第63話 エスカレーターでいちゃつくのは危険です

「平田さん重かったよね。それにもしかして休憩も我慢させた? それだったらごめんね」


「だ、だい、丈夫です。気にし、て、いませ、ん。私も、寝ちゃ、てまし、たし」


 高速道路に入ってすぐ、僕は爆睡してしまったのだ。

 それも平田さんの肩……というより頭を借りてぐっすりと。

 寝不足が続いていたせいで、水族館に到着するまで一度も目を覚ます事がなかった。

 寝ていた時間は1時間しないくらいだけど、熟睡出来たおかげで久しぶりに頭がスッキリしている。

 そう言った意味では良いことなのだが、パーキングエリアの休憩時、幸介や関くんにバッチリ写真を撮られてしまったため、素直にいいことだとは言えない。

 2人に盗撮された写真を見せられたが、僕と平田さんはまるでカップルのように寄り添っているとても恥ずかしい写真でもあった。

 バス旅行の班決め然り、本当に平田さんのことは巻き込んでばかりで申し訳ない気持ちが溢れて来る。


「ズ、くん……」


 どうやら何か文句を伝えたいようだ。

 僕には聞く責任があるため、要求通り耳を貸すため少し腰を落とす。


「天使様が堕天しそうな怖い顔で見ていますので、どうにかしてください。天使様に怒られたら、ズッくんのせいですからね!?」


 文句は文句でも、僕が予想していた文句とは種類が異なっていた。

 それよりも堕天か……美空さんの前で無邪気に振る舞う美海は、天使みたいだと納得出来るから、堕天とは上手く言ったものだと感心しつつ美海に顔を向ける。


「何かな? 八千代くん」


「いや、特には」


 綺麗な笑顔なのに迫力を感じた。

 どことなく陰もあるから堕天という言葉も納得出来るかもしれない。

 その堕天使様は何か言いたそうにしていたが、古町先生が集合を掛けたことにより中断された。


 集合場所は一般客の邪魔にならない道の外れ。

 名花高校様と書かれた目印に仕切りもあるため、水族館側もしくは誰か先生方が用意してくれた場所かもしれない。

 速やかにクラスごとに集合し終えると、何度目になるか分からない注意事項を説明される。

 聞きもららさないようしっかり聞いた後は、いよいよ、班ごとに分かれて順々に水族館へ入場となる。


「ズッくん初めてだからって、はしゃぎ過ぎんなよ?」


「関くんなら、一緒にはしゃいでくれるって信じているよ」


「ぜってー無理! 上近江さんに引かれそうだしな。だからズッくんのことを温かく見守ることだけにしとく! 恨むなよ?」


 僕は5歳以降で記憶している限り、水族館、動物園、遊園地など子供が好きそうな場所に、家族で出掛けたことがない。

 学校行事で見て回った時もほとんどは1人、もしくは先生と2人だったため今回のようにちゃんとグループで行動していることが不思議に思えてくる。

 このことを関くんにも話してあるから、それをネタに話し掛けてくれたようだ。

 入場の順番が来るまで、まだ少し掛かりそうだし今のうちに話しておくか。


「僕はそんなに狭量きょうりょうじゃないから恨んだりしないよ。そうだ、関くん。例の場所に大水槽トンネルとかどうかな?」


「狭量とか難しいこと言われても分かんねーから。それよりズッくんさぁ……急だな? まあ、でもやっぱそこだよな……緊張すんなぁー……」


「お昼の後、アイスを撒き餌に女子を足止めしておくから、関くんは先に大水槽トンネルに行って、下見ついでに心の準備をしておくといいよ」


「……いいのか?」


「関くんが思いを伝えるまでは協力するって約束したからね。あ、でも後でアイス代はもらうから」


「何か素直にありがとうって言いたくないけど、ありがとなズッくん」


「そこは素直でいいと思うけど」


「ははは……っし! まあ、どうなるかは分かんないけど、いい思い出にしようぜ」


 小さくこぶしを作り気合を入れた関くんは、別のクラスメイトに声を掛けに去って行く。

 本当に――。

 このまま良い思い出に残るバス旅行で終わるといい。

