第69話 おかえり。

 僕がズルした1つ目は班を揃えたことになる。

 古町先生に無理を言って取り交わした約束。さらには幸介にも協力を願った。

 目的の人物である美海、関くん、五十嵐さんを同じ班にするため。

 クジを引く順番を指定させてもらった。

 それに加えて、古町先生にはクジの箱に1つの班まるまる、クジの紙を入れ忘れてもらった。


 クジを引く順番の指定について、

 一番前の席、窓側から横に美海、平田さん、五十嵐さん、関くん、幸介が並んでいるから成立した不正だ。

 先ず、廊下側一番後ろから引くように古町先生から言ってもらった。

 だから僕は、手を入れ引くふりをしただけ。そして何食わぬ顔で、あらかじめ抜いておいた紙を手にする。

 幸介に頼んだこと。それは、順番が来たら抜いておいた紙をクジの箱に入れてもらうこと。そうすることで、幸介のあとに引く4人を強制的に同じ班にすることが出来た。

 そして何の関係もなかった平田さんを、雰囲気が悪くなる前提の班に巻き込んだことは償わなければならない――。


 次はズルとは少し違うが、あまり褒められたことではない。

 僕は、四姫花候補と話していても不思議でない人。交友関係が広い人。

 周りからそう思われるために、大槻先輩、美波、幸介に利用させてと頼んだ。

 何もしてこなかった僕が、短期間で交友関係を広げるためには必要だった。だから褒めることなど出来ない狡い方法だ。


 学校で人気の高い美波や幸介と時間を共にすることで、その人気を利用してAクラスだけに留まらず他クラスまで僕の交友関係を広げた。

 腰ぎんちゃくに思われる覚悟でもあったが、2人のおかげで予想以上に好意的に接してもらうことが叶った。

 大槻先輩には、僕と大槻先輩の関係に誤解を続け、敵意を向けて来る先輩や同級生の誤解を解いてもらうため、普段なら絶対にやらないファンサービスをしてもらった。

 敵意がなくなればそれで良かったが、廊下ですれ違えば挨拶を送ってもらえる程、好意的に接してもらえるようになった。きっと、僕の為に全力でファンサービスを頑張ってくれたのだろう。


 そして最後、最も最低な行為。

 関くんを煽り、告白に持って行かせ振られてもらう。

 それで五十嵐さんと向き合ってもらって、五十嵐さんの恋から来る暴走を止めてもらう。

 関くんだけでなく、五十嵐さんの気持ちまで利用した最低な行為。

 五十嵐さんには嫌なことを言ったし、嫌な思いもさせた。


「水族館でみんなにはバレてしまったけど、僕はこれだけ酷いことをした」


「…………」


 水族館で3人に僕の浅知恵がバレてしまったこと。

 それでも関くんはソフトクリーム1つで許しをくれ、五十嵐さんは蹴り1つで許しをくれ、平田さんは逆にお礼まで言ってくれた。

 みんなの優しさで、バス旅行を楽しい思い出にすることが出来たこと。

 おかげで学校到着後にバスを背景に撮った写真は間違いなく思い出の1枚となった。


「それで……結局、こう君はみんなを巻き込んで何がしたかったの?」


 公園のベンチに座る美海にこれまでのことを打ち明けた。

 まだ、話の咀嚼が済んでいないためか、美海は表情を変化させることなく最初の質問をしてきた。 

 何のためかと聞かれたら。

 今までと同じくいつも通りに、美海が笑って過ごせる日常を僕が見たかったから。

 美海の笑顔は人を幸せにする力がある。

 花は手折らず仰ぎ見るもの。

 だが、その花を手折り、笑顔を奪う出来事が起きた。

 長谷や小野など、クラスメイトを責めることなど出来ない。

 全ては僕の怠慢たいまんが引き起こした出来事なのだから。


 だから僕は変わると決意した。

 僕は、美海が変な嘘をつかなくてもいい『日常』を作りたかった。

 そのためには先ず、みんなが僕に持つ意識を変える必要があった。

 美海がまた無理して笑わなくてもいいように――。


「つまり、私のため?」


「違う。僕が自己中心的に望んで押し付けた思いだよ」


 ここでようやく、美海の表情に変化が訪れた。

 僕が想像していた、呆れ、失望、軽蔑けいべつ侮蔑ぶべつ。どれとも違った、『哀しみ』そんな表情を見せて来た。


「……こう君は間違えている。したことも全部。私の笑顔にはこう君が言う価値もない。だからこう君は全部間違えている。こう君がこんなに無理する必要はなかったんだよ? 私は今も昔と何も変わっていない……嘘つきな女なんだから」


