第112話 糖分を望んだら極上の糖分がもらえた

 熱気溢れる体育館の外に出ると涼しく感じた。

 廊下は節電の影響でエアコンは稼働していない。

 それなのに涼しく感じたということは、それだけ体育館に熱がこもっているということだ。


 熱中症に気を付けないといけない。

 体育祭は明日もあるのだから。

 副会長の話が終わったら、みんなに注意を促しておこう――。


「失礼します。1年Aクラス八千代郡です」


 ノックしてから、所属と名前を名乗り入室すると3人の女性が控えていた。

 1人は以前挨拶を交わしているため見覚えあるが、残り2人は初対面だ。


 体操着を着ているため判断つかないが、恐らく2年生だろう。

 現生徒会役員は3年生が3人と、2年生が3人で構成されている。

 3年生の先輩方とは面識もあるが2年生はない。


 そして副会長に呼ばれてこの場に足を運んだのだから、この3人の女性が生徒会役員メンバーということだろう。


「私のことは覚えてくれているかな? 千代くん」


「もちろんです。こんにちは、本宮もとみや先輩」


 バス旅行の翌日、五色沼ごしきぬま先生にお土産を渡したあと保健室の外で挨拶を交わしたばかりだ。忘れる訳がない。


 それとあの時感じていた有名な人かもしれない。

 その勘が当たったとうことだろう。


 僕の前に着席しているこの人が、本宮真弓もとみやまゆみ先輩が、イベント大好きと噂される生徒会副会長ということだ。


「嬉しいなぁ。急に呼んだりして悪かったね。千代くんと少しだけ話がしたいだけなんだ、いいかな? そこまで時間は取らせないよ」


「はい。長い時間を必要としなければ大丈夫です」


 クラスの応援をしたいし、少しでも莉子さんから目を離したくない。

 僕は最後まで莉子さんが活躍する姿を見届けたいと思っているからな。


「もちろんだとも。では改めて――生徒会副会長を任されている本宮もとみや真弓まゆみだ。よろしくね千代くん。それで彼女たちは生徒会書記と会計になる」


「2のB。会計。日和田ひわだけやき


「同じく2年Bクラス。書記の冨久山ふくやま紅葉もみじよ」


 日和田先輩はどことなく不思議な雰囲気を纏った人だ。

 自己紹介した後は全く関係ない所を一点に見ている。


 それとお腹が空いているのか、これでもかってくらいお腹から『グゥーッ』って音が聞こえてきている。

 お昼終わったばかりなんだけどな。

 生徒会役員は忙しいのかもしれない。


 もう1人の冨久山先輩はなんだろうか。

 真面目そうで固い雰囲気を持っているけど、それ以上に『苦労人』。

 そんな雰囲気が全身からにじみ出ている。

 あまり触れない方がいいだろう。


 初対面となった日和田先輩と冨久山先輩2人に対して、似た自己紹介を交わしながら、第一印象から2人を分析していると、本宮先輩が体育祭について話し始めた。


「いやぁ、最初はあの固い生徒会長が取り仕切る体育祭など、捻りもなく面白みもない体育祭になると予想していたのに、それがどうだい? 一部ではあるけど大盛り上がりじゃないか。千代くんのクラスメイトの平田さん、彼女が持ってきた話を受けて正解だったよ」


