第94話 語ってしまうのは僕の悪い癖

 僕たちはなんの疑問も思わず”夏休み”と呼んでいる。

 けれど、その夏休みの正式な呼び方は”夏季休業”と学校教育法で決められている。

 では、約ひと月もの期間、どうして夏季休業があるというと。


 ――夏の暑さから子供の体調をおもんぱかっているため。

 ――夏季休業中に普段学校では体験できないことへ挑戦してもらうため。

 ――夏は外に出て太陽の光をたくさん浴びるべきだという欧米の考えを取り入れたため。


 などと諸説あるけれど、実際のところ明確な理由は分からないらしい。

 小学生の頃に、気になって文部科学省に聞いてみたのだけど、分からないということが分かったと、自由研究の宿題として提出した記憶がある。


 怒られはしなかったけど僕の説明を聞いた担任の先生が、今の美海みう美空みくさんみたいに、なんとも複雑そうな表情をしていたことが、特に印象に残されている。

 これを言えばさらに複雑な表情を向けられそうだが、どうして夏休みにたくさんの宿題が出されるかといった理由についての話も付け加えてみる。


 子供たちに習慣づけや計画性、面倒なことでもやり遂げる力を育てさせるためらしい。

 確かに、ほとんどが授業の復習となる夏休みの宿題ほど面倒なものはなかった。

 そういった意味ではやり遂げる力……は、言い過ぎか。下地が付いたのかもしれない。


 ちなみに名花高校は夏休みの宿題がない。

 理由は、生徒の自主性を重んじる学風に則っているからだ。

 自由は嬉しいけど、自分で自分を律しなければ、あっという間に堕落してしまいそうで怖くもある。


「前々から感じていたことだけど、美緒ちゃんと郡くんは似た者同士かもしれないわね。郡くんが話したことを私が小学生の頃に美緒ちゃんも全く同じこと調べているのよ?」


「こう君が物知りなのって好奇心旺盛だからなんだね。でも……うん。少し変わっているね」


「僕は古町先生ほど頭がよくないので似ているかは疑問ですが……。ところで美海? 僕に変わっていると言ったら、それはつまり古町先生にも当てはまることになるけどいいの?」


