第46話 義兄妹の時間

 玄関でクロコに行ってきますと挨拶してから、駐輪場ではなくバス停に向かう。

 美波は自転車に乗れないから、自転車で行くと帰りがバラバラになってしまうのだ。

 外は暑いし歩くには距離もある。

 運転免許など持っているはずもないし、タクシーを使うには高校生の金銭事情を考えると厳しい。それならバスしか選択肢が残っていない。

 予定時刻通りに来るか少し不安だったが、杞憂に終わり予定時刻ピッタリにやってきた。

 乗車する機会がたまにしかないため気付かなかったが、よく考えると駅が近いのだから、そんな滅多に遅れないか。

 交通系ICカードをタッチしてバスへ乗り込み、運転席近くのつり革を手に取る。

 冷房はあまり効いていなくて、少し汗がにじみ出てくる。

 バスに揺られ踏ん張りながら少し経ったところで、目的のバス停のアナウンスが流れた。

 他にボタンを押す人が居なさそうなので、ボタンを押す。


 ――ピンポーン。次、停まります。


 と、軽快な音の後にアナウンスが流れる。

 バスが停まってから交通系ICカードで支払いを済ませバスを降りる。

 降りたバス停の目の前にあるマンションエントランスに入り、持っている鍵でオートロックを解除する。

 エレベーターに乗り込み、そのまま13階で降りて玄関の鍵を開け中に入る。


 耳を澄ましても、物音は聞こえてこない。

 美波は『起こして――』と宣言した通りに、今もまだ寝ているのだろう。

 美波の部屋を通り過ぎ洗面所に寄ってからリビングに入ると、光さんからの書き置きがダイニングテーブルにあった。


『郡くんへ。お帰りなさい。冷蔵庫にある食材は好きに使って。暫らくの間、美波のことよろしくお願いね。行ってきます』


 光さんらしい達筆な字だ。それに『お帰りなさい』か。

 クロコ以外にお帰りと言われることは暫らくなかったから、何だか懐かしい気持ちになる。

 たった3カ月だけど、不思議と数年ぶりに帰って来たさえする。

 そう言えば、先日も来たばかりなのにな。と、可笑しくなったが、感傷的になるのはここで止め、次の行動に移る。


「美波を起こさないと」


 すんなり起きてくれるといいけど。

 そう思いつつ、リビングを出て美波の部屋に向かい、扉をノックする。

 静かに待っていると、寝癖を付けた美波がほとんど目を開いていない状態で部屋から出てくる。

 朝は苦手だけど、ノックで起きるくらいには寝起きは悪くないのだ。


「おはよう、美波。朝ごはんの用意をするから、顔を洗っておいで」


「抱っこ――」


 寝ぼけているのか、返事と同時に抱き着いてこようとするが――。

 先に手を取り、美波からの抱擁を避ける。

 寝起きで脱力感満載の美波。さらに僕よりも背の高い美波。

 その美波が急に抱き寄ってきたら、僕は支えきれずよろけてしまうこと確実だ。

 そうしたら美波がいじけてしまうことを、すでに経験済みだから分かっている。


「美波、起きて。ほら、洗面所行っておいで」


「やだ――」


「はいはい、分かったよ。一緒に行こうね」


「うん――」


 そう言うと手をギュッと握り直してきたので、そのまま洗面所に連れて行く。

 美波が顔を洗ったらタオルを渡し、顔を拭き終わったらタオルを預かり、化粧水をつけ終わるのを待ち、それが終わったら歯ブラシを渡す。

 歯を磨いている間に、寝癖を直すためスプレーを掛けてドライヤーをあてる。

 仕上げに、綺麗な金色の長い髪が絡まらないように、毛先から丁寧にくしをかける。

 ここまでが、僕と美波が本当の兄妹になってからの恒例だ。

 当たり前だけど、最初は自分でやってとお願いした。

 でも、美波に『特権――』と言われ、光さんからは『私は忙しいから、郡くんがやってあげて』と頼まれたのだ。

 仕方なしにやってみるが、寝癖は直らない、櫛をかけたら毛先を絡ませ『痛い――』と不満を言われたりもした。

 それでも、僕が困っているのが可笑しいのかクスクスと笑いながらも、最後には嬉しそうに『ありがとう――』と言ってくれたのだ。

 それが嬉しくて、何とか四苦八苦しながらも覚えてきた。


「ありがとう――」


「どういたしまして。朝ご飯用意するから、美波は着替えておいで」


「オムレツ――」


「分かっているよ、本当に好きだね」


 嬉しそうに微笑んでから、着替えるため自分の部屋に戻って行く。

 僕はリビングに戻り、キッチンに入り冷蔵庫を開く。


「さすが、光さん」


 綺麗に整頓されているし、美波の好物が揃っている。


「とうもろこしもあるのか」


 夏が旬のとうもろこし。

 美波はオムレツの他にコーンスープも大好物だ。

 メニューは決まりかな。

 せっかくだし、最近覚えたオムレツを作ってみよう。

 アルバイトで美海に教えてもらったオムレツだ。

 先に、とうもろこしの実の部分を包丁でそぎ落とし、牛乳と一緒にフードプロセッサーにかける。

 してから鍋に移し弱火で温めながら、バターとコンソメを入れて塩で味を調えたら完成だ。

 すると、着替えを済ませた美波がリビングに来たので、先に用意しておいた白湯さゆを渡す。


「ゆっくり飲むんだよ。ご飯はもう少しだけ待っていてね」


「なってるの――」


 お腹が鳴るくらい、減っているようだ。


「先にスープだけ飲む?」


「待ってる――」


 一緒に食べたいから待っていると返事される。

 期待に応えるため少し急ぐことにする。

