第96話 僕は幼女と手を繋いで交番にいきました

 思いやりがある、情がある、温厚である、人当たりが良く丁寧な人である、穏やかな雰囲気をしている、落ち着いた雰囲気をしている、人の輪を大切にする、怒らない――。


 これらに当てはまる人が一般的に優しいと言われる部類の人だ。


 そして、僕が平田さんに向ける態度にまるで当てはまらない言葉でもある。

 予想していた以上に厳しいかもしれない。

 平田さんの進捗具合も、他人に厳しく言うことも。

 平田さんに関しては、かんばしくない状況だけれども。


 実のところそこまで心配していない。


 何度か通話して分かったことだが、彼女は頑張っている。

 真剣に変わろうともがいている。

 であるならば、時間は必要かもしれないが彼女の願いは叶うだろう。


 けれどそれと反対に、僕の精神状態が厳しい。


 自分に厳しくすることの方がどれだけ楽なのだろうか。

 そう考えてしまう。

 毎晩の通話を考えると、どうしても気が滅入りそうになってくる。


「駄目だ……気晴らしに散歩でもするか――」


 今日は7月の第四土曜日。

『空と海と。』で働き始めてから、初の希望休となる。

 僕個人としては、職場は楽しいし美海にも会えるから希望休などなくともよかったのだけれど。


 ――郡くん、ちょっと働き過ぎかな。


 と、経営者である美空みくさんに言われたことがきっかけで、毎月第四土曜日に希望休を取ることになった。


 働き過ぎと言えば、それは美海も同じである。

 けど2人が一緒に休むと、店の営業が回らなくなってしまうため、同じ日に休むことは出来ない。

 そのため、美海は来月8月から第三土曜日に希望休を取ることになった――。


 そしてその初となる希望休。

 せっかくの希望休に1日悶々として過ごすなど勿体がない。

 読書したり、紅茶を淹れたりして好きなことをして過ごさないと。

 ただ、この言い方だと使命のように聞こえてしまうな。


 言葉選びとは難しい。


 あとはそうだな、サボり気味な資格の勉強をしてもいいかもしれない。

 もしくは前期末試験に備える時間にあててもいいかもしれない。

 ひと先ず――休日をどう過ごすかは、散歩しながら決めようか。


 着替えを済ませ、歩きやすい靴をシューズボックスから取り出す。

 とは言っても、選ぶほど靴は持っていないのだが。


 普段から玄関に出しっ放しにしている靴は、通学用の革靴にランニングシューズ。

 シューズボックスに収納してあるのは、スニーカー、サンダルがひと組ずつだ。

 そして、散歩の相棒として選んだ靴はスニーカーである。

 ランニングシューズでも良かったが、たまには違う靴を履きたい気分だったのだ。


 今年の4月、光さんから誕生日でプレゼントしてもらったキーケース。

 それと先日に美波から貰った日傘を手に取り玄関を出る。

 キーケースには自宅マンションの鍵と実家マンションの鍵が納められている。


 それとは別にもう1本、学校の図書室の鍵を持っている。

 図書室の鍵には、牡羊座のマークが目印のキーホルダーが付いている。

 そしてこのキーホルダーは、プラネタリウムを観た時に記念品で貰った物だ。


 なんでも、プラネタリウムが誕生して9月で百周年になるらしい。

 そしてその記念で入場者に配っていた。

 子供が多かったからか、柔らかな笑顔でキーホルダーを配っていたお姉さんが、好きなキーホルダーを選ばせてくれた。


 せっかくなので、自分の星座である牡羊座のキーホルダーを貰い、裸状態であった図書室の鍵に付けたのだ。


 この時に初めて知ったけど、美海は3月31日生まれのため僕と同じ牡羊座だった。

 僕は4月7日生まれだから約1年の差がある。


「もうほとんど年下みたいだね」


「……逆だったらよかったのになぁ」


「それはどうして?」


「んん? どうしてだろう?」


「おかしな美海。ところで、話が逸れるけど――」


 美海が逆だと良かった。そう言った理由について、僕が年上好きだと思っているからかな。と、あたりをつけることは出来たが、理由も分からず無性に恥ずかしくなってまった。


