第93話 美海には一生敵わないのだろう
昼食に何を作ろうか悩んだ末、作ることを止めてパン屋に寄って買って帰ることにした。
自炊は嫌いではないが、お腹が空き過ぎたせいで少し面倒になったのだ。
誰か食べてくれる人がいれば違ったのかもしれないけど、1人だとどうしても気が向かない時もある。
そして今日がその日だったのだろう。
バス旅行でバタバタしたこともあり、最近は自炊をサボり、パン屋さんには結構な頻度でお世話になっている。
だからか今日も、僕の顔を覚えてくれた男性の店員さんにピンポイントで営業を掛けられた。
――いつも買ってくれるカレーパン、揚げたてですよ?
と。
美味しいんだよな、ここのカレーパン。
元バイト先にある裏メニューにある里店長特製カレーも美味しいけど、ここのカレーパンも人にお勧めしたいくらい美味しいと思っている。
だから勧められるまま買ってしまった。
ただこうも頻繁にパンを買っていると、当然だけど自炊するよりお金が掛かるし栄養バランスも崩れる。
さらに言うと、カレーパンを食べている時に内頬を噛んだことで気付いてしまった。
――間違いなく太った。
って。太りやすい体質なのだから当たり前だ。
父さんが他界してから日課にしていたランニングもサボっているし、パンばかり食べていたからな。
バイト先の
もっと言うと、睡眠不足で生活リズムが狂ったことも原因かもしれない。
体育祭も控えているし、いい機会だ。
ランニングを再開させて、運動不足解消ついでにダイエットを始めよう――。
「ふ~ん、それで明日から走る事にしたんだ?」
「中学の時は夕方走っていたんだけどね。高校生になってからはサボっていたし、いい機会だからまた走ろうかなって」
「ふふっ、アイス食べながら言われても説得力ないけどね? でも、こう君全然太っていないから気にし過ぎじゃない?」
普段学校が終わる時間にアパートまで美海を迎えに行き、ジェラートを食べに来たところだ。
それで僕の右手にはピスタチオとミルク味のジェラートが持たれている。
その状態でダイエットを決意したと言ったのだから、説得力がないと言われても仕方がないと思う。当然の指摘だからな。
ちなみに美海が手にしているジェラートはエスプレッソとミルク味の物だ。
選んだ理由は、『お店の新メニューの参考にしたいから』と言っていた。
常にメニューに結び付ける当たり、もはや、職業病のように感じるけど美味しそうに食べているから純粋に好きなだけかもしれない。
正直な所、ジェラートは食べたことがないから、ちょっと気になるくらいの期待値であった。けれど食べてみたらビックリ。
濃厚な味わいで風味も抜群、砂糖不使用だと思えないくらい甘さもしっかりあって、とても美味しかった。
お店は夏限定でイタリア人が開いていて、
今回、佐藤さんは『邪魔したくないから』と、変に気を使ってくれたが、美味しかったから是非食べてもらいたい。
幸介や美波にもお勧めしたいくらい、美味しさに感動した。
「美味しかったぁ~!! ご馳走様、こう君っ!!」
「いえいえ。ようやく、約束が果たせてよかったよ。美味しかったしまた来よっか」
――うんっ!!
と、言ってから、もう一度ニッコリした笑顔でお礼を伝えてくれた。
最初に約束したのは三段アイスであったけど、美海は十分満足してくれたようだ。
「そう言えばさ、こう君は前に図書室で運動が苦手だって言っていたよね?」
確か、初めて遭遇した時で美海が『わたしンチ』を読んでいた時だ。
「今よけいなこと思い出していたでしょ?」
「いつの話だったか思い出していただけだよ。でも、よく覚えていたね?」
表情には出ていないはずだけど、本当によく気付かれてしまう。
美海は耳がいいから、声色や呼吸で判断しているのか?
僕は人よりも声に感情がないし呼吸も静かな方だ。
それで判断しているなら相当に凄い。僕には無理な芸当だな。
「仕方ないから誤魔化されてあげる。あと、私はこう君から聞いた話は忘れないよ?」
「そうなの? どうして?」
「え、だって、全部覚えていたいから」
「そっか……ありがとう? で、いいのかな」
「お礼を言われるようなことを言ったとは思えないけど、どういたしまして? それで、運動苦手なんだよね?」
首を傾げ、何てことない表情で言っているから無自覚なのだろうな。
僕が言ったことを全部覚えていたい。
美海がそう言った事に嬉しくて仕方ないと感じている。
でもそれと同時に、何だか嬉し悔しい気持ちにもさせられた。
「球技とかは苦手だけど、走ることは好きかもしれない。美海は運動得意だったりする?」
「私も運動はあんまりかなぁ。バスケは興味があったけど背が……あ、でも、バドミントンは好きかも! こう君はなんで走るのは好きなの?」
特に何も言ったりはしないけど、美海の背の高さだと確かにバスケをするには不利かもしれない。
バドミントンも背が高いにこしたことはないだろうけど、バスケと比べれば楽しむことは出来るだろう。
「体育祭でバドミントン競技あるし、佐藤さんとペアになったら楽しめるだろうね。走ることが好きな理由はありきたりかもしれないけど、走っている間は余計なことを考えないで済むし、思考の整理をしたい時とか、僕は走っていると集中出来るからかな」
「いいね、望ちゃんと組めたら楽しそう!! 希望通るといいなぁ~。あと、こう君が言う好きな理由って、ちょっと学生らしくないね? もっと、こう……風が気持ちいいとか、タイムが早くなることが嬉しいとかじゃないんだ?」
言われてみれば、爽やかな理由ではないかもしれない。
中年のサラリーマンの考えに近いか?