「遅くなりましたが、平田莉子の案を承認して下さりありがとうございました。おかげで、いい体育祭を迎えることが叶いました」


 僕が返事を戻すと、本宮先輩は嬉々として話し始めた。

 話を聞くと――。


 例年、3年生の生徒会役員最後の仕事が体育祭になるらしい。

 そのため元から体育祭に関わらない約束をしていたと。


 けれど、今、本宮先輩が一番興味を抱いている人物でもある僕『八千代郡』が、体育祭実行委員になったと知り、どうにか体育祭に関わりたくなったと。


 だけど、頭の固い田村生徒会長は首を縦に振らず上手く行かなかった。

 そこで賭けを持ち掛けてどうにかもぎ取ったのが、現在伏せられている空欄について。


 体育祭実行委員から出た案が、『リレー』で決まれば会長の勝ち。

 それ以外の案で決まれば副会長の勝ちと。


 田村生徒会長が勝てば、本宮先輩は次期生徒会長として私用で生徒会を運用せず、学校の為、生徒の為、粉骨砕身『任』を全うすること。

 本宮先輩が勝てば、起こす行動に口を挟まないこと。

 両者の間で、そんな約束が交わされていたらしい。


 怖い話である。


 あの時、僕の出した案である綱引きで決まっていたら大変な体育祭になっていた可能性がる。

 そう考えると莉子さんと田村生徒会長には感謝してもしきれない。


 それと最初に本宮先輩に抱いた、まともそうだという印象は完全に間違えていた。

 彼女はやばい。関わってはいけない人だ。

 これ以上深入りすると、平穏な日常を過ごせなくなる可能性が高い。


 適当に言い訳して、早く退出した方がいい――。


「それで千代くん。生徒会に入らないかい? 本当は女の子がよかったけど、千代くんなら歓迎するよ」


「大変光栄なお誘いではありますが、僕に務まるとも思えませんし、1人暮らしで何かとお金も必要ですのでアルバイトを優先させて頂きたく思います。申し訳ありません」


 少なくとも本宮先輩が生徒会にいる間は勘弁してほしい。それに生徒会は、会長を除いて選挙制だ。

 推薦の制度はなかったはず。


「そうか、残念だけど仕方ないかな。今は諦めるとしよう」


 僕が頷くことはないから、このまま諦めてもらいたい。


「でも、千代くん?」


「はい、なんでしょうか?」


「君は大槻先輩のお気に入りで、五色沼先生だったかな? 君が言うところの先生からも気にいられている。さらに千島ちしま美波みなみ義兄あにで、上近江かみおうみ美海みうとは同じクラスで仲も良好らしいね」


「ええ、まあ」


 また急に話を変えてくるな、何かあるのだろうか。

 ただ、五色沼先生が他の3人と羅列されることには引っ掛かりを覚えるな。

 

 それに……本宮先輩は確か、五色沼先生を『ともえ先生』と呼んでいた。

 けれど今はよそよそしく五色沼先生と呼んだ。このことにも妙な違和感を覚えてしまう。 


「ありがとう、それが確認したかったんだ。時間を取らせたね、もう行っていいよ」


「……はい。では、失礼させていただきます」


 腑に落ちないし妙な胸騒ぎだけが残されたが、これ以上ここに残りたくもない。

 だから背を向けて退出しようとするが、扉の前で呼び止められる。


「あぁ、最後に1つ。千代くん、君は騎士になるつもりはあるかい?」


「騎士……ですか? 確か五色沼先生もそんなことを言っていましたが、何かあるんですか?」


「彼女がそんなことを? ――ははっ、なるほどね。相変わらず怖い女だ。いや結構。少し急用が出来た。千代くん、すまないが退室したまえ」


 もう一度心の中で呟くが。

 本当に腑に落ちないし胸騒ぎがする。

 騎士や五色沼先生について聞きたいが、副会長に出て行けと言われたら退出するしかない。


 だから頭だけ下げて、そのまま退室させてもらう――。


「……糖分が欲しいな」


 コーヒーの楽しみ方は人それぞれだろうが、僕はコーヒーに砂糖やミルクを入れずブラックで飲むのが好きだ。


 だが今は無性に甘い缶コーヒーが飲みたい気分だ。

 運動後の水分補給としては、コーヒーは適さないかもしれないが僕は運動をしていないから構わないだろう。


 言い訳を考えながら、体育館ではなく表階段に進路を決める。

 そのまま表階段を使って9階に上がり、自動販売機で缶コーヒーを購入しようと財布を取り出すが、後ろから伸びて来た手によって、僕がタッチするよりも先に、交通系ICカードで『ピッ』とタッチされてしまう。


