第91話 守られた約束
ホームルームの時間で説明された話は2つ。
夏休み明けにある前期末試験と、9月に行われる体育祭について。
体育祭の詳細な説明は、10分間の休み時間取得後になる1限目の授業時間でされるようだ。
その時間はおそらく――体育祭実行委員を決める時間になる。
密約によって男子は僕で決まっているけど、もしも立候補者がいれば僕は辞退しても構わないと許可されている。
期待したいところだが、入学当初のクラス委員長を決める時でさえ時間が掛かったのだ。
その時のことを考えたら、うちのクラスで面倒な役と知って立候補する人などいないだろうな。
だから古町先生は時間の短縮を目的に前払いの対価として僕を指名したのだろう――。
それで本題だ。
ホームルームで説明された前期末試験について。
この説明が原因で教室の中は、いや、1学年の教室がある7階全体はお祭りのような大騒ぎとなった。
その中でも特に、自分の学力に自信を持っている生徒は嬉しい悲鳴を上げている。
普段静かな生徒でさえ声を上げる珍しい光景が広がっているが仕方ないことだと思う。
何といったって、前期末試験で1位を獲得すれば学校が願い事をなんでも叶えてくれると発表したのだからだ。
クラスメイトたちが興奮した様子で話している『なんでも』は、尾ひれが付いていると思うが概ね正しいだろう。
反対に、勉強嫌いな生徒からは不満の声が上がっていたが、それも今では同じように嬉しい悲鳴で騒ぎになっている。
「今回はあくまで試験的な試みですが、皆が頑張り学力の向上が見られれば、それが考慮され、以降も継続される可能性があります。それは学力試験に限らず。です」
この説明のあと、勉強嫌いで今回の試験とは無縁だと考えた生徒すらも、『1位は無理でも頑張ってみるか』。そう言ってやる気を見せ、騒ぎとなったのだ。
いずれにせよ――。盛り上がるみんなには悪いが学年1位を譲ることなど出来ない。
でないと楽しい学校生活が終わってしまうからな。
前までの僕ならば、それでもいいかと諦めも付いたかもしれない。
けれど今は
幸介や順平と学生らしく馬鹿だってやりたい。
平田さんや五十嵐さんとだって、せっかく友達になれたのだからこのまま退学なんてしたくない。
それに美海と一緒に、もっと学生生活を楽しみたい。
楽しい学生生活を知った今は、諦めることなど到底考えられない。
だから僕は必ず1位を取る。
10分間の休み時間中、心の中で決意表明をしているとメプリにメッセージが届いた。
『(平田さん)ズッくん、もしかして……』
『(美海)莉子ちゃん、もしかしてかもね。こう君ったら』
『(五十嵐さん)ズッくん、いかれてやがる』
『(順平)え、なになに? どゆこと?』
『(八千代)学年1位は誰にも譲らないから』
古町先生と交わした他言無用の約束。
そのため、いくら相手が美海だとしても言うことができない。
だが、順平以外の女子3人には分かったのだろう。
僕がバス旅行の班決めでした不正の正体がコレだってことに。
不正して細工をしたことを美海と平田さんは知っていた。
けれども、古町先生が不正を許可したことに疑問を感じていた。
一体どうやって説得したのかって。
五十嵐さんは妙に勘がいいから、方法は分からずとも僕が班決めに細工をしたことをバス旅行中に気付いたのだろう。その中で今回の発表。
3人が閃いてもおかしくないということだ。
『(順平)つか上近江さん、俺らの前でもズッくんをこう君って呼ぶことにしたんだ?』
『(美海)みんなには隠さないで普段通りに呼ぶことにしたの』
『(平田さん)ズッくんは美海ちゃんのこと男子で唯一、美海って呼んでいるよね』
『(五十嵐さん)別によくね? 誰が誰をどう呼ぼうが。好きにさせてやれって。あ、別に責めてるわけじゃねーからな!?』
『(八千代)五十嵐さんは、順平に涼ちゃんって呼ばれているよね』
