第99話 いまだ名前のない感情【11回目】
経験もデータも少なく、これといったお祭り対策案が浮かぶことなく、対策をとれないまま当日、8月5日の土曜日を迎えることになった。
普段は隠れ家的な雰囲気で落ち着ける店内も今は喧騒に溢れている。
カップル、家族連れ、友人同士などなど――。
けして広いとは言えない店内の席は全て埋まっており、レジにはテイクアウト客が列をなしている。
今朝見た天気予報では、今日の最高気温は36度を超えると言っていた。
そのことを考えれば、少しばかりの『涼』を求めて暑さから避難して来たと分かる。
いちいち数えずとも目視で把握出来るくらい、去年のデータで確認した以上に店内はごった返している。
それもそのはずだと思う。
データだけでは読み取れなかったが、注文する人以外にもお連れ様がいる。
だから単純に倍、いや、データよりも3倍近くお客様が居るように感じる。
来年への反省として、今年はしっかり記録しないといけないな――。
この喧騒に対抗する当店の戦力配置だが、美海以外の全従業員がホールで接客対応を余儀なくされている。
美空さんが言っていた通り食事の注文が少ないため、キッチンは美海1人に任せて問題ない。
むしろ僕としては、美海にキッチンへ居てもらえた方が安心して働ける。
ホールについてだが、美空さんがひたすらコーヒーを作り、
フリーで臨機応変に動いている。フリーで動いている理由については、もしもの時のためだ。
当店には綺麗な人しかいない。
祭りで浮かれた人が荒事や揉め事を持ち込む可能性もある。
そのため、唯一男性従業員である僕がすぐに対処出来るようにフリーで動く事となった――。
「涼しいー、つか人やべぇな」
「え~、座れないのぉ。全然席ないじゃんこの店」
「ピアノ邪魔だな」
「まだ、トイレ、開かないッ! ヤバイッッ」
「つか店員さん、みんな可愛くね? 声掛けてみっかな」
お願いだから漏らさず最後まで我慢して。
見守りたいけど、案の定に浮かれたお客様が
「他のお客様や従業員への迷惑行為は即通報させていただいております。楽しいお祭りを過ごせるよう、どうかご協力をお願いいたします」
最初の注意は、対象のお客様個人には告げず全体に向けて注意する。
そのため、聞いていない人や聞こえていない人も多かったかもしれない。
だがその最初の1回で、万代さんに声を掛けようとしていたお客様には伝わったようで、未遂のうちに思い留まってくれた。
慣れないけど頑張って声を張り上げてよかった。
人の目には限界もあるし、来年は監視カメラの設置も要検討だな。
抑止力にもなるし証拠にもなるからな。
ひと安心してから、思い出したようにトイレへと目を向けるが……よかった、どうやら恥を掻くことなくトイレに入れたようだ。
ほっと胸を撫で下ろした瞬間、赤色の浴衣が似合う女の子が目の前に現れ元気よく声を掛けてきた。
「あの!! 八千代郡さんですよね!? 私のこと覚えていますか!?
上の名前しか知らないけど、確か
直接話した記憶はないけど、幸介の家でよく見かけたし顔はよく覚えている。
まあ、本当の所。
よく覚えている理由は、この子が稀に見る悪戯好きの女の子だからだけどな。
「えっと、確か……赤木さんかな? よく僕の靴を隠していた子だよね?」
「は、はふぅ……あ、あの頃はすみませんでしたぁ……」
「まあ、そうだね。別に怒ってはいないから安心して」
幸介の家へ遊びに行くと高確率で遭遇をした子だからな。
きっと、幸介の妹の早百美ちゃんと仲がいいのだろう。
この子が僕の靴を隠す理由は、僕を嫌っているからなのか別の理由があるからかどうかは、今でも不明だけれど、遭遇するたびに難解な所へ靴を隠され意地悪されたものだ。
年下の可愛いイタズラと流してはいたけど、困らせられたことは間違いない。
だから顔を忘れることの方が難しい。
「あのッッ!! また、お店来てもいいですか?」
「もちろん。今日は騒がしいけど、普段はもっと落ち着いたお店でいい所だから、是非また遊びにきてよ」
「はっ、はいっ! 今度、早百美ちゃんと一緒に来ます!!」
元気ハツラツといった言葉が似合う赤木さんは、多分彼氏さんらしき人と一緒に受け取りカウンターに向かって行った。
けれど彼氏さんをほっぽっといて、凄い勢いで携帯をいじるのはよした方がいいと思うな。
余計なお世話かもしれないけど――。
「やちよぉー!! ヘールプッ、ヘーールプッッ!!」
