第44話 義兄さんの近くに居たいから

 昔から人と話すことが苦手。

 最初は頑張った。

 でもダメ。伝わらない。

 頭ではたくさん話したいことがある。

 けどそれを言葉にすることがどうしても出来ない。

 きっと、何かが欠落していて言語化出来ないのだと思う。

 それでも頑張ったの。

 それなのに何で分からないの?

 憤り自分勝手に我儘だってしたこともある。

 でも、『美波ちゃん我儘』と拒絶された。

 だから諦めた。

 これ以上は疲れちゃうもの――。


 でも私にはピアノがある。

 ピアノは好き。

 上手に弾くとママが喜んでくれる。

 頭の中にある言葉を音に乗せることだって出来るもの。

 もやもやする時はピアノを弾いたら忘れることだって出来る。


 最近面白くないことがあった。

 私はママがいれば、それでいいのに。

 だから私は今日もピアノを弾く。

 曲は、ショパン『ポロネーズ第七番【幻想】』。

 理解が出来なくて、まだ上手に弾けない私の一番苦手な曲。


 ――パチパチパチッ。


「美波さんはピアノが上手ですね。繊細な音でつい聴き入ってしまいました」


「――」


 最悪。

 上手に弾けて、せっかくスッキリした気分だったのに。

 何でここにいるの。

 嘘つき。

 そんな顔で言われたって何も分からない。


「ごめんね、せっかく気持ちよくなっていたのに。光さんに頼まれて迎えにきました。外は暗いですし、そろそろ帰りましょう」


 この人はママの再婚相手の息子。

 前のパパはホームシックとか何とか適当な事を言って、私とママを捨てて自分の国に帰って行った。

 元々、好きでなかったからどうでもいい。

 ママだけが私に――。


「娘の我儘を聞けることは母親の権利だもの。それに、美波ちゃんは他にたくさん素敵なところがあるのよ? ママは、そんな素敵な娘が居て嬉しいの」


 そう言ってくれた。

 だから、私はママが居ればそれでいい。

 でも、ママは私だけだと寂しかったみたい。

 だから再婚した。

 今度のパパも顔がいい。

 本当にママは面食い。

 でもやっぱり。

 前のパパと同じで、すぐに居なくなってしまいそうな匂いがするから、私は好きになれない。


「美波さん?」


「――」


 うるさい。

 分かっている。

 これ以上はママが心配するから、すぐに準備して帰る。

 ママはいつも忙しい。

 だから1人で帰った日も何度もある。

 迎えなんて必要ない。

 居ても邪魔なの。


「一応、義兄ですから。邪魔だろうけど、少し後ろから歩くから許してください」


「――」


 また――嘘つき。

 勝手にすればいい。

 私の視界に入らなければそれでいい。

 私はこの人を『義兄』だと絶対に認めない。

 家族なんかじゃない。

 私の家族はママだけ。

 でも、私がどれだけ無視をしてもこの人は私にかまってくる。


 ――今日も素敵なピアノだったよ。

 ――いつからピアノ始めたの?

 ――美波さんは本当に光さんのことが好きだね。

 ――美波さんは頭もいいんだ。

 ――美波さんは甘い玉子焼きが好きなの?

 ――今度はもっと美味しく作れるように頑張るね。


「美波さんは」


五月蝿いうるさい――」


「初めて返事してくれたね、ありがとう」


 うるさい――。煩い――――。五月蝿い――――――。

 何? 何なの?? この人は頭おかしいの???

 普通これだけ無視したら嫌になる。

 私だったら嫌。

 ママはそんなことしないけど、無視されたことを考えただけでこの世の終わりかと思っちゃうかもしれない。

 それなのに、この人は『ありがとう』と言った。

 頭おかしい。

 いつの間にか、よそよそしかった敬語もなくなっているし。


「顔はわからないけど、頭はおかしくないと思うよ。あと、義妹と話すのに敬語もおかしいかと思ってね、駄目かな?」


「知らない――」


「ありがとう、このまま話させてもらうね」


 それからも。

 いや、今までよりもずっと。

 この人は私にかまい始めた。

 信じられない。

 何で?

 何で私も普通に返事するようになっているの。

 いつの間にか嘘の匂いもなくなったから?

 会話が成立しているから?


 認めない。認めたくない。


 どうせ貴方も私に勝手に期待して、勝手に落胆して、私を拒絶するんでしょ?

