第62話 ふぅ~ん
「て、てん、し、さまぁ……」
黙って僕を睨みつける五十嵐さんを、僕も黙ったまま見ていると、感極まったような声が聞こえて来た。
困っている平田さんに気付いた美海が、僕の席に座った女子と、さらに席を入れ替わり、平田さんの隣に座ったからだろう。
そうすると今度は佐藤さんが困ることになると、ほんの一瞬だけ考えたが、そもそも佐藤さんはクラス全員と仲が良好なため、平田さんのようになることはないだろう。
そう考えると凄いな、佐藤さん。見習わないといけない。
見習うと決めたのだから、早速ではあるが、今もなお僕を睨みつけている五十嵐さんと友好を深めるための努力をするとしようか――。
「で、どうしたの? というか五十嵐さん座席を叩かないでよ」
「叩いてない」
「なら、あの背中から頭まで伝わってきた衝撃は何?」
「蹴ったから叩いていない」
「……もっと悪いから。それで、どうしたの?」
僕の返事に『むすっ』とした表情で黙っていた五十嵐さんだが、我慢出来ずに聞いてくる。
「それより八千代!! あたしとの約束はッ!? 忘れたのか!?」
五十嵐さんが言う約束とは、昨日結んだ約束だろう。
昨日結んだばかりなのだから忘れる訳がない。
「水族館で作るから、もう少し我慢して」
納得いかない表情をしているが、渋々頷き『約束だからなッ!』と無理矢理小指を取られ唄のない指切りをされる。
つい今しがた、せっかく針千本を回避したのにまた追い掛けて来たようだ。
「八千代くんと……五十嵐さんは何を約束したの?」
バスが止まるのを見計らった美海が、恐る恐ると言った感じで後ろを覗き聞いてきた。
五十嵐さんに避けられていると自覚しているから、美海が五十嵐さんに声を掛けるのは珍しい。きっと、勇気を出しているはず。
「…………イツッ」
それなのに、それを無視しようとするから僕は五十嵐さんを肘で小突いたのだ。
「……上近江さんには……まだ言いたくない」
――もっと別の言い方があるだろ。
と、意味を込めて再度小突くが、窓の外を見始めたので諦めて僕が返事をする。
「こんな言い方だけど、教えるのが恥ずかしいって言っているだけだから。上近江さんは気にしなくて平気だからね。
「てめッ――」
的を射た返答だったと思うが、五十嵐さんは気にくわなかったようだ。
だからか僕が小突いた何倍もの威力の小突きが返ってきた。
いや、これはすでに
「……ふぅ~ん。仲良いんだ、2人」
冷たい目を僕ら2人に向け、最後にそれだけ言って美海は前に向き直した。
僕が美空さんに揶揄われている時、稀に美海が見せる冷たい雰囲気。
そのため僕に驚きはないが、学校での上近江美海しか知らない五十嵐さんにとっては、結構な衝撃だったようで今頃慌て始める。
「おい、上近江さん怒ってなかったか? 八千代、何やったんだよ」
「『おい』って言わない。上近江さん怒っていませんでしたか。八千代何したんですか。でしょ。何度も言うけど、言葉1つで印象は変わるんだから気を付けないと。振り向かせたいんでしょ? それに怒らせたのは僕じゃなくて五十嵐さんだから」
「ホントお前は小姑みたいにネチネチしたやつだな。つーか、今のはあきらかにお前に怒ってただろ」
小姑って……僕だってこんなガミガミ言いたくない。
「……五十嵐さん、小姑とか難しい言葉知ってたんだね」
「おまッ!? 馬鹿にしすぎだろ!?」
怒った五十嵐さんは僕の膝を叩き始めたが、飽きたのかすぐに叩くことを止めて携帯を取り出した。
なるほど、携帯が鳴ったから叩くのをやめたのか。鳴ってすぐに操作する姿は、さすが現役女子高生だなと変に感心してしまう。
その感心した気持ちを返却してくれと言いたくなるような憎たらしく、勝ち誇ったような顔して、僕にも携帯を出せと言ってくる。
何となく嫌な予感をさせつつ、素直に携帯をポケットから取り画面を見ると、メプリにメッセージが届いていた。
メプリのアイコンをタッチさせ、アプリを起動する。
通知マークが付いていたのは、今日まで出番がなかった、班のみんなで登録したグループだった。
誰が送信したのかと確認する為、グループを開くと五十嵐さんが勝ち誇った顔をした理由がすぐに分かった。
『(上近江さん)八千代くんに対してです』
僕が携帯画面を見て固まっていると、それ見たかと言わんばかりに、五十嵐さんがケラケラと笑いだした。すると、さらに――。
『(関くん)ズッくん、なにしたん?』
『(五十嵐さん)八千代はマジもんのバカってこと』
『(平田さん)私もズッくんが悪いと思います。間違えました。ズッくんが悪いです』
『(八千代)僕の味方は?』
僕が送信すると、誰からも返事が戻って来なかった。
グループが稼働していることは嬉しいが、何だか悲しくなってしまう。
