第40話 仕事中にも拘わらず妹さんに手を出してしまいました

 着替えを済ませ1階に戻ると、すでに万代ばんだいさんと紫竹山しちくやまさんは退勤していた。

 下りたところで鉢合わせた新津にいづさんに聞いたら、どうやら僕を歓迎する為に居残っていてくれていたようだ。明日改めてお礼を言わないといけないな。


「ホールは私1人で大丈夫だから、八千代やちよくんは美海みうと一緒にキッチンをお願いね」


 新津さんへ返事を戻し、美海が待つキッチンに移動する。

 シフト表で確認済みだが、新津さんが1時間ホールに出ている間に、美空さんは事務所で書類仕事をする作業分担となっていた。


「美海上官。今日もご指導お願いいたします」


「任されましたっ! 予備のメガネ持っていたんだね?」


「これが壊れたらまた買わないとだけど」


「ふ~ん……私はメガネを掛けていないこう君も凄くいいと思っているよ? だからまた今度外して見せてねっ」


「また転んで眼鏡が壊れたらね」


「もうっ! こう君の捻くれた性格をくすぐってほぐしてあげたいけど、注文が入ったからまた今度ね。さ、働こ働こっ!」


 聞かれたことには答えるし嘘もつかないように心がけている。

 そう言った面では、正直者や素直な性格だと自分自身考えている。

 だけど敢えて話を逸らしたり、面倒な言い回しする自分自身を捻くれ者や面倒な性格だとも自覚している。

 それが美海には分かっているのだろう。そして美海は一体どのような手で僕の面倒な性格をくすぐり解すのか気になったが、今はアルバイト中だから気持ちを切り替えて、真摯しんしに仕事に取り掛かるとする――。


「新しい注文は……昨日教えたオムレツだね。失敗してもすぐ作れちゃうからお客様を待たせる心配もないし、試しにこう君1人で作ってみる?」


「復習してあるし多分大丈夫かな。最後だけチェックお願いしていい?」


「さすがだねっ! チェックも任せてね。ん、んっんん…………」


「美海?」


 どうして咳払いしたのかと思ったが、その答えはすぐに分かった。


「では後輩君、任務を遂行したまえ」


 さっき美海を上官呼びしたことに、時間差で乗ってくれたということだ。

 耳を染めながらも律儀に乗ってくれるあたりが美海らしくて、疲労した心も癒されてしまう。何て素晴らしい上官なのだろうか。


「サー、イエッサー」


「うむ……ふふっ、変なの」


 美海がクスっとした笑みをこぼしてから、今度こそ任務に取り掛かる。

 別の注文の準備に取り掛かり始めた美海を続いて、僕も材料を用意して始める。

 昨日も、オムレツのレシピや調理工程を教わったあと何度か注文もあったし、復習がてら帰宅後にも作ってみたため、調理工程は頭の中に入っている。

 それにオムレツは頻繁に作っているし、『空と海と。』のオムレツはシンプルなプレーンオムレツであるから、火加減さえ間違わなければ失敗することは少ないであろう。

 シンプルだからこそ、完成品に腕の差が顕著けんちょに出たりするのだが……まあ、失敗しても上官がフォローしてくれるから、恐れず取り掛かるだけだ――。


 先ず、ボウルに卵三個を割り入れ溶きほぐし塩こしょうを加え、さらによく混ぜる。

 次に、溶きほぐした卵液をキメ細かくするためザルです。

 熱したフライパンで焦がさないよう気を付けながらバターを溶かして、漉した卵液を一気に流し入れ、ゴムベラで半熟状になるまで混ぜる。この時の火加減は中火のままだ。

 半熟状になったら、フライパンを火から外して準備しておいた濡れた布巾の上に乗せ、フライパンの持ち手部分を軽くトントンと叩く。

 こうすることで、卵の厚みを均一にしているのだ。

 卵の端に出来た焦げを取り除き、フライパンを奥側に傾け、手前から中心に向かって卵を折りたたんでいく。

 反対側も中心に向かってたたんだら、フライパンのカーブを利用して成形する。

 最後にひっくり返して、強火で表面を固めたらオムレツは完成である。


 食器に移し、空いたフライパンに赤ワインと『空と海と。』特製のケチャップを入れてソースを作り、オムレツにかける。

 いろどりとして、ベビーリーフをトッピングしたら完成である。


「こう君、バッチリだよっ!! 凄く美味しそう!!」


「成功してよかった。チェックありがとうね、美海」


 さすが美海と言うべきか、僕がオムレツを作っている間に他の注文の品は全て調理が終わっている。

 さらにはチェックをお願いするよりも先に、見守っていてくれたようだ。


「貰っていくわね~」


 タイミングよくキッチンに来た新津さんが出来上がった品を持って、ホールへ戻って行く。

 その後、新たに入った注文の品の作りかたを美海に教わり、時間が18時になると新津さんが退勤して、美空さんがホールに出た。

 週末の金曜だからか閉店30分前ラストオーダーとなる19時30分まで、注文が途切れることなく、おかげで昨日よりも多くのレシピや仕事を教わることが出来た。


 ラストオーダーの時間が過ぎた後、美空さんから閉店作業に取り掛かるよう指示があったため、昨日教わったことを思い出しながら作業を進める。

 温かい目をした美海に見守られながら、閉店作業は順調に進んで行き、8割ほど片付いたところで、少し興奮気味な様子をした美海が褒めてくれる。


「こう君、覚えが良くて教えるのが凄く楽しいっ! スポンジみたいってこんな時のための言葉なんだね。この調子なら1人キッチンデビューもあっと言う間かもしれないねっ」


「美海の教え方が上手だからね。あとは、そうだな……料理し始めたのは中学生になってから何だけど、上達出来たのは幸介こうすけ義妹いもうとのおかげかもしれない」


「私の言い方厳しかったりしない? 大丈夫? それと、どうして2人のおかげで上達したのか聞いてもいい?」


 厳しいかと問われたら、ある意味厳しいかもしれない。

 美海はどちらかと言うと感覚的に教えてくれるからな。レシピがなかったら正直厳しかったかもしれない。

 それと口調や言い方は優しいけど、どことなく”圧”を感じるため、優しさが怖さにも見えて、人によっては心が持たないかもしれない。


「いや、僕は平気かな。だから今の調子でどんどん教えてね。幸介と義妹はさ、僕が作ったご飯を何でも美味しいって食べてくれるんだよ。それが嬉しくて、次はもっと美味しく作ってあげたい……が、繰り返されたから上達出来たんだと思う」