返信後そっと携帯をしまう。
間違いなく五十嵐さんからお怒りの返事が届くからだ。
気恥ずかしさを誤魔化すように五十嵐さんに話を振ってしまった。
ごめん、五十嵐さん。
そう心の中で謝罪しておく。
でもきっと次の休憩で叩かれるんだろうな。
まだ叩かれていないのに、頭を押さえつつチラッと五十嵐さんを見てみる。
鬼のような形相で僕を見ていた。
うん、抵抗せず叩かれることにしよう。
それにしても5人全員が同じ教室に揃っているのに、現実で会話しないでメプリを通して会話していることは、なんだか不思議な感覚に思う。
メッセージをやり取りする機会が増えたから覚えようとしているけど、フリック機能苦手なんだよな。
前に一生懸命画面を連打している姿を美海に見られた時は笑われてしまったし。
だから現実で話した方が楽なんだけどな。
平田さんはメプリの方が生き生きしているから、人によるのかもしれないけどさ。
チャイムと同時に古町先生が戻って来たことで、10分間の休憩が終了となった。
クラスメイトたちも休み時間で落ち着いたのか、今は静かに着席をしている。
まだ少し落ち着きなくフワフワしている人も見えるが、これくらいなら問題ないだろう。
教壇から教室を見渡していた古町先生も同じ考えからか、体育祭について説明を始めた。
体育祭実行委員の立ち上がりは前期末試験終了後と古町先生は言っていた。
本来ならば、夏休み明けに体育祭実行委員の選定が行われる。
古町先生が言っていたように、体育祭実行委員と言ってもやることは生徒会の手足となって雑用することだけ。
そのため、選定するのは夏休み明けで十分間に合うということだ。
ではどうして今から選定するかと言うと。
単純に僕と言う
良く言えば効率的。悪く言えばせっかちなのだ、古町先生は――。
「先ほど私はあなた方に期待を持たせるような発言をしましたが、今度の体育祭については、現段階では優勝したとしても報酬はありません。限りなくゼロです」
不満を吐き出させるためか、古町先生はここで一度言葉を切った。
その目論み通り、クラスメイトたちは不満を言い始める――。
「あーもう、やる気なくなったはオレ」
「だよなー……つか高校生になって体育祭ってダリィしな」
「ま、授業がないだけマシだけどな」
「でもぉ、限りなくゼロってことは可能性があったりして?」
「お、確かに。ナイス
私語がなくなり静かになるまで古町先生は返答せずただ黙っている。
その空気を読んだ生徒から1人ずつ口を閉ざして行き、完全に私語がなくなったところで返答を始めた。
「そもそも、当校の体育祭はクラス対抗戦となります。ですから報酬を付すとなると、クラス単位で発生してしまいます。それも1学年ではありません。1年生から3年生の全学年にということです。つまり莫大な予算が必要となります。それらを踏まえれば、すでに予算の
まあ、当然だよな。急に決まった実験的な行いに予算などある訳ない。
前期末試験で予算が出たことさえ不思議で仕方ないことだ。
そのことには今の説明で理解できる。
けれど、質問への回答としては不十分だと思う。
いつもハッキリ言う古町先生にしては珍しく曖昧な返答だ。
質問は、僅かでも可能性があるのかないのか。
だが古町先生はどちらでもなく、莫大な予算が必要で現実的でないと言って返事を濁らせ、最後には手を抜くなと言って圧力を掛けて来た。
何か理由があるのかもしれないが、古町先生らしくないから気になるな。
返答を曖昧にさせて隠す理由。
報酬がないとする理由を、古町先生は莫大な予算が必要だからと言った。
莫大な予算が必要となる理由は、クラス対抗戦であるから。
単純計算で1クラス40人。1年生から3年生ひとクラスずつになると120人。
その人数に報酬を付すのは確かに現実的ではないのかもしれない。
では、もっと人数が少なければ可能なのか?
