第89話 察しのいい先輩です
予想に反して大槻先輩はまだ登校していなかった。
だが、もう来てもおかしくない時間だと先日も優しく声を掛けてくれた先輩が教えてくれた。
そして改めて自己紹介を交わしたことで、やっと『
お土産を渡すのに名前を知らないのは変だからな、僕からお願いして教えてもらったのだ。
今だって、大槻先輩が登校してくるまで相手をしてくれている。
何故か焦るような真剣さを感じるから、相手をしてくれるというよりは繋ぎ止めていると言ってもいいかもしれない。
これなら事前に大槻先輩に連絡をして確認しておくべきだったな。
昨日はバス旅行の疲労と寝不足のせいでそこまで気が回らなかった。
「ところで、八千代は彼女作らないのか?」
「作らないというか、作れないの方が正しい気がしますけど? 僕はあまり人から好かれるタイプではありませんから」
「いやいやいや。じゃあ、さ。八千代の好きな女性のタイプは? 年齢は? 年上と年下? それとも同い年じゃないとダメか?」
さっきまでは当たり障りのない話だったのに、急に恋愛の話になったな。
僕の恋愛話などしても白けさせる結果になるだろうし、誤魔化す訳じゃないが元樹先輩の話しに振ってしまおう。
「どうでしょうか? 恋愛はよく分かりません。元樹先輩はどうなんですか?」
「初恋はまだっと。大槻を断るくらいだから、仕方ないか。んで、俺は絶賛片思い中だ」
その言い方だとまるで僕が大槻先輩を振ったみたいになっているから訂正してほしい。
それと正確には初恋は済んでいる。
面倒なので否定も肯定もせずにそのままスルーしたいが、先日それで後悔したばかりだからな、今度はしっかり訂正しておくとしようか。
「えっと、元樹先輩。訂正したいことが――」
「おっと……多分来たな。連絡先交換しとこうぜ? 奢るから今度メシでも行ってゆっくり話そうや」
大槻先輩の姿はまだ見えないが、女子生徒の動きで来たことが分かったのだろう。
そのおかげで、残念なことに訂正するタイミングを逃してしまった。
「あ、はい。ありがとうございます。メプリでいいですか?」
「メプリ以外に何かあるのか?」
「いえ、ないです」
なるほど。
連絡先交換するってことはつまり、メプリを交換するってことと同義なのか。
知らなかったな。
社交辞令だろうけど、誘ってくれたことは素直に嬉しい。
もし本当にご飯に行けるようなら、その時に先輩の片思い話は聞かせてもらおう。
「あれぇ? やっくん、どうしたの? あ、おはよっ!!」
「大槻先輩、おはようございます。バス旅行のお土産を渡したくて来ちゃいました」
大槻先輩に挨拶を送りつつ、元樹先輩に頭を下げてお礼としておく。
それから用意しておいたお土産を大槻先輩に手渡す。
「なるほどね。相変わらず、やっくんは律儀だね。どんなの買ってきてくれたの? 開けてもいい?」
「はい、どうぞ」
「あぁ~、アザラシだぁ! 可愛いね! ありがとうっ、やっくん!!」
そう言って、早速カバンに付けてくれている。
大槻先輩は嘘とか好きでないから、本当に喜んでくれているように思える。
騙したような罪悪感があるけど、喜んでくれたみたいでよかった。
「あと、大槻先輩。今日の放課後は空いていますか?」
「ん? 特に何もないけど? デートのお誘い?」
「いえ。前にスイーツバイキングのお店に行きたいって言っていましたよね?」
「言ったけど……え、やっくん? まさか?」
「本日期日のペアチケットがあるんですけど、要りません? 僕、きょ――」
「要る!! 要るに決まってる!! え、ペアってことは、やっくんが一緒に行ってくれるの?? やっぱり、デートのお誘いじゃんっ! 行くよ~、行くに決まってる!!」
少し離れた所で、元樹先輩が驚いた表情で僕を見ている。
話の途中で大槻先輩が言葉を被せてきたため、僕が誘っているように聞こえたからであろう。
早く訂正をしないと、せっかく解いた誤解が復活してしまう。
「いえ、僕は用事があって行けないんです。だから、お世話にもなったし大槻先輩が要るならお譲りしたくて……船引先輩もケーキが好きなようですし2人でどうかなと思いまして」
「ん~、嬉しいけど……これ貰ったら、やっくんへの貸しはチャラ?」
「いえ、まさか。大槻先輩への貸し(借り)は別にしっかりとお返しします」
確かに大槻先輩へのお礼も含まれているけど、どちらかというとこれは船引先輩への謝罪の意味合いが強い。
それなのに、大槻先輩への借りをチャラには出来ない。
「え~、じゃあ要る!