「ご馳走します。これを条件に何かをしてなど言ったりもしません。どうぞ、何も考えずにお受け取りください」


 気前のいいことを言ってくれた人は、僕を追い掛けて来たと思われる冨久山ふくやま先輩だ。


 何か裏があるとしか思えないが、さらに『約束します』と言われたため、信用してご馳走に預かることにした。


「私も……真弓まゆみけやきに振り回された時は、甘いコーヒーやミルクティが飲みたくなるんですよ。だから仲間ですね、千代くん」


 冨久山先輩は僕に共感することを言いつつ、言い切ると同時にため息を漏らした。

 第1印象に感じた『苦労人』。

 そう思ったのはあの2人のせいなのか。


 同情するが、良いことを聞いた。

 今後、日和田ひわだ先輩にも関わらないようにしておこう。


「真弓に気に入られて、その、なんというか……ご愁傷さま。それが言いたかったの」


「……よして下さいよ。僕は平穏に学生生活を送りたいだけなんですから」


「諦めた方が楽な時もあるよ。それに、もう……真弓が関わらなくても君は有名になりすぎているかな。あこが……大槻先輩のことだけならそこまででもなかったけど……前期末試験に体育祭。君は目立ち過ぎたんだよ。だから諦めて」


「……ご忠告、それとコーヒーありがとうございました。そろそろ戻らせてもらいます」


「連絡先を渡しておくから何かあれば相談して。まぁ……大して力になれないかもしれないけど。それでも騎士が何かについては教えてあげられると思うよ」


「……ありがとうございます。何かあれば相談させてもらいます。それでは――」


「ああ、私が行くから千代くんは休んでていいよ。私が来たからゆっくり出来なかっただろうし。じゃあ、またね。千代くん」


 連絡先が記載されていると思われるノートの切れ端を受け取り、再度、お礼を伝えると去って行った。


 その後ろ姿は、やはりどこか悲壮感が滲み出ていた。


 きっと『戻りたくないなぁ』。


 そんな呟きが聞こえたせいもあるかもしれない。

 最後の姿が印象的であったため、本宮先輩と日和田先輩とは本当に関わりたくない。

 そう再認識させられてしまう。


 クラスのみんなや莉子さんには悪いが、もう少しだけ、そうだなコーヒーを飲み切るまでは休ませてもらおう。

 ベンチに腰を下ろして、別の糖分でも補充するか。そう考えたら――。


「あっ! いた!! こんなところでサボったりして……こう君? どうしたの? 何かあったの?」


 様子を察するに僕を探して、こんなところまで来てくれたのだろう。

 けれど、よく分かったな。

 僕がここに居るということも、僕が落ち込んでいるということも。

 美海の顔を見てホッとしたのか、今すぐ弱音を吐き出したくなる。

 だが今は、体育祭中でもあるし我慢しよう。


「ああ、ごめん。ちょっと生徒会に呼ばれてさ、探してくれたんだね?」


「こんな所に呼ばれたの? あ、でも、もしかして……うるさいって怒られたりしたの? 私たちもさっき、会長さんに注意されちゃって」


 本宮先輩には何かを注意されることはなかったが、真面目な田村生徒会長には注意されてしまったようだ。


「ちょっと違うけど……今度、話聞いてもらってもいい?」


「……ちょっと危ないけど、9階なら大丈夫かな。こう君、こっち」


 独り言のように呟くと、僕の手を引きベンチで横になれと指示してくる。


「あの……美海? これはちょっとまずいんじゃない?」


「だって……こう君様子がおかしいだもん。ちょっとでも元気になってもらえるには、どうしたらいいか考えたけど……これしかパッと浮かばなかったのっ!! 嫌だった?」


 美海の気持ちは凄く嬉しいし嫌なはずもない。

 ベンチが硬いせいで肩が少しだけ痛いが、それ以外は何も文句ない。

 このまま美海の膝を借りて寝てしまいたいくらい心地がいい。

 なんなら頭も撫でられていて、最高の気分だ。

 こんな贅沢を許されてもいいのだろうかとも思えてしまう。


 ただ、誰かに見られたら一発アウト間違いない状況だ。

 だから寝てしまう訳にはいかない。


 けれど、でも――。


「ありがとう美海。最高の糖分補給で凄く元気がもらえたよ。今なら、あの応援歌でさえ大きな声で歌えるかもしれない。また今度もお願いしていい?」


「ふふっ、良かった。糖分補給とかよく分からないこと言えるくらいには元気になれたってことだもんね? あ、でもね、怒られたばかりだから応援歌は我慢してね。あと、膝枕くらいいつでもしてあげるよ? その代わり今度はこう君も私に膝枕してくれてもいいからね?」