悲しみに落ち込みそうになるが、ポコンと音が鳴った。
『(上近江さん)八千代くん、ソフトクリームで許してあげる』
『(関くん)俺はミックスでいいぜ』
『(五十嵐さん)あたしはチョコな』
『(平田さん)私はヨーグルトミルクがいいです』
『(八千代)上近江さんなら三段まではご馳走します。他の薄情な人たちは駄目です』
『(八千代)本当かどうかは分からないけど、ミックスを選ぶ人は優柔不断らしいよ』
『(関くん)うるせえ!! て言いたいが、否定できないのがむかつく』
その後もポコンポコンと鳴っていたけど、どうせ不平不満だろうからそっと携帯をポケットにしまう。
僕への悪口を見たくない理由もあるが、そろそろ高速に入るだろうから席に戻らないといけない。
水族館に到着するまでの間、五十嵐さんは僕が隣では嫌だろうしな。
「そろそろ高速に入りますので席の移動は今のうちに済ませるように」
普段バスガイドが使っていると思われるマイクで、古町先生がアナウンスする。
綺麗な声だな。立ち姿も綺麗だし、こんなバスガイドがいたら人気爆発だろう。
そう思ったのは僕だけではなかったのか、男子たちが叫び始めた。
「バスガイドさん、何か歌ってー!」
「オレあれ聞きたい! 昨日テレビでやってたあ、れ…………」
「はぁぁー……。貴方たちは本当に学習しませんね」
グングンと高くなり始めていたテンションが、古町先生の溜息と言葉で急激に下がることとなった。
気の毒に思わないこともないが、僕はどちらかと言うと古町先生に同意したい。
同じく学習しないなと思ったからだ――。
バスの中はテスト前のような嫌な空気となり、クラスメイトのほとんどが下を向いてしまったが、僕は五十嵐さんにひと言断りを入れて、元の席に移動する。
だが、可愛く頬を膨らませた美海が席を退けてくれない。
周りを見るがまだ下に俯いたままのようだから、こっそり美海の耳元で話し掛ける。
――ちゃんとジェラートの約束も守るから安心して。
僕がそういうと、『違うけど、もうそれでいい』と許してもらう。
でも、立ち上がる様子はない。
困ったな、そう思っているとシャツを引かれ屈むように言われた。
抗ったりせず要求されるまま屈むと、今度は口パクでなく声にして不満をぶつけて来た。
――ばかっ。
と。
そして美海は今度こそ自分の席へと戻って行った。
美海が何に不満と思っているのか謎を解明したいが、このまま突っ立っている訳にもいかないため着席する。
続けて美海に声を掛けようとするが、隣から聞こえて来た声に意識を取られてしまう。
「む、胸が……焼け、て、しまい、ます。あまあ、まです」
クラスメイトの大勢は下に俯いたままに見えたが、平田さんにはバッチリ見られていたし、聞かれていたようだ。
胸を押さえて苦しそうな様子を見せている平田さんに小声で聞いてみる。
「どうして美海は僕に『ばかっ』って、言ったのかな?」
「じ、じぶん、で、考えた、ほうが、いい、で、すよ?」
平田さんには分かっているようだけど、教えてはくれないようだ。
その後、平田さんが小学生の頃は学童に通っていたことや鍵っ子だと話を聞いた。
僕もほんの1年だけ学童に通っていたこともあったから、『一緒だね』と話をした。
だが珍しく話が途切れたため、『少し寝ます』と言って目を瞑った。
でもすぐに目を開けて、佐藤さんと話している美海を盗み見る――。
すでに機嫌を直したのか、佐藤さんと話している美海は楽しそうに笑っていた。
けれども――。その笑い方は綺麗すぎるのだ。上品と言ってもいい。
あの日からの美海は綺麗に笑う。図書室で話すとき、一緒にアルバイトしているとき、教室で話すとき――笑顔の種類はどれも同じ。僕に無表情の仮面が張り付いているならば、美海には笑顔の仮面が張り付いているのかもしれない。
僕の勘違い。そうであってほしいが、言葉と表情と本心にズレが生じて矛盾がおきているように感じる。
――コトッ。
肩に重みを感じた。どうやら僕よりも先に平田さんが眠ってしまったようだ。
今日が楽しみで寝不足だったのかもしれない。
それと眠いから会話も途切れたのだろう。
平田さんは案外お喋りだ、途切れるのが珍しいと思っていたから謎が解けたな。
バスの中は空調が効いているのか、少しだけ心地よく感じる。もしくは平田さんから伝わる体温が理由かもしれない。今でも目を瞑ると瞼の裏にはあの日見た下手くそな笑い方が浮かぶが、それと同時に美海が見せてくれた破顔一笑が久しぶりに思い出される。
ああ、なるほど。やっと分かったかもしれない。
おかげで――今は少しだけ眠れそうな気がする――――。
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