大槻先輩には僕の打算が気付かれていたようだ。
「はい……ありがとうございます。それでお願いします」
「仕方ないなぁ。でも、ケーキに罪はないからね、ありがたく貰っておく! で~も!!」
「でも?」
嫌な予感しかないけど、聞き返すしかない。
「これからは私のことを名前で呼ぶこと! いい?」
「……僕には後ろから刺されろと聞こえたのですが?」
「大丈夫。私がそんなことさせないから。ケーキ食べる時に鈴ちゃんに御触れを出すように言っておくよ。あと、鈴ちゃんにも怒らないでって言っておくから。これで安心でしょ?」
「………」
つまり、御触れがないと本当に刺されるってことか。
ファンクラブ怖すぎでしょ……。
あとせっかく船引先輩の怒りを収める事が出来そうなのに、名前で呼ぶことが決まったら再熱してしまう。
あ、だから先回りして船引先輩を抑え込むと約束してくれたのか。
「さん、はいっ?」
「……
「先輩は邪魔。はい、どうぞ?」
「…………」
「やっぱり、やっくんには特別に『みーあ』って呼んでもらおうかなぁ~?」
「
「ん? んんん~? あれ、なんか……やっくんもしかして……?? いや、今は関係ないか。もう時間もないし今日はそれで勘弁してあげましょう」
僕の顔をジッと見て何かを考え込み、さらに何か質問してきそうな雰囲気だったけど、それを止めて本題に戻った。
逆に気になってしまうが、時計を見ると確かに時間がない。
もう3分もしないうちにホームルームが始まる時間となる。
「ありがとうございます。時間もないのでこれで失礼します。改めて、いろいろとありがとうございました。美愛さん」
「対価はもらうから気にしないでいいよ。またね、やっくん! 夏休み誘うからね~」
気になる言葉を残されてしまったけど、何とか目的は達成出来た。が、急がないと遅刻してしまう。エレベーターは……1階か。仕方ない、階段で行こう――。
急ぎ足で7階に到達すると、僕と同じように急いでいる生徒の姿がチラホラ見えた。
何人か最近交友が生まれた生徒とすれ違い際に軽く挨拶を交わし、教室に入り、自分の席に着くと同時にチャイムが鳴る。
そして扉が開き、古町先生が入って来ていつものようにホームルームが始まった。
「おはようございます。今日は、1限目まで使用して重要な話をいたします。そして、それが終わったら休憩を挟んで終業式です。では、始めましょう――」
重要な話。僕はこの話が何かをすでに知っている。
今後の僕の生活にも大きく関わる極めて大切な話だ。
古町先生との約束でもあるから失敗は許されない。
だからか『分かっていますね?』と言っているような目をした古町先生と、視線が重なった。
この重要な話。それは開校してから初めての試みでもある。
Aクラスだけでなく、他の1年生の教室でも大きく騒がれるだろう。
だけど僕は誰にも譲らない。譲ることなど出来ない。
そのことを再認識してから、古町先生へ静かに頷くことで『分かっています』と、返事をしたのだ。
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