第88話 膝枕の正しいやり方を指導されました
さて、次は保健室だ。
最初から気疲れしたけど一番の鬼門と予想していた船引先輩へのお土産も無事渡せたし、後はそんなに大変ではないだろう。
そんな油断をしながら保健室の扉をノックして扉を開けたが、
初めて保健室を利用した時はデスクにいたけど、デスクに居たことはその時だけだ。
あとは毎回ベッドで横になっている姿しか見たことがない。
さすがに今日は朝だし居るだろうと思ったが、姿は見えなくていつものように奥にあるベッドのカーテンが閉まっている。
ちなみに奥のベッドは五色沼先生の専用ベッド化していて、物理的に他の誰にも使用する事ができない。
僕が働いて下さいと言ったら『職権です。当然の権利です』と言って毛布に潜られてしまった日もある。
美人なのに残念な姿は、なんとなく『空と海の。』
普通にしていたら、本当に美人な女性なのにな。残念だ。
余計なお世話だろうけど、そう考えてしまう。
とりあえず、声を掛けるとしようか。
カーテン越しに『ゴソゴソ』と動いている気配がするし問題ないだろう。
「五色沼先生居ますか? 八千代です。おはようございます」
「千代くんです? まだ朝です?」
「朝だって分かっているなら起きて働いて下さい」
「権限です。お昼寝委員会です」
「そんな委員会はありませんし、今は朝ですからお昼寝の時間には早いですよ。ということで、さ、今日も働きましょう」
「断固拒否ですっ!! 千代くんこそ教室行くです」
僕の周りは結構しっかりした大人が多いから……いや、里店長はどうだろうか?
あ、でもな、里店長はしっかり働いている。
それに副店長が引き起こした、従業員ボイコット事件だって里店長は格好良く収めきった。つまり、しっかりした大人に分類されるだろう。
だから僕が知る大人でだらしのない人は五色沼先生くらいかもしれない。
このままだとまた毛布に潜り込まれてしまいそうだし、
「五色沼先生にプレゼントしたい物があるんですが、出てきて貰えませんか?」
現金なもので、すぐにカーテンの隙間から顔だけひょっこり出してきた。
あ、今日はツインテールなのか。
似合っているけど、先生がする髪型としてはどうなのだろう。
大人っぽくはない。
「千代くん、私が好きです?」
「どうして急にそんな考えになるんですか?」
「レアキャラです?」
「よく分かりませんが、レアキャラって会いたくても会えない珍しいキャラのことですよね?」
「そうです? でもです。千代くん、来るです。私いる日ばかりです。ピンポイント過ぎです。嬉しいです。でも怖いです。プレゼントです?」
「いや、それだと当て嵌まらなくないですか? 保健室に居て当たり前の人なんですから。会いたいときに会えますし。あと、プレゼントというか、バス旅行のお土産です。言い方が変になったことは謝ります」
そう返事すると、『やれやれです』と言いながら大きく首を振り始めた。
ツインテールのせいか、髪が円を描いて回っているように見えて面白い。
「入るです」
「え――」
変な感想を抱いていたから、咄嗟に反応が出来ずに腕を引かれカーテンの内側に引き込まれてしまった。
「靴脱ぐです。ここ座るです。正座するです」
「いや、五色沼先生?」
「早くするです」
抵抗したかったが、なんとなく鬼気迫る雰囲気がしたから何かあるのかと考えて、指示通りに上履きを脱ぎ、言われたベッドの上で正座する。
こんなことが美海に知られたら、また『やっぱり年上が好きなんじゃん』って言われてしまう。
何なら最近は『浮気』ブームも来ているから、重ねて言われてしまう可能性がある。
と言うか、この人は一体何をしているのかと問い詰めてやりたい。
「はぁ~……いいです。ちょっと限界です。寝るです」
「いや、貴女何をしているんですか? お土産渡したいんですが?」
「??」
「顔でクエスチョンしないでください。変なとこ器用ですね」
「膝枕です? 正確には太もも枕です。知ってるです?」
強制的に膝枕されている時点で、現状を説明されずとも分かっている。
そうじゃなくて、どうして膝枕をさせてきたのかと聞きたかったのだ。
それと以前、美波に聞かれて調べたことがあるから、太ももなのに膝枕と呼ばれる理由は『万葉集』を引用しているからってことも知っています。
でも、多分違いますよね、僕に聞いていることは。一応、聞いてみますが。
「万葉集からの引用ってことですか?」
「??」
「だから、その顔はやめなさい」
埒があかない。鬼門と考えていた船引先輩の時よりも、どうしてか疲労を感じる。
人のペースを乱す天才かもしれないな、五色沼先生。
「旅行楽しかったです?」
脈絡もない質問だが、最初に戻ったと考えればおかしくないのか。
「ええ、思い出に残るいいバス旅行になりました」
「いいです。憧れるです……千代くん、ちょっと崩すです」
そう言って、両手を伸ばし器用に僕の正座を少し崩してくる。
女の子座りみたいな姿勢で、関節が結構痛い。
今晩からストレッチした方がいいかもな。
いや、それよりいい加減に落とすか?
