第116話 この日僕は注目を浴びた
さて、いよいよ体育祭も大詰め。
3年生女子がスタートしたことで運命のリレーが始まった。
僕と莉子さんは早朝に走ったりしていたが、放課後にも体育祭実行委員で何度か集まり、コソコソと練習をしてもいた。
集まった理由は全体で合わせを行わないといけないからな。
合わせを行ったから知れたのだけど、全体的に特別足の速い人はいなかった。
遅い人もいないが速い人もいない。
平均的な足の速さを持つ人が体育祭実行委員に集まっていた。
強いて言うなら、女子の中で莉子さんが少し速いくらいだ。
だから本当に、状況次第では莉子さんが特別賞を取る可能性も十分考えられる。
そして今、その莉子さんにバトンが渡る――。
受け取った時の順位は2位。
1位はBクラス。
練習では手を抜いていたのか、2年Bクラスの人が速かったのだ。
本宮先輩の指示かどうかは分からないが、ここでも僕らの前に立ちはだかったのだ。
でも、莉子さんも速くて、50メートル時点で追い付いた。
1年Aクラスの皆も全力で応援してくれている。
応援が力になっており、50メートルを過ぎて迎える最後のコーナー。
そこで追い抜こうとした時。
1年Bクラスの女の子がコーナーで滑り転倒してしまった。
これで莉子さんが1位となり、バトンを男子に渡せれば良かった。
でも、そうはならなかった。
追い抜こうとしたことがアダとなり、莉子さんが転倒に巻き込まれて一緒に転んでしまったのだ。
そして当然に、その間でCクラス、Dクラスが抜き去って行く――。
先に立ち上がったのは莉子さんだ。
でも、莉子さんはすぐに走り出したりしない。
Bクラスの女の子の手を取り、立ち上がらせてから一緒に走り始めたのだ。
アスリート精神に則り、清く正しい行動に対して、見学している先生、そして生徒たちから拍手が贈られる。
バトンを渡し終えた莉子さんが、足を引きずった様子で僕の元へやって来る。
「莉子さん、頑張ったね。尊敬に値する立派な走りだったよ」
「……郡さん。莉子は頑張りました。でも……ダメ、でした」
莉子さんから男子にバトンが渡った時点で差は100メートル以上開いていたかもしれない。
ここから逆転するには絶望的だし、特別賞も夢のまた夢かもしれない。
だとしても――。
何が駄目なものか。
莉子さんに文句を言う人がいたら僕が許さない。
「駄目な所なんて1つもないよ。格好よかった。足捻った? 大丈夫? 後で保健室行こっか」
「私……結局、私は、変われない……んですか? こんなに……頑張ったのにッ」
怪しい雰囲気に、莉子さんの小さな叫びに、周囲が注視している。
だけどそんなの関係ない。
莉子さんの頑張りは莉子さんにだって否定をさせてやらない。
「莉子さんの頑張りは僕が一番分かっている」
――ぐすっ。ひっく。
と、
耐えきれなかったのだろう。
美海から聞いた数をカウントすると、これで29回目だ。
僕は何度莉子さんの涙を見たら気が済むのか。
この子は美海と同じように、笑った顔で人を明るくさせることが出来る。
涙なんて似合わない。
「ほら、泣かないの。次は僕が走るんだからしっかり応援していてよ」
「ふぉ、ひょうり、しゃん!!」
「変な顔」
「なっッ!? 郡さんがほっぺたムギュって、押し潰したからですよ!?」
「泣き止んだね。ハンカチ持っている? ちゃんと、涙ふき取ってから応援してよ?」
ポケットから金魚柄のハンカチを取り出し、涙をゴシゴシと拭き取る莉子さん。
少し落ち着いたのか涙は止まったようだ。
「……100メートル。と、言ったところでしょうか。絶望的な差ですね」
さっきと変わらない距離。
でも、約束したからな。
莉子さんの願いが叶うように手伝うって。さっきも全力で走るって約束もした。
何より僕が莉子さんの頑張りを……思いを無駄とは言わせたくない。
「たった100メートルでしょ? 僕なら余裕だよ」
「……郡さん、莉子より少しだけ速いくらいでしたよね?」
僕も速くないよとは言ったが、早朝の練習は莉子さんの速さに合わせていただけだ。
本気を出せば、平均よりもう少し速く走れるだろう。
練習で手を抜いていたのは2年Bクラスだけではない。
狡いと思われるかもしれないが、これも立派な戦略だ。
「ごちゃごちゃうるさいな。黙って応援してなよ」
「なぁッ!?」
僕の声が聞こえたのか、莉子さんだけでなく注視していたクラスメイトたちからも、莉子さんと同じように驚く声が聞こえてきた。
「――ふうう」
「ため息――面倒でした、ね」
ため息ではない。
深呼吸をして息を吐き出しただけだ。
これから柄にもないことを言うから気合を入れ直したのだ。
「ま、見てなって。いいかい? 一度しか言わないから、よく聞いてよ?」
