第74話 我が家の給湯器は空気が読めます
会話? 特に会話らしい会話はしていない。
僕を間にして2人が笑顔で睨みあ……見つめ合っていたからな。
先が思いやられてくる。
帰ったらクロコに癒してもらおうかな。
クロコで思い出したが、美海には伝えておいた方がいいことがある。
最初を間違えたらクロコは壁を作るからな。
クロコと仲良くしたいと考えている美海のためにも、言っておいた方がいいだろう。
「そうだ、美海」
「ん? なぁに、こう君?」
何だかいつもより声が高く甘えたように聞こえたが、気にせず続ける。
「クロコのことは、『クロコちゃん』って呼ばずに『クロコ』って呼ぶんだよ。じゃないと、無視されるから」
「えっ!? そうなの? 危なかった~、クロコちゃんって呼ぶつもりだったよ。教えてくれてありがとう、こう君っ」
すると、美波が会話に混ざりクロコの名前を訂正してくる。
「エリー――」
「どうして、美波はエリーって呼ぶの?」
美波は一度だけクロコと呼んだことがある。
でもすぐに首を傾げ、クロコと見つめ合いながら様々な名前を呼び続けた。
いつものクロコならその時点でその場を立ち去るはずなのに、ずっと待ち続けていて、美波が『エリー――?』と呼ぶと――。
「ナァ~~~」
と、返事をしたのだ。
それはもうとても嬉しそうに。
美波の脚に頭を擦り付け、匂いを嗅ぎ、膝に乗り、幸せそうに撫でられている姿を見た時は本当に驚いた。
もしかしたら、僕と出会う前は『エリー』と呼ばれていたのかな?
そう考え美波に聞いてみたら、そうだと教えてもらった。
どうして美波に分かったのか不思議だけど、美波がそうだと言うなら本当のことなのだろう。
それにクロコの反応を見たら疑う余地もない。
だから僕も改めて『エリー』と呼んだが、一切反応をしてくれなかった。
あの時は少し傷付いたな――。
傷付いた昔を思い出している間に、美波がエリーはエリーだからエリーと呼んでいるだけと説明している。当たり前だが美海にはよく伝わっていない。
「クロコは美波にだけ『エリー』って呼ぶことを許しているみたいだから、美海は僕と同じく『クロコ』って呼んであげて」
「ん~、ちょっとよく分からないけど分かった。でも、早く会いたいなぁ」
「もう着くからすぐだよ。帰ったら2人は先にシャワー浴びてね。あ、僕と美波はシャワー派だけど、美海は湯船の方がいい?」
「暑いの苦手で、夏はシャワーで済ませちゃう日がほとんどかなぁ。だから、シャワーだけ貸してもらえたら嬉しいです」
「湯船――」
美海が言ったように美波も暑い夏は苦手で、湯船に浸かることはほとんどない。
だけど今日は珍しく湯船に浸かると言い出したので一応確認をする。
「今日はシャワーじゃないの?」
「美海と――」
「ふ~ん? 分かった。じゃあ、私も今日は美波と話したいことがあるし、一緒にお風呂入ろっか」
僕の問いに美波が美海と一緒に入ると言って、美海にも伝わったのか一緒に入ると言い出す。
中学から知り合った幸介でさえ、美波の言っていることを理解出来ないのに、美海には伝わっていて不思議に思うが、女の子同士何か通ずる物があるのかもしれない。
ただ、2人でお風呂に入ると長くなりそうだし、先にシャワー浴びさせてもらいたいな。
「軽く浴槽を流したいし、先に僕がシャワー浴びさせてもらってもいい?」
2人から許可をもらったところで、マンションに到着する。
オートロックを解除したいから鍵を出すのに手を離してと伝えだが拒否される。
「合鍵――」
「……」
美波は今朝僕が渡しておいた合鍵を、わざわざ美海に見せてから、オートロックを解除する。
黙る美海に、誇らしげで自慢げな表情を見せる美波。
妙に落ち着かない空気が流れているが、気のせいだと決め込みエレベーターに乗る。
するとここでも美波が誇らしげに7階のボタンを押した。
「一応言っておくけどさ、美波は義妹だから知っていて当然なんだよ美海?」
「それは分かるけど、何だか複雑なのっ」
「ふっ――」
本当に先が思いやられる。そう思いながら到着した714号室。
オートロックと同じように、美波が玄関の鍵を開けたところで、やっと右手が解放され、続けて左手も開放される。
「クロコ、ただいま」
「エリー――」
「ナァ~」
尻尾をピンと立て僕と美波を出迎えてくれるクロコ。
それから、鼻をヒクっとさせてから美海を見る。
でもすぐに僕に目を向けて来た。
気のせいかもしれないけど、クロコの目はまるで『この女があの匂いの
「クロコ、この人は『美海』。僕の大切な友達だからよろしくね。それと美海。前にも言ったけど、クロコはどんな時も僕の近くにいてくれる大切な姉さんだから、よろしくね」
「こう君と美波の友達になった美海です。よろしくね、クロコ。こう君を守ってくれてありがとう」
すぐに返事をしたりはせず、ジッと美海を見てから――。
「ナァ~」
ひと鳴きして、リビングに戻って行った。
ひと先ずは幸介のように無視されることもなく、認めてもらえたようだ。
美海にもそのことを伝えると『良かった~』と、ほっとした様子を見せてくれた。
リビングに移動する前に、洗面台で順々に手洗いうがいを済ませる。
うがいする姿を見られることが恥ずかしいと言う美海に配慮し、僕は先にリビングへと移動する。美波が美海を連れて来てくれるだろうし、大富豪が住む凄く広い部屋でもないから、説明せずとも迷う心配はないだろう。