 だったら最初からいらない。

 だから、言った。


「頭悪い――」


「そっか、分かった」


 そう言うと困った時の仕草をしてから、リビングから居なくなった。

 この人の仕草を覚えてしまったことも嫌。

 忘れたい。

 でも、やっと静かになった。

 久しぶりかもしれない。

 おかげで起伏の無い日を過ごせる――。


「ナァ~」


 猫がいた。

 私は世話したり遊んだりしないのに、妙に懐いている。

 猫は嫌いじゃない。

 特にエリーは膝の上に乗ったりしてくるから可愛いと思っている。

 エリーは好き。

 でも、あの人はまだ好きになれない。

 まだって何?

 知らない。こんな感情知らない。

 ピアノが弾きたい。

 あまり時間がないけど、電話でママにお願いする。


『ピアノ――』


『え、今から? 郡くんは?』


『いない――』


『……じゃあ、ダメよ。もう遅いし明日まで我慢して、美波ちゃん』


『行ってくる――』


 初めてママに反抗した。

 ママの分からず屋。

 心配してくれることは嬉しい。

 でも、過保護。

 あの人が居なくても、私だって1人でも平気。


 やっぱりピアノも好き。

 今も全てにもやもやしていたけど忘れる事が出来た。


 時間――。

 とっくに過ぎている。

 ママから何件も着信が来てる。

 怒っているかな?

 でも、私は悪くない。


「満足出来た? もう少し弾いてから帰る?」


「何で――」


 何でいるの? いつから?

 この人の顔をみたら、スッキリしたはずのもやもやが戻ってくる。

 もう、放っておいてほしい。


「放っておくことはできないよ。僕は美波の義兄だから」


「認めない――」


 こんな人を義兄だなんて認めない。


「どうしたら認めてくれるの?」


「頭悪い――」


 少なくとも私より頭が悪い人の言う事なんて聞きたくない。

 義兄だなんて認めない。

 でも――。

 私より頭がいい証拠をだしてくれたら、少しは認めるかもしれない。

 けど、この人には無理。

 だからこの話は終わり。諦めて。


「どう? これで、義兄さんって呼んでくれる?」


 ありえない。

 私が突き放してからまだ1カ月も経ってない。

 この1カ月は感情を動かされることもなくて、平和だった。

 相変わらずピアノの迎えには来てくれていたけど、中にまでは入ってきていなかった。

 それ以外にも私にかまうことは、ほとんどなくなっていた。


「僕は美波と……ちゃんと兄妹になりたいんだ」


「どうして――」


 どうしてそこまで私と兄妹になりたいのか分からない。

 私の考えていることだって、分からないでしょ?


「何となくは分かるかな? 最近は話せていなかったけど、前は美波も返事してくれていたよね? 特に違和感はなかったし、まだ絶対の自信はないけど、美波と話せていたと思っているよ」


「――」


 今思い出してみても、そうだ。

 何で私はこの人と会話が成立しているのだろう。


「美波のピアノを聴いていたら、何となく伝わってくるようになったんだよ。それで、僕が義兄だとダメかな?」


「どうして――」


 そんなに哀しそうな匂いをしているの。


「美波は純粋に僕に向いてくれているからかな。だから、同居人でなくて、ちゃんと家族になりたい」


「我儘――」


 私は自分が我儘なことを理解している。

 ママにたくさん迷惑かけてきたもの。

 でも、これが私。

 やめることなんて出来ない。


「他は分からないけど、僕は、妹の我儘を聞けることは兄に許された特権だと思っているよ。それに、美波は素敵な所をたくさん持っている。だからじゃないけど、こんな素敵な妹が居たら僕は嬉しい」


「ママ――?」


「ごめん。今のはちょっと分からないや。駄目だね」


 ママから何か聞いたのかと思って聞いたけどそうじゃないみたい。

 嘘の匂いもしなかった。

 でも、そうしたら。

 やっぱりこの人はおかしい。


「頭おかしい――――嬉しい――――?」


 我儘でもいいと言ってくれて、他に素敵なところがあると言ってくれた。

 昔、ママが言ってくれたことと同じ。

 嬉しかった。

 でも、確認しないと。

 もう随分昔に諦めていたけど、頑張って言葉を産み落とす。

 本当は『頭おかしい。でも、私が居たら嬉しいの?』まで言いたかったけど、これが限界。

 ちゃんと伝わったかな。


「ありがとう、美波。頑張ってくれたんだね、ちゃんと伝わったよ。美波が義妹になってくれたら凄く嬉しいよ。そうしたら、義兄さんも頑張れると思うんだ。勝手かな?」


 ちゃんと伝わっている。

 忙しいとママでもたまに受け取ってくれないのに。

 凄く――。

 凄く嬉しい。

 自分でも気づかないうちに胸に空いていた隙間が、満たされてくるような感覚がある。

 今なら最高の演奏が出来るかもしれない。

 でも、義兄さんは勝手だ。

 1人だと頑張れないから私と兄妹になりたいの?