「はい……」
「……莉子、俺を信じろ。――じゃあ、順番だから行ってくる」
「つ――っっッッッ!? え、郡さん、今笑って……それに頭……」
周囲からも息をのむ声が聞こえた。
ちょっとキザだったかもしれない。
さすがに、頭をポンってしたのはやり過ぎだったかな。
いや、気にしている時間はない。
すでに先輩は最終コーナーに入った。
あとは何も考えず全力で400メートルを走り切るだけ。
ちょっと大変だし、最後倒れるかもしれないけどなんとかなるだろう。
僕が受け取ったバトンは最下位の順番だ。
でも、諦めない。
先ずはすぐ先のBクラス。
そして約50メートル先のDクラス。
最後に約100メートル先のCクラス……吉永くんを抜かせばいいだけだ。
幸いなことに吉永くんは、練習通りの速さだ。
それなら勝機はある――。
▽△▽
――息が、苦しい。
Bクラスはすぐに抜いた。
200メートル過ぎた時点でDクラスも抜いていた。
あとは――。
――いた――――捉まえた。
――あと――――何メートルだ。
――いや関係ない――――もう追い付く――――。
人は何故。
ゴールする手前で両手を上げるのだろうか。
簡単だ。決まっている。
勝利を確信して油断するからだ。
両手を挙げてゴールするのは、さぞ気持ちがいいのかもしれない。
でも今の僕にそんな余裕はない。
悪いけど――莉子さんの――――僕のためにも――――――。
その一瞬の油断をつかせてもらう。
そして――――――。
『ゴ……ゴ~~~~ルッッ!!!! 1着はどっちだぁぁ!? 1年Aクラス八千代郡くんの怒涛の追い上げッッ!! 1人、また1人と抜き去り。そして最後も抜いて1着を取れたのだろうかぁぁ!?? はたまたCクラス吉永晴翔くんが意地で1着を守り切ったのかぁぁぁ!? 審判の判定はどっちだぁぁぁ!? で、出ました!! 判定は――』
うるさい。マイクを握っている人がではない。
――はぁっ、はぁっ。
と。
自分の息がとてもうるさく感じる。
頭に響いてくる呼吸音がうるさく、苦しくて、結果が聞こえない。
気になるけど、今は呼吸だ。
でないと意識が飛びそうだ。
初めに予想した通り、ゴールと同時に倒れてしまった。
仰向きになり、荒い呼吸を繰り返す。
体育館の天井に付いているライトって、どうしてこんなに眩しいのだろうか。
あと、肘が痛い。莉子さんと同じように捻ったかもしれない。
もしくはすり剥いているかもしれない。
酸欠のせいか、頭がポーッとする。
呼吸に集中しよう。
そう思ったのに、不意に誰かが乗っかって来た。
し、しんどい。息が――。
「郡さんっ! 郡さんっっ!! 郡さんっっッ!!!! う、う、う……こうりさんのバカァァ~~!!!!」
「はぁっ、はぁっ……り、莉子さん……重い、苦しい……」
「り、りこはおもくないってばっ!! バァァカァァァァァァ~~~~~~!!!!!!」
いや、本当に苦しいんです。莉子さん。だから、胸から下りてほしい。
「そ、それよりさ……僕は、勝てたの?」
返答はない。莉子さんは僕の胸の中でずっと泣き叫んでいるからだ。
ああ、でも、これで30回目になるのかな。
そんなことを考えていたら、莉子さんの代わりに幸介が結果を教えてくれた。
「郡! お前は本当に……おめでとうッ!! Aクラスの逆転さよなら勝ちだったぞ」
ああ、良かった。
ギリギリだったけど、なんとか勝てたようだ。
大見得を切ったのだから、勝てなかったらダサいなんてもんじゃない。
幸介の言葉を肯定するように、他のクラスメイトからも称賛の声が届いて来ている。
さっきまで、あんなに僕を非難していたのに現金なものだ。
でも――悪くない。
尊敬できる友達。
それも可愛い女の子の前で格好つけることが出来たのだからな。
だから、莉子さん下りてほしい。
これでは、いつまでも呼吸が整わない。
『結果発表。そして、閉会式を行うからすぐに整列するように。1年Aクラス。喜ぶのはいいが、規律は守るように』
なんとも締まらない終わり方だ。
でもさっき、マイクで叫んでいて人は誰だか分からなかったが、今の固い声色は間違いなく田村生徒会長だ。
本宮先輩や他2人の声でもなかったし、誰だったのだろうか。
「ほら、肩貸すから立ってくれ」
「ヒーローインタビューでもすっか?」
いつまでも起き上がらない僕を立たせてくれたのは、幸介と順平の2人だ。
莉子さんは……どうやら美海と佐藤さんが同じように拾ってくれたようだ。
「つか、郡お前!? 血、やべーぞ?」
「え?」
本当になんとも締まらない終わり方だな。
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