少しして2人がリビングに入ってきたため、待っている間で用意しておいたカフェインレスのアイスティをテーブルに置く。
「僕はシャワーを浴びて来るから、ソファにでも座って休んでて。その後に部屋の説明をするから、荷物も適当に置いておいていいから」
「うん、ありがとう」
「説明――?」
どうやら美波が美海に説明してくれるようだ。
これまでの2人を見ていると不安しかないが、美波がせっかく申し出てくれたのだ、お願いするとしよう。
「じゃあ、美波にお願いしようかな。でも――」
「平気――」
「それならいいんだ」
ちゃんと普通に説明するから心配するなと怒られてしまった。
「早く――」
そう言う美波に背中を押し出される形でリビングを追い出されたため、手早く浴槽の清掃と自身のシャワーを済ませてしまう――。
さて、体が綺麗になったはいいが服の選択に迷うな。
普段なら中学ジャージのズボンに、上はシャツ1枚で過ごすけどな。
美波だけならそれでもいいが、美海がいると考えたら少しラフな気がする。
友達とはいえ一応お客様だからな。
無難に『ユニクロ』のひんやりパジャマにするか。
ああ、それと――今のうちにドライヤーをしてしまおう。
2人がお風呂に入ると脱衣所に入れなくなるしな、暑いが仕方ない我慢だ。
「お待たせ。お湯が溜まるまでは、もう少し待っててね」
「いろいろありがとう、こう君」
シャワーを浴びたおかげで少しだけ目が覚めたが、美波は眠いのか首を揺らしウトウトした様子だ。
あ、美海の肩……頭に頭を乗せた。限界だったみたいだ。
その様子を横目で見ながら、冷蔵庫を開きアイスティをコップに注いで口まで運ぶ。
体が熱いから、駄目だと分かりつつ一気に飲み干してしまった。
空いたグラスにお代わりを注いでから、ダイニングテーブルに座る美海に近付き声を掛ける。
「美海はお代わりいる? あと、美波に頭を貸してくれてありがとう」
「ふふっ、こうして見ると子供みたいで可愛いね。さっきまでとは大違い。それとお代わりは大丈夫かな……」
前に立つ僕をチラチラと見て、徐々に耳を染め始める美海。その様子を不思議に思いつつ質問する。
「どうしたの?」
「えっとね……男の子のパジャマ姿って初めて見たから、今さらちょっと緊張してきたかも」
美海が放った言葉で、僕の目はさらに覚めることになった。
もっと言えば、アイスティのおかげで涼んだ体にも熱が戻ってきてしまう。
意識しないようにしていたため、平気な振りも出来ていたが、クラスの女の子が部屋に居るだけで僕にとっては大事件なのだ。しかも遊びじゃなくて、『宿泊』に来ているのだ。
ましてや、1週間前に話すようになったばかりの女の子。
さらに言えば学校中から人気があり、とびきり可愛い女の子。
こんなの、意識するなと言われても無理だ――。
「「…………」」
何とも言えない空気の中で見つめ合っていると、給湯器のリモコンから軽快な音声が鳴り響き、続いて『お湯はりが終了しました』とアナウンスが流れた。
ありがたいことに我が家の給湯器は空気が読める高性能給湯器だったようだ。
ちょっと気まずかったから助かった。
給湯器に向かって頭を下げてから気を取り直し、本格的に夢の世界に旅立とうとしている美波を起こすため肩を揺らす。
「んん――?」
「お風呂の準備できたけど、どうする? 眠いならシャワーだけにしておく?」
「義兄さんも――?」
「僕はシャワー浴びたから。それで、お風呂大丈夫そう?」
「平気――」
「じゃあ、美海と一緒に行っておいで。ごめん、美海。お願いしてもいい?」
「う、うん。大丈夫。お風呂いただくね」
「シャンプーやタオルとかは、今朝美波に言ってあるから美波に聞いてね」
「了解しました。何から何までありがとっ」
そう言うと、美海は美波の手を取り子供を連れ歩く母親の様にリビングを出て行った。
美海は面倒見もいいし、いいお母さんになりそうだな。
美波は多少心配だが、やれば出来る子だから平気かな。
今から心配しても仕方ないことを考えてから、使用したコップを洗うためキッチンへ移動する。それから明日来る幸介と彼女さんのためにアイスティを用意しておく。
幸介たちが来るのは午前の時間。
だから今日このあとはすぐに寝たいが、はたして――。
「寝れるのか?」
僕の言葉に反応してか、ソファの背もたれの上で箱座りをしているクロコが、綺麗な尻尾をブンッと動かした姿が見えた。
その動きをした理由は分からないが、機嫌があまりよろしくないことは分かる。
つまり今日は僕を置いて美波の傍で眠るかもしれない。
少し寂しいが仕方ない。たまには1人で寝るとしよう。
尻尾を大きく動かす。
たったそれだけの行動で、センチメンタルな気分にされてしまったが、ひと先ず美海が使用する布団を和室に敷いておくことにする。
気分を変えるため、バルコニーに出て夜風に当たり、暫らくしてリビングに戻ると、2人がお風呂から上がったのか、脱衣所の方から大きな声が聞こえてきた。
――ちょっと、美波っ!!
寂しい気持ちも何のその。
まだまだ賑やかで長い夜になりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます