第109話 莉子さんも鈍感だと思うよ

 前期末試験は8月30日水曜日から翌週火曜日までの平日5日間で行われた。

 この5日間、1年生に限りほとんどの日が午前中で終了となる。


 2年生や3年生については、午後までしっかり試験が詰まっている。

 その理由は単純で、名花高校は単位制の学校。

 つまり2年生に進級すると必修科目並びに選択科目数が一気に増えるためだ。


 2年生になると進学向けの授業、就職向けの授業、自分の将来に合わせてさまざまな選択科目が用意されており自由度が高い。


 だがいずれにしても、卒業するためには3年間で必要な単位を習得しなければならない。


 授業の選択はもちろんのこと、試験結果次第では留年となる可能性もあるから、自分を律しながら単位を管理しなければならない。

 大学生のようにも感じ大変ではあるものの、将来に向けて準備ができると考えればいいことのようにも思える。


 ただ――将来の展望がハッキリしない僕は少し悩ましくもある。

 進級するまでにある程度先の未来を決めておかなければならないからな。


 ここからさらに話を脱線させるけど。


 義妹の美波は、教科書に一度目を通しただけで内容を理解来たり、話を一度聞くだけで理解出来たりと、脳力のうりょくが異常に高い。


 高すぎる脳力ゆえに、話すことが苦手なのだと僕は考えている。

 現に唯一、国語や現代文を苦手科目としている。


 美波と比べて、いや、もしかしたら他の人よりも僕は物覚えが悪いかもしれない。

 だからコツコツと何度も予習復習をしなければ、試験でいい点など取る事は出来ない。


 それでも――。


 美波に尊敬してもらえる義兄あにで在りたい。

 

 そう願ったから、美波よりも高い点が取れるように頑張ってきたのだ。


 さて、ここからは話を戻して行くが。

 先ずは古町先生と交わした密約についてだ。


 自覚している通り、自己評価を高い位置につけたりはしていない。

 それなのに――。

 学年1位を取る。そう言い切った理由。今なら可能だと考えたからだ。


 2年生に進級してからでは厳しいかもしれない。

 もしかすれば後期末試験でも難しいかもしれない。

 けれども1年生の今なら、試験数も少なく内容も差ほど難しくない。

 対策さえしっかり取れば十分狙える、そう考えたから勝負を持ち掛けた。


 そしてこれは僕の勝手な都合で持ち掛けた賭け事のような物。

 だからアルバイトを休むつもりなどなかった。

 けれども、古町先生から勝負の内容を聞いた美空さんから、


 ――お願いだから、せめて土日は休んで。

 と、懇願されてしまった。

 まあ、そのおかげで復習も出来たから助かったのだが。


 そして試験最終日から週が明けた月曜日。

 今日は試験結果が発表される日となっている。

 昼休みには、試験結果30位まで記載されたランキング表が各クラスに張り出される。


 だがその前に、朝のホームルームの時間で試験結果が配られる。

 順番に試験結果が配られていき、最後の人へも配り終わる。


 教壇の上に立つ古町先生。

 普段から綺麗な姿勢をさらに正し、それから口を開く――。


「おめでとうございます、八千代君。クラスそして、学年1位です。お見事です」


「ありがとうございます」


 感情がこもらない無機質な声での返事。

 けれど美海や幸介を最初に、多くのクラスメイトから拍手や賛辞を貰うこととなった。


 僕の隣の席に座る森村くん。

 以前、美愛さんに席を譲ってくれた前の席の黒田くんや、その隣の白田さんは純粋に『おめでとう』と言ってくれた。


 他には願い事について聞いてくる人もいたが、明るい声色をしていたためひがみなどでないことが分かる。


 学年1位を取ったことで学校へ望む願い事については、本来なら、すでに前払いで受け取り済みのため、新たに願い事をすることは出来ない。


 けれども、あの時の願い事は非公式である。

 僕だけで済む話なら隠さずに公言するけれど、公言してしまうと古町先生や幸介を巻き込むことになるため、僕から口に出すことは出来ない。


 では、言わずに願い事は叶えてもらいましたとだけ言えばいいのでは?


 と、考えもするが、そういう訳にもいかない。

 何を願い、何を叶えてもらったか、それを公表しなければならないと決まっている。


 そうでなければ、『やる気と報酬』の実験に意味をなさないからだ。

 発表がなければ、実は何も叶えて貰っていないのではと疑う生徒が出る可能性もある。


 目に見える目標と結果は公言、公表してこそ、次に繋がるというもの。


 ならばどうするかだが――。

 それについては僕、古町先生、莉子さんの3人で話合いを行いすでに決まっている。

 話合いの内容についてはというと、今からこの場とこの時間を借りて発表させてもらう。


「さて、皆さん静かに」


 古町先生の呼びかけで、静かになる教室。

 それから続けて僕個人に問い掛けてくる。


「八千代君、願い事はお決まりですか?」


「はい――願い事とは違うかもしれませんが、みんなに協力してもらいたい事があります」


 なんだ、なんだと――と、再度話し声が広がるが構わず説明を口にする。


「先ず、体育祭は今回のような報酬がないですよね? でも、僕はどうせやるなら勝ちたいと思っています。目標はAクラスの優勝? いえいえ、そうじゃありません。それはただの通過点でしかありません。目標は1年Aクラス単独の総合優勝です。来年はクラス替えがあるため、このクラスでやる最初で最後の体育祭ですから、僕は勝ちに行きたいです」


 ここで一旦区切り、ゆっくり教室を見渡すが、面倒だなと言った表情をしたクラスメイトが大半である。だが構わず続けさせてもらう。


「実は先週の金曜日の体育祭実行委員の集まりがあった時にですね、とある願いを生徒会長の田村先輩に持ち掛けました。その願いとは『僕が前期末試験で学年1位を取れた場合、体育祭に報酬を投資したい』ってことです」


 自分には関係がない。そう考えていたクラスメイトたちも、『あれ、もしかして?』と期待した表情を浮かべ始める。


 ただ、遠回しで面倒な言い方のため『いいから早く言え!』と文句が飛んで来る。

 面倒な言い回しは、美海や莉子さんにも言われている僕の悪い癖だ。それを自覚してから続けさせてもらう。


「僕たち1年Aクラスが総合優勝したら、僕個人で貰える報酬にさらに上乗せした報酬、要はクラスに金一封をくださいと言って確約してもらいました」


「「「「「――おおっッ!!」」」」」


 声は上がるが、まだ物足りないと感じる。

 中途半端な盛り上がりかもしれない。

 金一封といっても金額は言っていないし、具体的なことも分からない。


 だから『それが?』と言った感じなのだろう。


「金額については学校側も公表してくれませんでしたが……例えば、クラス全員と古町先生で焼き肉を食べに行っても余るくらいの金額らしいです。余ったお金は11月にある文化祭に回してもいいですし、なんなら使い方はクラスで決めてしまって問題ないと」


 ここでやっと理解が追い付いたのか『焼肉!?』『文化祭!?』『自由に!?』と声が広がり、そして――興奮が爆発する。


「「「「「「「「――うおぉぉぉおっっッ!!!!!!」」」」」」」」


 先ほどとは打って変わって、凄まじい盛り上がりである。

 あおった僕としては嬉しい盛り上がり方だ。


 けれども、さすがに煩すぎたのか古町先生のひたいが動いてしまっている。

 雷が落ちる前に沈めなければならない。


 僕を他所に盛り上がるクラスメイトたちに、再度こちらへ注目してもらうため、両手を頭の上にかざし、手を叩き、意識を誘導して視線を僕に集める。


「本来なら僕1人の報酬でしたらここまでのことは望めなかったでしょう。ですが、体育祭への投資、ギャンブルと言ってもいいかもしれません。そして、クラス総合優勝という新たな目標を達成する事で得られる条件と報酬です」


 興奮が継続しているためか、僕に対して『愛してる!!』などと、ふざけて叫んでくる男子がチラホラいるが無視して続ける。


 この結果をもぎ取った人は僕でなくて莉子さんなのだから。

 伝える相手を間違えているぞって――。


「みんなにも良い話ですから、協力してもらいたいのですが……どうでしょうか? 嫌なら最初に考えていた通り、僕は1人で半年間学食を無料にしてもらうつもりですが……それとも、こんなことは言いたくありませんが優勝する自信はないですか? 僕も鬼じゃありませんし、それなら――」