 そんなことを願っていると順番がやって来る。

 ゲート入り口で、係員から紙製のリストバンドを受け取り入場する。

 リストバンドがある限り、本日中なら入退場を繰り返してもいいようだ。

 紙製の作りのため破けたり、濡れたりして破損の心があったけど、その時はハンコを押して証明してくれると古町先生から説明があった。


 今は入場が始まったばかり。そのため、同じカ所に人が集まりゆっくり見て回ることが出来ない。

 課題である感想を書くためにも、しっかり見ておかないといけないから入退場が自由なことは素直にありがたく感じる。


 そう考えつつ受け取った大切なリストバンドを手首に付け、入場ゲートをくぐり最初に見えてきたのは屋外施設。

 何がいるのかと近付き説明文を見ると『ユーラシアカワウソ』とある。

 カワウソ……カワウソか、ふわっとしたイメージしか浮かんでこない。

 思い出そうとしても思い出せるわけもないし、実物がすぐ近くにいるのだからと、大きな観覧窓から中を覗いてみる。

 運良く、目の前を優雅に泳ぎ去って行くいカワウソの姿を見ることが出来た。


「思ったより大きいんだな」


 もう少し小さな姿を予想していたため、思った以上に大きくて驚いてしまった。

 また目の前を泳ぎに来ないかなと期待しながら、カワウソが住む施設を一周する。

 最初に見たカワウソと別の個体かもしれないが、屋外施設を出るまでに何回か見ることが叶った。

 カワウソのおかげで、まだ序盤だと言うのに結構楽しい。

 僕は生き物を見ることが好きなのかもしれない。

 自分の新たな一面を発見したことを実感させながら本館に向け歩いていると、いつの間にか僕の後ろまで来ていた美海から声を掛けられる。


「凄く熱心に見ていたけど、八千代くんはカワウソが好きなの?」


「いや、カワウソってこんなに大きいんだなと思ってさ。だから、つい見入っちゃったよ」


「そう? 確かに大きかったけど、驚くほどだったかな」


「ほら、上近江さん! ズッくんは水族館初めてらしいし、温かく見守ってあげようよ!!」


 関くんは入場前に会話したやり取りを取り入れてくれたようだ。

 はしゃいでいる僕を温かく見守ろうと言って、会話に混ざった関くんに美海が返事を戻す。

 関くんの後方で1人ぽつんと歩く五十嵐さんの姿が見えたため、このまま立ち去ろうかと考えたがその前に、静かに僕の背に隠れていた平田さんを2人の会話に混ぜてから、五十嵐さんの元に向かう。


「五十嵐さん、お昼のあと大水槽トンネルで話つけたから」


 関くんには悪いが、時差を組み美海よりも先に五十嵐さんを向かわせるつもりだ。


「……さんきゅ」


 照れているのか、顔を背けたままお礼を言われる。

 いい機会だし、もう少しだけ五十嵐さんと一緒に見て回る事にしよう。


「五十嵐さんは水族館好き?」


「好きでも嫌いでもない。八千代は随分と楽しそうだな。好きなのか?」


「まだ分からないけどさ。水族館が好きだと思えるように、今日は楽しかったなって言える思い出にしたい」


「よくそんな恥ずかしいこと言えんな? それも昨日言った大切な人の影響か?」


 本館1階シーラカンスの幼魚や標本を見ながら話していると、不意に昨日教えた恥ずかしい話を持ち出しからかってきた。


 バス旅行の班が決まってからの2週間。

 この短い期間で、天邪鬼あまのじゃく気味な五十嵐さんと距離を縮めるのに僕が選んだ方法は、五十嵐さんに対して意地悪な言葉や煽るようなことを言って、無理矢理本音を引き出すこと。

 一見酷い方法にも思えたが、中々どうして会話が出来るくらいには上手く行った。

 だけど、どうしても美海を無視する事を止めてもらうことは出来ずにいた。


 楽しいバス旅行にしたい。班員と友達になれとは言わないが仲良くしてほしい。空気が悪くなる。五十嵐さんの恋愛に協力するから。など言い続けたが、五十嵐さんは頑固だった。どうしたものかと頭を悩ませていたが、バス旅行前日、五十嵐さんは僕にチャンスをくれた――。