 仕方のない義兄さん。

 でも、今は勝手を言ってくれたことが嬉しいかもしれない。

 不思議。


「ピアノ――」


「うん、僕も美波のピアノもう少し聴きたいな」


「ママ――」


「大丈夫。僕も一緒に怒られてあげるから」


 嬉しい。

 会話がこんなに楽しいことだっで知らなかった。

 でも、『一緒に怒られてあげる』って、なに?

 変な義兄さん。

 怒られているのに想像したら笑えてきちゃう。

 でも――。

 嬉しい、ありがとう。

 ピアノ。

 聴いていてね。

 あの日から一度も弾いていないけど。

 今ならきっと弾けると思うの。

 曲は、ショパン『ポロネーズ第七番【幻想】』。

 私の好きな曲。

 そして、初めて義兄さんが褒めてくれた曲。


 ――パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチッ。


「今までで一番伝わってきたよ。最高の演奏をありがとう、美波」


「義兄さん――――義兄さん――――」


 弾けた――。

 初めて満足に弾けたの、義兄さん。

 息が荒くなる――。

 だけど、私が義兄さんと呼ぶと、まるで花畑に来たかのような甘い匂いが漂ってくる。

 義兄さんは決して、感情が表情に出る事はないけれどいつだってたくさんの匂いを漂わせている。

 この義兄さんの匂いは――。


「ありがとう、美波。とっても嬉しいよ。改めて、これからもよろしくね」


「うん――」


「じゃあ、今日は一緒に並んで帰ろっか」


 そう言って、初めて2人並んで家路につく。

 家に帰ると、とっても怒られた。

 でも、私が『義兄さん――』と呼んだらママが驚いて、怒る事をやめて記念にと写真を撮ってくれた。

 義兄さんは本当に嫌そうな匂いと困った仕草をしていたけど、『特権――』とお願いしたら諦めてくれた。

 その時の写真は今でも肌身離さず持っている。

 私の大切な思い出。

 あんなに嫌で忘れたい。

 そう思っていた義兄さんの無意識な仕草でさえ、今では可愛いとさえ思えてくる。


 私と義兄さんが本当の兄妹になってから暫らく――。

 新しいパパが亡くなって、義兄さんとエリーが家からいなくなってしまった。

 ママも義兄さんもみんな、哀しそうにしている。

 私の大好きな2人をこんな顔にさせた新しいパパだった人は、前のパパ以上に嫌い。

 私は2人が哀しんでいることが、とても哀しかったけど出来る事は少ない。


 ママは大人。

 パパだった人が居なくなったことは、すでに受け止めている。

 だから、私はいつも通りにしているだけでママは笑ってくれる。

 でも、義兄さんは?

 学校が辛くても義兄さんがいたから通えた。

 いつも私を守ってくれる義兄さん。


 その義兄さんのことは誰が守るの?


 分からない――。

 でも、今は、義兄さんに楽しい思い出をたくさん作ってあげたい。

 ううん、義兄さんとの楽しい思い出を『私』が欲しい。

 哀しむ暇なんてないくらいに。


「明日――」


 明日からは久しぶりに義兄さんと過ごすことが出来る。

 ママに嘘をつかせてしまったけど、理由をあげないと義兄さんは素直に頷いてくれない。

 それに義兄さんは勘違いをしている。

 ママは分かりにくいだけで、私と一緒で義兄さんのことが大好きなのに。

 義兄さんはそれが分からない。

 だから勘違いして出ていった。

 怖がりな義兄さん。

 仕方のない義兄さん。

 でも私も仕方のない義妹。

 だって分かっているのに止められなかったんだもん。


 あの時はそっちの方が正解だと思った。

 3カ月も掛かったけど。

 義兄さんの何かが変わった。

 あれだけ理由を付けて断っていた義兄さん。

 それなのに『楽しみ』そう返してくれた。


 私のした選択。

 正しいか分からないけど義兄さんの傍にいるため。

 だからいつもの我儘みたいに許してもらうつもり。

 怒られるかもしれない。

 ちょっぴり不安だけれど。

 義兄さんにだったらそれでもいい――――。


「みなみー? 明日の準備もいいけど、そろそろ寝ないとダメよ……って、貴女また郡くんとのお写真見ていたの?」


「うん――」


「よっぽど楽しみなのね。準備は終わったの?」


「平気――」


 お泊りの準備を終えたあと。

 写真を見ていたら昔を思い出した。

 でもママが来たら今度は眠気を思い出した。


「おやすみ――」


 ――明日、起こしてね。

 ――たくさん我儘言って、存分に義兄さんに特権を使わせてあげる。


 と。

 届くはずもない思いを乗せて――。

 でも絶対に届いていると確信しながら眠りにつく。

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