「やちよさぁ~ん!! やちよさぁぁ~~ん!!!!」
万代さん紫竹山さんからお呼びが掛かったので、気を取り直して仕事に戻るが、その後は何やかんやと、大きな問題もなく過ぎ去っていき、最後のお客様見送りの瞬間を迎えた。
「「「「「――ありがとうございました」」」」」
扉が閉まると同時にドッと押し寄せる疲労の波。
それは僕だけでなく、表情を見れば他のみんなも疲労困憊なことが窺える。
新津さん、万代さん、紫竹山さんの3人は午前中から働いているため、そのまま上がってもらい、美空さんと美海、僕はいつもよりヘビーな閉店作業をしてから退勤となった。
美空さんが言ったように売り上げは良かったけど、割に合わないかもしれない。
でも――。美空さんからちょっとした大入りを頂けたことは、頑張ったことが報われた気がして嬉しかったな。
今日は寄り道する元気すら残っていないけど、また別の日にでも自分へのご褒美として少しリッチなコンビニスイーツでも買って食べるとしよう。
「それじゃあ、戸締りもしたし帰りましょうか。2人とも今日はありがとうね。ご苦労様でした」
「ん~、私はいつもとあまり変わらなかったからなぁ。それよりも、こう君大活躍だったって
おそらく、美海が万代さんから聞いた話は、浮かれたお客様への対応の件だろう。
「そうよ美海ちゃん! それもそうなのだけれど、郡くんたら、可愛い女の子に声掛けられていたのよ? 『私のこと覚えていますか?』って!」
「……こう君はモテモテだね?」
「あの子は幸介の妹の友達だし会ったのも中学3年生以来だよ。喋ったのだって今日が初めてだし。だからモテモテとは違うと思う」
ただ事実を述べている筈なのに、どこか言い訳がましく聞こえてしまう。
「ふ~ん? でもさ、こう君。あの子は久しぶりに会ったのに、ひと目でこう君だって気付いたんだよ? そのことについてはどう思う?」
「……確かに。よく僕だって気が付いたな」
「でしょっ??」
八千代と言う苗字が多い訳でもないけど、全くない訳でもない。
僕は自分でも驚くほど、見た目だって変わっている。
美波や幸介くらい近い人なら、気付いたかもしれない。
だが赤木さんはそうじゃない。それなのによく気が付いたな。
「赤木さんは人間観察が趣味なのかな?」
もしくは人よりも警戒心が強いかだ。
注意深く見ているから、人の顔を覚えている可能性だって考えられる。
「……そっか。こう君が頭いいのに頭悪いってこと忘れていたよ。その赤木さんの話はもういいけど、
「想像通りだと思うよ。おまけに品行方正、成績優秀、誰に対しても分け隔てなく優しくて聖女様みたいな女の子らしいよ」
「うわっ、凄いね。物語に出て来るヒロインや主人公みたい」
「すでに物語になっているみたいだよ?
幸介から身内として文化祭に誘われたりもしたが、早百美ちゃんからNGが出てしまったため、残念ながら劇を観ることは出来なかったけど。
「凄いね…………幡くんはこう君のこと大好きだよね?」
なんとも返答に悩む質問だろうか。
「えっと、頷くには抵抗を感じるけどそうだと思うよ?」
「幡くんと早百美さんは仲のいい兄妹?」
「今は2人とも忙しい日が多いからあんまりだけど、昔は2人で出掛けたりしていたから仲がいいと思うよ」
「それじゃあ……早百美さんもこう君のこと好きだったりして?」
「それはないよ」
昔は分からないけど、今ではほとんど話すこともなくなったし。
むしろ避けられている気もするから、嫌われている可能性だってある。
美海は納得が出来ないからか、まだ何かを聞いて来ようとするが、目的地であるアパートに到着となる。
普段ならこのままオートロックの内側に入って行くが、今日は美空さんだけ先に入って行き、美海はこの場に留まっている。
悩んでいるそぶりを見るに、まだ気になっているのだろう。
もしくは何か話したいことでもあるのか。そう考えていると不意に『えいっ』と言って、抱き着いてきた。
「どうしたの、美海?」
「ん~、よく分からない。なんとなくかな?」
「そっか、なんとなくか」
声のトーンで判断するに、美海本人でも行動の理由をよく分かっていないのかもしれない。
「うん、なんとなく。こうしたくなったの」
「なら、仕方ないか」
「いきなりだったのに嫌じゃないの?」
人に見られたら恥ずかしくて困るかもしれないけど、美少女に抱きしめられているのだ、嫌なはずない。それに相手が美海なら尚更だ。