「自分の本音を何1つ言わないお前、ましてや友達でも何でもない奴の言うことは聞きたくない」


 確かにその通りだと思った。

 指摘されてやっと気付けたから助けられてしまった。

 口は悪いけど、素直なところもあって根はいい人なのだ。口は悪いけど。

 助けられたと思った直後に言うことじゃないが、もしも素直な部分を恋愛に活かせたら、もっと可愛くなるだろうから勿体ない。そう思ったのだ。

 頭の中で不満を言ってから、僕は正直に心情の変化と、変わろうと努力していることを五十嵐さんに話した。


 最後まで黙って聞いていた五十嵐さんはこう聞いてきた。『好きな人がいるのか』と。

 質問に対して僕は正直にこう答えた。『分からないけど大切だと思える人が出来た』と。

 笑っていて欲しい人とどちらにしようか悩んだが、笑っていて欲しいというのは僕のエゴであるから、『大切な人』こちらが適していると考えそう答えた。

 納得してくれるか怪しかったが、五十嵐さんは『これぞツンデレ』と言った感じで僕を認めてくれた。


「……分かった。八千代の言うこと少しは聞いてやる。約束してやる。でも、まだ友達じゃないから勘違いすんなよな!?」


 五十嵐さんは初めて僕のことを『お前』でなくて『八千代』と呼んでくれたのだ。

 認めてくれた五十嵐さんに対して僕は意地悪だと分かりつつ、こう答えた。


「僕のことは『ズッくん』って、呼んでくれてもいいんだけど?」


 絶対に呼ばれないと分かってはいた。そして案の定、すぐに否定の言葉と暴力的な手が飛んできて、頭を叩かれることになった。


「ぜってぇ、呼ばない。調子のるなッ!! でも……」


「でも?」


「……友達だと思ったら呼んでやる」


 小さく、かすかに耳に届くくらいのか細い声で言ってくれたのだ――。


 返事もせずに昨日のことを思い出していると、ドスの効いた声が耳まで聞こえて来る。


「てんめぇ、八千代。無視とはいい度胸だな?」


 今すぐにでも刺してきそうな怖い目で僕を見ている。


「今日、五十嵐さんが頑張ったら答えてあげる」


「……八千代は頭がおかしい奴だって言いふらすぞ?」


「僕には褒め言葉だから、お好きにどうぞ」


「ほんっっっと、性格悪いなお前ッ」


 昔の幸介との会話を思い出して懐かしい感じがしたけど、これ以上言ったらまた頭を叩かさそうだから謝罪する。


 ――ふん。


 と、鼻を鳴らす五十嵐さんから視線を外し、周囲を見渡すと、後続の班が入り密度が高くなり始めている。次に進んだ方がいいかもしれない。

 五十嵐さんに声を掛けたが、先に行けと言われ振られる。

 興味なさそうにシーラカンスの標本を見続けている。つまりそれよりも興味を持たれていない存在が僕ということか。

 悲しい事実に落ち込みそうになったが、五十嵐さんは近くに来た関くんに声を掛けたため、なるほどと納得して気を持ち直す。

 ちなみに美海と平田さんはシーラカンスの幼魚を見ていたため、僕は1人で2階に続くエスカレーターに向かう。


 転ばないように足元を見ながら乗り込み、目線を上に向けるが、随分と2階までの距離が長い。

 疑問に感じてパンフレットを開くと、どうやら1階から2階に移動するのでなく、1階から4階に上がり、そこから3階、2階と下に進むルートだと分かった。

 疑問が解消されたのでパンフレットをしまう。次に隣へ並んだ女の子に声を掛ける。


「上近江さん、並ぶと後ろの邪魔になるかもしれないですから僕の前にどうぞ」


「……こう君、今は近くに誰もいないし名前で呼んでもいいと思うよ?」


「案外見られているかもよ? まあ、でも平気かな。美海は楽しんでいる?」


「意地悪さんには答えてあげないっ」


 僕の前に移動した美海は『ぷいっ』って、可愛くいじけてしまう。

 しかしすぐに、少し高い位置から僕を見下ろしてくる。

 エスカレーターの段差で背の高さが逆転したのだ。

 普段との目線の高さの違いに違和感を覚えると共に新鮮さも感じる。

 人よりも小柄な美海は可愛いイメージが先行するが、もしも背が高ければ美空さんみたいな美人なイメージになるかもしれない。

 いずれにせよ美少女なことには変わらないかな。


「いつもより目の距離が近いね?」


「身長差が少なくなったからね。美海が大きくなったってことは……成長期かな?」


「むっ……でもこう君、小さくて可愛いね? 頭よしよししてあげよっか? 寝癖のとこ」


 返事を戻すよりも先にクスクスと笑いながら、バスで寝てしまった時に付いた寝癖を重点的に撫で始める。

 会話が聞かれないとは言え、見られる心配は残っている。

 だから本当は避けたかったけど、避けたことで転げ落ちる可能性を考えたら避けることなど出来なかった。

 楽しい思い出どころか大参事になり、別の意味で一生忘れることの出来ないバス旅行となってしまう。

 事故を避けるため、僕は仕方なしに、されるがまま頭を撫でられているのだ。

 けして、満足そうに撫でる美海を見ていたいからとかじゃない。

 そう、これはいい訳じゃない――。


「ふふっ、こう君みたいに頑固な寝癖さんたら、全然直らないよ」


 可笑しそうに楽しそうに笑う美海。

 まだ陰りが見えるけど、こんなに自然に笑う美海は久しぶりに見たかもしれない。

 全ては僕の思い違いかもしれないけど、嬉しくなってしまう。

 もう少し美海の笑っている顔を見ていたい。

 けどエスカレーターの切れ目が見えてきた――。


「美海、そろそろ4階に到着するから前を向こう」


「うんっ……は~い!」


 思い違いじゃない。笑顔と笑顔の間で一瞬見せる暗い表情が、僕に確信を与えた――。

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