 トースターに6枚切りの食パンをセットしてから、昨日も何度か作ったオムレツに取り掛かかり、さらに慣れた手順で、2人分のオムレツを完成させる。

 特製ソースは無いから、これは普段作るソースで我慢してもらう。

 ベビーリーフの代わりに、パセリとミニトマトでいろどりを演出もした。

 出来立ての方のオムレツを美波の方にトーストやスープと一緒にセットする。

 飲み物は美波が牛乳で、僕はコーヒーだ。


「お待たせ、食べよっか」


「うん――」


「「いただきます――」」


 きらきらと目を輝かせながら、オムレツとコーンスープを見比べている。

 先に、スープを選んだようでスプーンを使って一口飲んでから、オムレツに食べ移る。

 美波は比較的ゆっくり食べるけど、よっぽどお腹が空いていたのか今日はいつもより食が早い気がする。


「スープはお代わりあるから、ゆっくり食べるんだよ」


「うん――」


 オムレツを口に入れて、もぐもぐと動かしながらいつもと味が違うと言われる。


「違う――?」


「新しいバイト先で教えてもらったんだけど、どう? 美波の口に合うかな?」


「美味しい――」


 美波の口にも合ったようで安心した。

 午後のバイトの時、美海にお礼を言っておこう。


「むぅ――」


 何か気に障ったのか、頬を膨らませて不満を訴えてくる。


「どうしたの? 何か美味しくなかった?」


「誰――?」


「ああ、同じクラスの子がバイト先にいて、その人に教えてもらったんだよ」


 面白くない。

 でも、オムレツは美味しい。

 と、言っているかのように、複雑そうな表情で食べ進めている。

 最後に美波はコーンスープを2回お代わりしてから、2人で食べる久しぶりの朝食が終了する。


「ごちそうさま――」


「ごちそうさまでした」


「満足――」


「お粗末様です。少しお腹が落ち着いたら出ようね。クロコも待っているし」


「エリー――?」


 昔から美波はクロコのことをエリーと呼ぶ。

 クロコは『くーちゃん』『くー』など呼んでも無視をする。

 しっかり名前を呼ばないと返事をしないのだ。

 だから、美波がクロコのことを『エリー』と呼んだ時に無視されると思った。

 でも、予想を裏切りクロコは美波の膝の上に乗ったのだ。

 違う名前に反応を示したこともだけど、僕以外の膝に乗ったことに表情は変わらないけどとても驚いた記憶がある。


 美波がソファに座り、お腹を休めている間に食器を洗っておく。

 コンロと流し台も綺麗に拭き取る。

 これが自分の住むマンションなら、週に一度くらいしかキッチン周りは掃除をしない。

 だけど、光さんは綺麗好きだからキッチリ綺麗にしておかないと怒られてしまう。

 すると、おもむろに美波が立ち上がりリビングを出て行った。

 お手洗いかな? と考え、特に質問したりはせず、洗い終わった食器に付いている水分を完璧に拭き取ってからソファへ移動する。

 戻って来た美波も僕の隣に腰を下ろす。


「今日も綺麗だね、リボンも使ってくれてありがとね」


 お手洗いではなくて、髪をセットしてきたようだ。

 美波のトレードマークとなっている、ハーフアップした髪型にピアノの鍵盤模様のリボン。

 リボンは去年の誕生日に僕がプレゼントした物だ。

 今でも使用してくれているようで嬉しくなるけど、高校生になり、前より大人っぽくなった美波には少し子供っぽいかもしれない。

 すると、美波がそわそわし始めた。

 きっと、聞いてほしい話があるのだろう。

 時間はまだあるため、少しだけ美波の話を聞く。

 ピアノが上手になったことや、最近出来た友達の話を聞かせてくれた。

 友達の名は国井くにいさんと言うらしい。

 ニコニコと嬉しそうに国井さんの話を聞かせてくれて、僕まで嬉しくなってしまった。

 中学校では良縁に恵まれなかったけど、名花めいか高校では美波の良さに気付いてくれる人と出会えたようだ。


「紹介――」


「僕に紹介してくれるの? ありがとう、楽しみにしているね」


 10時半を過ぎたので、美波に声を掛けて一緒にマンションを出る。

 朝食で出た生ごみも忘れずに捨ててきた。

 このマンションは24時間ゴミ捨てが出来るから便利だ。

 来たときとは反対側のバス停に向かうため、横断歩道を渡ってバス停へ向かう。

 この短い距離でも、美波はしっかりと日傘を差し……。


「そうだ。美波に聞こうと思っていたんだけど、やっぱり日傘を差すと少しは涼しいの?」


「あげる――」


 そう言うと、美波お気に入りの鍵盤の上を歩く猫が描かれた日傘を僕に差し出してくる。

 そんなつもりでなかったから、断ろうとすると――。


「予備――」


 カバンからもう1本日傘を取り出して、予備があると言われる。


「いいの?」


「お揃い――」


 渡された日傘は黒色で、新しくカバンから出した物は藍色。

 お揃いか、でも――。

 美波からは純粋な善意を感じたので、ありがたく貰い受け取る事にする。

 自分から積極的に公言するつもりはないけど、僕と美波が兄妹なことを同級生や学校の人に知られてもいいやと考えが変わったからだ。


「ありがとう。大切に使うね」


「うん――」


 迷惑を掛けたらいけないため、他に人がいないことを確認してから、バス停に屋根が付いているのにもかかわらず、義兄妹きょうだい仲良く色違いでお揃いの日傘を差してバスが来るのを待つことにした――。

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