第92話 夏休みが楽しみだと思えるのもまた新鮮だ

 珍しく曖昧な回答をした古町先生。

 自ら体育祭実行委員に立候補した平田さん。

 思っている以上に僕を嫌っている山鹿さん。

 約束を守り僕に味方してくれた美海。


 さまざまなことに驚かされた1限の授業終了後、美海の元に移動しようと立ち上がるが、辿り着く前にクラスメイトたちが美海を取り囲んでしまったため、僕が美海にお礼を告げるのはまたの機会となってしまった。


 このまま席に戻ってもいいのだけれど、せっかく立ち上がったからな。

 平田さんに立候補の理由でも聞いてみようか。


「驚いたよ平田さん。よかったら立候補した理由とか聞いてもいい?」


「――――」


 まぶたひとつ動かず反応がない。

 まるで作戦司令官の様に、両肘を机につけ、手を繋ぎ、その手の甲の上に顎を乗せたまま固まっている。


「えっと、平田さん?」


 状況は何1つと変わらず、やはり反応がない。

 何か夢中で考え事をしているのかもしれない。

 次に声を掛けても反応がなければ、寂しいが席に戻るとしよう。


「平田さん? 聞こえている?」


「んえっ!? あ、お、おはよ、う。ズっくん?」


「ごめん、驚かせたね。体育祭実行委員、大変かもしれないけどよろしくね」


「う、うん……ズッくん、は、凄、いね? わ、私、にも……できる、かな?」


「僕は凄くないよ。助けてもらってばかりだから。平田さんなら大丈夫じゃない? 僕と違って自分で立候補したんだから。凄いよ。尊敬する。あとさ、僕は平田さんと一緒で正直嬉しかったし。だから大丈夫。って、なんの根拠にもなっていないか」


 僕は古町先生と約束したから立候補しただけだからな。

 だから本当に凄いと感じた。

 心境の変化でもあったのかと聞きたいが、古町先生も戻って来たようだしまた今度改めて聞いてみよう。


「ん? んんんんんっっ……え? そ、そそそそ、それ、って??」


「古町先生が戻ってきたから僕は席戻るよ。また」


 手洗いに行きたかったけど仕方ない。

 終業式が終わるまでは、多分……我慢出来るだろう――。


 我慢した結果だが。

 終業式中、校長先生の話に集中出来ず己自身と闘い続けることになってしまった。

 次からは手洗いを我慢しないことを強く誓った。


 そんなこんなで、結構なピンチも無事切り抜け迎えた放課後。

 明日から夏休みということもあってか少し開放的な気分だ。

 そのせいか何だか旅行をしたい気持ちが湧いてくる。

 暑いからな、山にキャンプとか行っても楽しそうだ。

 幸介や順平と行けたら、いい思い出になるかな。

 想像するだけで楽しくて良い気分になってくる。

 まあ、想像するだけなんだけどさ。


 バイトもあるし、何よりクロコを放って旅行など行けない。

 きっと心配になって、旅行を楽しめないだろうし。

 それだと一緒に行く人にも悪いからな。

 だから本当に想像して楽しむだけだ。


 それよりお腹も空いたし早く女池めいけ先生にお土産を渡して帰ろう。

 女池先生もお昼を食べに出ている可能性があるけど、その時は置手紙を残しておけばいいかな。


 ん――? 着信か、誰だろう……船引先輩か。

 長くならないといいけど。


『はい、八千代です。どうかされましたか船引先輩』


『これでは私がもらい過ぎですよ』


 どうやら美愛みあさんとのケーキバイキングデートは喜んでもらえたようだ。


『喜んでもらえましたか?』


『当然です。これで喜ばない人類はいませんよ。逆にお礼を差し上げたいくらいです』


 人類とは、またスケールが大きい。


『気にしないでください。船引先輩のためでもありますけど、おお……美愛さんのためでもありますから』


『……名前? 美愛先輩がそう呼べと?』


 相変わらず察しがいい。けど、船引先輩も呼び方が名前呼びに変わっているな。


『はい。でないと怖くて美愛さんを名前で呼んだり出来ませんよ』


『なるほど……ですから美愛先輩は私に名前を呼ぶ栄誉を下さったのですね。少々複雑ですが、まぁ、いいでしょう。ですがそれなら私のこともすずと呼びなさい』


『何が、それならって流れになるのか理解が追い付かないのですが……』


『3年の美愛先輩を名前で呼ぶのですから、それ以下の会員のことも名前で呼ばないと不敬ではありませんか? あぁ、先輩はいらないですからね?』


 どういう理屈なのか全く理解できないが、会員規則にあるのかもしれない。

 僕は会員ではないから守る必要はないのだけれど。


『鈴さんとお呼びしたらいいですか?』


『ええ、それでいいでしょう。ただし、他の会員を呼ぶときは敬称不要でお願いしますね』


『いや、そんな無茶な』


『ふふっ、いいでしょう。今は最高の気分なので許してあげます』


『……ありがとうございます。邪魔しても悪いですしそろそろ切りますね。鈴さん、楽しんできてください』


『もちろんです。では、八千代さん……千代くん。このお礼はまたいつか』


『はい、また』


 どうして、2年生の先輩は最終的に『千代』になるのか。

 覚えていたら、夏休み明けにでも五色沼ごしきぬま先生を問い詰めてみるか。

 でもとりあえず、喜んでもらえたなら何よりだな。

 小さかったけど、笑い声も初めて聞けたかもしれない。

 よっぽど美愛さんに誘ってもらえたことが嬉しかったのだろう。


 その証拠に、通話を切ってすぐ鈴さんから写真付きでお礼のショートメールが届いた。

 届いた写真は、夫婦アザラシのキーホルダーが2つ並んだ写真だ。


 ああ、なるほど。


 ケーキバイキングデートもそうだけど、お揃いのキーホルダーも嬉しかったのか。

 乙女だなと思いながら、携帯をポケットに入れて図書室に入る。

 けれど図書室にも司書室にも女池先生の姿は見えない。


 不用心なことに司書室の扉の鍵は閉まっていなかったため、メモと一緒にお土産を残して後にする。


 ――お土産です。鍵、大事に使わせてもらっています。ありがとうございます。八千代


 と。

 何となく『相変わらず、かった~~い!』って、言われそうな文面だが、こんなんでいいだろう。


 さて、学校でのお土産も配り終えたし帰ってご飯を食べよう。

 すでにお腹はペコペコだ。

 美海との約束はバイト前だから、お昼を食べてゆっくりしてから迎えに行けばいいかな。


 終業式が終わってから教室へ戻る道中、味方してくれたお礼を伝えた時に美海は佐藤さんとご飯を食べに行くと言っていた。

 僕も幸介と食べたかったが、仕事ですぐに東京に行かないといけないらしい。

 予定が合わなくて残念だ。


 前も言っていたけど、夏休み中も仕事で予定が詰まっていて、夏休みなのに休みがないらしい。働き過ぎて体調を崩さないといいけど。

 まあ、僕が知る限りで幸介は風邪を引いたことがない。


 だから心配は無用かもしれないけど、心配なのだから仕方ないだろう。

 何て言ったって、美海や美波が言うには僕は心配性らしいからな。

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