第98話 一生解けない問題かもしれない
まだひと月という期間ではあるけど。
過去の実績からメニューの見直しによるロス率の改善。
マニュアル作成、定位置の見直しによる生産性の向上。
使用頻度毎に食材や調味料、資材をAからCグループに振り分けてデータをまとめたことで、発注時間の短縮、精度向上によるロス率、そして機会ロスの改善。
また、無駄な発注による納品が減ったことで片づけ時間の短縮。
等、それぞれ微増ではあるが改善傾向である。
それに――。申請してあった補助金、助成金関係の承諾も出たことで、設備投資も可能となった。
ホームページの更新やSNSでの情報発信にも着手しようかと思ったが、以前、騒ぎになったこともあり、美空さんの強い希望で控えることとなった。
でも、補助金の申請が通ったことで、準備が整い次第この店ならではのイベントを始めることが出来るし、ネットを活用せずとも口コミで人気も広がっていくだろう。
「――つまり?」
「もう少し追わないといけませんが黒字になるかと」
今日は7月最後の営業日、棚卸の日。
僕は美空さんの手伝いで在庫や数字の確認をしていて、事務所での作業が一通り終了したところで、最後に黒字転換を確認出来たのだ。
僕の報告に、美空さんは大きく喜び抱き着いてこようとするが、その動きを読んでいた僕は、少し残念に思いながらも
ただ、まだ他にも改善出来ることを考えないといけないし、黒字といっても利益は微々たるものだから、予断を許さない状況なことに変わりない。
引き続き、気を抜かずに8月も頑張らないといけない。それよりも――。
「それよりも……って、美空さん何をいじけているんですか?」
「えぇ~、だって郡くん冷たいんだもんっ! 美海ちゃんのことばかり可愛い、可愛いってして!」
「はいはい、頬を膨らませている美空さんも残念可愛いです。まだ仕事残っているんですからね? 来週のことだって――」
「え~、扱いが適当だし、やだぁ、来週の話は聞きたくなぁ~い、考えたくなぁ~い」
両耳を塞ぎ、子供のように駄々をこねている姿は珍しくて、なんとなく美海の姿が被ってしまう。ポケットに携帯があれば動画を撮ったが、残念ながら携帯は更衣室にしまってある。
美空さんが子供の様に嫌がる理由。
来週、夏祭りが開催されるからだ。
それも駅前大通りを交通整理や一部を封鎖するほど大きな祭り。
祭りに参加する人からしたら、夏の楽しいイベントかもしれないが、働く人からするともの凄く大変なイベントらしい。
僕は今年からアルバイトを始めたから、大変さをイマイチ理解出来ず、想像でしか予想できないが、この駄々を
経営者からすれば売り上げが出て嬉しい悲鳴かと思ったが、そうでもないらしい。
異常な客数で注文は多く忙しいけど、お祭りでお腹が膨れているから、食事の注文は入らなくて客単価が以上(異常)に低いと。
さらに、店内やトイレ、店舗周りが凄まじく汚されてしまうから、閉店後や翌朝の清掃が大変で、とてもじゃないけど割に合わない重労働になると――。
え、何それ。普通に嫌だな。今から対策考えたら間に合うか?
なんとかしたい。
美空さんには悪いが、臨時休業を視野に入れても……いや、根本的な解決にはならないか。嫌だけど考えるしかない。
「はい、現実逃避しないで対策考えましょう」
「ひょっ、ひょっと、きょうりきゅん! いてゃい!」
いつまでも頬を膨らませているので、つい、頬を引っ張ったのだ。
望まれた通り、すぐに止めてあげてもいいけど――。
なにこれ、凄く柔らかくて気持ちがいい。
「ふぅ~~~~~~ん。2人に気を使ってぇ。1人で後片付け頑張っていたのにぃ。どうしてぇ。2人はイチャイチャしてぇ。遊んでいるのかなぁ? お姉ちゃん。八千代くん」
今までで一番溜めのある『ふ~ん』だったな。怖くて顔を見ることが出来ない。
それとこんなことは今言えないけど、美海に『八千代くん』って呼ばれるのが懐かしく感じる。
「美海、全部やってくれてありがとう。美空さんがサボっていたから、ちょっと罰を与えていたんだよ」
「その割には、だらしのない顔でお姉ちゃんの頬を触って楽しんでいたように見えたけど? でも……お姉ちゃん? 八千代くんが言っていたようにサボっていたの?」
間髪入れない突っ込みにドキリとしてしまう。
普段は無表情で変わりないはずなのに、美海の目には僕の顔がどう映っているのだろうか。気になるから一度見てみたいな。
美空さんは頬を抑えながら『裏切者ッッ』と言ったような表情で僕を恨めしそうに見ていたけど、サボっていたことは事実だ。
だから今は、今日一番の集中力を見せて、真剣に言い訳を考えている。
「えっとね、美海ちゃん? 郡くんがね、美海ちゃんのこと、可愛いって惚気て言うから、ちょっとね? 胸ヤケして、休んでいたのよ? 郡くんったら、もう本当に仕方ないわね?」
美海が可愛いことは事実だから何も言わなかっただけであって、惚気てなどいない。
まあ、確かに僕も否定しなかったから言ったと同じだろうけど、美海を可愛いって言ったのは美空さんだ。
それにしても、言い訳がたどたどしい。加えて目も泳いでいる。
言い訳としては厳しいんじゃないですか、美空さん。
「………………こう君、本当に?」
えっと、今の言い訳が通用するの?
でも、僕の呼び方が戻っているということは、通用しているのだろう。
ちょっと納得出来ない。
僕の気持ちとは反対に、美空さんはガッツポーズをしている。
それが腹立たしいはずなのに、仕草が地味に可愛くて余計に悔しい。
「そうだね……僕と美空さんの中で一部、
しばしの沈黙。
美海の耳は赤くなってはいないから、照れている訳ではないはず。
真剣な表情で何かを考えている美海。
組んでいた腕を解き、頬を擦っている美空さんを見てから、美海らしからぬことを言ってきた。
「私もサボろうかな?」
「ちょっと、理解が追い付かないけど……じゃあ、僕もサボろうかな?」
両耳に聞こえて来る2つの溜息。
つまり僕は返答を間違えてしまったようだ。
溜息から少しばかり遅れてやって来る両頬への痛み。
いじけた表情の美海に左頬を、呆れた表情の美空さんに右頬を引っ張られたからだ。
理不尽に感じるが、仕事を再開することが出来たし結果オーライだ。
僕が『いひゃい』。
そう言ったら、可笑しそうに笑った2人が仕事に戻ってくれたからな。
そして、誰もいなくなった事務所で僕はぼそっと言う――。
「女性って難しい」
本当に、つくづくそう感じたのだ。
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