ちょっとよく分からないけど、ランニングを始めたきっかけも父さんだし、父さんの影響を受けたせいかもしれない。
どちらにせよ、学生よりの考えでないことは確かだ。
言い直すのに遅いかもしれないが、風を気持ちいいと感じるのは間違いでないし、訂正しておくとしよう。
「ちょっと間違えたけど、風が気持ちいのもタイムが早くなるのも嬉しいかな」
「ふふふっ、こう君ってね? 誤魔化す時とか私から一瞬だけ目を逸らすんだよ?」
クスクスと笑いながら、僕の知らない僕の癖を教えてくれる。
「……美海には敵わないな。でも、そんなこと教えてくれてよかったの?」
「他にもいっぱいあるから1つくらい教えても問題ないよ?」
「………………」
本当に敵わないな、美海は僕も知らない僕の癖を一体どれだけ知っているのだろうか。
逆に、僕は美海の癖をどれだけ知っているだろうか。
今まであまり意識していなかったけど、これからはもう少しよく観察してみようかな。
「じゃあ、そろそろ一度帰ろうかな。美海はどうする?」
「もうっ、こう君の悪い癖だよ? 都合が悪くなると話を変えるの。でも時間だもんね……あ~あ。楽しい時間はあっと言う間だねっ。とりあえず、私も一度帰ろうかな。お土産取りに行きたいし」
その通りすぎてグウの音も出ない。
「本当に、美海といると時間がないように感じるよ。悪い癖は直せるよう努力します。じゃあ、近いし、まだ時間も大丈夫だから家まで送らせて」
「……こう君ってさ、私が嬉しくなるようなことを平気な顔して言うよね?」
「それは美海の方だと思うけど?」
さっき、平気な顔した美海に嬉しくなることを言われたばかりだからな。
「もう……。そこはこう君の良い癖かな? あとね、送ってくれるのは嬉しいけどすぐそこだよ?」
「すぐそこなら別に構わないでしょ? それとさっきも誓ったけど、悪い癖を直して良い癖を伸ばせるように約束するよ」
「本当に心配性なんだから。悪い気はしないけどさっ。それで、そんなに改まって約束してくれるの?」
「心配もそうだけど、もう少し美海と一緒に居たいと思ったから送りたいんだよ。約束の証に指切りでもする?」
「もう、また……平気な顔で恥ずかしいこと言うんだからっ。嬉しい……けどさっ。こう君がそこまで言うならお家までお願いします。私もね、ほんと言うともうちょっと一緒にいたいなぁって、思っていたの」
「それならよかった」
「あと私ね、こう君とする約束好きなんだよ?」
美海の方が平気で恥ずかしいことを言っている気がするから、なんとも腑に落ちないけど、嬉しいならいいか。
そう考えながら、美海が差し出して来た小指に小指を絡める。
そして声のない約束の歌を紡ぎ小指を解放させたが、美海はすぐに手を繋ぎ直してきた。
目を見ると、恥ずかしそうに『いいでしょ?』と目で訴えて来たため、僕はそのままゆっくりと歩き始めた――。
「…………美海はどうして約束することが好きなの?」
「だって約束したら縁? 繋がり? それが続いているような気がするから。私、こう君とずっと仲良しで一緒にいたいからっ」
ほら、どちらが恥ずかしいことを平気な顔で言うのかと言ってあげたくなる。
約束がなくたって一緒にいるのに。
むしろ、僕が美海に一緒に居てほしいと思っているくらいだ。
「……約束なんてなくても、美海に嫌われない限りずっと一緒にいるよ」
「こう君は……いつか私を嫌いになるって思うの?」
極悪非道。人類の敵。たとえ美海がそうなったとしても……いや、そうなる前に僕が止める。
だから嫌いになど、なることはない。だから答えは決まっている。
「これっぽっちも思わない」
「それなら、私とこう君はずっと一緒にいられるね」
と。
まるで僕を諭すかのように、いつもの無邪気な笑顔とはまた違った、優しくも大人っぽさを感じる笑顔で僕へ笑い掛けてくれた。
つまり――。美海は僕を嫌いになると微塵も思っていない。そう言ってくれたのだ。
僕の卑屈さなど関係なしに、見事に跳ね飛ばしてくれた。
本当に敵わないな。つくづくそう思う。
到着した美海が住むアパート、その玄関で『またあとで』と別れを告げる。
いつものように、階段の曲がり角まで手を振り見送り続けてくれた美海の笑顔を思い出しながら帰路へ就く。
自分でも気が付かないほど無意識に、何度も頬が動くほど、美海の言葉が嬉しくて、心に残る思い出の1日となったのだ。
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