんだ。
とても強烈な記憶が目を通して脳に刻み込まれたのだ。
「それなら目標2つ目の達成です。では、郡さんの返事を聞かせてください。莉子の想いに応えてもらえますか?」
「莉子さんは……」
いつの間にか達成されている1つ目が気になるけど、この言い方なら他にも目標があるのだろう。
気になるところだが、今は真剣に考えなければならない。
告白を受ける前は、莉子さんのことを『友達』だと決めつけていた。
もしかしたら、この先も変わる事ないかもしれない。
でも、付き合ってみたらどうだろうか?
一緒に過ごすうちに僕の気持ちに変化が生じるかもしれない。
これだけ僕を想ってくれるなら、それでもいいのかもしれない。
それならば莉子さんの想いを受け入れてもいいのかもしれない。
莉子さんと過ごす毎日は退屈しない日々になるかもしれない。
笑いが絶えない日が待っているかもしれない。
振り回し、振り回されて……たくさんの楽しい思い出が作られる未来。
そんな未来を、僕は確信出来るほど莉子さんを信じている。
でも――。
でもやっぱり、僕は、尊敬する友達に対して中途半端な事はしたくない。
「……莉子さんの想いに応えることは出来ない」
「はい、知っていました。でも少し悩んでくれたことは予想外でしたので、ちょっと嬉しかったです。ありがとうございます、郡さん」
悩んだのはほんの少しだけ。
それなのに凄く嬉しそうに笑い、お礼を伝えてきた。
「お礼を言われる事ではないよ。莉子さんは――」
「郡さん? 少し想像してみてください。そうですね……例えば来年。一緒に花火に行きたい人は誰ですか? 何か嬉しい事があった時、誰に一番話したいですか? 何か辛いことがあった時に誰に相談したいですか? 誰と……郡さんは思いを共有したいですか?」
「えっと、急に何を――」
「いいからっ! お願いですから……」
有無を言わせない莉子さんの物言い。
莉子さんがどうしてそう言ったかは分からない。
けれども、哀しそうな表情をさせ懇願してくる莉子さんの頼みを断ることなど出来なかった――。
先ず、思い出したのは最近の……夏休みのことだ。
たくさんの事があったな。
花火、それにお祭りに一緒に行きたいと思い浮かんだ人。
プラネタリウムに行きたいと思い浮かんだ人。
綺麗な向日葵を写真に収め、見せたいと思い浮かんだ人。
咲菜ちゃんの笑顔を見て、思い浮かんだ人。
その時々の話を、すぐに共有したいと思い浮かんだ人。
たった……たった1日会わないだけで、何かある度に思い浮かんだ人。
元気が欲しい時に声が聞きたくなった人。
クロコや幸介、美波、順平、五十嵐さん、莉子さんを思い出した日もあったけど、『僕の特別は美海』そのことを証明するかのように、美海のことばかり思い浮かんでいる。
「郡さんが思い浮かんだ人は言わなくてもいいですからね。分かっていますから。でも、莉子の頭に思い浮かんだ人は郡さんです。このことの意味をよく考えて置いてください。宿題ですからね?」
「……分かった。何よりも優先して考えてみるよ」
「これで3つ目も達成です。あと、郡さん? リレーの時にしてくれたみたいに、一瞬でいいので莉子の頭を撫でてもらってもいいですか? 膝枕は我慢しますのでお願いします」
膝枕については約束した覚えはないが言われたまま撫ででみる。
汗をかいた後とは思えないくらい、手に吸い付く撫で心地で撫でている僕の方が、気持ちがいいと感じたかもしれない。
「えへへっ、ありがとうございます」
「……」
「どうです? 今の莉子は可愛いでしょう? この顔もしっかり覚えて下さい」
「本当に――。可愛いよ莉子さん。バッチリ覚えた」
幸せそうに笑っていて、その笑顔は輝いていて、本当に可愛いと思ったのだ。