「確かに僕がやったことは間違えていた。でも、僕の思いを否定するなら、美海が言う昔の話を聞かせてよ」


 少し悩む素振りを見せてから、躊躇とまどいながらもどこか投げやりに返事をくれる。


「……いいよ、教えてあげる」


「ありがとう」


「私はお姉ちゃんもお母さんもお父さんも好き。家族が好きなの」


「うん」


 美海から何度か聞いているため、家族が大好きということは知っている。

 でも僕が知っていることはそれだけだ。

 踏み込む勇気を出せない僕。

 踏み込ませる勇気を出せない美海。

 僕ら2人の思いが悪い方向に揃い絡まり、今日まで聞けることがなかった美海の昔話。


「でも3人は違うの。お姉ちゃんとお母さ……両親は仲が悪くて、喧嘩ばかり。私はみんな大好きだから仲良くしてほしかったのに」


 僕は今の美空さんしか知らないから、美空さんが家族と喧嘩する姿は想像もつかない。

 だけどいつか見せてくれた物憂ものうげな表情。あの時の表情は、美海を思っての表情かもしれない。美空さんは自分を責めているのだろう。


「だから私は笑った。みんなの顔色を窺って、笑顔だけじゃなくて望まれるままに表情を作ったの。それでみんなが喧嘩をしないで仲良くなれるなら、それが嬉しかったの。おかげで両親がお姉ちゃんとぶつからなくなって、穏やかになって、完全にではないけど喧嘩もなくなったの。でもね、そうしたら自分でも分からなくなっちゃった。本当に楽しい時ってどんな笑い方なのって。今の私は心から楽しくて笑っているの? って。全部嘘なんじゃないかって。ふふ、可笑しいよね? 願いが叶ったはずなのに全然嬉しくないの」


 今にも泣き出しそうな美海。それを空笑いしながら耐えている。

 今すぐにでも『頑張ったね』。そう慰めたくなるが、今じゃない。

 褒めるのは僕じゃなくても出来る。美空さんならすでにたくさん褒めているはず。


 それと前に美空さんは、僕と美海が似ていると言っていたけど、全然似ていない。

 僕と美海は似ているようで似ていない。

 僕は自分のために表情をなくして、笑い方が分からなくなった。

 でも、美海はみんなを笑顔にしたいから無理して笑って、本当の笑い方が分からなくなった。

 どちらもエゴかもしれないけど、全く違っている。

 誰かのために空気を読んで笑顔を作るって簡単じゃない。

 僕には出来なかった。

 だからやっぱり、美海は凄いや。そうとしか思えない。

 でも――その美海は、そのことが凄いってことに全く気付いていない。


「でもね、高校進学を機に家を離れて、望ちゃんと仲良くなって少しずつ思い出してきて、でも、やっぱりそれ以外の特に男の子と話す時はダメで。そう自覚したら、望ちゃんにも上手く笑えなくなって、ああ、私はこのままなのかなって思っていた。でもね――」


 話している時、美海はずっと遠くを見て教えてくれている。

 けして僕の目は見ずに。上を向き。涙がこぼれて来るのを耐えるように。

 でも、ここでやっと目を合わせ言った。


「こう君は違ったの。こう君が他の子より大人に見えたからかな? って、最近までは思っていたけど、全然そんなことなかったから今は理由が分からない……。でも、たくさん笑えているし、何回も泣いちゃったし……」


 ずっと哀しい表情で話してくれていたが、ここで少しだけ頬を膨らませて他の表情を見せてくれた。


「今の私は前の私に戻っただけなの。だから……私の為にこう君が無理して変わる必要なんてこれっぽっちもないんだよ? バイト帰りに『送らせてほしい』そう言ってくれたこともそうだけど、心配性だよねこう君」