「「「「「――ふざけんなぁっ!!」」」」」

「「「「「――やるに決まってんだろぉっ!!」」」」」


 運動部所属の男子からヤジが飛んできた。

 一部、女子からも汚い言葉が聞こえてきたが、聞こえないふりをする。


「では……体育祭の目標は? 僕たち1年Aクラスの?」


「「「「「「「「「「総合優勝!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」


 これで決まりだろう。

 煽った僕としては、上手く嵌りすぎてちょっと気持ちがいい。


 あ、でも、もう少しボリュームを抑えてほしい。


 煩すぎてBクラスやCクラス、Dクラスまでいるな……ホームルーム中にもかかわらず、先生や生徒がAクラスを覗き込んできている。

 そしてそれを謝罪する為、古町先生が教室の外に出て頭を下げている。

 僕もあとで謝らないといけない。本当にすみません。


 古町先生が責任を取ってくれていると、先ほどのヤジが一転して、僕に対してお礼の声が届き始めた。が――。


「お礼は嬉しいですが、伝える相手は僕以外にもいます。これを発案したのも、生徒会への説得も莉子さんがしてくれました。ですから、お礼なら莉子さんに言ってください」


 僕の話を聞くとクラスは静まり返ってしまったが、それは一瞬で、すぐに次々と莉子さんへのお礼の声が聞こえ始めた。


 中にはやはり『愛しているぞ』と叫んでいるお調子者もいる。


 お礼や賛辞の嵐、莉子さん本人も予想していなかった出来事なのか慌てた様子だ。

 恨みがちな目で僕を見ている気もしたが、気のせいだろう――。


 僕から莉子さんに注目が集まったことで、僕は着席してひと息付く。

 上手くやる気を出させる流れを作れて良かった。そう安堵したのだ。


 それで、報酬の使い道が決まった経緯についてだ。


 報酬がない。それが分かってしまったから仕方のないことかもしれない。

 僕たちAクラスは、体育祭へのモチベーションが低かった。


 適当にやり過ごそうという雰囲気が蔓延まんえんしてしまっていた。

 これらを見るに、古町先生から釘を刺されただけでは足りなかったのだろう。


 けれども諦める訳にいかない。


 体育祭を頑張りたい、莉子さんがそう望んでいるのだから僕は何とか協力したい。

 どうにかしたい思いではあるが、1人で考えても妙案など浮かんできたりはしない。


 だから古町先生そして莉子さんに相談を持ち掛け、生徒指導室で話し合うことになった。

 話し合うとは言ったが、初手から莉子さんが何食わぬ顔で言ったことでほぼ決まることになった。


「郡さんの報酬ください。どうせ1位取るんでしょう?」


 報酬を前払いで受け取っていることなど私は何も知りません。


 そんな表情で、さらには僕に1位を取れとプレッシャーを掛けつつ、古町先生の前で言い切ったのだ。

 そして、今僕がクラスメイトに説明した内容を莉子さんは古町先生と僕に説明した。


「で、先生どうですか?」


 莉子さんは最後に、抜け抜けと問いかけた。

 その様子に古町先生は可笑しそうに笑いながら、本来貰えないはずの僕の報酬を認めてくれたのだ。


「投資することについては生徒会長の承諾を得なければなりませんが、まぁ、なんとかなるでしょう」


「先生、それはつまり?」


「認めます。平田さん、頑張ってみなさい」


「あ、ありがとうございまひゅ!!」


 思いっきり噛んだな。


「職員室前を思い出すね」


「うるさいです郡さん!! 莉子を忘れてほしくないとは、言いましたけど、そんな細かなことまでは、覚えてくれなくても、いいですからっ!! でもどうしてか、覚えてくれていたことを、嬉しく思ってしまいます。く……悔しい――」


 悔しがる莉子さんを引き連れ、意気揚々と田村生徒会長に会いに行ったが、思うように説得がいかなかった。


 けれど、莉子さんが別口から確約をもらってきたのだ。

 急に退席してどこに行ったのかと思っていたが、副会長のところへ行っていたらしい。

 さらには校長先生の押印まで貰ってきたのだ。

 これには僕も驚いたし、田村生徒会長は頭を抱えていた。


 なんでも、田村生徒会長は面倒事が嫌いで真面目なタイプ。

 逆に副会長はお祭りやイベントが大好きな人らしい。

 どうして莉子さんがそれを知っているのかと聞いたら、学校では結構有名な話らしく知っている人の方が大半だと教えてもらった。


 本当に、実に頼もしくなったものだ――。


「やる気をみなぎらせるのは結構。ですが場をわきまえなさい。子供ではないのですから、私が言わずともいい加減に落ち着いてほしいですね」


 大いに盛り上がるクラスメイトたちには混ざらず、莉子さんの格好良い姿を思い出していると古町先生の雷が落ちて来た。


 おかしな言い方にはなるが、雷には慣れたもので瞬く間に静かとなり、そのまま1時限目の授業を始まった。


 あれ、休み時間は?