「美海は特別だから」
「……そうだよね。えへへっ、なんか元気出た」
「僕も美海に元気がもらえたよ。ありがとう」
「うんっ! またね、こう君」
「美海?」
「うん? なぁに、こう君?」
呼び止めたはいいが、どうして呼び止めたかの理由が自分でも分からない。
自然に口から出るはずだった言葉は、声という形になる前に霧散してしまったからだ。
「……来年は一緒にお祭り行けたらいいね」
「ん~、難しいかもだけど……お姉ちゃんに相談だね?」
今言ったことも本当の願いの1つ。
けれどなんとなく、霧散した言葉の中には含まれてはいない気がする。
ここ最近、自分の感情の正体が分からず言語化出来ないことが多々ある。
何か病気かもしれないと考えたら不安な気持ちも湧くが、これもまた、”なんとなく”違うと確信している。
だから不安にならない。
むしろこの言語化出来ない状態を悪くないと感じているからだろう。
それが分かると、思わず『ふ』と笑みがこぼれてしまう。
そして僕を見た美海は『ふふっ』と笑い返してくれる。
よくも分からないが痒くも居心地の良さを感じる。
そのことを実感してから今度こそ『またね』と別れの挨拶を交わす。
最後のやり取りのおかげで、お祭りで溜まった疲労感など忘れ、まるで羽が生えたかのような軽い足取りで帰路に就いたのだ――。
▽▲▽
【11回目】
「どうぞ、上がって、下さい」
「お邪魔します。今日も部屋?」
「はい。先に、部屋に、お願い、します」
「先に?」
「お茶……持って行きます」
「……クッキー焼いてきたから一緒に食べようか?」
「ありがとう、ございます。クッキー、好き、です」
「良かった。じゃあ、先に上がらせてもらいます」
「お待たせ、しました。麦、茶、です」
「ありがとう。クッキー食べたら、また勉強始めるけどいいよね?」
「はい。適当に……話しかけます」
「分かった。さ、平田さんもクッキーどうぞ。結構、自信作だから」
「いただき、ます――くるみ? ですか? 美味し、い、です。ズッくんは、誰かに、告白、された、ことある?」
「正解。口にあったようで良かった。それにしても、またいきなりな質問だね? 告白、か……それは恋愛って意味で?」
「はい、そうです。どう、です?」
「ないよ」
「じゃあ、告白、した、ことは?」
「それもないよ。そもそも僕に恋愛は難しいと思う」
「……これ」
「使ってくれているんだね?」
「はい。ズッくんが、くれた、物、なので」
「水族館でさ、他にも大きな魚たくさんいるのに、ずっと金魚見ていたけど金魚が好きなの?」
「特には。でも、綺麗、だと、思った、から」
「あ、そうなんだ。金魚が好きなのかと思って選んだけど失敗したかな? でもハンカチだしあっても困らないよね?」
「いえ……好き、です。好きに……なり、ました。宝物、です」
「そっか。でも、宝物だからと言ってしまっておかないで、ちゃんと使ってよ?」
「…………」
「え、急に睨んだりしてどうしたの?」
「ボロボロに、なる、まで、使い、倒します」
「あ、無視? ま、いいけど。でもそっか、それならハンカチも本望だろうね。けどさ、その場合は、使い尽くすが正しいと思うよ?」
「いえ、倒すんです」
「並々ならぬ決意だね」
「…………」
「今度はどうしたの?」
「いつか……忘れて、しまうので、しょう、か?」
「何を?」
「楽しかった、思い出、とか」
「どうだろうね。僕らはまだ16歳だから、先のことは分からないな。あれ、平田さんは16になった?」
「……(忘れられたくない)です。あ、その……(グスッ)」
「……どうしたの?」
「あ、その、って、言っちゃ、いまし、た(グスッ)」
「惜しかったね。でも、今日は凄く話せていて驚いているよ。この調子だよ」
「(グスッ)……はい」
「それで、誕生日は?」
「……夏、休みの、最後の、日、です(グスッ)」
「もうすぐなんだ。ちなみに予定は?」
「――?? 特に、ない、です??」
「じゃあ、連れて行きたいところがあるから、もしよければその日は僕がもらってもいいかな?」
「ふぇっ!? あの、2人、で?」
「美波もいるけど……2人の方がよかった?」
「いえ、3人で。3人の、方が、いい、です」
「そ、よかった。じゃあ、約束ね」
「はい。約束、です」
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