「よく聞いて下さい。さっき覚えてもらった顔。そしてこれが、この顔が、恋する乙女が好きな人にだけ見せる顔です。そのことを忘れず、これから過ごしてください。莉子の我儘となりますけど、郡さんなら莉子のために叶えてくれますよね?」
「約束する。莉子さんの我儘は僕が叶えるよ」
「よかった。これで4つ目です。おかげで最後の願いは莉子が何かしなくても近いうちに叶うでしょう」
莉子さんの最後の願いは、馬鹿な僕には分からないけど、莉子さんが何をしたかったのかは何となく気付くことができた。
こんな回りくどいやり方など僕に似せなくてもよかったのに。
そう思うけれど。
大切な事を気付かせて、教えてくれたのだ。
感謝をするならまだしも、文句など言えようもない。
「でも、本当はこんなに熱い告白をするつもりはなかったんですよ?」
「そうなの?」
「だって郡さんがリレーの時……莉子を励ますため、昨日莉子が冗談で言った、慣れない言葉を言って今まで見たこともない笑顔でギャップまで演出して、さらには頭ポンまで……最後には1着まで取るし……あんなのっ!! あんなことされたら、莉子じゃなくても惚れてしまいますよ!! 莉子にはあの瞬間、白馬に乗った王子様が来てくれたのかと思えてしまうほど燃え上ってしまったのですから!!」
――責任取って下さいッッ!!
と、追加で言われてしまった。
頭ポンはやり過ぎたと思ったが、あの時はまさか惚れてくれているとは思ってもいなかった。
「責任……どうしたらいいかな?」
「莉子に聞かないで下さいよ!! でも……仕方のない人ですね」
大きくため息を吐かれてしまう。
昨日から何回ため息を吐かれただろうか。
「では、これからも莉子と友達でいて下さい。ごめんなさい、郡さん。せっかく悩んでくれましたのに、振り回すように、最後は莉子が郡さんを振ってしまって……莉子はやっぱり、莉子だけの本物の王子様を待ちたいと思います。だからちょっと、莉子にとっての偽物は……」
「僕は何回莉子さんに振られているんだろうね。告白もしていないのに」
「これで31回目ですよ?」
「あれ、僕が泣かせた回数より1回多いけど?」
「…………郡さんは女性の気持ちをもう少し理解した方がいいです。これも宿題にしておきますね」
本当に泣かせた数だけ僕は振られていたみたいだ。
それに理不尽に宿題だけが増えていく。でも甘んじて受け入れるしかない。
「それで、友達でいてくれますか?」
「もちろん。これからもよろしくお願い、莉子さん」
何の気なしに呼ぶ名前。
今では違和感などなく、当然のように僕だけが唯一『莉子さん』と呼ぶ。
その莉子さんは、当然に僕のことを唯一『郡さん』と呼ぶ。
だからなんの疑いもなく返答を待っていたのだが、戻って来たのは――。
「はい……これからもよろしくお願いします。ズッくん」
たったひと言。
それだけなのに心臓に痛みが走った。
『郡さん』から『ズッくん』。
これは、莉子さんの――いや、平田さんなりの、僕への気持ちと決別するための儀式なのだ。
だから僕はその意を
「そうだね……よろしくね、平田さん」
「……はいっ、ズッくん!!」
ズッくんと呼んだ莉子さんの表情は、
涙を耐えるように悲しい笑顔をしていて、
もう1つ。
忘れる事が出来なくなった表情と痛みを刻みこまれてしまった――。
これが『恋』。
格好良くて尊敬出来る友人は、
その身をもって、
全身全霊を
第三章 ~完~
【あとがき】
こんにちは。山吹です。
第三章完結までお読みいただき、ありがとうございます。
莉子は山吹が必ず幸せにします。
さてさて。作者の決意は置いておき。
四章と五章は少し複雑に絡まり合いますが、物語が動きます。
引き続き、読んでもらえたら嬉しいです。
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