「え、やだ、そんな事言ってない!! え、内緒ね? こう君もお姉ちゃんも!!」


「えぇ、どうしよっかなぁ?」


 慌てている美海に対して、美空さんはクスクス笑いながら揶揄い続ける。

 この穏やかな時間は僕が好きだと感じる日常だ。


 それにしても、古町先生も同じことをしていたのか。

 否定はしたが、似ているとも言われたことだし……。

 あまり想像は出来ないけど、将来は僕も教職に就いたりするのかな。

 何か参考になるかもしれないし、今度古町先生に教職に就いた理由を訊ねてみよう。


 疑問は頭の片隅にでも置いて、ひと先ず、朝食で使用した食器を洗うとするか。

 僕がランニングに出ている間で、朝食を用意してくれた美海と美空さん。

 お礼じゃないが、洗い物くらいは僕がすべきだろう――。


「食器洗うついでに紅茶淹れるけど、2人は飲む?」


「「もちろんっ!!」」


「りょーかい」


 今日は夏休み突入してから2日経過した3日目の月曜日、その午前中だ。

 場所は上近江姉妹の住むアパートや『空と海と。』でもなく、僕とクロコが住むマンションのリビング。


 3人で食べた朝食はどれも素晴らしく美味しかった。

 大根のお味噌汁に焼き鮭、玉子焼き、ひじき煮と――。まさに日本の朝食イメージそのものだった。


 言葉の綾だけど、つい『毎日でも食べたい』。そう感想を漏らしてしまい、美空さんから『プロポーズ?』と揶揄われてしまった。


 それでどうして、朝から上近江姉妹が僕の住むマンションで朝食を共にしているかと言うと、昨日のバイト終了後から宿泊に来ているからだ。


 つまりお泊り会、第二回目が開催されたのだ。

 開催された理由は……未だによく理解出来ていない。

 強いて言えば、屈してしまったとだけ。

 次回屈しないためにも、そうだな。

 楽しそうな姉妹を見て目の保養をしつつ、紅茶を淹れながら少し整理してみるか――。


 夏休み初日の土曜日は何事もなく……あ、いや、少しだけ騒ぎがあったかな。

 万代ばんだいさん、紫竹山しちくやまさん、新津にいづさんの3人へのバス旅行のお土産で購入した、トドの『ジロウくん』の写真がドアップでプリントされたマグカップ。


 それとクッキーを渡したのだけど、万代さんが受け取ってすぐ、『早速、使わせてもらう!』。そう言ってくれたところまではよかった。


 でも、テンプレと言うか何と言うか……ジロウくんマグカップは、万代さんの手から滑り落ちた。


 つまり、マグカップにコーヒーが入ることが一度もないまま、ジロウくんの顔が粉々に割れてしまったのだ。


 今思い出しても何ともいえない空気が漂っていたし、粉々になったジロウくんの顔は、気のせいかもしれないけど悲しそうに見えた。


 ジロウくんの顔を思い出すと、何事もなかったとは言いにくいだろう――。


 ちょっとした出来事は起きたが大きな出来事は起きず、無事にバイトが終わった帰り道。美海に質問されたことがきっかけとなった。


「すっごい、嬉しそうにする美波から聞いたんだけど、またお泊まりに来るんだって?」


「あら、そうなの? いいなぁ、私もクロコちゃんに会いたいなぁ~?」


「私も、またクロコに会いたいなぁ? 一応ね、美波の許可は貰っているよ?」


「…………」


 示し合わせていたかのように体を寄せて来る美人姉妹。

 大人の女性特有力、美少女特有力。


 そうだった――。


 思い出したけど、不意に襲撃されたことで反論することなど出来ず、そのまま2人の女性特有力に屈したから、急遽お泊り会が決まったんだ。


 どちらにせよ、しっかり美波の許可まで取る徹底ぶりだから僕に反対など出来なかっただろうが――。


「お待たせしました。今日はダージリンのセカンドフラッシュ……夏摘みのダージリンティーです」


「わあぁ、綺麗な色だねっ。香りも凄くいい! ありがとう、こう君っ」


「本当ねぇ、とっても美味しそう。郡くん、ありがとう」


「茶葉の原産はインドです。それで面白いことに、ダージリンには日本のような”四季”があるんです。春夏秋冬それぞれで全く違う顔を見せるらしいです。その中でも、ダージリンのセカンドフラッシュは別名”紅茶の女王”とも言われているんですよ。芳醇な香気に、コクのある風味、紅茶らしい色味をした深い紅色。日本人の舌にも合う味わいみたいですし、もしかしたら2人も前に飲んだアッサムより美味しく感じるかもしれません。僕も飲むのは初めて………………まあ、とりあえず飲んでみてください」


 聖母のような優しい笑顔をした2人が、聞きかじった程度の知識を語る僕を見ていた。

 それに気が付いたから、語り途中ではあったが勧めることにした。要は恥ずかしくなったのだ。


「ふふっ。こう君は可愛いなぁ、もう。もっと聞いていたかったけど、せっかくだからね。冷めないうちに、いただこうかな」


「珍しい郡くんを見ることが出来てお姉さんも嬉しいな。ふふっ、いただくわね」


「……ええ、どうぞ。お召し上がりください」


 初めて口にした”紅茶の女王”はとても美味しかった。

 全てが値段で決まる訳じゃないが、奮発しただけはある。

 紅茶を覚え始めた僕が淹れただけでも、これだけ美味しいなら、プロが淹れたら一体どんな味わいになるのか。


 1人でお店に行くのは勇気がいるけど、一度はプロが淹れる紅茶を飲んでみたい。

 今なお、僕に温かな視線を送り続ける2人に気付かぬふりをして、紅茶を堪能する。

 でもやはり居た堪れなさが襲ってくる。

 美海はもう1泊するからな、僕はあと何度醜態を晒すのだろうかと。


 急遽決まったお泊り会の日程は、美空さんは日曜の夜から月曜までの1泊2日。

 美波は月曜の夕方から火曜までの1泊2日。

 美海が一番長く、日曜の夜から火曜まで通しての2泊3日だ。

 僕を信頼してくれていることも、長い時間一緒にいれることも嬉しいけどさ、いろいろな疑問も湧いてくる。


 それにな、光さんの話だと毎月一度は美波を預かることになる。

 そのことを考えると、何だか月に一度のイベントになりそうな気がしてならない。

 そのうち僕は悟りが開けるかもしれないな……。

 とりあえず、もうひと組みの布団セットを買っておこうかな。


 ちなみにこの時知ったのだけど、美海と美波は頻繁に連絡を取り合っているらしい。

 仲が良いのは喜ぶべきことだから、連絡を取り合うのは歓迎する。

 どうかそのまま親交を深めてほしい。

 けれどさ、2人で僕の恥ずかしい話を言い合いっこしないで。

 したとしても、知った内容を僕に報告しなくていいです。

 理由は恥ずかしいからだ。

 聞かされる身にもなってくれ。

 そう言ってやりたい。


「郡くん、とっても美味しかったです。ご馳走様でした」


「こう君、ご馳走様でした! こう君がお勧めした通り、前のより好きかもっ」


「お粗末様です。2人の口にも合ったならよかった」


 2人が気に入ったなら、僕も気になるし秋摘みが入り始めたら買ってみようかな。


「コーヒーも色々あるけど、紅茶も色々あって面白いのね? 私も覚えようかな」


「あ、私も覚えたい! お姉ちゃん、一緒にこう君に弟子入りしよっか?」


「2人が興味を持ってくれたのは嬉しいけど、弟子を取れるほど僕は詳しくないよ。だから、一緒に楽しんで覚えていけた方がいいかな」


 僕だって高校生になって覚え始めたばかりだからな。

 淹れ方だって素人に毛が生えた程度だ。


「それなら私たち3人の趣味にして、これからもたくさんの紅茶を楽しもうね」


「賛成!! 美味しい紅茶屋さん探してみよっと」


 僕にはこれだと言える趣味は読書くらいしかなかったけど、2人のおかげで、これからは紅茶が趣味ですと言えるようになれたかな。

 ちょっとお金は必要だが楽しければいいか。

 そもそも趣味はお金が掛かるものだろうしな。


 それにもしかしたら、美海と美空さんの2人なら、プロが淹れる紅茶を飲みにお店へ行くのも付き合ってくれそうだ。

 そんな淡い期待を抱いた食後かつ、お出かけ前のティータイムとなったのだ――。

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