 そのため、気を紛らわすかのように別の話題に変えてしまった。


 ――日本の教育もこの辺を少しは考慮した方がいい気がする。


 って。

 けれどこうは言ったが、制度を変えるのには途方もない労力やお金も掛かるのだろう。

 政治や法律など、その道に明るい訳じゃないのだ、適当なことは言わない方がいいかな。

 政治と言えば、名花高校は四姫花を任命することもあってか生徒会の権威が強いらしい。


 今のところ、何かに巻き込まれることなく過ごせているが、体育祭で関わるとなると少し憂鬱かもしれない――。


 気分を晴らすために散歩しているのに、暗いことを考える必要はないから話を戻そう。


 美海も自分の星座である牡羊座のキーホルダーを選んだ。

 そして僕を真似して、図書室の鍵に同じキーホルダーを付けた。

 つまりお揃いだ。

 嬉しい気持ち半分、誰かに見られたら恥ずかし気持ち半分だが、そもそも図書室の鍵は内緒だから、誰かに見られることはないだろう――。


 それにしても、僕よりも美海の方がプラネタリウムを楽しんでいたな。


 暗闇でいきなり手を繋いできた時は驚いたが、綺麗な星に興奮していたのか手を何度も開いたり閉じたり、にぎっぱしていて面白かった。


 プラネタリウム鑑賞後は、短冊にお願い事を書いたりして最後まで楽しんでいたようだ。

 8月なのに短冊?

 そう思ったが、今年は22日が旧暦での七夕になるらしい。


 7月は残念な事に全国的に雨が降ってしまったから、今年は急遽イベントを開催したと説明があった。

 ちなみにお願い事に何を書いたか聞いたが内緒と言われた。

 気になるけど仕方ないだろう。


 僕はこっそり2枚の願い事を書いた。だがバレてしまい、姉妹から欲張りとも言われたが……これも仕方ないだろう――。


 それから展望台から駅前を眺めたりしたけど、大きな窓ガラスから入る陽の光が暑くて、すぐさま退避してしまった。

 前回はカップルに、そして今回は日差しに負けたのだ。

 つまり展望台に関してはリベンジ失敗となってしまった。


 けれど、美空さんの手洗いを待つのにベンチに座っている時に、冬にまた行く約束を美海と交わせたから逆に良かったのかもしれない。

 くすぐったかったから、耳元で言わなくてもよかったと思うけど。


 その後は、最近人気がある洋食屋さんで昼食をとることに。

 僕と美海はビーフシチューオムライスを美空さんにご馳走になった。

 本当に美味しかったけど、金額は優しくなかった。

 きっとお金は受け取って貰えないから、別に何かお礼を考えておこう。


 お腹を満たした後は『空と海と。』に移動して、新しいデザートメニューの開発会だ。

 開発と言っても、美空さんが事前に考えていたデザートを試食するだけなのだが。

 そのためそう時間も掛からずに『葡萄を使ったパフェ』と『和栗を使ったマロンパイ』に決まった。


 どちらもとても美味しかったし、これからやってくる秋に向けてピッタリだ。

 あっさりと決まり、物足りないからか美空さんは悩ましい表情で『定番デザートも1品増やしたい』。そう言った。


 さらに続けて、『コスト的に今ある材料で作れる何か』と、呟いていたので1つ案を出してみた。

 僕が前のバイト先でも提案して、さと店長や美愛みあさん、すずさんのお墨付きで定番化した『バナナの天ぷらバニラアイス添え』だ。

 常連さんにも好評だったし悪くないと思ったけど、美空さんの……いや、美海の食いつきが凄かった。


 必要な材料は全て揃っていたし調理も簡単なため、急遽ではあるが早速作ってみた。


「……美味しい。こうりくんコレ採用させてもらっていい? 率も取れるし、さすがだわ」


「こう君……お代わり、食べたい……です」


 美空さんが言ったように、この商品は利益率がいいのだ。

 もちろん味だって美味しい。

 それに、バナナは1年中手に入るし、自画自賛するが本当にいい商品だと思う。


 けれど、美海?


 一応揚げ物だから、そんなに食べたらふ……え? やっぱいい?

 ごめん、僕が悪かったから太ももを叩かないで。


 開発会は、涙目で頬を膨らませた美海によって強制終了となった。


 美空さんとは、ここで別れて一度帰宅する事に。

 あとは――。


「お、綺麗だな」


 思わず感想が口から出てきたが、綺麗な向日葵ひまわり畑が見えたのだ。

 向日葵畑手前にある交番までは来たことがあったが、奥まで進んだことはなかったから知らなかった。


 綺麗に咲き誇っているのを見るに、調度いいタイミングで来ることが出来たのかもしれない。

 写真を撮って、あとで美海にも送ってあげよう。


「これがいいかな」


 メプリを入れてからアイコンの設定をしていなかったが、この向日葵畑がいいかもしれない。抽象的な表現になるが、『ビビッ』と来た。


 忘れないうちに設定してしまおう――。


 それで、なんだっけか。

 ああ、マンションに一度帰宅することになったんだ。

 それで僕が美波を迎えに行くと言ったら、美海も行きたいと言ってきた。

 けれど歩くには遠いし、外も暑いからと言って断った。


 美海は不満な表情をしていたが、家の鍵を渡して家で待っていてほしいと伝えたら、静かに頷き了承してくれた。


 美波と一緒に玄関に入ると、エプロンを着た美海が満面の笑みで『おかえりなさい』。そう言って出迎えてくれた。

 反則的な可愛さだったと記憶している。

 今でも鮮明に思い出せるほど、目に焼き付いた。


 それからは、第一回お泊り会と似た流れで時間が進み、結果だけ言えば、思春期の男子高校生にはいい修行になった。


 夜には前回観た映画の続編を鑑賞した。今回は雷も鳴っていなかった。

 それなのに、翌朝起きたら2人が僕の布団に潜りこんでいた。

 だから、さすがに注意をさせてもらったが――。


 いじけた美波が『ピアノ――』と言って出掛けることになった。

 きっと、僕に怒られたから気持ちを発散させたかったのだろう。

 演奏した曲は、普段より激しい選曲だったしタッチも荒々しかったからな。


 でも最後には、僕も美波も好きな曲のショパン『ポロネーズ第七番【幻想】』を演奏してくれた。

 前よりもずっと、凄く上手になっていて、いつまでも聴いていたい気持ちにさせられた。


 好きな時に、好きなだけ美波の演奏が聴けることは幸せなことかもしれない。

 僕はピアノに詳しくないけど、ピアノの先生は頻りにコンクールに出ることを勧めている。それくらい、プロから見ても美波の演奏は素晴らしいということだろう。


 美海なんて暫らく言葉を失うくらい、驚き固まっていたからな。


 そんなこんなで、お泊り会第二回、そして第三回も無事に終了した訳だが――。


「結構、遠くまで来たな」


 散歩で体を動かしたことに加えて、楽しかった記憶を思い出したおかげで、気持ちをスッキリさせることが出来た。

 日傘を差しているとはいえ、暑さを抑えるには限界がある。

 汗もかいたし、熱中症になる前に帰るとしよう。

 帰宅したら紅茶を淹れて何か本でも読もうかな。

 あ、でもその前にシャワー浴びたい。

 今日の過ごし方として、勉強は止めて読書と趣味の紅茶を楽しむことに決めた所で、曲がり角の先から声が聞こえてきた。


「おじさんが、交番まで連れて行ってあげるからな」


「おうちかえれる?」


「おじさんに任せてくれたら、すぐに帰れるから安心しな。いい? 静かにできるかい?」


「うん」


 話を聞く限り、迷子の子供を交番へ連れて行く途中みたいだ。

 ここまでなら特に不思議ではないかもしれないけど、こういったご時世だ。

 少し様子を見てあげた方がいいかもしれない、が――。


「あの、すみません。余計なお世話かもしれませんが、反対側のすぐ近くに交番がありますよ」


「………………」


 様子を見る間もなく声を掛けてしまったが、交番とは反対側に歩いて行こうとする男性を不審に感じたのだ。


 男性が進もうとした先には、車が1台停まっているだけだ。

 もしかしたら車で交番に向かう可能性も考えられたが、僕はあとで後悔をしたくない。


 だから声を掛けた。


 そして、迷子の子は4歳か5歳くらいの女の子。

 どうしてこんなところに1人で居るのか不思議だけど、ピリついた雰囲気のせいで、今にも泣きそうな顔をみせている。


「ああ、そうだったね。うっかりしてた……そうだ。急用を思い出したから、悪いけど君にこの子はお願いしても?」


「ええ、僕は特に用事はありませんので大丈夫です」


「それならお願いする(チッ)」


 最後に舌打ちしてから、僕の返事を聞く前に車に乗り込んで行った。

 いろいろ言いたいこともあるけど、この子の安全を考えたら関わらない方がいい。

 車のナンバーも記憶したし、今は子供の不安を取り除くのが優先だ。


 それで確か――子供には目線の高さを合わせた方がいいんだったな。


「僕は『やちよこうり』。可愛い貴女の名前を聞かせてもらってもいいかな?」


「やちゅよこり? さなわさなだよ?」


「や ち よ こ う り。さなに言えるかな?」


「んーとっ。や ちゅ よ こ う り?」


「正解。よく言えたね? さなは凄いね」


「うり!! うりおにいちゃん?」


 子供には難しかったかな。

 ちょっと違うけど、笑っているなら好きに呼ばせてあげよう。


「凄いぞ、さな。僕のことを『うりおにいちゃん』って呼んでくれる?」


「うりおにぃちゃん!!」


「はい。じゃあ、お手てを繋いでお家帰ろうね、さな」


「うんっ!!」


 交番は歩いて5分と掛からない。

 子供の足で遠くから来たとは考えられないし、ひょっとしたら近くの子、もしくは親と一緒に来ているだろうから、近くに親がいるかもしれない。


 それなら、心配した親が交番にいる可能性も考えられる。

 さなちゃんの話をゆっくりと聞いてみたら、どうやらお兄さんと一緒に配達をしていたけど、お兄さんがいない間に車から降りてしまい、迷子になってしまったようだ。


 いや、違う。お兄さんの方が迷子になったと怒っている。


 ――仕方のないお兄さんだね。

 と、言ってみたけど、今度はお兄さんを思い出したことで、不安まで思い出したのか、また泣きそうな表情に戻ってしまった。


 どうしたらいいか……交番はもうすぐだけど……。

 とりあえず、日傘をカバンに入れて――。


「ぷっ。うりおにぃちゃん、へんなおかおぉ!! ぷ、ふふふっ」


 僕、渾身の変顔はよっぽど可笑しかったようだ。

 片手だと頬や瞼を引っ張るには大変だったけど、笑ってくれてよかった。


 そして、さなが笑ったことで、笑い声が聞こえたからか男性が交番から飛び出して来た――。


「咲菜っッ!!?」


「あにぃっ!!」


 交番から出てきた人は大学生くらいの男性。

 さなちゃんは男性の顔に安心を覚えたのか、僕の手を握りしめたまま近付いて行く。

 きっとこの男性が迷子のお兄さんなのだろう。


「心配させないでくれっ!!」


 心配するお兄さんとは他所に、咲菜ちゃんはあっけらかんと言い放つ。


「あにぃ、しんぱいしたぞ?」


 そうは言っているが、嬉しそうにニコニコとしている。

 ここで、さなちゃんを抱き締めるお兄さんが気付く。

 さなちゃんの手と僕の手が繋がっていることに。


 女児と手を繋いでいるのだから、怪しまれても仕方ないと思っていたけど、お兄さんは疑るような表情ではなく、何故か驚いた表情を僕に向けてきた。


「あれ、君は確か……カレーパン好きの高校生だよ、な?」


 カレーパン? そう思い、お兄さんに改めて視線を向ける。

 今日は帽子を被っていないため気付かなかったが、僕の顔を覚えてくれたパン屋の店員さんだ。


 僕が無表情でジッとお兄さんを見ていたことが不思議だったのか、さなちゃんはお兄さんの紹介を始めてくれた。


「うりおにぃちゃん! さなのあにぃだよっ!」


 そして今度は、お兄さんに向かって僕を紹介してくれる。


「あにぃっ! うりおにぃちゃんだよっ!!」


 不安な気持ちが晴れ、満面の笑顔をしたさなちゃんがする紹介をきっかけに、僕とお兄さんは改めて自己紹介を始めた。そして、交番の中で僕がさなちゃんと出会った経緯を説明することとなった。

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