 瞼を閉じ、クスクスと笑い僕が見たい笑顔とは違う笑顔を向けてくる。

 だから僕は、僕の好きな美海の顔を思い出す――。


「やっぱり美海は凄いや――」


「……こう君、私の話聞いて、た――」


 不満を言うため、瞼を開き僕へ向く美海。

 その美海の表情は今まで見たことがない、まさに『驚愕』。そんな表情で顔を染め、固まってしまった。


「僕は頑張っているけど、誰かのために何て上手に笑えない。今もこれが限界だし、だから美海は凄い。本当にそう思う」


「こ……う、くん……?? それって……??」


「一応、笑っているつもりなんだけど変だよね? ごめん、下手くそで」


 笑っているつもりだけど、百人中百人が見ても『笑えていない』と答えるだろう顔を僕は美海に見せている。

 そんな中途半端な顔だからこそ、本当はまだ見せるつもりはなかったし見せたくなかった。

 実際だって――。

 頬が少し痙攣しているかな? って、くらいにしか動いていないのだから。

 でも意識して動かせた。

 なくしてから、笑おうとしても一度だって動かなかった頬が。

 毎朝の日課で鏡を見て、惰性だせいで続けていた練習。

 でも、この2週間は惰性ではなく本気で取り組んだ。


 認めるには複雑だけど、副店長との一件で変化の予兆を感じていた。

 あの時の僕は怒りで、声に感情が宿っていたのだ。

 だから出来るかもしれないと思った。


 だが、2週間という短い期間だけ本気になったくらいでは、結果は着いて来なかった。

 それなのに笑えた……と言えるくらい笑えた訳じゃないが、きっかけは行きのバス。

 寝てしまう直前に思い出した、美海がする破顔一笑のおかげ。

 あの時、思い出したことで温かい気持ちさせられ眠りに付けた。

 美海の笑った顔を、僕が一番好きだと感じた顔を思い出せば笑える。僕はようやくそのことに気付けた。


「え……な、んで? こう君が動かしているの?」


「今はこれが精一杯だけどさ。美海は誰かのために笑えるんだから、本当に尊敬しかない。僕は『誰かのために』を想像しても全く笑えないんだから」


「じゃあ、どうして……こう君は今、笑えているの?」


 僕は自分の為に美海の笑顔を思い出すことで、

 美海に下手くそな笑い方って言えないくらい、下手な笑顔を作れるようになった。


「そうだなぁ、先ずは美海が楽しそうにブランコに乗っていた時」


「えっと、こう君?」


 怒ると言うより、戸惑いの表情をしている。


「そのあと一緒に歩いていた時に、それからカレー作りの時に僕がエプロンを付けた時」


「…………」


 美海は睨んでくるが、黙っているので続けさせてもらう。


「初めて、朝図書室に行った時」


 美海が『わたしンチ』を読んでいた時だ。

 それから、無視したお詫びに三段アイスをご馳走するとメールした時、初恋の人の話をした時、2人で写真を撮った時、出汁巻き玉子を食べさせた時、僕の昔の話を聞いて受け入れてくれた時、書道部の部室でご飯を食べた時、お泊りの許可をした時、お泊りの時、髪をセットしてあげた時。

 伝えきれないけど、他にもたくさん――。


「美海が見せてくれた、たくさんの笑顔を思い出すと、僕は笑えるんだ。でも――」


「……うん」


「2週間前に見せてくれた、あの笑顔だけは思い出しても笑うことが出来ない」


「……うん」


 ここで、美海は俯き僕から目線を逸らす。

 でも、美海の笑った顔以外にも笑える理由があるって言いたいから続けさせてもらう。


「あと、美海が泣いた顔を思い出しても笑うことが出来るんだ」


「…………」


 驚いたようにチラッと一瞬だけ目を合わせてくるが、すぐに逸らされてしまう。


「泣けなかった幼い僕、そして怒れなかった今の僕の代わりに泣いてくれたから。凄く、嬉しくて」


「……私、こう君の良い所を何も言い返せなくて水を掛けただけだよ。それにクラスの人がこう君の悪口言っていても笑って見過ごす酷い女だよ?」


 副店長との一件、さらにクラスメイトの一件で、美海は感じる必要のない罪悪感で自分を責めている。だけどそんなのーー。


「そんなの僕からしたら些事さじだから。そんなことよりも、美海がそんなくだらないことで笑えなくなる方が僕には大事件だって」


「そんなことって……私がどれだけ――」


「うん、だからさ――また同じことが起きても、美海には僕の味方をしてもらいたくてこの2週間変わるように頑張った。バス旅行で接点も出来たし、僕も前よりはクラスに溶け込めたから、次は笑って流さないで笑って否定してよ? 勝手だけど頼んだよ、美海」