 と、感じるが盛り上がり過ぎて休み時間などとうに過ぎていた。


 そして、僕が願った報酬が公表されてから数日。

 この話は日を追う毎に全校生徒へ話が広がって行き、打倒1年Aクラスに燃えるクラスまで出て来てしまった。


 まあ、そのおかげでAクラスのやる気も上がり、放課後を使った練習でも団結力が見え始めてきたから、結果よかったのかもしれない。


 体育祭実行委員の集まりであった連絡事項も、莉子さんが逐一みんなと共有して、競技で勝てるコツなども調べて、みんなに混ざり練習に協力もしていた。


 僕など、ほとんど何もしないお飾りであったかもしれない。

 それくらい莉子さんは体育祭に全力で取り組んでいたのだ。

 一生懸命な莉子さんを見て、女子も協力的であったし男子も……多分別の好意もあったかもしれないが、非常に協力的で何かと不満を言っていた長谷と小野の2人組でさえ、最後は練習に混ざったりしていた。


 さらに莉子さんは、Aクラスだけでなく他クラスの体育祭実行委員の人とも仲良くなっていった。

 中でもCクラスの男の子、この子は莉子さんに特別な感情を抱いていそうにも見える。

 莉子さんは案外優しいし面倒見もいい。さらにこれが一番の魅力かもしれないが、話せば面白い。つまり、人を見る目がある男の子だと思う。


 莉子さんに好きな人がいなければ、自信をもって応援してあげたい。

 その莉子さん本人は、特別な感情を抱かれていると気付いていないようだけど、まあ、僕から言うことでもないだろう――。


 体育祭実行委員と言えば、リレーに出ることが決まっている。

 女子が走る距離は100メートル。

 短距離は得意でも中長距離は苦手だと言っていた莉子さん。

 100メートルを全力で走る体力も怪しいと言っていた。


 だから莉子さんは、体力作りを目的に僕の日課になった朝のランニングに加わった。


 短い期間のため、焼け石に水かもしれない。

 現に初めは、すぐ息が上がり、立ち止まることも多かった。

 けれども最後は、ゆっくりではあるが走り切れるようになっていた。


 本当に――。僕の友達は格好が良い。


 がむしゃらで凄くキラキラと輝いている。

 前に美海から敬称呼びについて訊ねられたことがあったけど、今なら僕は『尊敬しているから』。そう言える理由が出来た。


 そしていよいよ――。



 体育祭1日目の朝。



「郡さん……莉子は変われましたか?」

「誰がどう見ても莉子さんは変わったよ」


「本当ですか? まだ……自信がありません」

「何もしてない僕じゃ頼りないかもしれないけど、僕が保証する」


「……そこは””くらい言って欲しかったですね」

「…………僕を信じて」


「はい、録音しました。少し物足りませんけれども、まあ、これで我慢しましょう」

「ちょっと、莉子さん?」


「明日、体育祭が終わった後。その後にある打ち上げ。その前――」

「え、無視? まあ、いいけど。それで?」


「ここまで協力してくれたお礼に、莉子の好きな人を教えて差し上げます。だから、莉子に時間をもらえないでしょうか?」

「もちろん。でも、無理して教えてくれなくてもいいよ?」


「いえ……郡さんには聞く権利があるので拒絶は許しません」

「権利っていうか強制だね。でも、分かった。楽しみにしているよ」


「……口癖ですね。『でも、分かった』って、美海ちゃんの」

「そうかな? 移ったのかもしれないね。もしかしたら、莉子さんの口癖も移っていたりして」


「とりあえず、今日を頑張りましょう。と言っても、莉子たちは雑用ですけど」

「莉子さんは僕の『とりあえず』って口癖が移っているね」


「しっ、知りませんッッ!! あっち行って下さい!! 郡さんの…………」

「はいはい。じゃあ、頑張ろうね莉子さん。また後で――」


▽△▽


「…………バカ。でも莉子はそんな貴方が――」




 ――好きです。


 内から溢れ出る思いはもう莉子にも止めることは出来ず、どうする事も出来ない。

 本当の目的など郡さんは知らない。知らなくてもいい。

 莉子が抱くこの面倒な想いは、莉子だけに許された決意であり、権利です。

 莉子が認める莉子以外には譲れません。

 勝敗など始まる前から分かっています。

 でも、これだけは――。


 美海ちゃん貴女にでさえ――――――。


「――絶対に譲らない」

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