さすがに先生相手に乱暴はしたくなかったけど、膝を抜いて頭をベッドに落とすくらいはいいよな。
そう考えて実行しようとするが、保健室の扉をノックして誰かが入って来てしまった。
「失礼します。
声からして女生徒のようだ。
下の名前で呼んでいるから、もしかしたら普段から保健室を利用していて距離が近い間柄の人かもしれない。
ただ、今はこの姿を見られたくない。
最近やっと僕の噂が落ち着いてきているのに、また変な噂が広がってしまう。
そう思っていたのに――。
「いないで~す」
何考えているのか、この人は。
小声で『見られたら先生も困りますよね?』と言うと、また『??』としている。
その顔、好きですね?
何回か見たせいで、ちょっと可愛く見えますけど、今は憎たらしく見えるかもしれない。
いや今は女生徒がこちらに来る前にこの状況を打破せねば。
けれども、僕の心配とは反対に女生徒はこちらに来なかった。
「あぁ、いないのか。失礼した」
「ほら見ろです」
「……」
「痛いですっ」
五色沼先生のドヤ顔を見たせいか、思わず膝を抜いてしまった。
仕方のないことだと思う。
でも、どうしてあんな居留守で立ち去って行ったのか。
何か僕の知らない決まりでもあるのか……。
分からないけど、疲れたからお土産を置いてさっさと退散しよう。
「じゃ、ここにお土産置いておきますね。いろいろとありがとうございました。多分、しばらくはベッドを借りる必要もないので安心して下さい」
「千代くん、1ついいです? やっぱ2つです」
珍しく真面目な表情をしていて、先生らしい雰囲気を
「はい、なんですか?」
「運命です。騎士になるです。必然です。でもです」
「……おっしゃっている意味が――」
「聞くです。勝ちたいです? ならです。腐れ花です。15人です。味方につけるです。覚えておくです」
「すみません。理解は出来ませんでしたが、今の言葉は記憶しておきます」
「次です」
本当に何1つと言っていることの意味が理解出来なかった。
だが、あまりにも真剣な表情で言っていたため嫌でも記憶に残った。
そして、先ほどよりも真剣みが増した表情をしている。
僕も真面目に受けた方がいいのかもしれない。
けれど、どうしてか頭の中で期待はするなと警報が響いている――。
「はい、なんですか?」
「膝枕です。横より縦です。正座です。太もも枕です。至福です」
「あ、はい。失礼しました」
ほら、やっぱり。
期待していたら、もっと疲れてしまったかもしれない。
それに興味が僕からお土産に移ったのか『クッキーです』と声が後ろから聞こえてきた。
まあ、喜んでくれたならいいか。
でもベッドの上では食べないでくださいね。
恐らく聞き届けられないであろう願いを心の中で呟いて保健室を後にする。
「なるほど、一緒にいた人は千代くんだったのか。気に入られたんだね」
保健室を出てすぐに声を掛けてきた人は、僕が居たことをしっかりと見抜いていたらしい。考えられるとすれば、さっき出ていった女生徒だろう。
ネクタイの線は2本だから、2年生かな。
「どうでしょうか。五色沼先生の
「ん?? あぁー……なるほどね。それと失礼した。私は、2年の
何かを1人で納得していた様子は気になるけど、礼儀正しくまともそうな人なので挨拶を返す。
「本宮先輩ですね、しっかり覚えました。改めて、僕は『八千代郡』です。学年が違うため、あまり関わり合いがないかもしれませんが、よろしくお願いいたします」
「知っているさ、千代くんは有名人だからね。けれど噂と違って礼儀正しいんだね?」
有名人というのは否定したいが、大槻先輩とのあれこれで噂が広がったり、精力的に交友を広げたりもしたから前よりは名前が知られてしまったのだ。
そして今はどんな噂が広がっているのか気になりもするが、
「有名人はちょっとよく分かりませんが、敬うべき人には礼儀を尽くす事は当たり前だと思います」
「いいね、増々興味が湧いてきたよ。君なら私に夢の続きを見させてくれそうだってね。まだ……用事は済んでいないようだね。近いうち、また話せる時間がもらえたら嬉しいな。その時はよろしく頼むよ。今日は急に声を掛けたのに付き合ってくれてありがとう。またね、千代くん」
「……はい。失礼いたします」
再度、『またね』と言って、立ち去って行った。
「……興味か」
興味も過度な期待も勘弁してほしい。
何となくだけど、本宮先輩も何かしらの有名人な気がする。
本宮先輩と話し始めて、明らかに視線の数が増えた。まるで監視するような視線。
居心地が悪くなる嫌な視線だった――。
今でも十分に美海と話せるくらいの環境を作れたのだ。
だからこれ以上は目立ちたくない。
あと、どうして2年生は僕を『
原因は1人しか考えられないけど。
予想にしていなかったイベントをこなして、さらに気力も体力も削られてしまった。
出来る事ならこのまま自分の教室に戻りたい。
だけど時間的には大槻先輩が登校していてもおかしくない時間だ。
それに船引先輩の約束のためにも行かなければならない。
最後くらい、すんなりとお土産を渡せたらいいけど。
五色沼先生が言った言葉を借りるのは
「やれやれ……です」
そう言わずにはいられなかったのだ。
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