前期末試験で報酬を得るのが1人と考えれば、体育祭で1人くらい追加されても可能かもしれない。
中学校の運動会では確か幸介が、一番活躍した生徒とかで優秀賞的なものを貰っていたな。
つまりは……そういうことか――。
そんなことを言ってしまえば、団結力が必要な体育祭では足枷にしかならない。
誰だって魅力的な報酬が欲しい。
すると――。俺が俺が。私が私が。
そういったように、自分本位な生徒が出て来るだろう。
古町先生はそれを阻止したいから、質問に対して返答を曖昧にさせたのだろう。
確かではないが疑問が解決し1人スッキリしたところで顔を上げると、古町先生と目が合った。
「ほう、1人顔を上げ私と目を合わせたということは、八千代君が立候補してくれる。そう受け取ってもよろしいですね?」
考えに没頭して気付かなかったが、いつの間にか体育祭実行委員を決める話になっていたようだ。
普段なら慌てる場面だが、元から立候補すると決まっていたから慌てることもない。
「はい、他にいないなら立候補したいです」
美空さんには、体育祭実行委員がある日は出勤が遅れるって事を伝えておかないとな。
「ほう、感心です。よろしい。他にはいないようですし八千代君お願いします」
ほうって、何を驚いた風にしているのか。
怖くて突っ込むことなどは出来ないが、そう言いたくなってしまう。
「男子は八千代君で決まりですが、女子はどうでしょう?」
一番後ろの席だからよく分かるが、面白いと思うほど女子が揃って下を向いた。
目を合わせてしまったばかりに、実行委員に決められたと思っているからだろう。
さすがの古町先生も、さっきのは失言だったといったような表情をしている。
顔を上げているクラスメイトは、男子の他に女子では美海に佐藤さん。
あとは……平田さん?
珍しいな。
偏見だけど平田さんならすぐに下を向く性格だと思ったが。
いや、五十嵐さんだって下を向いているくらいだからな、もしかすると何か考え事していて気付いていない可能性もあるな。
表情を見ることが出来ないため断言することはできないけど。
美海は立候補したそうにソワソワしているけど駄目だろうな。
美海まで実行委員になってしまうとバイトに穴が開いてしまう。
それが分かっているから、もどかしそうにしているのだろう。
あとで相談もせず黙って立候補したことをあとで謝っておこう。
美海のソワソワした姿を後ろから眺めていると、驚くべきことに、隣の席に座る平田さんが自信なさげに恐る恐る、ゆっくりと手を挙げ始めた――。
「せ、先生……り、り、りっこ、ほ、し、ます」
「……ふむ。他にはいませんね?」
古町先生も意外に思ったのか驚いた表情をさせた。
だがすぐに、他にいないかを見渡し、誰も動かないことを確認すると。
「では、平田さん。お願いします。想定以上に早く決まり何よりです。では続いて参加競技についてですが――」
「先生! 八千代に任せたら不安です!」
「オレも同意します! いくら立候補でも出来ない奴がやるなら、他にクジか何かで決めた方がいい気がします!」
古町先生の話を
「小野君と長谷君、八千代君の何が不安なのかをお聞きしても? 先に小野君からお願いします」
「え……っと、寄生……じゃなくて、八千代は人見知りみたいですし、ちゃんと連絡事項とか分からないんじゃないかと」
急に理由を聞かれたからか、小野は先生の前では言ってはいけない言葉を口に出しそうになったが、言い直すくらいは出来たようだ。
最近は『幸介に寄生している』。
そう陰口を言われることもなくなっていたが、小野には僕が幸介に寄生していると見えているのだろう。
それくらい今でも嫌われているということだ。
そのことを自覚しながらも、この2週間めげずに何度か挨拶を送ったりもしたが全て無視をされている。
それは、同じような理由を古町先生に説明した長谷からも同じだ。
「ふむ。2人の言い分は分かりました」
自身の言い分が通ったと思った2人は、僕にいやらしくニヤついた表情を向けて来た。