「勝手だよこう君。でも……だから頑張っていたんだね。だけどこう君、もしかして知っていたの? クラスの男の子とのやり取り」


 佐藤さんから口止めはされていないけど、言う必要もない。

 だから、ここは頷くだけにとどめておく。


「こう君は……こんなに大変な思いまでして、私に笑っていてほしいの? 私に笑うことを強要するの?」


「する」


「どうして?」


「理由は2つ。1つ目は向日葵ひまわりのように僕に向けて笑う美海が好きだから」


「――つッ!? も、もう1つは?」


「前に言ったけど、覚えていないの?」


 少し悩む素振りをしてから、首を傾げて僕に問う。


「……記憶に思い出せないから、こう君の勘違いじゃない? 私、こう君がくれた言葉は忘れないし」


「じゃあ、これが最初の1つだ。仕方ないからもう一度だけ言うけど――」


 不承不承ふしょうぶしょうにコクっと頷く美海を確認してから――。


「僕はね、美海。美海の笑った顔を見ないとさ、とてもじゃないけど眠れそうにないみたい。見てよこの目の下のくま。凄くない? だから僕が安眠出来るように……これからも美海の笑った顔を見せてほしい。誰かのために笑える美海だったら簡単でしょ?」


 最初に言ったように、美海のためではなくて全部僕のためだ。

 僕は僕の安眠のために頑張った。

 美海の向日葵のように明るい笑顔を一度見てしまったら、その顔を見ないと眠れなくなってしまった。

 偽物の笑顔をした美海も可愛いけど、それじゃ駄目なんだ。

 だから、美海の笑顔を見て安眠する為なら何だってやってやる。


 あと、美海がせっかく家族の話をしてくれたけど、頼りない僕には、美海が僕を救ってくれたように、美海の話を聞いてもどう答えたらいいか分からない。

 慰める? 共感する? 応援する? 味方だよって伝える?

 どれもこれもピンとこないし、それが出来る程器用でもない。

 僕はただ、お願いを聞いたり我儘を聞いたりと甘やかしたりすることや美海がいつも通りに過ごせるように頑張る事しかできないと思う。

 だから、甘えてくれるなら、美海のためになることなら何だってやってやる。

 それが僕のためになるから――。


「それでどうかな? 美海は僕の安眠の為に笑ってくれる?」


 僕の返答が奇天烈きてれつで呆気に取られていた美海。

 だけど、やっとここで『ふふふっ』と、口から笑い声が漏れだす。

 そして呆れた表情を見せてから、


 僕がずっと見たかった笑顔を浮かべて――――。


「もうっ、こう君は本当に仕方ないんだからっ!! これで……いいかな? なんか、ちょっと照れるね」


「……今日こそは、本当にグッスリ眠れそうだ」


 今度こそ嘘じゃない。本当に眠れるだろう。横になれば今すぐでも眠れそうだ。


「本当に? 私、ちゃんとこう君を向いてこう君の好きな顔で笑えている?」


「うん――」


「そっか――」


「………………」


「………………」


「………………」


「………………」


 長い沈黙。重なる視線を外すことなく、まだ暫らく沈黙が続く。


「………………」


「………………」


「………………」


「………………」


 そして――。

 最初に視線を外し、相好を崩したのは美海。だが沈黙を破ったのは僕だ。


「おかえり、美海」


「おかえり、こう君」


「「ただいま」」


 笑顔に見えない下手くそな笑顔が1つ。

 それともう1つ。

 何1つ曇りない僕の大好きな笑顔がやっと帰ってきたのだ。



 第二章 〜完〜



【あとがき】

こんにちは。山吹です。

第二章完結までお読みいただき、ありがとうございます。

少しでも面白いと思ってくれた方は、作品のフォローや評価欄から「★〜★★★」を付けての応援をお願いします!!


改めて、第二章を最後まで読まれた皆さま。

本当にありがとうございました。

第三章を前にお泊り会の話が挟まります。

どうぞお楽しみください。

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