「お姉ちゃんに気を付けるように言われていたから、こう君が平気なら良かった。あとね、こう君が言ったこと分かるかも。ううん、分かるかな。私もね、小さい頃にお母さんとお父さん、お姉ちゃんが美味しいって一杯褒めてくれたから、お料理が大好きになったの」


「うん、まあ……(美空さんの言うことも少し分かるかもしれないな)。えっと、そうだね。よく小説やテレビ、漫画とかで『隠し味は愛情』ってセリフがあるけど、案外本当かもしれないね。料理が好きになったり上達する秘訣は、誰かを思うってことも大切そうだし」


「ねぇ、こう君。今の長いは何? 凄く気になるんだけどっ! ねぇ、ねぇ?? 怒らないから正直に言ってみて??」


 いや、それ絶対に怒る前ふりみたいなものだと思いますよ美海さん。

 正直者な僕だとしても怒られるのを分かっていながら答えるのは勇気がいる。

 つまりここで捻くれ者の僕が取る選択は、『沈黙』が正解だろう。


「都合が悪くなるとすぐに黙るんだからっ!! まぁ、でも? こう君と同じ考えだったことは嬉しいかな……んん? その理屈ならもしかして、この間作ってくれた出汁巻き玉子は、私のこと考えて愛情一杯入れてくれたとか?」


 沈黙が正解なわけがなかった。沈黙した結果、さらに返答に困る質問をされてしまい、思わず作業の手が止まる。

 僕の困った様子が可笑しいのか、美海ときたら面白いくらいに小悪魔みたいな顔を浮かべている。


「ふふっ、今度はちゃんと返事を聞けるまで止めてあげないからね?」


 さらなる追い打ち――さて、どうしたものか。

 いやでも、愛情を知らない僕が隠し味に愛情を入れるのは矛盾しているよな……つまり愛情一杯どころか1ミリたりとも入っていないことになる。

 ということは、僕の返答は『いいえ』でいいはずだ――。


「み――」


 ――美海。


 と、呼びかけようとするも、美海の足元が濡れていることに気が付いた。

 続けて注意を促そうとするも、美海は可愛らしい掛け声とともに重たい生ごみが入った袋を持ち上げようとする。

 が――。

 不幸という偶然が重なり、美海が持ち上げたゴミ袋に穴が開いていた。

 そのため、重いものを持ち上げようとしたはずが、穴が開いていたことによりその重さは伝わって来ず、バランスを崩し濡れた地面に足を滑らせてしまった。


「美海――」


「え――きゃっ――」


「――つ。平気? ケガしてない?」


「――!? え……?? こう君!? 私より、こう君が大丈夫??」


 転倒しそうな美海に気付いたはいいが阻止するに間に合わないと考え、咄嗟に美海を庇う形で倒れこんだのだ。


「僕は平気。美海もどこか体に異常がないか確認して? ね?」


「う……うん」


 申し訳なさそうに返事してから、僕からおり、体や動作など確認する。

 続いて立ち上がり自分の体を確認するが、特に異常はなさそうだ。


「こう君が庇ってくれたおかげで私は何ともないよ。それでこう君は? どこかケガとかしていない? ごめんね、私のせいで……」


「美海も平気なら良かった。僕も無事だから気にしなくていいよ。それにもし、ケガをしたとしても、美海が無事なら名誉の負傷になったかも。あとさ、美海? 『ごめん』より、『ありがとう』の方が嬉しいかな」


 泣きそうな顔をしている美海に安心してもらいたくて、無事な事と一緒に冗談を含めて返事する。

 本音でもあるから、冗談とは呼べないかもしれないが――。


「……ばか。そんなの全然名誉でも何でもないよ。でも、庇ってくれてありがとう」


「おっと……どういたしまして、美海」


 胸に抱き着いてきた美海の頭を一撫でする。

 調理用の帽子を被っているため柔らかそうな髪に触れる事は出来ないが、これでいい。

 帽子を被っているからこそ、大胆にも撫でることが出来たのだから。


「ねぇ、郡くん。ごめん。ちょっと見てもらいたい物があるのだけ、れ、ど…………」


 手に持つ書類に視線を落としながら美空さんがキッチンへ入って来たが、顔を上げると同時に足が止まり、さらには全身の動きまでもが固まった。

 美空さんの声に反応して、美海が慌てて僕から離れる。

 泣いていたのか目が赤くなっている。


「美空さん、これはですね――」


 事の経緯を知らない美空さんからしたら、仕事をおこたり妹に手を出して、あまつさえ泣かせたようにしか見えない状況だ。

 そのため言い訳……状況を説明しようとしたが、美空さんは出口に振り返ってしまった。

 そして――。


「ご、ごゆっくり~~~~」


「お姉ちゃん、違うのっ!! 待ってっ!!!!」


 お叱りを受けるどころかまるで応援するかのような言葉を残し去ろうとする美空さんの後を、美海は慌てて追い掛けて行き、僕は1人キッチンに取り残されることとなった――。

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