「仕方ないから応援歌は我慢するか。あと、美海。僕は膝枕のコツを知っているから、今度体験させてあげるよ」


 役に立たないと思った五色沼先生の情報も案外馬鹿には出来ないかもしれない。

 確か、正座を崩したのが至高と言っていた。

 今なら毎晩ストレッチもしているし、前より体も柔らかくなっているから美海には最高の枕を提供出来るかもしれない。


 そう考えていたが、優しい目つきとは打って変わって不満そうな目つきを僕に向けて来た。


「ふぅん? こう君、まるで誰かに膝枕してあげたみたいな言い方。美波? 違うよね、美波からはそんな話聞いたことないし。じゃあ……莉子ちゃん?」


 天国のような気分が一転して、地獄……とまでは行かないけど不穏な空気となってしまった。

 調子に乗って口を滑らせたのだ。


「いや……莉子さんにもしたことはないよ」


「あ~!! やっぱり誰かにしたんだっ。どうせ年上の誰かでしょ? こう君は本当に浮気者なんだからっ」


 簡単な誘導尋問に引っ掛かってしまった。

 少しだけ頬を膨らませ不満気に僕を見下ろす美海を、下から見ても可愛い目と鼻と口だなと、全く関係ないことを考えている僕。


「こう君、聞いているの?」


 僕の頬を優しく抓みながら再度問い詰めて来るが、遠くから『いたか!?』『どこにもいないッ』と声が聞こえてきた。


 おそらく僕を探しているクラスメイトだろう。

 そう考え、名残惜しくもあるが美海の膝から頭を上げ、立ち上がる。


「さ、上近江さん。体育館に戻ろうか」


「またそうやって、すぐ誤魔化すんだからっ」


 不満の言葉を背中で浴びながら表階段に移動するが、さっきまで置いていなかった看板に目が留まる。


「あれ? こんな所に清掃中の看板なんてあったかな?」


「え? どうだろう……って、まだ話は終わってないよ、八千代くんっ!」


 その話はまたそのうちと誤魔化しながら、最後は呆れながらも可笑しそうに笑う美海と一緒に体育館へ戻ったのだ。


 ▽▲▽


「よいしょっと――」


 全く……世話の掛かるお2人ですね。

 莉子がいなかったらあっという間にお2人の関係は気付かれてしまいましたよ?

 漫画じゃあるまいし都合よく清掃中の看板なんて置いてある訳ないじゃないですか。


 お2人のイチャイチャタイムの時間を稼いだ莉子に感謝してくださいね、ふんっ。

 でも――。莉子が元気にしてあげたかったですね。残念です。


 ですが郡さんがいないことを最初に気が付いた人は美海ちゃん。

 そして郡さんを最初に見つけた人も美海ちゃん。

 どちらも莉子とはタッチの差くらいの誤差でしたけれど――。


 郡さんに元気がないことを気付けたのは美海ちゃんだけ。

 莉子では気付けなかったかもしれません

 悔しいなぁ、莉子も郡さんとはそれなりに密度ある時間を過ごせたと思うのですが……。


 やっぱり美海ちゃんには敵いませんね。

 それでも――。『かない』違いではありますが、莉子の願いは叶えさせてもらいます。


 自覚してきた美海ちゃんは、きっといじけてしまうでしょうけど。

 これもお2人のためです。だから許して下さいね、美海ちゃん。


 それにしても、郡さんが膝枕をしたお相手はどなたでしょうか?


 あの人は一体、何人の女の子を泣かせるつもりでしょう……許せませんね。

 天誅が降ればいいのです。


 ただ、あの郡さんが自信満々に言う程の膝枕……気になりますね。

 体育祭が終わったらご褒美におねだりしてみましょうか。

 それくらいの役得があってもいいですよね。


 うん、そうしましょう。


 強制です。決定事項です。拒否は許しません。

 それで莉子を泣かせることを許して差し上げます。


 でも、今は…………。

 莉子の口癖は言わないくせに、莉子ばかり郡さんの口癖がうつってしまい不満です。


 でも仕方ありませんね。惚れた弱みですから。


 気持ちを切り替えて、今は明日のために立ちはだかる敵をリッコリコにしてやりましょう。



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