「ですが納得は難しいですね。これまでの八千代君は、確かに他人と関わったりすることが少なかったかもしれません。けれども、この2週間でそれは改善されつつあります。それに彼は日直の仕事を全うして、誰よりもキッチリと報告してくれています。ですから、私には何も心配する必要がないかと考えますが、どうでしょうか? それでも長谷君と小野君、2人が納得出来ないようでしたら、どちらかが立候補をして決めてもらう必要がありますね」
「…………せ、関だって、そう思わないか?」
「は? 俺? いや、ズッくんなら何も心配ないと思うけど?」
長谷が順平に賛同を求めるも、即否定される。
「な、なら
「……せっかく面倒な役に立候補してくれたなら、やってもらった方が賢いんじゃない?」
今度は小野が、僕を嫌う山鹿さんなら味方すると考え賛同を求めるも拒絶される。
山鹿さんはクラスメイトだというのにすれ違うこともなく、挨拶する機会が訪れなかったけど、僕を嫌っていたから避けていたということか。
少しショックかもしれないな。
と、僕が落ち込む暇もなく、諦めきれない長谷が賛同者を求めクラスメイトに質問を投げかける。
「他のみんなは!? 八千代のこと頼りないって思っているだろう!?」
特に立ち上がり意見する人はいないが、『別にいい』『最近の八千代なら』『そんなに言うなら2人がやれば?』など、2人に対して否定的な声が聞こえて来る。
「「…………」」
それに対して2人は黙るしかないといった様子だ。
あまり気分のいい終わり方じゃないが、これで決まりかな。
僕がそう思った時――。
「あのっ」
声を出し立ち上がった人は、窓側一番前の席に座る女の子。
意見する珍しい彼女の姿に、クラスメイトの視線が一斉に集まった。
その彼女は、交わした約束を守り、僕のために僕に味方してくれた――。
「私は古町先生と同じ考えです。誰よりも責任感の強い八千代くんなら、私は何も心配していないです。八千代くんは絶対に、いい加減な事はしないって断言できます」
美海は、こういった場で積極的に発言するタイプじゃない。
そのため美海が自ら発言したことで、教室にざわめきが生じ始めた。
だけど今の僕にはそれどころではない。
だって――。
胸の中が嬉しさでいっぱいになっているから。
約束を守り、
今度は笑って流さないで、僕の味方になってくれたのだから。
嬉しくならない訳がない。今すぐ美海の元に行って、
――もう、いいから。こう君しつこい!
そう言われるまでお礼を言いたくて仕方ないのだから。
それくらい『嬉しい』が溢れて来ている。
「順平も……上近江さんもありがとう。2人に期待してもらえて嬉しいよ。小野と長谷も心配しなくて大丈夫。任せられた仕事はちゃんとこなすから。だからいいかな? 僕が実行委員になっても」
「「…………」」
賛同者も得られず、さらにはAクラスで、いや1学年で人気高い上近江美海からも否定されたことで、2人は言葉も発せず着席することしか出来なかったようだ。
「……決まったようですね。出場競技まで決めたかったですが、中途半端な時間ですね。今日は種目の説明だけにして、残り時間は自習とします」
長谷と小野が、否定の意見を挙げたことで計画が狂ってしまったのだろう。
傍目からは分かりにくいが、古町先生は凄く不機嫌そうな表情で種目の説明を始めた。
美海にも分かっているからか、今度は下を向いているからな。
僕も真似をしたいが、実行委員に決まったばかりなのだ。
職務を全うするために、説明があった競技のメモくらいはしておいた方がいいかな――。
「競技種目については、明日にでも学校ホームページの中にある学生専用ページに知らせとして更新されます。ですから各自、夏休み中に参加競技を考えておくように」
説明の最後に聞かされたことで、僕はそっとノートを閉じた。
それから残り15分間の自習時間。
空回りしたやる気の行き場をなくしたことで、悶々と過ごすことになった。
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